プラネタリウムエフェクト
いつだって、綺麗なものを見ていれば時間を忘れられた。
見たくないものから目を離していられた。
だけど、忘れていられた時間は止まった訳じゃない。
タイムリミットはもうすぐそこまで……。
千年も昔、地上に死神が舞い降りたという。
彼らは罪を犯した者には裁きを、罪を犯すことなく正しく生きた者には生涯の最後に一つだけ願いを叶えてやった。
死神たちは地上では人間の姿をして生存しており、そのため長い長い時の中で、彼らは人間との間に子をもうけた。その子供は混血児と呼ばれ、死神同様、赤い目を持っていた。
そしてその血は薄まることはあっても消えることは有り得ない。
千年経った今でも、混血児は確かに存在した。
「いったぁ……」
腹部を押さえてヨロヨロと歩を進める少女、西森悠生は苦痛で顔を歪めながら呟いた。
痛みの原因は年頃のオンナノコなら誰でも経験のあるアレである。運の悪いことに悠生は痛み止めの薬をきらしていた。
ヤバい、我慢の限界。小さい子供が大勢いることから普段なら絶対通らない、近道になる公園を横切ろうと決心し、足を踏み入れた時。
足元に猫がすり寄ってきた。
昔から何故かやたらと動物になつかれた。悠生自身、動物は好きだし何の問題もないが、今日ばかりは……。
「あー、よしよーし」
投げやりに声をかけながらしゃがみ込み、猫の頭を撫で回す。適当に相手したら即帰ろう。
いつもなら悠生が立ち去るまで大人しく撫でられている猫が、この日は違った。
いきなり毛を逆立てたと思った途端に、ものすごいスピードで逃げていった。そのあまりの変貌ぶりに呆気にとられていた悠生の背後から微かな足音が耳をかすめた。
「あ、ごめん。逃げられたの俺のせいだ」
「え?」
振り返ると悠生の高校の制服を着た少年が立っていた。
悠生が住んでいるのは本州から数十キロ離れたとある小島だ。高校なんてそもそも一つしか存在しないのだから目の前な少年が同じ制服を着ていることは何ら不思議なことではなかった。
「ごめん」
再び謝った少年に悠生は笑いながら手を振った。
「や、気にしないで。お腹痛かったし早く帰りたかったから」
「何、生理痛?」
何を言われたのか一瞬分からず、理解出来た時には顔が赤くなった。
何、こいつ!?
さらりと投げられた問いが当たっていたため余計にたちが悪い。違うと言えないあたり、悠生は良くも悪くも素直な性格だった。
「ビンゴ?」
「……っ。そうよ、その通りよ、だから何!?」
結局、半ばキレ気味に答えた。もう恥もへったくれもない。
「じゃあ、はい」
少年が差し出してきたのは白い錠剤。
「え……」
名前も知らない少年が差し出す得体の知れない薬。単細胞の悠生でもさすがに受け取るのを躊躇った。
「即効性の痛み止めだから五分で効いてくる」
今一番欲しかったモノをこいつは持ってる。数秒前の躊躇いが大きく揺らいだ。
「いるの? いらないの?」
この上なく怪しいけど、一か八かの大勝負。
「いただきますっ!」
少年の掌から薬を引ったくり、礼を述べることも忘れて駆け出した。
少年から貰った薬は、実際すぐに効いた。
お礼も言わなかったら、相手も気分悪くするよね?
