近衛騎士キーラ ~差別されていた私を選んだのは、五歳のお姫さまでした~
「記憶喪失勇者」
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1-20から登場するソフィアとキーラの子供のころのお話です。
※『記憶喪失勇者』のスピンオフ短編です。本編未読でもお読みいただけます。
四百年前、ベガリア王国は魔王の襲撃によって滅んだ。
その領地を引き継いだシスレート公国は、公位継承者に新たな称号――ベガリア辺境伯を与えた。
旧ベガリア王国領の南には果てのない砂漠が続くだけで、他国との国境は存在しない。
だが、かつて魔王が出現した“奈落”だけはいまも口を開け、魔獣を絶えず吐き出していた。
ベガリア辺境伯とその配下の騎士たちの任務は、ただひとつ。
奈落からあふれ出す危険な魔獣から、領民の生命を守り抜くこと――。
◇
夜明け前の空はまだ紫がかっていて、ぶどう畑の葉が乾いた風にかさかさと鳴っていた。
旧ベガリア王国領の南部、砂漠の手前のリステルという小さな村。白い石を積んだ家が斜面に張りつくように並び、その下にどこまでもぶどうの段々畑が広がっている。夏になれば日差しは肌を刺すほど強くなり、収穫のころには村じゅうが甘い匂いに包まれる。
ぶどう畑と城壁の他には、なにもないような貧しい村だった。
その村道に、シスレート公国の紋章を掲げた一台の馬車が停まっている。
七歳のキーラは、母の手で銀髪を結ってもらっていた。
「ほら、じっとして。曲がってしまうでしょう」
母の指が、真新しい藍色のリボンを結び直す。嫁入りのときに持ってきた櫛を売って買ってきたのだと、母は昨夜、笑いながら言っていた。
「キーラ。おまえは辺境伯さまの近衛騎士見習いに選ばれたんだよ。うちのような家から、こんなことがあるなんて」
母の目が濡れている。
父はすこし離れたところで、腕を組んで立っていた。左脚を引きずるようにして歩くのは、五年前に村の城壁の近くまで来た狼型の大型魔獣に食いちぎられかけたからだ。それでも父は、今日も日が昇れば城壁の見張りに立つ。それが、この土地の騎士の仕事だった。
父はキーラの前に来ると、乾いた大きな手で頭をひとなでした。
「よく励め」
それだけだった。だが、その声がすこし震えていたのを、キーラは聞き逃さなかった。
――お父さま。
馬車に乗り込み、扉が閉まる。
窓の外で、両親がいつまでも手を振っていた。畑と、白い家と、ふたりの姿が、坂道の向こうに小さくなって消えていく。
キーラは膝の上で、両手をきつく握りしめた。
父が公国の都から来た騎士たちに受けた仕打ちを、キーラは何度も見ている。
シスレート公国の騎士は、旧ベガリアの騎士を同じ騎士とは扱わなかった。廊下ですれ違えば道を譲らされ、名を呼ばれることもなく「おい」と顎で使われる。魔獣に脚を食われかけた話をしても、鼻で笑われるだけだった。
父はそのたびに、黙って頭を下げていた。
だから、わかっている。
公都の城へ行っても、きっと同じだ。
――でも、それは言えない。
――お父さまとお母さまが、あんなに喜んでいたのだから。
キーラは拳を握ったまま、まっすぐに前を向いた。
◇
北へ進むにつれて、乾いていた空気にすこしずつ湿り気が混じり、五日目の朝には、ぶどうではなく糸杉の並木が窓の外を流れていくようになった。
シスレート公国。ガリウス王国の最南端。
馬車を降りたキーラの首筋を、故郷では感じたことのない涼しい風がなでていった。同じ南なのに、ここは風まで違うのだ。
城は白い石でできていて、庭には見たこともない色の花が咲いていた。
謁見の間に通されたとき、キーラは息を飲んだ。
高い天井から下がるシャンデリア。磨き上げられた床。左右にずらりと並ぶ、紺色のサーコートを羽織った騎士たち。
そして正面の椅子に、小さな少女がひとり座っていた。
白い絹のドレスだった。裾には金糸で細かな刺繍がほどこされ、袖口から覗く手首は折れそうなほど細い。透けるように美しい金髪を、あごの辺りで切りそろえている。
顔を上げたその瞳が、灯りを受けて真紅にきらめいた。
――あの方が辺境伯ソフィアさま。トロワール大公閣下の孫姫で、この国の公女さま。
――可愛い……。
思わず、そう思ってしまった。人形のようだ、と。
だが次の瞬間、キーラの心は冷たくなっていた。
――なにを考えているの。
――どうせ、あの方も私を見下すに決まっているというのに……。
そのとき、隣に人が立つ気配がした。
振り返って、キーラは目を見開いた。
自分の右に、同じ年ごろの少女がふたり並んでいる。ひとりはシスレート公国の、もうひとりはトロワール大公国の騎士の娘だという。どちらも仕立てのよい服を着て、腰には子供用にあつらえた本物の細剣を下げていた。
――候補が、三人……?
