お言葉通り「買って」あげましたわ
いつもの強火ざまぁ
「僕は両親に売られ、君の家に金で買われた。だが心まで自由にできると思うなよ。決して君に屈したりしない。愛するなんてもってのほかだ」
冷徹な瞳、憎々しげな声。
「っ――!」
胸を抉るような言葉を真正面からぶつけられ、セリアはよろめいた。
「逃げられるのなら逃げたいくらいだ。だがこれも貴族の家に生まれた者の務めだから受けいれる」
「カ、カインツ様……」
裕福な子爵家と、斜陽の侯爵家。
セリアとカインツは婚約関係にあったが、二人を結びつけていたのは恋慕ではなく子爵家の潤沢な資金だった。
「いずれ僕は君と結婚する。僕の意思とは関係なく。だから言いがかりをつけて束縛しようとしたり、周囲に迷惑をかけるのは止めてくれないか」
「めい、……わく……」
「ああ、そうだ。授業で僕とパートナーになりたいだとか、昼食を一緒に食べたいだとか、あまつさえ僕の交友関係に口出ししてくるなんて。すべて迷惑極まりない」
呆然と呟くセリアを、カインツは睨みつけた。
「でも、それは……」
たしかにセリアはそれらの行為を強固に要求した。
感情が高ぶるあまり攻撃的な物言いになったり、皮肉を織り交ぜてしまったのは反省している。
でもそれは、そこまでしなければどれも叶わなかったからだ。
セリアが動かなければ、カインツから彼女を誘うことはないと言い切れる。
幼少期に婚約して早十年。
婚約者に一目惚れした少女は、最初はこんな素敵な人と結婚できるなんてと喜びで胸がいっぱいだった。
だがあまりにも素っ気なく、それどころか彼女から声をかける度に嫌そうな顔をされて、期待は年々すり減っていった。
侯爵家が資金援助を受けるための縁談。それがカインツの矜持を傷つけていたのは理解していた。
親に売られたように感じるのも致し方ないだろう。
だからセリアは、カインツ個人を愛しているのだと伝えてきた。
しかしカインツからすれば「自分を買った」女が何を言っても、心に響くどころか不愉快でしかなかった。
お互いに一介の学生なのだから、特別扱いを要求するのはどうか。
学生でいられるのはわずかな時間だからこそ、他の生徒との交流を優先すべきだ。
そんなもっともらしいことを言って、彼はセリアを遠ざけた。
廊下ですれ違っても気付かぬふりをされたときの胸の痛み。
目の前で女性と親しげに歓談されたときの屈辱。
セリアが同じ教室にいるというのに、男友達に婚約者の愚痴を零されたときには、体が震えて目の奥が熱くなった。
特にここ一年間は地獄だった。
離宮に閉じ込められて生活していた悲劇の王女――アビゲイルが、晴れて王族として認められて学院に通うようになったからだ。
王女の世話役として選ばれたのがカインツ。高位貴族家の人間で、異性であるが婚約者がいるので王女の醜聞にならない。そんな理由だった。
だが実際は名ばかりの婚約者を差し置いて、カインツは時間の許す限りアビゲイルの側に侍った。
そしてアビゲイルもそれを笑顔で受けいれた。
まるで恋人のような距離感で笑い合う二人。
他の生徒と積極的に交流を、なんて言いつつ二人は毎日一緒にランチをした。
朝はわざわざ王宮まで馬車で迎えに行き、帰りは送る。兄王子も通学しているにも関わらずだ。
休日に会っていたという話もちらほら聞いた。
*
亡くなった側室の娘で、長年王族として認められていなかったアビゲイルには、年頃だが婚約者がいない。
