謎の魔法で褒められました
(は、はい? 何でしょうかこれ。発酵? は?)
エリシアは一瞬だけ思考停止した。
しかし少しの逡巡ののち、その文字を叩いてスキルを取得。物は試しで使ってみることにした。鍋に手をかざし、呪文を唱える。
「……《発酵》」
ぽうっと白い光が鍋を包み込み、えもいわれぬ薬品臭さが部屋に広がった。
ダンテが目を丸くして驚愕の声を上げる。
「なんだ今のは……って、おいおいおい!?」
大慌てで鍋の中を覗き込めば、緑色の沈殿物が下に貯まり、澄んだ液体が満ちていた。液体はほのかに青白く光っており、エリシアも見たことのあるポーションそのものだ。
ダンテは興奮を露わにエリシアの手を握る。
「すげえじゃねえか! なんだよ今のは! 発酵を促進させる魔法って……そんなの見たことも聞いたこともないぞ!?」
「そ、そうなんですか」
ダンテの興奮ぶりに反して、エリシアは戸惑うしかない。
冒険者ギルドのトバリは『無限の可能性を秘めている』と言っていたが――。
(これはさすがにニッチすぎませんかね?)
とはいえ、ダンテが喜んでくれたのなら良しとしよう。
「あっ、発酵ということはワインやチーズも作り放題ですね。お酒はまだ飲めませんが」
「そんなこたどうでもいいわ!」
ダンテはヒートアップする一方だった。
そのまま奥の棚から何やら古びた本を持ってくる。ずいぶんと古びた本だった。しっかりした装丁で、金属の留め具で紙がとじられている。少し乱暴に扱えば、あっという間に紙がバラバラになってしまいそうだ。
それをダンテは血眼になってパラパラとめくる。
「その魔法ががあれば発酵にクソほど手間のかかる魔法薬を作り放題だ! オリハルコンすら溶かす溶解液、三ミリリットルで竜も昏倒する皮膚毒、一滴垂らすだけで半径百メートルを爆破する薬とか……!」
「待ってください。そんな危険なものを何に使う気なんですか」
「単に作ってみたいだけだ。ダメか?」
「ダメに決まっています。もっと平和な薬だけ作ってください」
「むう。じゃあこの、雑草を枯らす薬とかはどうだ」
「おや、使い勝手が良さそうですね。そういうものでしたら喜んで協力しますよ」
「散布したが最後、百年以上もの間草木の生えない不毛の地になるけどな」
「効果が絶大すぎます。却下です、却下」
「うおおお……! あれもこれも作り放題だ! やっほー!」
「あの、聞いていますか?」
エリシアは淡々と首を横に振るのだが、ダンテはまるでお構いなしだった。夢中になって古びた本をめくっていく。鬼気迫るその姿に、エリシアはちょっと引いた。
(魔法薬がそんなに好きなんですかね……《発酵魔法》、このひとに見せてはダメだったのでは)
そんなふうに後悔しはじめたタイミングだった。
「よし、決めた」
ダンテがぱたんと本を閉じ、エリシアに向き直る。
その顔に浮かんでいたのはやけに晴れ晴れとした爽やかな笑顔だった。
嫌な予感がしてエリシアは一歩退くのだが、ダンテは余裕で距離を詰めてぐっとその手を握った。晴れやかな笑顔のままで言うことには――。
「ダンジョンなんかに行かず、おまえは一生ここにいろ。一生ここで俺の鍋を発酵させ続けるんだ」
「嫌ですよ!」
エリシアは声を張り上げた。
ここ最近出た中では一番の大声だった。王子をぶん殴って兵士らを相手に大立ち回りを演じたときも、ここまでの声は出なかった気がする。
ダンテの手を振り払って声の限りに宣言する。
「私は冒険に行くんです! あなただって応援してくれたじゃないですか!」
「いいや、ダンジョンなんかでおまえの才能を使うのはあまりに惜しい! おまえが輝けるのはここだけだ! そっちの方が効率的だし!」
「さっきと言っていることが真逆なんですけど!? ちょっ、来ないでください! 目が怖いです!」
追いすがるダンテの手をかわし、エリシアは狭い研究室内を逃げ回る。