そんな話は、聞いていなかった。両親も知らなかったはずだ。
旧ベガリア王国領の騎士の家からも、候補を出さなければならないという古くからの慣例があった。自分はその枠に過ぎなかった。
選ばれるのは、ひとり――。
キーラの手のひらに、じっとりと汗がにじんだ。
――選ばれなかったら、どうなるの?
――お父さまとお母さまは、あんなに喜んでいたのに……。
小さな辺境伯が、椅子に腰かけたまま口を開いた。
「ソフィアです。よ、よろひ……」
少女はそこで言葉を噛み、頬をかっと赤くしてうつむいた。
左右の騎士たちが、わずかに身じろいだ。誰もなにも言わない。だが、その沈黙に含まれたものを、キーラは知っている気がした。
やがて少女は、もう一度、背筋を伸ばした。
「……よろしくお願いします。三人とも」
◇
訓練は翌日から始まった。
剣術の教官は、王都から派遣された壮年の騎士だった。
初日、キーラが名と出身を告げると、その男は片眉を上げた。
「ベガリアか」
その日から、キーラの木剣の握りは何度直しても直されつづけた。同じことをしても、シスレートの娘は褒められ、キーラは打たれた。
「これだからベガリアの者は駄目なのだ。四百年前、自分たちの王族を守れず魔王ごときに国を滅ぼされた連中の末裔だからな。血というのは争えんものだ」
――違う。
言い返す言葉は、喉の奥で凍りついて出てこない。黙って頭を下げていた父の背中を、キーラは思い出す。
同年代のふたりも、すぐにそれを覚えた。
朝、防具の紐が切られている。井戸から運んだ水をひっくり返される。すれ違いざま、聞こえよがしに「ぶどうくさい」と言われる。
キーラは、なにも言わなかった。
言えば、両親の喜んだ顔が消えてしまう気がしたのだ。
――耐えなさい。選ばれれば、それでいいのだから。
夜になると、キーラは中庭でひとり木剣を振った。手のひらの皮が破れて柄が赤くなっても振りつづけた。
そうしていれば、泣かずにすんだ。
◇
辺境伯が訓練場を視察に来たのは、ひと月ほど経ったころだった。
その日のソフィアは、淡い若草色の外出用のドレスを着ていた。石段の上に用意された椅子に腰かけると、裾がふわりと広がって、それだけで訓練場がすこし明るくなったように見えた。
ふたりの娘は、目に見えて張りきりはじめた。声を出し、大きく踏み込み、ちらちらと石段のほうを見る。
キーラは、ただ黙って木剣を構えた。
――頑張ってきた成果を見てもらわなければ……。
模擬試合が始まり、キーラの番が回ってきた。打ち合ってすぐに、キーラの木剣が、根元から折れた。
柄のすぐ上に、深い切れ込みが入っていた。
無防備になった肩に、トロワールの娘の一撃が入る。よろけたところに足を引っかけられ、キーラは前のめりに倒れた。昨夜の雨でぬかるんだ地面が、顔にべったりと張りつく。
笑い声が上がった。
娘たちが笑い、それを見た若い騎士たちも笑った。教官までが口の端を歪めて肩を揺らしている。
――ああ。
泥のなかで、キーラは目を閉じた。
――やっぱり、こうなるんだ。
きっとあの姫さまも笑っている。みんなといっしょになって、指を差して笑っているに違いない。それが、この城のやり方なのだから。
顔を上げるのが、怖かった。
だから静かになったとき、キーラはなにが起きたのかわからなかった。
「いまのは、ずるいです」
小さな、けれどよく通る声だった。
顔を上げ、恐る恐る目を開けると、石段を下りてきたソフィアが泥のなかに立っていた。若草色の裾が、みるみる茶色く染みていく。
「木剣に、細工がしてありました。わたし、見ていました」
「ソ、ソフィアさま、それは」
教官が慌てて前に出る。ソフィアはその男を見上げた。真紅の瞳が、まっすぐに大人の顔を見据えている。
「見ていました」
もう一度、同じ言葉を繰り返した。
教官が口をつぐんだ。
ソフィアは泥に膝をつくと、キーラの顔にへばりついた泥を、絹の袖でぬぐった。汚れることを、まるで気にしていなかった。
「わ、わたひ……」
――また、噛んだ。
小さな辺境伯は、ぐっと唇を結んでから、言い直した。
