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神託の勇者ヘリエル

 当然のことながら、世界には魔物が溢れている。

「えーっと…五…いや、六体か」

 先行していたエルレイアは立ち止まる。

「んー…魔法で攻撃しようにも、木々を焼き払うのはいけないことだしね。どうしたものか…な!」

 剣を振る。甲高い金属音が響き、何事かとヨシュアとヘリエルが目を向けたその時には、既にエルレイアの剣は、何かを切り裂いていた。

「おっと…また面倒なのが来たねぇ…」

 きぃきぃと耳障りな鳴き声が囲む。人間の膝にも届かないような小さな体躯。しかしその目は飛び出て血走り、手足の爪は鋭く研ぎ澄まされている、猿のような毛むくじゃらの魔物。

「ふっ…」

 目にも止まらぬ速さで移動し、飛びかかってくる。しかし、エルレイアはそれ以上の速さでもって、爪が体に届く前に魔物の首を、腹を切り裂き、仕留めていく。

「まあそっちから仕掛けてくれるのならば楽なものさ」

さあ最後の仕上げだ、と隙を伺ったつもりの最後の一匹の攻撃をわざとらしく体勢を崩して待ち、

「エルレイア!危ない」

「…え!?」

 

 「はぁ…やれやれだ」

 エルレイアは治癒魔法をヨシュアにかけていた。

「だいじょぶ?よしゅあ?」

「えっと…」

「謝る必要は無いとも。あの魔物は暗殺者の異名を持つザクセンという魔物でねそれなりに厄介なやつではあるんだよ。パーティの経験も無かったし…」

 エルレイアを庇おうとして負傷した。もっとも必要が無いと言えばそうだ。ただ黙って見守っていれば何も間違いなど起きない程度。

 エルレイアは仲間とパーティを組むということも無く、その手の経験も浅いが、それでもどうにかなると思っていた。

けれど、状況はどこまでも特殊だった。ヨシュアがただの非力な人間であれば、そもそもエルレイアを庇う、など不可能な芸当だ。半ばヨシュアの潜在能力が高いため、エルレイアの予想を超えて動くことが出来てしまった。

 そして、ヨシュアにとって自分の命が初めから勘定に入っていない。相手を倒せばいいのだとも、自分も相手も助ければいいとも、そういった結論に辿り着かない。ただ自らの命を投げ出す。優しさとは違う、ただの捨身。それは、彼の魂の奥底まで沁みついてしまっている。

(どうしたものかな…)

 どうすれば彼を救えるのだろうかと。エルレイアの頭は埋め尽くされていた。


 山を下りた先の宿屋の一角。情報収集をすると言ったエルレイアを他所に、ヨシュアとフレイアはベッドに腰掛けのんびりしていた。

「どうしたのよしゅあー?げんきないよ」

「あぁ…エルレイアが、何やら落ち込んでいたみたいだからね。どうすればいいのだろうかとそんなことを考えるんだ」

『しかし宿屋の主人も気が利かないね。夫婦ですかと聞いてくれてもいいだろうに』

 努めて明るい口調で話をしていたエルレイアの姿を思い出す。優しく、そして強い。どうすればいいのかこうして悩んでいる自分よりも。

「何で、あんなに強いのだろうね」

「それはもう愛のなせる業だとも」

 がちゃりとエルレイアが入ってくる。

「どうやら魔王の生まれ変わりの話や、リースロンデ教会の儀式については誰も知らなかったようだ。ま…元々きな臭いとは思っていたけどね」

 だから、人目を忍ぶ必要は無いかな、と続けた。

「…そういえば、ヘリエルだったっけ。彼女とは一体どういう知り合ったんだい」

 どこまでも穏やかな口調でエルレイアは尋ねた。ヘリエル…その名を聞いた時、ヨシュアは胸を押さえた。

『…何もない』

 どこかで、彼女の浮かない顔が引っかかっていたのだろうと分かった。

「…僕が一体どうやって生まれて来たのか…両親のことも覚えていない。ただ…一番古い記憶をさかのぼると…変わり映えはないけれど、僕は薄暗い石室に鎖で繋がれていて、そしてそんな僕に食事を届けに来てくれたのがヘリエルだったんだ」

 毎日の食事も判を押すように変化することはなかった。そんな中で、ヘリエルの見せる変化だけが自分にとっての色彩だった。

「もっとも…ヘリエルも、もの静かな子だったんだけどね」

 常に緊張した様に、次第に淡々とこなすようになったけれど、ある日…何か辛いことがあったのか、ヘリエルは目に涙を浮かべながら、食事を叩きつけてきたことがあった。

 その時はどうしたらいいのか分からなかった。けれど

「抱き締めてあげたんだね」

 それから、少しだけ笑顔を見せてくれるようになった。また抱き締めてほしいと、そうねだってくれた。それが…よく分からないのだけれどなにか、とても嬉しい事なのだと、そう思ったのだ。

