碧の章8
くらい山道を、注意しながらあるいて、ナツメとふたり、如意ケ岳に登った。
京都の夏の風物詩、五山の送り火で、先祖の精霊をおくる「大」の字が灯るこの山は、実はそんなに高い山ではない。送り火の準備期間以外は誰でも気軽に登れる山だ。
それでも頂上ちかくの急な階段を上がって、大の字の中心の火床に立つと、京都の街が一望できる。
工房のひとたちの手で、ささやかだがカケルの葬儀をすることなり、
学校があるナツメを連れて、俺は一足先に京都に帰ることにした。
ミチ子さんは頼もしく微笑んで、冴子のことはまかせろ、といってくれた。
帰り道、ナツメに相談をもちかけた。
俺、カケルと話せないか。
ナツメは「訊いてみる」と言ってくれた。
夜明け前の、くらい山頂に立った。
遺跡のように闇に沈む火床に、そっとペンダントを置く。
「わたしはあっちにおる。」
ナツメが言った。
「うん。足元気ぃつけてな。」
「わかってる。」
目を閉じて精神を集中させた。
あらわれてくれ、カケル。
しばらくして、そっと目を開けて、隣をみた。
南天の葉が、風にそよいでいた。葉影に白い横顔がみえた。
その下は、白い・・・いや、うすみどりの着物のような、羽衣のようなものをまとった体がみえた。
向こうの闇が透けてみえる。蜻蛉の羽根のようだった。
「・・・おう。」
とりあえず、声をかけてみた。
すっとこちらを向いた顔は、あの写真でみたカケルに間違いなかった。
カケルの声はまっすぐ心に響くように聞こえてきた。
「逢えたね。ペキさん。・・・あ、ペキさんって呼んでいい?」
「ああ。」
「僕はカケルでいいよ。今はだいぶ年下だから。」
笑うと目尻がさがる、人なつこい笑顔。
ああ、こいつはこうして、すっと人の懐に入ってくるんだな。
ナツメが「チャラい」と評していたことを思い出して苦笑した。
「そうか、ほんまは同い年やったな。」
「うん。」
「・・・・冴子も、ちょっとオバさんになったね。」
「そうかな。」
「うん。」
「・・・事故か。」
「うん。土砂が崩れてきて、埋まった。」
「そうか。」
「出て来たの骨でよかったよ。・・・ひどかったんだ。僕の体。」
「・・・そうか。」
気になっていたことを訊いてみた。
「なんでナンテンオバケになったんや。」
「ねえ・・・そのネーミングひどくない?」
「いや・・・ぴったりやと思うけどな。」
「ほんと?・・・・まあいいや。これは、・・・精霊に会ったから。」
「?」
カケルは懐かしそうな遠い目をした。
「南天のね・・・精霊と会って、夫婦になったから。」
夫婦?
