拳で話し合います
何もかもが理解できた。できてしまった。
彼が望むのは自身の死。そのためにエリシアを利用しようとしていたのだ。
その事実が、胸に強い衝動を湧き上がらせた。拳が白くなるほど強く握りしめ、エリシアは声を震わせ叫ぶ。
「私は……私はそんなことのために、あなたと手を組んだわけではありません!」
騙されていたことに、真実を隠されていたことに怒りはなかった。
あるのはただ、悔しさだけだ。
(私は気付けなかった……!)
エリシアは彼の苦しみにずっと気付けなかった。
その痛恨が涙となって、両目から後から後からこぼれ落ちる。
「私はあなたに救われた! 私はあなたを失いたくない! あなたを死なせるくらいなら……世界樹になんか挑みません!」
「おまえならそう言うと思ったよ」
ダンテはやれやれとかぶりを振る。駄々をこねる子供を諭すような所作だった。こちらが間違っているような錯覚を覚えかけるが、慌ててそれを振り払う。
強く睨み付けるエリシアに、彼はニヤリと笑ってみせる。
ぴんっと人差し指を立てて言うことには――。
「じゃあひとつゲームをしよう、エリシア」
「ゲーム……?」
「ああ。おまえが一撃でも俺に入れればおまえの勝ち。できなければ俺の勝ち」
ダンテは両手を広げてみせる。武器を構えることも、呪文を唱えることもない。どこから見ても隙だらけ。無防備極まりないその立ち姿のまま彼は挑発を続けた。
「おまえが勝ったら俺は死ぬのを諦める。俺が勝ったら、おまえは世界樹に挑む。どうだ?」
「……いいでしょう」
エリシアは涙を乱暴に拭い、びしっとダンテを指して宣告する。
「そのにやけた面をぶん殴って、目を覚まさせてやりますよ。覚悟してください」
「はっ、言うねえ」
ダンテはますますニヤニヤと笑みを深めるだけだった。
いつもの笑顔で、いつもの口調。それなのに、絶対的に違う点がひとつだけあった。
キャルがこそこそとエリシアに囁きかける。
「主、主よ。本当にやるのか? 我が言うのもなんだが……奴はヤバいぞ」
「そんなことは分かっています」
エリシアはそちらに目を向けることもできず、小さくうなずいた。
世界樹の広場は、最初からずっと異様な空気に満ちている。
(空気が、重い……)
こうして立っているだけで、じっとりと汗ばんでくる。息が上がり、膝が笑いそうになる。まるで無数の細い針で差されているかのような、薄い痛みが全身を苛む。死が、ぞっとするほど身近に感じられた。
手合わせしたいとうそぶいていたキャルでさえ怖じ気付くほどだ。
トウテツと戦ったときも、操られたヨシュアと戦ったときも、肌が粟立つのを感じた。それが殺気というものなのだと漠然と感じていた。
だがしかし、あれらはただのお遊びだった。
目の前の魔王が放つ圧倒的な威圧感に比べればすべて塵芥も同然だ。
「それでも、私は……やるしかない!」
「主!?」
目をむくキャルを置き去りにして、エリシアは《電光石火》でダンテとの距離を詰める。真正面からの特攻……に見せかけて素早く背後を取る。癖ひとつない美しい金髪へ、思いっきり拳を振りかぶって叩き付ける。
「《ウィンド》」
「うあっ……!?」
ダンテが指を鳴らしたその瞬間、突風が巻き起こってエリシアを弾き飛ばした。髪に触れることすらできなかった。あえなく地面に叩き付けられて、肩を強打し傷みに呻く。
「主!? よくも主をやったな!」
今度はキャルが吼える番だった。猛然と地面を蹴り付けてダンテへ鋭い牙を向ける。
「《ウィンドブレイク》!」
咆哮とともに巨大な風の刃がダンテに襲いかかる。手近な屋台や植木を両断し、凄まじい勢いで迫り来るその刃に対し、ダンテは悠然と立ち尽くすだけだった。
「おまえは世界樹の中で生まれた個体だな? 俺との直接的な契約はないが……」
ダンテはただキャルを見据えて、人差し指を向ける。
口にするのは呪文でも何でもない命令だった。
「ひれ伏せ、毛玉」
「ぐおっ、ううう……!?」
その途端、キャルが膝を折った。風の刃もかき消える。
キャルは突進の勢い余って地面を滑り、ダンテの目の前でようやく止まった。
頭を垂れて服従を示すキャルのことを、彼はつまらなさそうに見下ろした。
「これでも三百年前は魔物の王なんて呼ばれていたんでな。キャスパリーグ程度なら魔法を使うまでもなく従属させられる」
そうしてダンテはエリシアへと視線を戻す。
「で、おまえはまだやるのか?」
「当たり前でしょう!」
立ち上がると同時、エリシアは叫ぶ。
「《パラライズ》!」
広範囲に小さな雷が落ちる。地面が焼け焦げ、砂塵が舞う。だがしかしダンテは涼しい顔だった。雷は彼を恐れるようにして避けていく。
「悪いがそんな魔法じゃ俺には届かないぞ」
「っ……《ファイヤーボール》!」
今度は火球を打ち出してみるが、ダンテの鼻先で爆ぜ飛んで、火花を散らして消えてしまう。
たった二十歩ほどの距離があまりに遠い。
ダンテは顔色を変えないまま、淡々と言う。
「おまえが俺に恩義を感じるのは理解できる。だが、それは偶然と打算の産物だ。そこまで執着するほどのものでもないはずだろ?」
「勝手に決めつけないでください!」
エリシアは吼え、先ほどキャルの魔法で真っ二つになった樹をゴーレム化させる。しかしそれもダンテの目の前で音もなく燃え上がって灰と化した。
大人と子供のケンカですらない。
羽虫と獣のような、まるっきりステージが異なるもの同士のお遊戯会だ。
(何か、何かあるはず……! いつもそうやって、切り抜けて……っ!?)
