翔の章5
冴子は僕らが所属していた木工家具の工房に帰っていった。
親方の北村さん以下5人、寝起きをともにして作品を作っている、
家族のようなひとたちがいる。
早くに両親を亡くして、親戚もいない僕にとっては、身寄りといえばこの人たちだけだった。
そして、そのひとたちにも、自分が悲しみを与えてしまったことに、今頃僕は気づいたのだ。
戻って来た冴子を迎えて、みんなが表に出て来た。
「体は?だいじょうぶ?」
「それで、なにか手がかりはあった?」
バンを運転していたヒロが、うなだれて首を横にふった。
そう、と瞳を翳らせて、ミチ子姐さんが冴子の肩を抱いた。
北村さんが南天の端材に眼をやって、「いい木だな。」と言った。
「カケルが、見たがっていたんです。すごく。」
「な、まだ死んだって決まってへんやろ?」
コータが甲高い声でみんなに言う。
「そうだよ。ふらっと帰ってくるかもしれないし。」
ミチ子姐さんもそう言って冴子の背中をさする。
ごめん。みんな。
僕死んじゃったよ。みんなにさよならもいわないで。
すぐそばにいるのに、肩をたたくこともできず、ただひたすら謝るしかなかった。
ごめん。
ごめんなさい。
冴子はそれから、工房のみんなに支えられながら、日々を過ごしていた。
最初の頃は何度もパニックの発作を起こしてまわりを慌てさせていたけど、
それ以外はつとめてくらい顔をみせず、明るく振る舞った。
南天の端材は、北村さんの助けを借りて棗と、ペンダントトップにしたようだった。
漆を得意としていた冴子は、棗のほうは溜め塗りでしっとりとふかい小豆色に、
ペンダントはつややかな黒で塗り上げて南天の柄を金蒔絵であしらった。
僕はそのペンダントトップに収まることにした。
冴子の胸のうえで、多少なりとも彼女のぬくもりを感じることができたから。
彼女が話すと、その声が体を伝わって、ちいさな振動になって僕に届いた。
全身で彼女を感じる喜びが、かえって僕を哀しくさせた。
生きてるときより好きになったって、辛いだけなのに。
山の端に沈んでゆく太陽をみつめながら、両手で棗をつつんで、窓辺でじっと動かない冴子のとなりに、僕もならんで座っていた。
オレンジ色の最後の光のひとしずくを残して、陽が落ちる。
冴子の大きな瞳から、涙がこぼれた。
声をあげて泣いてくれた方が、どんなに気が楽だろう。
そうすれば誰かそばにきてくれるだろうに。
涙もぬぐってあげられない僕はただただ、途方にくれて、傍らで静かに泣く彼女を見つめていた。
もう触れられない、いとしいひと。
臨月を迎えて、冴子は京都にある実家に戻ることになった。
母親になることが、彼女の顔つきを変えていた。今までの彼女にはなかった、
強いまなざしがあった。
まとめた荷物のなかに僕の思い出は、南天でつくった棗とペンダント。
あとは写真一枚持たなかった。
そして京都で、娘を産んだ。僕の娘。
冴子はその子に、「棗」と名付けた。
冴子は茶道具の塗師の仕事を勉強しながら、娘を育てた。
ナツメが大きくなって、一人で外に遊びに行くようになると、
それまで自分が身につけていたペンダントを彼女の首にかけた。
お守りだからいつも着けているように、といって。
お守りといわれたら僕にも気合いが入る。
ペンダントと共に、ナツメの行くところにいつも付いていった。
最初の頃から、なんだかやたらに眼があうなあ、と思ってはいたんだ。
ある日、いつものように、ナツメの後ろをふわふわと飛んでいると、
いきなりくるっと振り返った彼女は「僕にむかって」、言った。
「あんた、誰?」
死ぬほど驚いた。
いや、もう死んでるから、生き返るほど驚いた、といったほうがいいか。
「僕が見えるの?」
ナツメは胡散臭そうにこちらを見ながら頷いた。
「だれ?なんなん、いっつも付いて来て。」
「えっと。僕は、その、ペンダントの・・・。」
「あ、やっぱりコレか・・。」
ナツメはペンダントをちらっと見てまた僕を睨んだ。
「その頭、この絵と似てると思てた。」
僕の頭は髪のかわりに南天のはっぱになっている。
髪飾りのように赤い実も下がっているし、そのときは春だったから、白い花まで咲いていた。
たしかにこんなのが毎度毎度後ろを付いて来たら、ちょっとイヤかもしれない。
いや、それにしても、僕が見えるとは。
「いちおう、お守り係だから。」
「ふーん、で、名前とかあんの?」
「カケ・・・・。」
僕はちょっと考えて言い直した。
「好きに呼んでいいよ。」
「・・・。ナンテンオバケ。」
「・・・・・。」
ショックではあったけど、しかたがない。
まさか今更、お前のお父さんだよなんて、いえないよ。
ナツメはそれでもう、僕への興味をなくしたように、さっさと歩きはじめた。
期待したほどは、ナツメは僕を呼んではくれなかった。
彼女には、僕に用事がないのだから仕方がない。
ナツメの霊感に惹かれてやってくる、妖しの類いを追い払ったり、危険を事前にさりげに教えたりと、僕の地味な献身はあまりむくわれなかったけれど、それでも僕を見て、話しかけてくれる存在は嬉しかった。すごく。
ナツメが霊的な感度が高いことを、冴子はうすうす気がついていて、
それが娘に悪い影響を与えないかといつも怯えていた。
ナツメもそれを感じているのか、冴子にはあまりそういう話をしなかった。
ナツメの話を聞いてやってたのは、あの男だ。
冴子が京都に戻ってから、やたらまわりをウロウロしてる怪しい男がいた。
ずいぶん目付きの悪い男で、はじめは借金取りかなにかかと思って警戒したが、
どうやら幼なじみらしかった。
その男が、冴子に気があることはすぐわかった。
冴子のほうも、友達以上恋人未満、といったスタンスで接しているようだったし、
なによりその男といるときは、本当に心をなごませている様子だった。
ナツメに至っては生まれた時から近くにいるので、もう半分父親みたいなものなんだろう。
藤川碧。仕事仲間には「ペキさん」と呼ばれていた。
顔に似合わず、いいヤツだった。
すごく。
僕もきっと、いい友達になれただろうな、と思えた。
少しさみしい。でも安心感のほうが大きかった。
彼が冴子の心をほぐしてくれるだろう。僕のかわりに、冴子を包んで・・・。
僕の中の時間は、生きていたときよりずいぶんとゆっくり流れるようだった。
僕は死んだときのまま、25歳のままだったけど、ふと気がついたらナツメが9歳をすぎていた。
もちろん、冴子と「ペキさん」もどんどん年を重ねている。
そしてふたりははまだ、友達以上恋人未満だった。
・・・・10年だぜ?
信じられない。
冴子は35歳か。女ざかりなのに。
あの男どういうつもりなんだ。
ナツメも気にしてるようだったので、彼女をけしかけて、男の気持ちを聞いてみた。やっぱり好きなんじゃん。
「大好きや」
・・・って、娘に言ってどうすんの。
もう、モタモタしてないで、はやくくっついちゃえ。
僕はナツメの胸で揺れながら、この強面のオクテ男に毒づいた。