こんなにカインツと親密にしていては、今後の縁談に差し障りがあるにも関わらず、国王が注意しないものだから誰も止めることができない。
王妃の策略でアビゲイルが不義の子だと思い込んでいた国王は、新たに開発された魔法で側室の潔白が証明されてからは王女に激甘だった。
そこには罪滅ぼしも含まれており、アビゲイルの望みであればなんであろうと叶えようとする。
他でもないアビゲイルが、カインツと今の関係でいることを望んでいる。
対象であるカインツだって、嫌がるどころか喜んでいる。
唯一二人の関係に反対できるのが婚約者のセリアだった。
王族であるアビゲイルの行動をどうこうすることはできないが、カインツ個人に物申すことはできる。
もはや恋心はずたぼろだったが、かろうじて残っていた矜持をかき集めてセリアは婚約者に直談判することにした。
店に呼び出しても、嘘を並べてすっぽかすのは目に見えている。
だから授業終わりに他の生徒の前で、空き教室に呼び出した。
ここまでしないと話ひとつ満足にできない。
クラスメイト以下の扱いをされる自分が惨めだった。
*
「お願いだから結婚するまでは構わないでくれ。残りの人生は君に付き合ってやるんだから、ひとときの自由くらい許してくれ。それすら許せないほど心の狭い女なのか」
セリアの手を振り払い、カインツは教室を出て行った。
ふらついた彼女は黒板に頭をぶつけ――
「あー、そういうこと?」
静かな教室でセリアはひとりごちた。
(はいはい、たしかに私の名前は『エリナ』です。それに『喪女』で『社畜』だっけ? まあ、そう言えなくもないわね)
前世の記憶が蘇った――と言っていいのだろうか。
初めてそのマンガを読んだときには「へー。名前同じじゃん。あっちはカタカナで、こっちは衣梨奈だけど」と思ったが、まさか自分が物語に組み込まれるとは思わなかった。
(ヒロインの設定がまんまだから、これは作中にあった『原作』じゃなくて私が読んでたマンガの世界で間違いなさそうね)
今しがた婚約者に酷い扱いをされたセリア(エリナ)は、この世界のヒロインである。
衣梨奈が仕事の待ち時間に読んでいた縦コミック「不誠実な婚約者なんていりません、愛され王女様にさしあげます!」はジャンルとしては悪役令嬢転生ものだ。
さきほどの二人の会話は、第1話の冒頭で間違いない。
*
ある日、頭をぶつけた拍子にセリアは、日本人・エリナとして生きた前世の記憶を取り戻す。
そしてここが「いまさら王女と言われても~離宮から出たら溺愛が待っていました~」の世界であり、自分は悪役令嬢だと気づく。
「いまさら王女~」は王女アビゲイルがヒロイン、嫉妬深い婚約者を持つカインツがヒーローの小説だ。
カインツの婚約者であるセリアは、二人の仲を裂こうと奮闘するが、適度な障害物化したおかげで二人はどんどん絆を深めてしまう。
エスカレートしたセリアが常軌を逸した行動をするようになり、周囲も「あれでは愛想を尽かされて当然だ」とセリアの方を鼻白むようになる。
最終的に爵位を得たカインツはセリアと婚約破棄して、アビゲイルと結婚。
捨てられたセリアは社交界で立場を失い、心も病んで領地で療養。ひっそりと息を引き取って終わる。
そんな未来、認められるか!
十六歳のお嬢様ならまだしも、こちとら喪女の社畜として社会人していた経験がある。
この先になにが起きるかも知ってるし、あんな男とはさっさと縁を切るに限る!
セリアの前では可哀想なボクちんムーブかまして、王女とはキャッキャウフフの恋人ごっことかクソくらえ!