「わたしは、弱い者をみんなで笑うような騎士はいりません」
訓練場が、静まり返った。
ソフィアはキーラの目を覗き込んで、言った。
「キーラ。わたしの近衛騎士になってください」
キーラは驚いて、ソフィアを見つめ返した。
――私の名前を覚えてくれてたんだ……。
とっさにそう思った。
そして、なぜ? とも思った。選ばれる理由が思い浮かばなかった。
その顔を読んだのだろうか。ソフィアはすこし恥ずかしそうに微笑んだ。
「貴女がいいです。貴女だけは、一度も、ほかの人を笑わなかったから」
キーラは、言葉が出なかった。
◇
一年が過ぎた。
キーラは近衛騎士見習いとして、ソフィアの居室のすぐ隣に部屋をもらった。
最初のころは、恐れ多くて敬語の一言も間違えられなかった。それがいつからか、夜になるとソフィアの寝台に並んで座り、内緒で焼き菓子を分け合うようになっていた。
「キーラ、キーラ。このお菓子、リーンのお店のなんですよ。おじいさまが送ってくださったんです」
「ソフィアさま。寝る前に召し上がると、また侍女長に叱られます」
「……半分こなら、いいと思います」
「その理屈はどうかと思いますが」
言いながら、キーラは受け取ってしまう。
夜着のソフィアの金髪をすいてやり、他愛のない話をして、灯りを消す。眠るまでの短い時間が、キーラはたまらなく好きだった。
――お姫さま、というより。
――なんだか、妹みたい。
だが、その一年で、キーラは別のことも知った。
ソフィアは毎朝、日が昇る前から神聖術の修練を課されていた。絹のドレスを脱ぎ、ぶかぶかの紺色のローブに着替えて、大人の術士たちに取り囲まれる。六歳の子供が幾度も術を編む。指が震え、唇が白くなっても、誰も止めない。
倒れたところをキーラが抱き起こすと、大人たちはこう言うのだ。
「さすがはトロワール大公閣下の孫姫」「さすがは金髪紅眼にお生まれになったお方」
――倒れた子供に、拍手をするのか……。
あるとき、キーラはこらえられずに聞いた。
「ソフィアさま。どうして、そこまでなさるのですか?」
ソフィアは寝台の上で膝を抱えた。
「紅い目に生まれただけで、みんな、わたしをとても大事にしてくれます。それはとても、ありがたいことです。でも……」
しばらく黙ってから、小さな声で続けた。
「わたしが間違えると、みんなの顔が変わるんです」
その先を、ソフィアは言わなかった。
言わなくても、キーラにはわかった。
自分の口から出るすべての言葉が、いつも誰かに採点されている。
常に満点を求められている――。
シスレート公爵家は七支族と呼ばれる、ガリウス王家の分家のひとつだ。
ガリウス王国は魔王を倒した勇者ガリウスの建てた国。その子孫、特に紅眼の者は勇者候補として、生まれたときから周囲の大きな期待を背負う。
もし、勇者に選ばれなかったとしても、紅眼に生まれた七支族の娘は、王の妃か側室になることが決まっている。ソフィア自身が選べることなど、なにひとつない。
――ああ。
――だから、この方は言葉を噛むのか。
周囲の期待に応えられないことが、怖いのだ。
「ソフィアさま」
キーラは寝台の脇に膝をついて、視線の高さを合わせた。
「これから、私が額を押さえたら、それは合図です」
「合図……?」
「『大丈夫です』の合図です。噛んでも構いません、という意味です」
ソフィアの真紅の瞳が、まん丸になった。
「……あきれている、のではなくて?」
「あきれてなど、おりません」
ソフィアはうつむいて、それから両手で顔を覆った。
小さな肩が震えていた。
この一年で、キーラがはじめて見た、ソフィアの涙だった。
◇
七支族のひとつ、キャスタル公爵家一行がシスレートを訪れたのは、その年の秋のことだ。
公爵の長女は、ヴァレリアといった。豊かな金髪を背に流し、腰には子供用とは思えないあつらえの剣を下げている。八歳、キーラと同じ年だったが、剣術士ランクは3。ランク2のキーラよりひとつ上だった。
中庭にお茶が用意され、大人たちが席を外した、そのときだった。
「ねえ、ソフィア」