いきなり生理痛かと尋ねてきた奴になんかもう会いたくはなかったが、会わなければならない理由を色々考えて今に至る。
「よし!」
黒い影が公園に向かった。
子供ばかりの公園、目的の人物は簡単に見つけることが出来た。芝生に仰向けに寝転がり空にデジカメを向ける男子学生なんてこの空間じゃ明らかに異質だ。
「あの!」
怖じけそうになる気持ちを奮い立たせて声をかけた。
「何?」
上半身を起こした少年の猫っ毛が風に揺られ、微妙に眠そうな目が悠生を捉えた。
「昨日、薬、ありがとうございました!」
勢いよく頭を下げると、ああ、という間延びした声が返ってきた。
「プラセボ効果ってすげえな」
「プラセボ効果?」
「薬効作用のないものでもホントの薬と思って服用したら、条件によっちゃあ効果がでるって奴」
「……え、じゃあ何? 昨日あたしが飲んだ薬は痛み止めじゃなかったってこと!?」
「そ。ただのサプリメント」
その答えに全身から力が抜けてその場にしゃがみ込んだ。
「効かなかったって苦情言われるかと思ったら感謝されんだもん。あんた面白いね」
「面白いって何楽しそうにーー」
抗議しようと顔を上げた瞬間、悠生に向かってシャッターが切られた。突然のことに声もなく固まる。
「あ、綺麗に撮れてる」
「ちょっ、消してよ! 今絶対すごい顔してる……っ!」
悠生が顔を赤くさせ、少年からデジカメを奪おうと手を伸ばした。
「何で? すげえ綺麗じゃん」
「き……っ」
綺麗なんて生まれて初めて言われた……!
「何の仮面も被ってない感じがすごいいい」
言いながら少年は再びシャッターを切った。
ああ、そーいえば。
「名前、何てゆーの?」
「時乃。中峯時乃」
「あたし、西森悠生です」
「西森って名字、聞いたことあるな。あんたも三年なんだ」
この島に一つしかない高校の一学年の人数は百二十人程度だ。どんな記憶力してんのよ、こいつ。
「時乃は写真部なの?」
いきなり馴れ馴れしすぎるかと思ったが名前を呼び捨てにさせてもらった。
「や。趣味で撮ってるだけ」
言いつつシャッターを切る音が響く。
「……カメラ向けるとさ、少しでも可愛く写ろうとして作ったような笑顔浮かべる奴いるじゃん? 俺、ああいうの一番嫌いなんだよね」
「え、何で?」
せっかく思い出として残る写真なら、綺麗に可愛く写りたいって思うのは自然なことじゃないの?
「素のままが一番綺麗なはずなのに、誰もそのことに気付かない。作った顔が綺麗な奴なんて、そんなの本物じゃない」
でも、と続けながら時乃のシャッターを切る手は止まらない。
「あんたは着飾らないで俺の前にいてくれる。それが嬉しいんだ」
……ヤバい。顔がにやけそう。
この話題ダメだ。顔ゆるみっぱなしになる。違う話を見つけようとして、ふと脳裏をよぎった問い。
「……ねぇ、死神の言い伝え知ってる?」
「? ああ、罪を犯した奴には裁きを与えて、それ以外の奴には生涯の最後に一つだけ願いを叶えるって、あれ?」
「……混血児っていると思う?」
どうして悠生こんな話をし出したのか、きっと時乃は分かっていないだろう。それでも律儀に答えてくれることに甘えて、明確な答えのない質問をぶつけてみた。
「少なくとも一人は知ってるよ」
「えっ!? 誰!」
予想外の答えに食い付かない方がおかしい。
時乃の骨ばった指が指し示したのはーー。
「俺」
「…………え、う、そ。嘘、嘘!?」
馬鹿みたいにその一言しか出てこなかった。
「ホントだよ。ほら」
ふいに時乃が悠生に顔を寄せた。
うわ近っ!