原作の知識があるセリア(エリナ)は悪役令嬢の座からおりるべく、婚約解消に向けて行動する――というのがマンガのあらすじだ。
「記憶が蘇ったセリアは、その日の晩餐で親に婚約解消を願い出るんだっけ」
100話をこえてなお連載中だったこともあり、中盤はうろ覚えの部分もあるが序盤はハッキリ覚えている。
セリアと両親の関係は微妙だ。
親のおかげでカインツの婚約者になれたが、資金援助が条件だったために彼から嫌われた。反抗期にさしかかっていたことで、セリアは自分がカインツから嫌われたのは親のせいだと八つ当たりをしていた。
好きな人に拒絶されたのは自分のせいじゃない。そう思いたかったのだ。
「一代で財を築いたとかじゃなくて、裕福な土地を受け継いでいるタイプだから、両親はあんまり頼りになる感じじゃないのよね」
おっとりしているというか、のんびりしているというか。
婿になる予定の男と王女の噂を耳にしても、これといった行動は起こしていない。
「この辺りはマンガだからでしょうね。親が率先して解決したら話が続かないもの」
マンガでは帰宅したセリアは、善は急げと「カインツ様を婿にしても不利益しかありません。彼への愛情は枯れ果てたので、婚約を解消してください」と両親に告げて驚かせるのだ。
秋の空よりも急激に機嫌が変わるお年頃だ。娘の言葉を信じていいものか決めかねる親に、本心だと理解してもらうべくセリアは家での態度を改める。
ここ数年腫れ物状態だったセリアは真心を尽くすことで家族との仲を修復し、使用人の信頼を取り戻す。
まずは周囲の環境を変える、というお決まりの展開だ。
「それでお父様が婚約解消に動いてくれるんだけど、爵位の関係ではね除けられるのよねー」
反抗期を終えて娘は大人になった。本当にカインツに見切りをつけたのだと理解したセリアの父はちゃんと動いてくれるのだが、それであっさり解消となったらこれまた話が続かない。
子爵家から流れてくる金を手放したくない侯爵は、子爵の申し出を一蹴する。
息子は王族に仕えているだけ。
ちゃんと子爵家へ婿入りする意思がある。
ついでにセリアの器が小さいから嫉妬するのだとか、魅力がないことを自覚しているから不安になるのだろうなんて侮辱も織り交ぜつつ、断固として婚約解消に応じないのだ。
「で、クラスメイトの前で『婚約解消を願い出ているのに、侯爵様が取り合ってくださいません。あなたからも婚約解消したいと訴えてください』って告げるのよね」
婚約破棄を決意したセリアは、朝の挨拶を止め、休憩時間に席に突撃するのも止める。
話し掛けてこなくなった婚約者に、カインツは自分の言葉が効いたのだと都合良く勘違いしてますます王女との疑似恋愛にいそしんでいた。
そんなさなかに公衆の面前で「ほとほと愛想が尽きました。解放してあげるので協力してください」と言われてカインツは驚き、焦る。
この時点ではまだ王女と侯爵子息は友人以上恋人未満の関係だ。居心地の良いぬるま湯につかり、青春を謳歌しているにすぎない。
寝耳に水の宣言に動揺したカインツだが、セリアが自分に夢中であることを思いだして「新しい方法で気をひくつもりなんだな」と突っぱねる。
自分に惚れているとわかっていて、無下にしていた。
前世の衣梨奈を含め、読者の怒りはここに来て限界突破した。
シーズン1の中ではもっともコメント数が多く、そのほとんどがカインツへの罵詈雑言だった。
*
「はー……ダル」
マンガの主人公と同じく、衣梨奈もカインツと結婚したいとは思わない。
ただしやる気に満ちあふれていた主人公とは違い、彼女は半眼で天上を仰いだ。
この世界が正しくマンガ通りに進むのであれば、この「婚約解消してください!」「そうやって俺の気をひくつもりだな!」のやり取りは1回では終わらない。
なんと100話までこの状態が続く。
現状の把握と家族との和解、前世の知識を使って領地のトラブルを解決して存在感を示すのがシーズン1。
カインツと離れて学生生活を謳歌することにし、友人ができたりヒーロー候補が出てくるのがシーズン2。
シーズン3のメインとなる隣国を巻き込んだ大事件を機に、やっと本格的に動き出し、不誠実な婚約者と縁が切れるのはたしか130話くらいだった。
「普通の学生生活ってのに憧れはあったから、それはいいとして無駄なストレス抱え込みたくないわー」
婚約者を放置して青春を謳歌するのは構わないが、平行してことある毎に侯爵に嫌みを言われたり、カインツに絡まれるのは勘弁だ。
