少女の死んだ日
※ 爵位や貴族社会の成り立ちなどについて、出来る限り調べてはいますがご都合主義や自己解釈が入り交じっています。細かいところはファンタジーと流せる方のみ自己責任で観覧して頂くようお願いします。
煙霞けぶる初春の夜。
コーデリア・ハウネルの元に父と兄の訃報が飛び込んできたのは、ぐずる弟をようやく寝かしつけた時の事だった。
急かされて入った室内には確かに二人が居た。
ベッドへと寝かされた姿は、端から見れば眠っているようにしかみえなかったが、微かな血の臭いと嫌に冷たい空気がコーデリアの淡い幻想を否定している。
「馬車同士の衝突による事故だと言うことでした。相手方の馬車は逃走。後ろから追突され、御者が確認した時には既にダリウス様はお亡くなりに。辛うじて息のあった旦那様も、医者を手配する間に亡くなったとの事です」
「……そう」
押し殺した声で語られる顛末に、コーデリアは気が遠くなるのを感じた。
嘘だと思いたかった。
たちの悪い冗談だと、今の今までは心のどこかでそう思っていた。
けれど、そっと触れた兄の身体は氷のように冷たく、生者の体温とはかけ離れている。
「私のせいかしら……」
「お嬢様……っ!それは違います。それにまだ、ハウゼン様が関わっていると決まったわけでもございません」
父の妹婿でありコーデリアの叔父であるハウゼンは出世欲の強い人物だった。
やり手の実業家である彼は、辺境伯であるハウネル家と縁を繋ぐだけでは満足出来なかったらしい。
自身の息子をハウネル家の次期領主にしようと画策しているのは、コーデリアへの縁談の打診が日増しにあったことからも明らかだった。
辺境伯である父と跡継ぎであるダリウスが死ねば、ハウネル家の家督を継げるのはまだ幼い弟のサディアス一人。
となれば、後見人としてハウゼンが実権を握る事も、コーデリアと息子を結婚させ爵位を得るのも思いのままだ。
「……そうね。憶測で物を言ってはいけないわね」
口ではそう言いつつも、コーデリアは頭を過ぎった考えを否定出来なかった。それは恐らく執事であるリチャードも同じなのだろう。
無関係とは思えない。けれど、証拠もないのに疑いはかけられないのが現状だった。
コーデリアに叔父を黙らせられるほどの婚約者が居ればまた違ったのだろうが、社交界に出て間もないコーデリアには親しい異性の友人は居らず、後ろ盾になってくれるような近しい貴族にも心当たりはない。
「お母様はどちらにいらっしゃるの?」
自分に伝手はなくとも、母ならあるいは――
そんな淡い期待に、執事は首を振ることで答えた。
「奥様は……知らせを聞いて気分を悪くされまして。今は自室でお休みでいらっしゃいます」
「そう……」
いつもは淑女として自分を律している母も、最愛の夫と息子を亡くした衝撃は大きいのだろう。
無理もない。コーデリアも、出来ることなら何もかも忘れて嘆いていたかった。
けれど、コーデリアまでもがふさぎ込んでいては、ハウネル家はあっという間に叔父の物になってしまうだろう。
なんとかしなくては。けれど、どうしたら良いのだろう。
せめて視察に行っていたのが私だったら良かったのにと、真っ白に靄がかった思考の隅でコーデリアは思う。
華やかではないが、慈愛に満ちた穏やかな母の容姿を受け継いだコーデリアとダリウスは、双子と見紛われるほど容姿が似ていた。
くすんだ夜明け色の髪は揃いの色。瞳はダリウスの方がほのかに淡い茶色だが、それも些細な違いだ。
病気がちなダリウスに代わり、コーデリアが彼の振りをして父の視察にくっついて行った事も一度や二度ではない。
「――そうだわ。私が死ねば良いんだわ」
あれほど真っ白だった頭に、すとんと名案が降ってきた気がした。
身長や体付きには多少男女の差があれど、ダリウスは見上げるほど大柄ではなかった。コーデリアの胸も、押しつぶせないほど豊満ではない。
極めつけに瓜二つと言って良いほど似通った容姿は、まさに天恵と言っていいだろう。
「コーデリアお嬢様?」
「今日の視察は、お父様とコーデリアが行ったという事にしましょう」
その言葉だけでコーデリアの言わんとしている事が分かったのだろう。リチャードの息を呑む音が聞こえた。
死んだのが娘ならば、爵位は長男が継げる。
弟が成人を迎えるまでの間だけ隠し通せれば良いのだ。片方しか選べないのなら、家のために生かすべきはどちらかなどわかりきった事。
「私が兄様――ダリウスになる。大丈夫。リチャード、貴方が居るもの。何とかなるわ」
上手く微笑めたのか、コーデリアには分からない。
けれど笑わなくては。父も兄も居ない分、コーデリアが強くならなければいけないのだから。
リチャードはコーデリアの健気な決意に深々と頭を垂れた。
「鋏を持ってきてもらえる?」
「――はい。すぐに」
察しの良い執事はコーデリアの意図に気付いただろう。
けれど無言のままに扉が閉められたのを確認し、コーデリアは冷たい兄の頬に触れた。
「ごめんなさい兄様。貴方をコーデリアとして死なせることになるわ」
勿論、返事はない。
すこし薄汚れた様にみえる髪を払い、擦り傷だらけの顔を撫でる。
決して華やかではないコーデリアの髪を、夜と朝が溶けた空の色と表現したのはダリウスだった。
『朝と夜、どちらも宿っているなんて贅沢な髪だと思わない?ねえ、ディリィ』
自分の髪を一房掴みながら笑う兄の言葉で、コーデリアも自分の髪色が大好きになったのだ。
穏やかな兄様。優しい兄様。兄様の治世は更に豊かになるだろうと、領民達が囁くのをコーデリアは知っている。
その期待を、父の守ってきた領地を、叔父にくれてやるつもりは毛頭ない。
「どうぞ、コーデリア様」
音も無く入室してきたリチャードが差し出す鋏を受け取り、コーデリアはためらいなくその髪を切り落とした。
はらはらと夜明け色が散るのは、奇しくも空の白んできた頃の事。
「ありがとう。でも違うよリチャード。コーデリアは……ディリィは死んだんだ」
「……左様でございましたな、申し訳ございません」
朝焼けに照らされたその瞬間、長い髪と共にコーデリアは死んだのだ。
リチャードは一瞬寂しげな顔で顔を伏せ、そしてそっと息を吐き出した。
「では、あらためて――ご命令を。ダリウス様」
「そうだね、リチャード。では、葬儀の準備を。あと、スザンナを呼んできてくれるかな。髪を整えなくちゃ」
長い髪を切るのは儀式だった。
父と兄。そして、女である自分との決別の儀式。
鏡も見ずに切った髪は、おそらく残念なことになっているだろう。
「承知いたしました」
深々と頭を下げた執事は、新たな主人の頬を伝う涙にそっと気付かないふりをした。
前辺境伯グレイアムと娘コーデリアの死と共にダリウス・ハウネル辺境伯の誕生の知らせが届くのは、それから数日後の事である。