こんなに声を張り上げるのも、本気で走るのも久々だった。いいか悪いかはさて置いて。
(私の人生、いったいどうなってしまうのでしょう)
エリシアはちょっぴりアンニュイなため息をこぼし、夜がゆっくりと更けていった。
◇
エリシアがダンテと不本意な追いかけっこを繰り広げる、ちょうどその時刻。
グランスタ城では雷が落ちていた。
「この大バカ者めが!」
「ひっ……!」
謁見の間に轟く怒声に、アルフレッド王子はびくりと身をすくませた。
あたりには王座の主とアルフレッド以外誰もいない。人払いが済んでいるのだ。
跪いたまま、アルフレッドはそっと顔を上げる。国王は齢六十を超える老体とは思えないほど鋭い眼力でこちらを見つめていた。そこには色濃い侮蔑の色が滲んでいる。実の息子に向けるそれではなかった。
国王は苛立ちを隠そうともせず口を開く。
「おまえには重々言い聞かせていたはずだ。あの娘は聖女の血を引くもの。あの血を取り入れれば、我が王家は安泰だと」
万才の聖女、サラ。
その子孫が国内に住んでいることが、ひょんなことから判明した。王家が調べたところ、子孫は年端のいかない子供ひとりで身寄りもなく、孤児院に送られる寸前だった。
しかもその子供は聖女サラの所持していた固有スキル《仙才鬼才》を有していて――王家はその血をひどく欲した。だから一計を案じたのだ。
「それをあろうことか誅殺しようとするとは……おまえは何を考えているんだ!」
「し、しかし父上! 私にも言い分があります!」
アルフレッドは声を張り上げる。王家の策謀は理解できる。だが、納得がいかない点があった。自分が割を食う、その一点だ。
「私は仮にも王族です! その私に、平民を娶れというのですか!」
「何を言う。おまえにはそれくらいの利用価値しかないだろう」
「っ……!」
アルフレッドは唇を噛みしめる。
国王の言うとおり、アルフレッドの政治的利用価値は非常に低い。母親は地方貴族出身だし、王位継承権も八番目だ。将来は田舎に送られるのが関の山だろう。
(だが、だからと言ってあの女と夫婦になれだなんて……吐き気がする!)
平民上がりで可愛げもなく、ピクリとも笑わない不気味な娘。
あんな女と人生を添い遂げるなんてアルフレッドはごめんだった。だから暗殺を企てたのだが……どういうわけか寸前でそれを見抜かれ、逃げられてしまった。
(もう少し……もう少しで解放されるはずだったのに!)
固く拳を握って黙りこむアルフレッドを一瞥し、国王は忌々しげにため息をこぼす。
「あの騒動は人口に膾炙する結果となった。大多数の者はただの痴話喧嘩だと思っているようだが……一部は、あの娘の正体に気付いたことだろう。他国の手に渡る前に、手を打たねばならんな」
国王はしばし目をつむり、静かに告げる。
「アルフレッド。おまえには任務を与える」
「へ」
「エリシア姫を見つけ出すまで帰ってくるな。以上」
「そ、そんな!」
エリシアはあの晩から忽然と姿を消し、その行方はようとして知れない。
国の精鋭たちがいくら探しても手がかり一つ見つけ出せなかったのだ。そんな相手をアルフレッドひとりで見つけ出すのは不可能だろう。つまり……事実上の追放処分だった。
アルフレッドは慌てて立ち上がり、国王へと訴えかけるのだが。
「待ってください父上! どうか話を――」
「連れて行け」
「はっ!」
国王が声を掛けると同時に扉が開かれ、兵士たちが押し寄せてくる。そのまま彼らはアルフレッドを取り押さえ、有無を言わせず連れ出した。
それはまるで、罪人を引き立てるかのような光景だった。
(くそっ……! あいつが全部悪いんだ! エリシアめ……絶対に、許さない!)
アルフレッドの奥で憎悪の炎がますます強く燃えさかった。
本日ここまで。
明日も複数回更新予定です。お暇つぶしになれば幸いです。
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