「目ぇ、ちょっとだけ赤いだろ?」
「あ……。ホントだ……」
赤みの強い漆黒の瞳は普通の人間では有り得ない。
「とにかく不便なんだよなー。この体。目は言わなきゃバレないけど俺の気配は紛れもなく死神のものだから動物は本能で逃げてくし」
「ああ、それでこの前、猫に逃げられた時俺のせいだって言ったんだ……」
動物にとって最も忌避する死が近付けば、回避しようと逃げるのは当然だろう。
「で? いきなり死神の話持ち出してきて何? あんた死ぬ間際なの?」
「死ぬ間際って言うか……転校間際?」
「どこに?」
「本州。……あ、今すっごい悔しいこと思い出した」
そう言って、悠生は困ったような、泣き出しそうな表情を浮かべた。
「あたし天文部なんだけど、部員一人しかいなくて、あたしが卒業したら即刻廃部になっちゃうんだよね」
もう部費も出なくなった、ただそこにあるだけの部室。
たった一人しかいないその空間は、いつだって寂しさを漂わせていた。
「もしちょっとでも部費が出てたら、家庭用のプラネタリウム欲しかったなって」
数ある綺麗なものの中で、制限時間をつけられて燦然と輝く星が一番好きだった。
見ていれば、時間なんて簡単に忘れられた。
転校なんて嫌なことから目を逸らしていられた。
だけど、忘れていられた時間は、逸らしていられた嫌なことは、消えてくれた訳じゃない。
タイムリミットはもうすぐそこまで迫ってきていた。
この島にプラネタリウムの置かれた科学館や博物館なんて存在しないし、注文しようとしても目が眩むほどの輸送料がかかる。
「……転校っていつ?」
「? 一週間後」
「ふうん」
何、その意味深な返事。
「時乃、放課後いっつもここに来てんの?」 「そう」
「部活がない日にここに来てもいい?」
「何で?」
その言い方だと来んなって言われてるみたいだけど。
「どうせあたしあと一週間しかこの島にいられないんだから、ちょっとくらいいいじゃん」
一週間。口に出してみるとそれがどれだけ短い時間か痛感させられる。
「絶対だからね。約束よ」
時乃の写真のモデルになったりしながら、一週間なんてあっという間に過ぎた。
最後な登校日となった日の放課後、足が自然と部室に向かった。
古びたドアを開けた時。
「…………」
言葉を失った。
部室の壁や天井に何十枚も貼り付けられていたのは、夜空の写真。
星に囲まれた、その空間は、まるで。
「プラ、ネタリウム……」
「気に入った?」
唐突に背後から声がした。反射的に振り返ると、この一週間で見慣れた少年が右肩を壁に預けて立っていた。
「これ、時乃が……?」
「死神は、生涯の最後に一つだけ願いを叶えるんだよな?」
悠生の言葉をぶった切り、時乃が口を開いた。
「俺にはそんな高度なこと出来ないけどさ。混血児があんたの願いを叶えてみた」
あの時、プラネタリウムが欲しかったと言ったのは、時乃が混血児だったからじゃない。
だけど、時乃がそれを叶えてくれた。
「ありがとー……」
知らず知らずの内に涙が頬を伝っていた。
「……別に、写真撮るのが好きだっただけだから」
時乃がわざとらしく視線を逸らしながら言った。
「時乃、写真撮るの上手いもんね。平凡なあたしが別人みたいに綺麗に撮れてるんだもん」
「……あんた、ホントに自分が平凡だって思ってんの?」
「へ?」
ぼそりと呟かれた声は小さすぎて悠生には聞こえなかった。
「何でもない」
誤魔化すように笑った時乃が悠生の頭に手を乗せた。
「綺麗だよ、カメラ向けられても顔を作んないあんたは。ありのままを撮らせてくれるあんたは」
一回、ぐしゃりと髪を撫でた時乃の手が離れる。
離さないで、なんて悠生に言う権利はなかった。
「じゃあな」
その日から、約一年。
一人暮らしをあの島でしたいと母親を説き伏せて、悠生は島に戻ってきた。
真っ先に向かったのは、時乃と初めて出会ったあの公園だ。
息が切れるほど走り、公園に飛び込む。甲高い子供の声が微かに響いた。
芝生の辺りを見渡していた時。
コツン、と後頭部に何かがぶつかった。足元に落ちていたのは、夜空の写真で折られた紙飛行機。
「…………っ!」
目を見開いて、振り返った先に立っていたのは。
「久しぶり。……悠生」