なにせこの親子、他責思考で話が通じない。10話に1回くらい登場しては、一方的に喚き散らす。
そして20話に1回くらい親が「話し合いが難航してる。もうちょっと待ってくれ」と進捗報告してくる。これも地味にストレスだ。
*
いくら王女が愛らしかろうと、この物語はセリアがヒロインだ。
カインツは次第に新生セリアが気になるようになり、シーズン2の段階に入ると何かにつけて絡んでくるようになる。
セリアに惹かれている自分を、カインツは頑なに認めようとしない。
それでいて彼女に他の男が接近したり、彼女が自分から離れるのを見過ごせずにちょっかいかけてくるのだ。
「この話、たぶん本来は元サヤエンドだったんだろうなぁ」
シーズン1、2ともにイケメンな新キャラが何人も出てきたが、どれもヒロインのお相手としては決定打に欠けていた。
制作スタジオとしては、あくまでメインヒーローはカインツで、後出しのキャラは当て馬のつもりだったのだろう。
だが想定を遙かにこえて、カインツは読者のヘイトを集めすぎてしまった。
なまじ「いまさら王女と言われても~」の世界という設定があるので、カインツは王女をキープしたまま、セリアをデートや文化祭に誘った。
そしてその場面に王女が乗り込んできて、セリアが辞退するまでがワンセットである。
カインツが出るだけで、コメント欄は荒ぶった。
<まずは王女と縁を切れ。話はそれからだ>
<アピる前に謝罪だろ>
<今更すり寄ってきてももう遅い>
<なんでコイツ頑なに謝んねーの。謝ったら死ぬの?>
とまあ、もはや読者は「カインツ以外なら、相手は誰でもいい」の域に達していた。
リアルタイムで読んでいた衣梨奈もイラついたものだ。
制作陣は様子を見ていたが、カインツの株は下がることはあれど上がることがなく、ようやくシーズン3で代わりのヒーローを出すことにして、隣国の王子に婚約解消の手助けをさせたのだろう。
出てくるのが遅すぎるが、今までのヒーロー候補に比べて飛び抜けて身分が高い。しかも物語の本筋である婚約解消で活躍したということで、セリアのパートナーとして確定した。
「うん。無駄なことはしたくないし、マンガ通りじゃなくても問題ないでしょ」
下校時刻を大幅に過ぎて帰宅した衣梨奈ことセリアは、筋書き通りに両親に相談したのだが、その内容はいささか違った。
*
両親に婚約解消を願い出た翌朝。教室に入ったセリアはカインツを素通りすると、奥に座る王太子に話し掛けた。
王妃の子であるデイツ王子は、アビゲイル王女とは異母兄妹だ。
生まれ月でデイツの方が長子として扱われているが、二人は同い年である。
このデイツであるが、異母妹との仲はすこぶる良い。俗にシスコンと呼ばれる部類だ。
「いまさら王女~」でアビゲイルがカインツに嫁げたのは、頼りない父王を退けて若き国王となったデイツが、妹が好いた相手と一緒になれるよう叙爵したからである。
アビゲイルがヒロインの物語では、セリアは悪役としては雑魚にすぎない。メインの悪役として立ちはだかったのは、なさぬ仲の王妃であった。
王妃の企みによって離宮に追いやられ、冷遇されていたアビゲイルは、こっそり抜け出した先で異母兄に遭遇する。
そして初対面で兄の心の氷を溶かして、彼を味方にする。
半分だけど血が繋がっている、だから結ばれることはないとわかっていても……と、カインツと双璧をなすサブヒーローの役目を担っていたのがデイツだ。
側室の不貞が事実無根だったと証明されても、王妃の権力は揺らがなかった。
アビゲイルを潰そうとする実母から愛しい異母妹を守るため、デイツは王となり王妃の権力を削ぐのだ。
「王太子殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう」
「……ここは学び舎だ。かしこまった礼は必要ない」
王族に対する正式な作法で挨拶するセリアを、デイツは笑顔で窘めた。
「では遠慮は無用と?」
「教室内では私も君も等しく生徒だ。常識的な範囲であればかまわない」
「ではお言葉に甘えまして。生まれてから一度も心から笑ったことのない王子様。クラスメイトとして、あなたが本当の意味で笑顔になれる日が来るようお祈り申し上げます」
「なに――?」
「そして『私があなたを笑顔にしてみせます!』みたいな、ありふれた口説き文句を口にする女に絆されることのないよう願っております」
