自己嫌悪
「あ、あの・・・みなと?」
「・・・・・・・・・」
私が名前を呼んでも、みなとはしばらくの間何も答えなかった。永遠とも思えるような長い長い沈黙の時間が流れ、しかしついにみなとはこう呟いた。
「・・・・・・もういい・・・」
「え・・・」
「もういいよ・・・いいから・・・イツカちゃんどっか行って。私のこと一人にして・・・」
「っ・・・」
私は、一人になりたいと願わせるほどにみなとのことを深く傷つけて泣かせてしまったことよりも、「どこかへ行け」と言われたことにショックを受けてしまった自分にショックを受けた。こんな状況なのにあまりにも自己中心的だ。しかし今は自身の器の小ささを嘆いてうじうじと下を向いている場合でもなかった。一人反省会はあとだ。
「でも、私は今のみなとを一人にはしたくない」
自分かわいさを抜きにして考えても、それが私の出した結論だった。しかし、
「お願いだから・・・。だって私、きっと今イツカちゃんと何話しても、どんどん傷ついていっちゃうだけなんだもん・・・」
「・・・・・・・・・」
そう言われてしまえば、私にはもうこの場に留まることを諦める以外の選択肢は存在しなかった。
☆
ふらふらと覚束ない足取りで自室に戻り、敷きっぱなしだった布団の上にどさりと倒れこむ。やってしまった。これはひょっとして、もう取り返しのつかない類のあやまちなのだろうか。せっかく、せっかく、みなとが私といっしょに東京に行くと言ってくれたのに。終わると思っていた物語がまた続いてくれるはずだったのに。こんなことになったら、もう連れて行ってなんてもらえないかもしれない。お前なんかずっと一人でここにいろと言われてしまうのかもしれない。そうしたら今度こそ私はもう、みなととは━・・・
・・・気付けばこの期に及んでまた、みなとではなく自分のことばかりを考えている。
くそ、もう心底自分で自分が嫌になった。なんでこうなんだろう。人として欠けてるとこばっかりだ私は。こんなんじゃみなとに嫌われてしまったとしてもしょうがないじゃないか。そう思った瞬間、ついに私の両目からもボロボロと涙がこぼれ出してしまった。泣くのは本当に久方ぶりのこと━・・・先ほどの朝食の席でのうれし涙を除けば━・・・で、数分そうしているだけでもどんどん気力や体力を奪われていく感覚があった。具体的にどれくらいの時間、布団にうつぶせで倒れこみ一人で鼻をすすっていたのかは分からない。いつの間にか私は泣き疲れて、そのまま布団の上で眠ってしまっていた。
☆
目を開けてから、自分が意識を失っていたという事実を認識するまでに体感で30秒ほどかかり、そこから更に恐らく1分以上の時間を足してようやく「眠る直前にみなとと大ゲンカをした」ことを思い出して、私はがばりと勢いよく布団の上から身を起こした。反射的に壁に掛かった時計を見上げる。1時30分。え?
慌てて窓の外に目をやれば外は明るい。流石に夜中の1時ではないようだ・・・いやそんなことは当たり前だ。昼の1時でも充分に異常事態だ。みなとといっしょに朝食を食べたのが、普段と大差ない時間だったのならおそらく7時半ごろ。そこから色々━・・・本当に色々━・・・あって私がこの部屋に戻って来たのが多めに見積もって8時ごろだったとしても、私は5時間以上あの状態のみなとを放ったらかしにして惰眠を貪っていたということになる。血の気が引いた。
即座に立ち上がり、右足を左足に引っ掛けていきなり転びそうになりながらもなんとか部屋の出口までたどり着いて、廊下へと出る。そのまま一目散にみなとの部屋へと向かった。
「みなと?」
閉じたドアをノックし呼びかけてみるも、返事はない。ダメ元でドアノブに手を伸ばし回してみると、抵抗なくガチャリと扉が開いた。カギがかかっていない。
「みなと・・・」
私はもう一度名前を呼びながら、恐る恐る部屋の中を覗き込んだ。だが、そこはもぬけの殻だった。
「・・・・・・・・・」
嫌な予感がした。
私はすぐに踵を返すと、走って真っ先にこの家の玄関へと向かった。玄関の扉は無情にも私に予感の的中を教えてくれた。昨日の夜、就寝前にかけてまだそのままにしてあるはずの防犯用のドアチェーンが、外れて垂れ下がった状態になっていたからだ。
私はしばらくの間、その現実を受け入れられずに立ち尽くしていた。18歳の少女、いや成人女性が、一人で外に出かけて、昼の1時すぎにまだ家に帰ってきていない。その事実は━・・・普通に考えて何の問題もない。しかし私は普通に考えることができなかった。なにせあのケンカのあとだ。
思わず脳裏によみがえったのはつい先日視聴したテレビの特番。10年前に失踪したまま行方が分からない息子を今でも探し続けている母親が、涙ながらに情報提供を呼び掛けていた。私とケンカして家を飛び出したっきり帰って来なかったんです、どんなささいな情報でもいいです、少しでも心当たりのある方はご連絡ください━・・・。あの時はあくまで他人事として聞いていたはずの悲痛な声が、恐ろしく鮮明に頭の中で再生され、私はその場でよろめいた。
一縷の望みをかけて風呂場、トイレを含むすべての部屋を捜索し、しかしやはりどこにもみなとの姿は無かった。もう認めざるをえない。あの子は私とケンカして家を飛び出したまま、まだ帰ってきていない。認めると同時に、私は自室に駆け込んで机の上の携帯電話をひっつかみ、震える指で何度も何度も間違えながらどうにかみなとの携帯の番号を呼び出して、発信した。すると壁の向こう側、すぐ隣にあるみなとの部屋から着信音━・・・みなとの好きなアニメの主題歌━・・・が聞こえてきた。みなとがこの家の中のどこにもいないことは既に確認済みだ。私は叩きつけるようにして携帯を机の上に戻し、連絡手段も持たずに姿を消してしまったみなとの後を追うべく家を飛び出した。




