第一章幕間 『あの男』
「天羽翔、なんなのよあの男」
私は彼の履歴書を強く握りしめ、学歴や職歴の項目を睨みつける。学歴と職歴には目立ったような事は書かれていない、特別凄い学校に通っていた訳でもなく、有名な企業に入社していた訳もなく、この紙一枚から彼の凄さと言うのは何一つ伝わって来ない。
そんな彼を雇ったのは父と母、執事を新しく雇う話は当初から聞いていた、もちろん私は反対をした、執事は爺やだけでじゅうぶん事が足りていたから、爺やは私が生まれる前から七宝家の執事として尽くしてくれている、今までも色んな執事が面接に来ては私はクビにした。
何故クビにしてきたのか、理由は簡単。
受けに来る男達は皆お金や地位の事を考えている目をしていたから、面接当時の履歴書の名前を見ると、彼等は有名企業の御曹司ばかりで、明らかに政略結婚を狙っているのが私にはわかった。
表向きは笑顔、でも目は笑っていなかった、私や美歩佳を見ている目はお嬢様としてでは無く、道具のように見ていた。
最低だ、自分と会社の為なら何だって利用する男なんて消えてしまえばいい、同じ男である爺やは全然違う、私達を見る目は慈愛に満ちていて、撫でる手つきはたちまち心の傷を癒してくれる。
だけど、あの爺やですら天羽翔をよく思っている、まだ1週間と経っていないあの男の何が良いのか私にはわからない。
「何とかしてアイツをクビにしないと、きっと良いことがないわ」
私は彼と賭けをした、3日間ある内に美歩佳に変化が無ければクビにすると、正直この賭けは私の勝ちだ、美歩佳が簡単に心を許すわけないから、この私ですら引きこもりの美歩佳を部屋から連れ出せた事は無い。
見た目が見た目だし、怖がらせてしまってゲームオーバー。
それにあの男なら手を出しても怪しくない、父に聞く限り彼は元暴走族だったらしい、なら何か間違えを犯してもおかしくない、むしろそれに誘導さえすれば。
「何よ、簡単な方法があるじゃない」
「氷華様、入ります」
ソファーに深々と座り込んでいた私、独り言を呟きながら考え込んでいたせいで、ドアをノックした音に気づかなかった。
ドアを開けて声を掛けてきたのはメイド長だ、私の専属メイドとしても働いている、マリアは私のお姉さんのような存在で、時に厳しく時に優しい人。
マリアは部屋に紅茶セットを載せたカートを持ってきた、彼女が注ぐ紅茶の香りは部屋中を満たす。
「ね、マリアはあの男の素性を知っているのでしょ」
「はい、彼の面接の場に私も居ましたので」
「なら話は早いわ、彼をクビにして」
マリアはその言葉を聞くと、カップに紅茶を注ぐ手を止める、今までも『執事をクビにして』とマリアに告げて来たが、注ぐ手を止めたのはこれが初めてだった。
私の我が儘は今に始まった事ではない、でも我が儘を言うのは基本『執事をクビに』してほしい時だけ、マリアや爺や程の地位なら父や母に進言さえすればクビにしてくれる、それ程までに2人の存在価値は高い。
私と対面になるようにマリアは座り、話してくる。
「氷華様、まだ彼の事を表面上でしか見ていないのですね」
「それは貴女もでしょ、アイツの何処に此処で働く価値があるのよ」
「私や執事長はこれから彼の素晴らしい所を見つけていくのです、氷華様もそうすれば良いのです」
「ふざけないで、アイツは七宝家の不穏分子よ、きっと地位やお金を狙ってる」
呆れたのか、または違うのか、マリアは少し残念そうな顔をする。それを見た私は苛立ちを隠せなくなる、今までなら直ぐに執事をクビにしてきたのに今回ばかりは違っている。
彼の何処が良いのか、彼の何を知って存続させようとするのか、私にはわからない。
「氷華様、会社に取って宝とは何でしょうか?」
「何よいきなり」
「答えてくださいませ」
突然話を変えられたような感じがする、でもマリアが無意味な事を発言したりはしない、きっと何か意味があるんだ、しかも単純な質問だ。
私はこれでも大学に通う中、父の仕事を手伝っている、会社や組織の仕組みなんて事は勉強済みだ、マリアがどうしてそんな質問をしたのかはわからないけど。
「会社の宝は社員よ、社員が居なければ会社は成り立たないわ」
足を組み座る私、マリアは平然と紅茶を啜りながら私の答えを聞いて、
「では貴女は組織に居る人間として、失格です」
「な!? どうしてよ!?」
その時のマリアの目は酷く冷たく、口にする言葉は冷たく凍った氷柱を私の胸に突き刺す、そんな事を言われたのは本当に初めてだ、自慢では無いが私はエリートコースをずっと歩んで来た、その私があの男1人に負けそうになる。
「今までクビにしてきた執事は社員でした、それを簡単に手放し、その時の利益を無駄にした。そして今も翔さんをクビにしょうとする、そんな人の下で働く者はいつか離れていきますよ」
「それは私達を利用して自分が得をしようとしたアイツらが!」
「なら何故逆に利用しなかったのですか、会社は一方的感情では動かないのですよ?」
「…………」
口では勝てない、それくらいの事は私にだってわかっていた、マリアは父の秘書でもあり屋敷のリーダー、経験も人生も全て私より上に立っている、目頭が熱く感じる。
悔しい、悔しい、悔しい。
あの男さえ居なければ、こんな思いをせずとも毎日を過ごせていたのに、何故こんなことに。
「翔さんは、氷華様や美歩佳様を変えてくれると信じています、あの方は裏表が無い人間のようです」
「出ていって、一人にしなさい」
「かしこまりました」
涙を見せないように私は立ち上がりマリアに背を向ける、きっと酷い顔をしている、扉が閉まる音を聞いた私はベッドに倒れ込み、賭けをした3日間の内に何か手を打てる手段が無いか、考え込み始めた。