ヴァレリアが菓子をつまみながら言った。
「お父さまが言ってたわ。あんたは目が紅いから、大人になったら王さまのところへ行くんですってね。いいわね。なんにもしなくてもいいんだもの」
ソフィアの手から、菓子が落ちた。
「あたしなんて、どんなに剣の修行をしたって、勇者にもなれない。目が碧いってだけで」
子供の口から出た言葉だった。どこかで大人が言ったことを、そのまま繰り返しているだけの。
だが、それがソフィアの心を傷つける刃だと、キーラは知っていた。
「ヴァレリアさま」
気づいたときには、前に出ていた。
「お言葉が過ぎます」
ヴァレリアの碧眼が、すっとキーラに向いた。
「なによ、あんた。近衛騎士見習いのくせに」
「ソフィアさまに謝ってください……」
「あんたのことも聞いたわ。魔獣ばっかり追いかけてる田舎者。……辺境の騎士の娘でしょう。弱いくせに、生意気ね」
ヴァレリアは椅子を蹴って立ち上がった。
「じゃあ、勝負しなさいよ。あんたが勝ったら、謝ってあげる」
◇
訓練場に、騎士が二名立ち合った。
木剣。三本勝負。どちらかが倒れた時点で終了。
石段の上で、ソフィアが両手を胸の前で握りしめている。キーラは一度だけそちらを見て、それから木剣を構えた。
――勝てない。
わかっていた。ランクの差は、この場で埋められるようなものではない。
それでも。
――この方のために、退くわけにはいかない。
「はじめっ!」
一本目。ヴァレリアの踏み込みは、キーラの目に映らなかった。脇腹に強い衝撃が走り、息が止まった。
二本目。木剣を合わせた瞬間に手首をひねられ、肘に鋭い痛みが走った。
三本目。乾いた音とともに、キーラの木剣が高く舞い上がり、地面に落ちて跳ねた。
――すみません、ソフィアさま……。
空になった両手を、キーラは呆然と見た。
「ほら見なさい。やっぱり弱いじゃない」
勝負はついている。それでもこの少女は、どうしてもこの銀髪の娘を打ちたかったのだろう。ヴァレリアが木剣を振り上げた。
立ち合いの騎士が「そこまでっ!」と叫んだ。
だが、間に合わなかった。
飛び込んできた白いドレスが、キーラの視界をふさいだ。
鈍い音がした。
小さな身体が、キーラの胸に倒れ込んでくる。
「ソフィアさまっ!」
キーラは悲鳴のような声を上げた。ソフィアの左肩に、木剣がまともに入っていた。
訓練場が凍りついた。立ち合いの騎士が走り寄り、ヴァレリアが木剣を取り落とす。その顔から、血の気が引いていた。
自分がなにをしたのか、わかったのだ。
「……ばっ、馬鹿じゃないの!」
ヴァレリアが叫んだ。
「近衛騎士をかばうなんて! あんた、辺境伯でしょう!? そんなの、そんなの、馬鹿だわ!」
ソフィアはキーラの腕のなかで、ゆっくりと顔を上げた。
左肩を押さえたまま、それでも、まっすぐにヴァレリアを見た。
「キーラは、わたしの“大切な”近衛騎士です」
ヴァレリアは、なにか言おうとして口を開いた。
だが、そのまま黙り込み、走って訓練場から出ていった。
◇
キャスタル公爵一行は、その日のうちにシスレートを発った。
夕暮れの部屋で、キーラは長椅子に座らされていた。
ソフィアの左肩は、とっくに城の神聖術士が治している。だが、見習い騎士の打ち身までは、誰も診ない。
「動かないでください」
「ソフィアさま、私は本当に大丈夫ですので」
「動かないでください」
二度目は、有無を言わせない声だった。
ソフィアの小さな手が、キーラの脇腹にそっと当てられる。
白い光が、ふわりとあふれた。
打たれたところの熱が、すうっと引いていく。重たい痛みが遠のき、息が楽になる。
白い光が消えると同時に、ソフィアが前のめりに崩れた。慌てて抱き止める。
「ソフィアさま!?」
キーラの声が震えた。
神聖術とは、ただ相手の怪我を治す技ではなかった。治癒する対象が受けたダメージを術士が自らの身体に引き取り、自分自身の治癒力を高めて治す。
ソフィアはいま、キーラが受けた打撃を、六歳のその小さな身体で引き受けていた。
