「物語」への未練
13年のあいだずっと続いてきた私とみなとの物語が、あとわずかで終わりを迎えようとしていた。
顔を洗いながら、私はさっきまで見ていた夢の内容━・・・つまり、12年前の記憶━・・・を思い返していた。
懐かしいなあ。あの時のあの会話では、どうもみなとの不安を消してやることはできなかったみたいで。あれからことあるごとに、それはもう本当にしょっちゅう、「赤ちゃんうまない?」って聞かれるようになっちゃったんだよな。そのたびに「産まないよ」って必死に否定したんだけど、信じてもらえなくて。あの頃のみなとはそればっかり言ってたような印象がある。
「赤ちゃんうまない?」「ほんとにうまない?」「みながおっきくなってもうまない?」「じゅうねんたっても?」「にじゅうねんたったら?」「さんじゅうねんでも?」「よんじゅうねんは?」・・・こんな具合に。
・・・最後の質問には、「40年も経ったら私赤ちゃん産むどころか死んでるかもよハハハ」って返して大泣きされたんだよな・・・今久しぶりに思い出したけど。で、あわててなぐさめようとして「だ、大丈夫だって!みな!40年したらみな、きっと私が生きようが死のうがどうでもよくなってるって!!」って言ったらもっと泣かれたんだよな。うん、舵取り間違えすぎだっつの、私。
で、話を戻すと、みなとのそういう状態はだいたい1年くらいずっと続いて・・・。「ひょっとしてこれ、永遠に聞かれるのかな」って、ちょっと真剣にビビり始めた頃。みなとが小学校に入学してしばらくが経った頃の、ある日のある会話をきっかけに、ぴたりと治まったのだった。当時は「なんだ、こんな簡単な一言で解決する話だったのか」と拍子抜けすると同時にホッとしたものだ。
水に濡れた顔を使い古したタオルで拭き、長年愛用している眼鏡をかけ、そこでひとつ溜息をついた。
昔の思い出を夢に見てしまう理由は分かっている。ついに終わりを迎えようとしている物語の影を、私の心が未練がましく追いかけようとしているのだ。
今日、12月1日はみなとの18歳の誕生日。あと4か月もすればみなとは高校を卒業しこの田舎町を出て、声優の養成所に通うために東京で一人暮らしを始めるのだ。つまりは親離れ子離れの時だった。
「私は何が不満なんだろう・・・」
ひとりごちた。独身の私が友人からみなとを預かり、実の娘同然に育て始めてからもう13年が経つ。当初、私があくまでみなとの一時的な「避難所」的存在だったことを考えれば、もっとずっと早くにお別れすることになっていても不思議ではなかった。極端な話、みなとを引き取った次の日に友人が思い直して迎えに来る可能性だってあったのだ。それが実際には10年以上ものあいだ、いっしょにいられた。いっしょにマンガや小説を読み、いっしょにアニメやドラマを観て、いっしょに映画館に行き、いっしょに夜遅くまでゲームで遊んだ。美しく成長しひとり立ちするみなとの姿をこの目で見届けることもできる。充分じゃあないか。充分すぎるくらいだ。これ以上の何を望むと言うのだろう。そう考えながらもまたひとつ溜息をついた。
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