いつも柔らかな笑みを浮かべているデイツだが、それは作り笑いだ。
初対面で彼の笑みが偽りであることに気づいたアビゲイルは、先ほどセリアが言ったのと同じ宣言をする。
デイツがアビゲイルに陥落したエピソードを、セリアはなんてことの無いように口にした。
「急に失礼じゃないか。君に何がわかる」
「いえ。私だけじゃなく、皆わかっておりますよ。お立場を慮って口にしないだけです。ですが先ほど無礼講と仰ったので、周囲を代表して言わせていただきました」
「みんな、だと……?」
「ええ。交流の浅い私ですら簡単にわかるくらいですから、近しい方は殿下の心情を思いやるあまり口にできなかったのでしょうね」
アビゲイルだけがデイツを理解しているのではない。
彼女は特別なんかじゃない。
むしろ周囲がデイツを気遣って指摘しなかったことを、無神経に口にしただけだ。
アビゲイルとカインツは繋がっている。王女に肩入れした王太子に、敵にまわられたら厄介だ。
セリアは、王太子の妹に対する印象を操作した。
*
「お前の言ったとおり、婚約解消は突っぱねられてしまったよ」
「それは残念です。素直に解消するのがお互いにとって最善でしたのに、拒否するなら仕方ありませんね」
マンガでは「今まで支援した分は返金を求めない」というのを条件に交渉して失敗した。
なので今度は「新しい事業を始めるので援助を半分に減らす。これは決定であり、不満があるなら婚約解消してもらってかまわない」と強気に出た。
豊かな子爵領だが、災害などなにが起こるかわからない。援助することは記されているが、その額については契約書に明示していない。
これには侯爵といえど子爵の決定を契約違反に問うことはできない。
「先方は半額でもかまわないと?」
「新事業が成功すればうちの収入が増える。だから反対しなかったのだろう。軌道に乗るまでの辛抱だと考えているに違いない」
「まあ、それはそれは。そんなに短期間で軌道に乗ると思っているなら、楽観視しすぎではありませんか?」
「いいや、結婚までの辛抱だとすれば二年もない。カインツ君が子爵家の財政に関わるようになれば、我が領を手に入れることができるとでも思っているのだろう」
「それはお家の乗っ取りではないですか。婿養子が入り婿先を簡単に掌握できると思っているなんて驚きですわ」
「子爵家相手なら、侯爵家の威光でどうにでもなると考えているのだろう。それに以前のお前なら、カインツ君を立てようとしただろうからな。ええと、お前の方はどうなんだ? その、学院の方は……」
お年頃の娘に踏み込んだ話をしづらいのか、子爵は言葉を濁した。
「ご安心を。カインツ様とは距離を置き、勉学に集中しております」
――喪女で社畜のエリナ。
交際経験が無い。それどころか異性との接触が最低限だったのを喪女とするなら、衣梨奈もそうだ。
なにせ幼い頃に芸能界に放り込まれ、事務所との契約で異性関係は厳しく制限されていたのだから。
それに社畜というのも間違いはない。休みなんてあってないようなものだった。
映画、ドラマ、CM撮影、バラエティ番組、雑誌の撮影……
肉体の限界に挑むようなスケジュールを組まれて「今が正念場」「売れている間に稼がないと」などと言われて、何年も過ごしてきた。
「自慢ではありませんが、短時間で本を読むのも暗記も得意ですの」
それに立ち回りもね――。
*
お互い不干渉のままで残りの学生生活を送ったセリアとカインツ。
事前の取り決め通り、セリアはカインツと卒業後間もなく結婚した。
恋のスパイス役であるセリアが役目を放棄したこと、王太子が以前ほど王女に肩入れしなくなったことで、アビゲイルとカインツの仲はひとときの戯れで終わった。
王女が家臣の婚約を破談させなかったことに、周囲は安堵のため息をはいた。
領地で学ぶことが多いからと、カインツは結婚後に社交界に出てきていない。
本来であれば在学中に婿入り先で色々学ぶものだが、彼は王女と過ごしていた。
勉強が終わっていないという理由に、彼の実家である侯爵家も含めてさもありなんと考えた。
カインツに余裕がないからと言って、社交をしないわけにはいかない。
新妻のセリアだけが毎年、社交シーズンになると王都にやってきていた。
一人で社交をこなすセリアを馬鹿にしようとした者は、彼女のあまりに堂々とした立ち振る舞いや年齢不相応な威厳に言葉をなくした。
「セリア様。失礼ですが、いま何ヶ月かお聞きしても?」