「おやめください、ソフィアさま。私は騎士です! 主の代わりに打たれるのが、私の仕事なのです。これでは逆ですっ!」
「わたしは神聖術士です。毎日、自己治癒力を高める修練をしていますから、これくらいへっちゃらです」
ソフィアは荒い息のまま、それでも笑った。
「っ……!」
こらえきれずに、キーラは膝から崩れ落ちた。
床に手をついて、声を殺して泣いた。
この一年、なにを言われても泣かなかった。泥のなかで笑われても泣かなかった。それなのに、いま、涙が止まらない。
――なんて、なんて方なんだろう。
――私は、ずっと勘違いをしていた。
この城に来るまで、キーラは覚悟をしていた。差別されるのだと。見下されるのだと。だからなにを言われても耐えようと決めていた。
耐える覚悟はしていた。
けれど、こんなふうに大事にされる覚悟だけはしていなかった。
小さな手が、キーラの銀髪をぎこちなくなでる。
「泣かないでください。キーラが泣くと、わたしも泣きたくなります」
「……申し訳、ありません」
「そうだ。お菓子を食べましょう」
ソフィアがぱっと顔を上げた。
「いま、いちばん高いお茶を用意させます。隠しておいた、とっておきの焼き菓子があるんです。キーラ、いっしょに食べましょう」
◇
窓辺の小さな卓を挟んで、ふたりは向かい合った。
夕日が、ソフィアの金髪を蜂蜜色に染めている。着替えたばかりの淡い色のドレスの袖から、細い手首が覗いていた。
焼き菓子は、故郷では一生食べられないような味がした。
「おいしいです」
「でしょう! わたしの、いち……いちば……」
噛んだ。
ソフィアの頬が赤くなる。
キーラは、そっと左手を上げて、自分の額を押さえた。
ソフィアの目がまん丸になって、それから、ふにゃりと笑った。
「もう。キーラは、いじわるです」
「あきれてなど、おりませんので」
笑い声が、夕日の部屋にころころと転がる。
――ああ。
カップを持つソフィアの指先が、細かく震えていた。
紅茶の水面が、小さく波打っている。それでもソフィアは笑って、二枚目の焼き菓子をキーラの皿に載せた。
痛いのだ。いまも、ずっと。
――この方は、きっとこれからも……。
――痛いと言わずに、笑うのだ。
瞳の奥が、また熱くなる。キーラは唇を強くかんで、こらえた。
この城に来た日のことを思い出す。馬車の窓から見えた、ぶどうの段々畑と、いつまでも手を振っていた父と母。
近衛騎士に選ばれたかったのは、あのふたりのためだった。喜んでくれたから。悲しませたくなかったから。
――でも、もう違います。お父さま、お母さま。
泥のなかへ絹の裾を汚して下りてきてくれた人が、いま、震える手で自分に菓子を分けている。この城で誰ひとり、キーラの名前を呼ばなかったときに、名前を呼んでくれた人が。
「キーラ? どうかしましたか?」
「……いえ」
キーラは膝の上で、静かに拳を握った。
――この方を、一生おそばでお守りします。
――たとえ、この先になにがあっても。
誓いは、言葉にしなかった。
言葉にしたら、また泣いてしまいそうだったからだ。
代わりにキーラは背筋を伸ばして、この一年で一番の笑顔を作った。
「ソフィアさま。もう一枚、いただいてもよろしいですか?」
「もちろんです!」
小さな辺境伯が、口のまわりに菓子の粉をつけたまま、幸せそうに笑った。
「近衛騎士キーラ」を読んでいただき、本当にありがとうございます!
さいらすと申します。
このお話を少しでも面白いと思っていただけましたら、【☆☆☆☆☆】をタップして、★をいただけると嬉しいです!
「記憶喪失勇者」というお話を書いています。本編では描けない、脇役たちのお話も書きたくて短編にしてみました。
短編と言いつつ、少し長くなってしまいましたが、もし興味を持っていただけましたら、「記憶喪失勇者」もよろしくお願いします。
ChatGPTにソフィアとキーラを描いてもらいました!
※この小説は執筆に一部、AIを使用しています。
・自身で執筆した文章をAIに改変させているが、再度全て自分で編集・改稿
・自身で執筆した文章の誤字・脱字チェック




