義姉になるひと
王宮の中庭は、赤の庭、紫の庭という二つの区画に分けられていた。
色にちなんだ名前通り、生け垣に使われる薔薇の色によって区切られており、明確な線引きがなされている。
滞在中の貴族等が生活する客棟と公務の行われる中央棟に面した赤の庭は、城に招かれた者ならば自由に入る事が許されており、貴族だけでなく使用人の休憩にも利用される。
逆に、王家の居住棟に面した紫の庭は、王族の招待が無ければ立ち入れない庭だった。
主に王家主催のガーデンパーティーやお茶会などに利用され、使用人も選び抜かれた者達のみが従事するというその中庭は、入場を許されただけでも名誉な事とされ、そこで見聞きした事は王家の秘密として公に晒してはならないというのが暗黙のルールとされている。
しかし、人の口はやり方次第で如何様にも軽くなるというのがエセルバートの持論だった。
だからたとえ紫の庭といえど、人の目がある内は男の仮面を脱いではいけないと道すがらこっそり耳打ちされたのは記憶に新しい。
ならば何故。
「お姉様のケーキも美味しそう。ねえ、わたくしに一口ちょうだい?」
「あら。それだったらあちらに新しい物があるわ。取り分けてあげる」
「あら。わたくし、お姉様のお皿に乗っているものが良いわ」
「……アンネ様。お茶を淹れるわね」
目の前で繰り広げられる会話に、コーデリアは顔を赤らめるべきか青ざめさせるべきかと躊躇し、紅茶に口付ける振りをしてそっと視線をそらす事に成功した。
兄の婚約者にべったりとくっつきながら、まるで彼女以外見えていませんと言う風にその人を見つめるアンネリーゼ……もといアーネスト。
コーデリアの記憶が確かならば、昨日非公式ながら婚約を交わした相手である。
婚約者として……否、臣下として窘めるべきだろうか。
腕を抱き密着する身体も、吐息の混じり合いそうな距離にある顔も、姉弟としては近すぎる。
人目が無いとはいえ、これでは兄の婚約者に横恋慕していると取られてもおかしくは無かった。
けれど実際は、彼の性別を知っているからそう思うだけで、傍から見れば未来の姉妹が仲睦まじくお茶を楽しんでいるだけに映るのだろうか。
紅茶を喉に流し込みながらぐるぐると巡っていたコーデリアの思考は、不意に聞こえた陶器同士が強く重なる音に遮られた。
曲がりなりにも王族御用達の庭。
マナーの行き届いた者しか居ないその場所で不協和音が響くなど、普通ならばあり得ない。
心臓をきゅっと掴まれたような心地で恐る恐る首を巡らせると、婚約者と妹の仲睦まじい様子を見守るエセルバートが目に入った。
穏やかな微笑を湛えているが、その目は欠片も笑っていない。どう見たってご立腹である。
――『弟の幸せをお膳立てしてやりたい』という兄の想いが早くも揺らぎかけているのでは?
思わずそう思ってしまうほど明らかな苛立ちを滲ませるエセルバードの態度にコーデリアは心臓が冷えていくのを感じ、そして――
「あ、あの――」
いたたまれない空気に絶えきれず、気付けば上擦った声を上げていた。
話題を考えていなかった事に今更気付くも、もう遅い。
全員の注目を浴びているという状況に冷や汗をかきながら、コーデリアはこの一年心がけてきた害のなさそうな笑みを貼り付けつつ頭をフル回転させた。
「実は中庭をしっかり拝見するのは初めてで。宜しければ案内して頂けると嬉しいのですが」
突発的にしては中々の話題ではないか。
脳内で自分を褒め称えながら首をかしげてみせる。
視線を向けられたアーネストは、一時考えるように視線を彷徨わせ、そしてにっこりと微笑んだ。
「そうね。中庭ならお兄様が詳しいわ。ねえ、お兄様」
「アーネスト。折角の誘いを無碍にするのは如何な物かと思うよ」
「だって。折角お姉様に淹れて頂いたお茶が冷めてしまうもの」
どうしよう。火に油だった。
表面上は穏やかながらも今にも火花が散りそうな兄弟の様子に、貼り付けていた笑みが思わず引きつりそうになる。
――どうしよう。どうしたら良いかしら。
逆に悪化させてしまったと狼狽えながらも、なんとか取りなそうとコーデリアが席を立ちかけたその時。
「だったら、わたしが案内するわ」
「……え?」
優雅に席を立ったティリラは、固まる男性陣を尻目にゆったりと微笑んだ。
「わたしも、この一年で随分と詳しくなったのよ。色々と教えて差し上げる」
予想外の方向から来た提案に、コーデリアは瞬きを忘れてその人を見上げた。
薄氷がかった髪に藤色の瞳。全体的に淡い色素は、ともすればぼやけた印象を人に与えかねないが、上品ながらも華やかな美貌が損なわれる事は無い。
むしろ神秘的な雰囲気さえ醸し出しているように思えた。
兄弟と同じく固まるコーデリアに、ティリラは内緒話をするように顔をよせる。
「あちらから、裏庭に抜けられるのを知っていて?とても素敵な物があるのよ」
「いえ……その、レディ・グロリエ」
「あら。そんな畏まった敬称はよして頂戴。わたし達、未来の姉妹でしょう?」
わたし、妹が欲しかったのよ。
そっと耳打ちされると共に肩を押され、思わず立ち上がったコーデリアの頭には、これは漁夫の利というやつなのでは……というなんとも場違いな感想が浮かぶ。
「あ、お姉様が行くのならわたくしも」
促されるままに足を踏み出した後ろから、慌てたような声が響く。
振り返れば、オモチャを取り上げられた子供のような顔のアーネストが立ち上がりかけた所だった。
「アンネ様はお茶を楽しみたいのでしょう?どうぞゆっくりしてらして」
やんわりとした嫌味に二の句が継げないアーネストがすとんと椅子に舞い戻り、その向かいに座るエセルバートは、やれやれと言った風に肩をすくめる。
「さ、参りましょう?」
二人とも異論はなさそうだと、微笑むティリラにコーデリアはただただ頷いた。