「六ヶ月になります。体の線が出にくいドレスを着ていても、わかってしまうようになりましたわね」
「まあっ。それはおめでとうございます」
「ご無理なさらないでくださいね。椅子のある場所に移動しましょう」
「ええ、安定期に入ったからと油断してはいけませんよ」
一時はどうなることかと危ぶまれたが、結婚後三年で子宝に恵まれたのであれば夫婦仲は問題ないのだろう。
セリアを取り囲んだ人々が口々に祝福していると、舅である侯爵がツカツカと近寄ってきた。
「子供ができたと何故報告しなかった!」
本当は金の話もしたかったのだが、人前で言うのは憚られたので、嫁の無作法を咎めるにとどめる。
「だってカインツ様の種ではないんですもの」
「なんだと!?」
「我が子爵家の跡取りとなるこの子には、侯爵家の血は流れておりません。この子が後を継がなかったとしても、この先私が産む子供はすべてカインツ様との子供ではないので悪しからず」
あっけらかんと言い切られて、侯爵のみならず周囲も絶句した。
「『自分は金で買われた』。ご本人がそう仰るので、その通りにいたしました。我が家も鬼ではありません、ちゃんと在学中に婚約の解消を提案したのに突っぱねたのは侯爵様ではございませんか」
「ふっ、不貞を働いておきながら、いけしゃあしゃあと!」
「婿は種馬というのが、我が家の方針です。たとえ格上の家から婿にこようと、領地を任せるつもりはございません。私がカインツ様に求めたのは、とてもシンプルで簡単なことだったのに、それすらこなせなかったので仕方なく他から頂戴したまでです」
カインツとの関わりと絶って過ごしていたら、マンガ通りヒーロー候補のイケメンたちと知り合うことができた。
子供の父親はその中の一人であり、現在は領地で補佐官として働いてもらっている。
「そ、それではアイツが領地で励んでいるというのは嘘か!?」
「こちらとしては、男として使い物にならない穀潰しを養っている状態です。そちらの家名を傷つけないための優しい嘘でしたのに。人前で問い詰められてしまっては、私も家を守るために真実を告げるしかございませんわ」
子爵家の使用人はセリアの味方だ。もちろん子供の父親のことも知っている。
結婚前にセリアは、侯爵家に渡している金額を公開した。
子爵家の金は、領民からの税収。つまり使用人やその家族が納めたものである。
もらうだけもらっておいて、還元しない。
それどころか息子に子爵家を乗っ取らせて、更に搾取しようとしている。
婚約解消を申し出ても、権力を笠に拒否した。
これからやってくるのは、そんな侯爵の息子であり、長年セリアを軽んじていた男だ。
在学中のセリアが大人しかったことで高をくくったのか、カインツは護衛もつけずに身ひとつでやってきた。
使用人がカインツをどう扱ったかは言わずもがなである。
「カインツが、まさか」
「初夜から一度も成功していないのです。立派な不良品でしてよ。二年間記録をつけておりますので、お望みでしたら提出いたしますわ」
「捏造ではないのか! それかお前に魅力がないのが悪いのだ!」
「好みであろうとなかろうと、それが与えられた役目なのですから、こなせないならば不良品です。男に比べて、女の時間は限られています。私は貴族の役目を果たしたまでです」
舅を睥睨したセリアは「返品を受け付けていただけるなら、喜んで送り返します。役目を果たしていないことが公になったので、支援は終了させていただきますね」と告げた。
*
自室に引きこもっていたカインツは、数年前とは別人のようにやつれていた。
使用人によって身だしなみは整えられているのだが、年齢よりもだいぶ老け込んでいる。
(どうして僕がこんなめに……)
結婚式の後、彼を待っていたのは悪夢のような洗礼だった。
花婿も花嫁のように準備をするとは思わなかったが、単に知らなかっただけかと思い従ったのがすべての始まりだった。
妙齢のメイドが若い花婿の世話するのは障りがあると考えたのか、風呂や着替えを手伝ったのは母親より年上の女たちだった。
「これから朝まで立ち会わなきゃいけないと思うと憂鬱だよ」
「仕事だから仕方ないさ。それにしても男がへこへこ腰振ってんのほど滑稽な光景はないね」
「!?」
浴槽に身を沈めていたカインツは、扉越しに聞こえてきたお喋りに驚いた。
下位とはいえ子爵家の使用人とは思えない口調と声量だ。
(注意すべきか?)