「そう。だから僕・・・。」
「ふざけんな!」
俺は思わずカケルにつかみかかっていた。当然、俺の手は空をつかんで何も捕らえられなかったが、カケルは剣幕に気圧されたのか、その場に倒れた。
俺はカケルに馬乗りになって殴りつけた。
やはり、拳は空を切って地面とぶつかり、鈍い音をたてた。
「冴子がどんな思いでお前を待っとったか!」
カケルは目を見開いて俺を見上げていたが、やがて静かにつぶやいた。
「じゃあ、何ができた?」
「・・・・・。」
「僕に何ができたの。」
「・・・・・。」
「あのまま、あの山で彷徨ってたほうが良かった?」
「・・・・・。」
「冴子を連れてったほうが良かった?」
「それは・・・・。」
カケルは細い指で顔を覆った。
「僕だって離れたくなかったのに。一緒に年をとりたかったのに。」
胸をつかれた。
「くそっ!」
もう一度地面を叩き付けて、俺はカケルから体を離して隣に座った。
「すまん。」空を見ながら言った。
カケルはゆっくり起き上がった。南天の葉が乱れていた。
「精霊のおかげで、僕は冴子とまた逢えた。彼女のお守りになれたよ。」
「・・・・・。」
「でももう、現れないから、安心して。」
「え・・・。」
「ナツメが混乱してるって、ペキさんが言った時、」
カケルは東の空を見ながら言った。
「ああ、もう潮時だなあって。僕がいちゃいけないなって。」
「カケル・・・・。」
「ナツメと話せて嬉しかったから・・・つい。」
あのときもきっと、自分の写真を見て動揺しているナツメに声をかけたくて、
それで・・・。
「冴子とナツメにはペキさんがいてくれるから・・・。」
「・・・・。」
「ねえ、ペキさん。まかせてもいいよね。」
カケルはまっすぐこちらを見た。
「僕のかわりに、ふたり、守ってくれるよね。」
カケルの体ごしに、東の空が白んでくるのがみえた。
カケルが、さらに透き通ってきたように思えた。
俺はカケルに向かって大きく頷きながら言った。
「でも勘違いすんな。俺はお前のかわりなんかせんぞ。」
「ペキさん?」
「ええか、カケル。お前のかわりは誰にもできん。おまえは冴子とナツメのなかにずっとおる。」
「・・・・。」
「俺もようやく覚悟が決まった。冴子とナツメと、それからカケル、おまえや。
3人ひっくるめて引き受ける。俺にはそれしか出来ん。」
「・・・・ぼくも?」
「そうや。」
「でも・・・。」
「もう決めたんや、がちゃがちゃ言うな。」
薄明がひろがってきた。山肌の草木に朝露が光り始める。
ふと見ると、カケルの頭の葉にも露がキラキラと光っていた。
風が吹いて葉が揺れるたびに、ころころと葉の表面をころげて、はらはらと葉先から散っている。
まるで、泣いてるみたいに。
「夜が明ける。」
声に振り向くとナツメが立っていた。
次第に色をなくしていくカケルを、まぶしそうに見ている。
「ナツメ、もう出てこないから。」
カケルが泣きそうな笑顔で言った。
「お願いだからペンダント、つけててくれないかな。」
ナツメはちょっと口をとがらせて、うん、と頷いた。
「わかった。」
「ありがとう。」
そして続けた。
「君をずっと見守ってる。どうしても、どうしても困ったときは、呼んでくれる?」
ナツメはしばらく考えていたようだったが、
「パパ・・・・って?」と言った。
は・・・とカケルが笑った。朝露がぽとりと彼の頬に落ちた。
「・・・なんかへんな気分。」
「ナンテンオバケのほうがええ?」
ナツメはにっ、と彼女らしいクールな笑みをみせた。
山の端から、最初の朝日が射した。
カケルの姿が一気に薄くなった。
すっとカケルの顔が、俺の耳元に来て、俺に囁きかけた。
「・・・・!」
「ペキさん、知らなかったでしょ。」
その一言を残して、カケルは消えた。
俺の手のひらに、ひと雫、露を残して。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ナツメがそっと、俺のそばに来た。
「なんや、やっぱり、ようわかれへんわ。」と言った。
俺は火床からペンダントを拾い上げて、ナツメの首にかけた。
「でもなんとなく、大事にしてやりたい、思たんか。」
「うん、そんなかんじかなあ。」
「それでええ。」
階段を下りながら、それにしても、と笑った。
「パパ、はちょっと意外やったな。」
「・・・・・。」
「なんでパパになったんや。」
「もう!!めんどくさいなあ!」
「えっ?」
突然ナツメが怒りだしたので、おどろいて顔を見た。
「どないしたんや。」
「おとうさんが二人おったらややこしいからやんか!」
そういうと、さっさと一人で山道を駆け下ろうとする。
「わっ、危ないから待て!ナツメ!待って!ナツメさん!ちょっと!」
あわてて追いかけた。
ああ俺、今ちょっと泣きそうや。