「そっか…」

 ぐいっと、ヨシュアの顔を覗き込む。

「ヘリエルがどうしているのか気になっているんだね」

「…そうだね。どうにか…元気になってくれていればいいんだけど」

 なるほど、とエルレイアは笑みを浮かべながら一つ溜息を吐いた。

 その時、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。

「お食事を持ってまいりました」

 宿屋の女将がほかほかと湯気を立てる食事を持ってきた。

「…ん…ぅ…」

 ヨシュアがそれに口をつけると、それを咀嚼した瞬間、うめき声をあげ、戻してしまった。

「…どうしたんだい」

「ごめん…残すのはまずいとは思う、んだけど…」

「んー…美味しいと思うんだけど…」

 少々味が濃いのかな、とエルレイアは分析する。が、ヨシュアの様子は不可解だった。

「そう、だね…エルレイアの作ってくれた料理だったら大丈夫だと思うんだけど」

「そ、それなら仕方がないね!よし、材料から買いこみに行くとしよう…ふ…ふふふ…全くしょうがないなぁ」

 どたどたと、エルレイアは再び出かけて行った。


『なるほど…彼女は出ていきましたか…これは好都合です』


 エルレイアを窓の外から見守っていた時、どこからかそんな声が響いた。

「だ…だれ?ふにゃああ!」

「でも…ここではダメね」

 周りを警戒しようとしたフレイアを、瞬く間に剣の柄で気絶させ、制圧する。

「さあ一緒にいこう…ヨシュア」

 そして勇者ヘリエルは、ヨシュアを誘った。


 ヘリエルはあっさりとヨシュアを連れ、郊外に移動した。

「ヘリエル…」

 ヨシュアの知るヘリエルとは何もかもが違った。まず、ここまで来るための奇跡だ。ヘリエルはあっさりとヨシュアを抱える程の膂力を持ち、空を駆け、そして、誰にもその姿を見て、声を上げることすら無かった。

 疑問に思ってその時の町の様子を見遣ると、そこにいた住人たちは、止まっていた。ピクリとも動かず、日々の歩みがそのまま切り取られたように。

 それは、ヘリエルから漂うとてつもない気配。それが引き起こしたことなのだと、そう確信に至る。

「ヨシュア…」

 ヘリエルが手をかざすと、どこからか現れた無数の鎖がヨシュアを縛り、磔にした。

 そうしてゆっくりと、ヘリエルの手がヨシュアの頬に触れる。

「…」

 はぁ…と吐息を漏らしながら、虚ろな瞳のまま、ヘリエルはヨシュアの瞳を覗き込む。

 同時に、その手には聖剣エクサレイズが、心臓に照準を合わせて向けられている。

「やっぱり…というか前にもまして、元気がないね」

「そうね。あの勇者が勝手なことばかりをするから」

「ん。そっか。それで…このまま身を委ねていればいいのかな」

「…ええ」


「ま、させないのだけれどね」

 

