生まれて死なないそんな俺
羽月が現れて、俺の生活は一変した。とにかく、怪我が減った。さすがは悪の象徴と呼ばれることだけはあって、悪いもの――つまりは俺の身に襲いかかる刃物のように鋭い不幸さえも操って見せる。
「おいツイ」
「……なにさ、羽月」
頭のてっぺんから腰までの毛先に向かって、黒から赤のグラデーションの髪。目も鋭い赤黒い色。肌は褐色で体つきもいい。それなのに、羽月にはニックネームをつけるという可愛らしい趣味があるらしい。俺につけられたニックネームは“ついたちづき”の最初の二文字をとって、“ツイ”らしい。特に気にしてもしょうがないが、返事に戸惑ってしまう。
「なんだよ」
声をかけておいて、羽月は黙ってしまった。俺の返事が遅れたからか? そんなこと、八つ当たりじゃないか。
「ンで、そんな顔してんだよ」
ぴたりと羽月が止まった。場所、斑状地区の大通り。戦争によって抉れたコンクリートの地面、穴の空いた一軒家、倒れたバス。珍しくない光景だ。むしろ、まだましだと言える。今回の戦争の最大の特徴を表している、と思った。相手が隠れるスペースはない。そして、前と違って今は羽月がいる。だから俺は安心していたのだ。俯きがちに歩いていた俺は、唇を真一文字に引き結んだ羽月の表情に気付かなかった。ぞくり、と背筋に悪寒が走る。一歩後ずさると、羽月がふっ、と笑った。あの時のように、鼻で。
「危機感敏感なお前が気付かないのに驚いたぜ。私がいるからって安心してんな」
くそう、馬鹿にしやがって。敵がいるならそう言ってくれればいいじゃないか!
「おいこら。私の美貌が美しすぎるからってこそこそしてんなストーカーくん」
「は?」
俺がさっき見ていた倒れたバス。その影から出てきたのは、長い金髪綺麗な碧眼の、美男子。性格は、うん。残念そうだけど。絵本の中から抜け出た王子様のような容貌、そして服装。白くて、目が痛い。けれど、ぞわりぞわりと背筋が凍るような感覚は、本物。俺の本能的危機感、野生の勘が最大限に発揮されている。脳内でチカチカと火花が散っているのは警報。視界がぐにゃりと歪みそうになる感覚は警告。
「おいツイ。不幸、落ちてくんぞ。私に払えない“悪”はないがなァ、お前の心が弱くなれば付け込まれるぞ」
「なるほど。きみが噂の一日月匡クンだね。私には敵わないが、中々美しい顔立ちじゃないか。これなら私が殺す価値があるものだね、うん。醜い人間なんて、気持ち悪くて触れやしないよ、ふーうーッ」
色んな意味で大変な人だ。カツカツとヒールの音を鳴らせながら、モデルのような足取りで近づいてくる。俺には戦う術がないから、羽月の広い背中に隠れる。ひらひらした肩にかけてある布に身体を包む。俺の、特等席だったりする。んん? と笑顔で近づいてくる美男子の顔を直視できない。美男子は羽月の前に立ち止まる。にっこりと笑ったまま、背中に隠れる俺だけを見てくる。視線が突き刺さる。汗が垂れる。
「どうして隠れるのさ。私はきみを傷つけるつもりなんてないのに」
「だが、殺すつもりはあるんだろ?」
「もちろん! そのために、不幸な少年を探し歩いていたんだからね」
この人絶対大変な人だ。目をきつく閉じる。戦闘は、戦争は、いつだって、激しい。俺がついていけないほどに、ここで戦っている人間は歪んでいる。俺がついていけないほどに。人間離れした人間はここには多くいる。俺は、ふつうである俺はここでは、俺が、俺だけが、異常である。
「やるか?」
「やりますか」
それじゃあ、と言う前にィンッという金属音。何と何がぶつかったのか。肩にかけられた布に包まって羽月の跳躍に引っ張られた俺には見えない。どうせ、刀だろう――そう思っていた俺は、美男子の持つ獲物に目を見張った。
「鎌……っ!?」
柄は美男子の身長ほど、刃は身長の二倍ほど。どこに隠し持っていたのか、なんてもう不思議に思わない。作り出しているのだ、骨から。それでも驚いたのは、柄と刃、全長で美男子の身長の三倍近くあるものを、瞬時に作り出した素早さ。そしてそれを保ち続ける精神力。異常異常異常――!
「……ツイは雑魚ばっかに会ってたもんな」
「っは?」
ふっ、と鼻で笑う音。雑魚? 俺をぼこぼこにしてきたやつらが雑魚だって? かなり強かったんだぞ! 蹴られ殴られ切られつぶされ抉られ千切られはがされむかれもがれそれからそれからそれからそれから――
「ひ、!」
ぐぎゅ――ずるり。耳を当てている背中の中から、今だ慣れない骨の動く音。それを聞いて、ずるりと俺は落ちた。情けなく尻もちなんかついてしまって、包んでいた布がすっと身体から引いていく。掴もうとした手は、鋭い刃を掴んだ。掌に痛みが走って、見上げれば美男子の顔。声も出ない。
「私は斎藤冠。それじゃあさよなら」
鎌を振り上げる。俺はそれをじっと見つめる、だけど、刺したのは俺の足の間。どれだけ鋭いんだ、この骨は。長い刃が半分以上隠れたぞ。美男子は不思議そうで、鎌を引きぬいて肩に担ぎ、首をかしげた。白い肌が日光に当たって気持ち悪いほどの透明感が目立つ。不気味だ、死神みたいで。
「おまえ、またフコったな」
ゆるゆると歩いてくる羽月を頑張って睨む。だけど、きっと涙目だ。こんな殺伐とした場所、殺されそうになる瞬間になれるはずもなくて、いつも怖い。
「……っ」
「ふこった?」
美男子斎藤は碧眼を細めて羽月を見る。対する羽月は悠々と腕を組んで俺を見ていた。
「そいつ、不幸体質っていっただろ? ほとんどの“悪”は私が払ってやってんだけどさ、そいつの気分が落ち込むとされに引き寄せんだよ。ま、そのおかげで鎌からは逃げられたようだけど」
「――わからないな」
「何がだ」
「不幸ならなぜ死なないのさ。どうして私の鎌が当たらなかった?」
そんなの――
「そんなの簡単だ。ツイは死にたい死にたいと思っているからな、生きることが、こいつにとっての不幸なんだよ」
そんな、死にたがりみたいな言い方。俺はただ、楽になりたいだけなのに。斎藤は少し驚いた顔をしたが、すぐにおもしろそうだと呟いて俺を見降ろした。肉食獣のようなその瞳にぞっとするが、さっきほどではない。どうしてだろうと唾を飲んで固まっていると、鎌が掌の中に収まっていく。その間に聞こえたバキボキと言う何ともグロテスクな音は聞かないふりをした。
「美しい――その上おもしろいとは。私が目をかける価値がある」
完全に鎌が収まった手を握ったり開いたりして、斎藤は俺に手を差し伸べた。だが、俺は取ることができない。疑わしい目で見てしまうのは、つい数分前まで命を狙われていたのだからしょうがないだろう。羽月に助けを求める様なまなざしを向ければ、面倒そうに頭をかいてよってくる。
「おいおいおい。やめてくれよ、ツイは弱ぇえんだから」
「余計なお世話だ……っ」
ぐい、と腕を掴んで起こされる。力が強くて安定感がある。斎藤は差し出していた手を引っ込めて、俺をまた見た。この人の碧眼は、あまり好きじゃない。