第15話「冷徹営業トップは私の限界オタクでした。」
楽しかった飲み会はあっという間に終了した。
居酒屋の前でみんなは別れの挨拶をした。
「今日は楽しい飲み会でした。部署は違いますが、また機会があればよろしくお願いします。」
ビールを一杯、レモンサワーを三杯飲んだ陽菜子の頬は、すっかり赤く染まっていた。
「神崎、ちゃんと春宮ちゃん送ってあげなね。」
寺内は、泥酔した白石を支えながら、神崎へ小声で告げた。
「わかってる。」
みんなに手を振る陽菜子。
二人の最寄り駅は同じだった。神崎のマンションと陽菜子の家も、歩いて十分ほどしか離れていない。
「陽菜子さん、帰りましょうか。」
(推しと二人きり…今は無事に送り届けることだけに集中しよう。)
二人は並んで電車に乗った。陽菜子はいつもより上機嫌で、車窓を眺めながら何度も楽しそうに笑っていた。
最寄り駅に着いた。
「あの…ちくわくん?飲み直しませんか? 」
神崎の心臓が跳ね上がった。
時計を見ると、午後十時を少し過ぎていた。
明日は休みだ。
それに、陽菜子さんから誘ってもらえる機会など、二度とないかもしれない。
しかし、二人きりで酒を飲むなど、ファンとして許されるのだろうか。
考えがぐるぐると巡り、いつものように冷静な判断ができなかった。
神崎自身にも酒が回っていたのか、理性が止めるより先に返事が出ていた。
「行きましょう」
「私の家の近くに、おいしいワインを出してくれるバーがあるんです。ワインお好きですか?」
「はい。好きです。」
(陽菜子さん、ワインが好きなんだ。またひとつ新しい好物を知れた。)
陽菜子に案内され、二人は彼女の家の近くにある半地下のイタリアンバーへ入った。
二人はカウンター席に座り、白ワインを頼んだ。おつまみにチーズも。
「これはとてもおいしいワインですね。」
神崎はワインを一口飲むと陽菜子に微笑みかけた。
「ちくわくんに喜んでもらえて嬉しいです。」
陽菜子はグラスの脚を指先でなぞりながら、何度か口を開きかけた。
「あの……この前、ちゃんと聞けなかったことがあるんです。」
「なんでしょうか?」
陽菜子はワインへ視線を落とした。
聞いてはいけないことかもしれない。けれど、ずっと胸に引っかかっていた。
「火曜日、白石さんに告白されていましたよね」
「聞いていたんですか?」
神崎の目がわずかに見開かれた。
「白石さんと、お付き合いしているんでしょうか? もしそうなら、飲み直そうなんて誘ってしまって申し訳ないです 」
「白石さんにはお断りしました。なので、気にしないでください。」
「えっ、そうなんですか?」
胸の奥に張りつめていたものが、ふっとほどけた。
なぜ自分が安心したのか、陽菜子には分からなかった。
「あともう一つ聞きたいことが…。」
「な、なんでしょう?」
「残業したときに差し入れしてくれていたのが、ちくわくんだとわかったのは良かったのですけど、なんで、私にそんなことしてくれたんだろうと不思議で。」
「……。」
(これは本当のことを話すべきなのだろうか。これ以上の機会はない。すべて話してしまおう。」 )
神崎は陽菜子にすべて正直に話した。
「二年前、陽菜子さんが一人で残業している姿を見ました。それから、誰かのために頑張り続けるあなたを何度も見かけました。」
神崎はゆっくりと言葉を選んだ。
「俺は……ずっと、陽菜子さんを応援していました。陽菜子さんは、俺の推しなんです。」
陽菜子は何度か瞬きをした。
営業部まで迎えに来てくれたこと。
いつもお茶を淹れてくれたこと。
自分が困るたび、真っ先に駆けつけてくれたこと。
「つまり……ちくわくんは、私のファンってことですか?」
「そうです!」
目をぱちくりさせる陽菜子。
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
「ファンだなんて照れますね。でも、二年前から見ていてくれたなんて……嬉しいです」
話しているうちに時間は過ぎ、空になったグラスが一つ、また一つと増えていった。
陽菜子はいつの間にか、二杯目のワインをほとんど空にしていた。
「陽菜子さん?そろそろ、お酒は控えた方が…。」
水を差し出す 。
「いいえ!今日は飲みます! 」
そう意気込む陽菜子だったが、すでにろれつが回っていなかった。
「陽菜子さん、そろそろ帰りましょう。ご自宅まで送ります 。」
「え、ちくわくんおうち来てくれるんですか?」
陽菜子はカウンターへ頬をつけたまま、神崎を見上げた。
「いえ、そういう事ではなく送っていきますと…。」
(う…酔った陽菜子さんかわいすぎる…!!)
お会計を済ませ、外へ出る。
ふらふらの陽菜子の手を肩にかけ、腰を支える。
公園で助けられたあの夜とは反対に、今夜は神崎が陽菜子の身体を支えていた。
「ちくわくーん。おんぶして。」
甘えるような声とともに、陽菜子が神崎の背中へ腕を伸ばす。
神崎は夜空を仰いだ。
(神様。これは、耐えろという試練でしょうか)
「おんぶは……っ」
断ろうとした神崎だったが、陽菜子が足をもつれさせ、慌てて抱き留めた。
神崎の腕に抱き留められた陽菜子は、彼の髪へゆっくりと手を伸ばした。
「ちくわくんと一緒だ。」
「……無理です。尊すぎます……」
神崎は膝から崩れ落ちる。
神崎が膝をつくと、陽菜子はおんぶの準備をしてくれたのだと思ったらしい。
嬉しそうに、その背中へ覆いかぶさった。
「おんぶ。」
「ギャアッ……!」
背中へぴたりと密着された。
近すぎる体温と柔らかな感触に、神崎の思考は完全に停止した。
自宅まで、わずか五分。それなのに神崎には、その道のりが永遠のように感じられた。