こんなに使用人の程度が低いとは嘆かわしい。
新しい主人として一喝すべきかと迷っているうちに、二人は聞き捨てならないことを言い出した。
「お嬢様に無体を働かないよう、側で見てなきゃいけないだろ。見たくもないもんみせられるなんて苦行だよ。いくら給料に上乗せされたって、嫌な役目だね」
「何回でフィニッシュするか賭けたら、少しは楽しめるかもよ」
「いいね。暇つぶしにカウントするくらいしかやることないからね」
どっと笑う声が聞こえた。
あけすけで下品な話題で盛り上がる女たちとは対照的に、カインツは温かい湯船に浸かっているにも関わらず身震いした。
(セリアとの初夜を側で見ている? 本当なのか?)
*
「……セリア、あの者たちは」
夫婦の寝室にいるのは二人だけではなかった。
枕元にずらりと年配の女性が並んでいる。
「見届け人です。カインツ様は今まで私を軽んじてこられたので、無体を強いられないよう対策させていただきました」
セリアは端から順に紹介した。
右から女医(56)、メイド二名(53)(58)、女傭兵(44)、セリアの乳母(45)だ。
メイドはカインツの準備を手伝った二人である。
「そんなことはしない!」
「口では何とでも言えます。あなたには信用がないのです」
「不愉快だ!」
「そうですか。でもあなたがどう感じようと、私には関係ありません」
カインツが声を荒げるも、セリアはどこ吹く風だ。
「き、君は嫌じゃないのか!? 夫婦の秘め事を他人に見られるんだぞ」
怒鳴りつけても効果はなさそうなので、カインツは方針を変えた。
「他の方となら嫌ですが、カインツ様相手でしたら見守っていてもらった方が安心します」
「部屋の外で待機させるとか、せめて衝立を――」
初夜の見届け人なんて、一昔前の王侯貴族の風習だ。
現代人であるカインツには、とても耐えられない。
「これは初夜が正しく行われたか、花嫁が純潔であったか確認するためのものではありません。私の身を守るためなので、見えないようにしてしまったら意味がありません」
男の体はデリケートだ。
母親くらいの女性たちに囲まれた状況で、しかも散々揶揄する会話を聞いてしまった後である。この状況で励める男がいるだろうか、いやいない。
セリアは幾度となく閨の日を設けたが、毎回この調子だったのでカインツのカインツが機能することはなかった。
*
「――というわけなの」
「まあ!」
「ふふふ……ごめんなさい。我慢できなくてつい」
「いいのよ。顔をしかめられるより、笑ってもらった方が嬉しいわ」
侯爵をあしらったセリアは、その場にいた貴婦人たちに、不誠実なパートナーに悩む女性を集めてもらった。
そして彼女は、閨を失敗させた方法を話して聞かせたのだ。
万が一にも見られて興奮するタイプだったらたまらないので、立会人には注意する必要がある。母親や祖母を彷彿とさせる相手が、絶妙なチョイスだろう。
「でもいいんですの? こんなことを明かしてしまって」
人の口に戸は立てられぬ。
この場にいるのはセリアに好意的な人間だが、外に漏れないとは言えない。
「むしろ今回の件は社交界の教訓にしていただきたいの。そうすれば私のような女性を減らすことができるでしょう?」
長期間支援を絞ることで、侯爵家の力はだいぶ削いだ。
ここに集った「不誠実なパートナーに苦労している」面子の中には、公爵家や侯爵家の人間も混ざっている。
彼女たちを味方につければ、すべてを知った侯爵が何をしようと無駄に終わるだろう。
「どんな契約を結ぼうと、お互いに相手を尊重しなければろくな結果にはならないわ。解消したいと言われたら、落とし所を探して終わりにするのが最も傷が浅くすむのよ」
頭上に輝くシャンデリアよりも眩く。
かつてCM女王の名をほしいままにした笑顔でセリアは言い切った。
頑なに家名を書かなかったのは、台無しになりかねないからなんだ!
セリア・ダイソー
カインツ・ホームス
デイツはケーヨーデイツーが元ネタだよ!
作中では省いたけどアビゲイルの愛称はビビで、ビバホームズだ!
普段もざまぁか、あたおかな話を書いてます。
「レディ・チャンドラーは悪女であった」
→ざまぁ請負人の少女と、外見詐欺公爵の物語。
「男になった私がイケメン過ぎて婚約者の性癖を破壊してしまった話」
→ネオページ契約作品。内容はタイトルまんま。