 降って来る声。それに構わずヨシュアを刺し貫こうとするヘリエルを、エルレイアは思いきり蹴り飛ばす。ヘリエルの体は空中に浮き、視界の向こうへ消えていく。

「やれやれだ。全く…ヨシュアに手料理を食べさせることで頭がいっぱいで油断をし過ぎた。それにこれは…」

「やはりあなたは立ちはだかるのね」

 ぱんぱんと、土埃を払いながら、ヘリエルはすぐさま駆けつけ、相対す。

「残念だなぁ…君とは友達になれそうだと思ったんだけど」

「奇遇ね…私はあなたとけして分かり合えないと思ったわ」

 うーんと、唸りながら、エルレイアはひっそりと冷や汗をかく。さて、少しばかり厄介だな、と流石に思わざるを得なかった。

「まさか君が神に選ばれるとは思わなかった」

 ヘリエルから後光が差し込む。それと同時に、圧倒的な魔力が辺りを照らし、吹きすさぶ。

 神の祝福。特定の神を信奉する勇者に与えられる最大の栄誉。神と契約を交わし、その奇跡を自らの手で体現することが出来る。

女神リースロンデ。人々を導く役割を持つと言われる神の奇跡は、その御名においてあらゆるものを縛り、封じこめる。

「ふん!」

 伸びてくる呪縛の鎖を、フィオニールで切り裂く。重い…と感じるが、それでも守るべきものがあるのだからと、エルレイアは止まらず立ち向かう。

「それにしても…まさか神託の勇者になるとはね」

 神託の勇者は人々を導くための預言者。故に、一つの時代、一柱の神につき一人しか存在を許されない。それだけ貴重な存在である。

「これが私の使命…私は、その為に生きてきた」

「使命ねぇ…そんなことで覚醒するのなら、何であの時まだ覚醒してなかったのさって話だよ」

「…何が言いたいの?」

「言いたいことがあるのではないのかって話だよ。その部分で、女神さまと共感したのなら、何だ可愛いものかと思うのだけれどね」

「!」

 ヘリエル自身の剣が、エルレイアを捉える。ぎりぎりと人知を超えた力を間近にしながらも、それでもエルレイアは跳ね返す。

「く!?」

 しかしそのせいでエルレイアの体は鎖に縛られる。そして、ヨシュアと引き離され、ヘリエルはそれを尻目にまたヨシュアの方へと近づく。

「さあ…ヨシュア…ヨシュア…私を、受け入れてくれるよね」

「…ああ…そっか…そうすれば、ヘリエルはまた笑ってくれるかな」


「それはないよヨシュア」


 しかし、それを見ていた勇者エルレイアは、勇者ヘリエルを断罪する。

「何を…」

「ねえヘリエル。君…ヨシュアが死んだら自殺するつもりだろう」

「ぇ…?」

 エルレイアの言葉に、ヨシュアは衝撃を受けた。そんなわけはない、と。

「それで永遠の愛でも誓うつもりかい?世界を救う為の美しい物語、とでも結ぶつもりなのか」

「…あなたに…あなたに何が分かると…!」

「私はイチャイチャしたいのだよ」

 はっきりと、そうエルレイアが紡いだ言葉に、ヘリエルの開いた口が塞がらなかった。

「君は本当にそう思わないのかい?優しく抱き締めてほしいとか口づけを交わしたいとか一緒に美味しいものを食べたいとか、そんなささやかな幸せのために…」

「私、は…ヨシュア…」

 ふらふらと、ヨシュアの胸に手をかける。けれど、そこにあったのは、自らの運命に抗おうとするヨシュアの姿だった。

「どう…して…」

「だって…ヘリエルが死んでしまうなんて…そんなの…悲し過ぎるじゃないか」

 当たり前のようにヨシュアは言った。いや、彼は何も変わってはいない。自分を大切に出来ないことも、何もかも。

 けれど、誰かを大切に想うこと。それは、まだ失われてはいなかったものだから。そして、それはきっと、彼を救うことが出来る第一歩だった。

「ねえ…エルレイア」

「何かな」

 ヘリエルは、かすれた声で尋ねる。

「もしも、ヨシュアが死んでしまったらあなたは…後を追う?」

「死なせはしないさ…と言いたいところだけれどそうだねぇ…生き返らせる方法を探すね。たとえ世界にケンカを売るとしても」

「…そう」

エルレイアとヘリエル。その在り様は違う。けれど。

「彼には――」

「ヨシュアには――」

 あなたが、君が必要だと。二人は交わり、そして神の鎖は静かに消えていった。


「まだリースロンデ様の気配は感じる」

「んー…まあ神託の誓いというのは神の方からでもそれほど容易く途切れるものではないらしいけれど…」

 天罰くらいは覚悟していたが、どうやらヘリエルはまだ神託の勇者であるらしい。もっとも、その力はさすがにリースロンデのことを第一としていた時とは違い、著しくパワーダウンしているが。

「ん…」

 そして、当たり前のようにヨシュアの膝の上に座るヘリエルである。

「…今日は譲ってあげるけれどそのポジションは私が…」

「えぇー…わたし!わたしのぉ!」

「ねえヨシュア…いつもみたいに抱いて」

 腕を伸ばしてヨシュアの首に手を回すヘリエル。

 うん、とヨシュアがその腕の中にヘリエルを収めると「ん…」と満足そうにその胸にすりすりと甘えた。

「ふっふっふ…だがね!私には秘策があるのだよ」

 そう言いながら、宿屋の女将に無理を言って厨房を借り、作ってきた食事を持ってくる。

「…ちょっと待って」

 ヘリエルは、ぱしっとエルレイアの両手を掴む。

「む…何かな私の料理にケチをつけるのかい」

「りょう…り?」

 フライパンの中に残るゲル状の何かを見て、呟く。

「これでもヨシュアは美味しいと言ってくれたんだよ」

「…そうね…ヨシュアは、ずっと味のない料理を食べていたから」

 世界への執着を持たない様に、精々死なない程度の栄養の、味がしない修行食。それが、ヨシュアの体を形作っていたのだ。

 だから、味の強いものをいきなり口にすると体が受け付けないのである。

「…ちょっと待っていて」

 そう言ったヘリエルが出て行ってから半刻ほど、ヘリエルが何やら白くてとろとろとした何かを持ってきた。

「お粥というものよ…これくらいなら美味しく食べられると思うから」

「…ん…」

 ヨシュアの顔が、ぱぁっと輝いた。それはもう、心から漏れ出る何かが止まらない、というように、手に取ったスプーンは徐々に動きを速め、やがて掻きこんでいった。

「なん…だと…!?」

 負けた…とエルレイアは打ちひしがれる。

「美味しい?ヨシュア」

 けれど、ヘリエルがもじもじとヨシュアの様子を見て右往左往する様を見て、まあ仕方がないねと。エルレイアも微笑んだ。


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