焦るエリシアの目の前にあの文字が浮かび上がる。神託だ。
だがしかし、それはいつもと少し勝手が違っていた。
『特別に、こちらのスキルをお渡しします』
その文言の下に浮かぶのはたったひとつのスキルだけ。
会得するのに必要なポイントはゼロ。
ボーナスとも言うべきそのスキルを前にして、エリシアはごくりと喉を鳴らす。震える指先で文字に触る。
いつぞやトバリに会得済みのスキルを見てもらった。あのとき用いた眼鏡の魔法具にかけられていたのがこのスキルなのだろう。それを今、エリシアはダンテに行使する。
「……《鑑定》」
その瞬間、視界のすべてを例の文字が埋め尽くした。
火魔法レベル五。
氷魔法レベル五。
雷魔法レベル五。
土魔法レベル五。
風魔法レベル五。
光魔法レベル五。
影魔法レベル五。
結界魔法レベル五。
空間魔法レベル五。
吸魔魔法レベル五。
補助魔法レベル五。
身体強化魔法レベル五。
調合スキルレベル五。
探知スキルレベル五。
エリシアの知るもの、知らないもの。おぞましいほどの数が後から後から浮かび上がってきて、ダンテの姿をかき消した。
「なんですか、これ……」
ゆうに百を下らないその数に圧倒され、エリシアは言葉を失って腰を下ろしてしまう。
ダンテが静かに、投げやりに言う。
「レベル一で初心者、二で中級。三まで極めれば達人を名乗っても許される」
ならばレベル五は。
それがどれほどの高みにあるのか、エリシアには想像も付かなかった。
「おまえじゃ俺に敵わない。鑑定するまでもなく、とうに理解できているんだろ?」
「そう、ですね……」
ダンテは先ほどからエリシアの攻撃をあしらうだけで、向こうから仕掛けてくる気配がまるでない。完全に手加減されていて、それでも一切歯が立たなかった。
エリシアはダンテと同じ舞台に立てない。
王座の前に膝を突くことしかできない。
それが残酷な現実だった。
ダンテは両手を広げてふたたび願う。
「諦めて俺の願いを叶えてくれよ、エリシア。俺はこの、つまんねえ余生を早く終わらせたいんだ」
「っ……!」
エリシアは大きく息を呑む。
彼の笑顔は変わらない。だがしかしその目の奥底には、煮詰めてドロドロになった諦観が渦を巻いていた。
(私は、気付けなかった……あのひとがそんな思いを抱きながら、生きていたことに)
それが堪らなく悔しく、辛かった。
だからエリシアは覚悟を決めて小さくうなずく。
「……分かりました。負けを認めましょう」
「ほう!」
ダンテが声を弾ませると同時、視界の文字がかき消えて、彼の顔が明瞭に見えるようになる。彼の口角が上がり、歪な笑みが深くなる。勝利を確信した魔王の顔だ。
エリシアはそんな彼へと誓いの言葉を並べ立てる。
「私は世界樹を上り詰める。そして、あなたの魂を解放する」
「そうだ! それで――」
「でも、それだけじゃ終わらない……終わらせない!」
エリシアは最後の力を振り絞ってその場から立ち上がる。
そうして、しかとダンテを睨み付けた。
力で敵わないのなら、それ以外の方法で戦うだけだった。人差し指を突きつけて、真正面から宣戦布告を叩き付ける。
「私があなたを変える! あなたが二度と『死にたい』なんて願いを口にしないよう、そのつまらない人生を薔薇色にしてみせましょう!」
「……へえ?」
彼がエリシアにしてくれたように。
無為で消費するだけの人生を変えてみせる。
その宣告にダンテはしばし目を丸くして、しばし経ってからくつくつと喉を震わせた。その笑い方は魔王としてやけに様になっていた。
「俺の望みは世界をぶっ壊すことか、死ぬこと。それ以外には何の興味もない。三百年もの間ずっと変わらない。そんな俺の根幹を、おまえごときが変えようっていうのかよ?」
「そうです! それが私の、人生を賭けるに値する目標だ!」
ようやく見つけた目標はひどくバカげたものだった。
それでも彼と笑い合う日々を守るためならば、すべてを捨てても惜しくはなかった。
この感情にどんな名前が付くのか、エリシアはまだ知らない。
「ふはっ……やっぱりおまえは面白い。いいだろう」
エリシアの思いが伝わったのか、ダンテがこちらに歩み寄ってくる。
一歩、一歩、距離が近付くにつれて息が詰まる威圧感が増していった。膝を折ってしまいそうになりながらもエリシアは懸命に彼と視線を合わせ続けた。
やがてダンテが目の前にやってきて、壮絶な笑みを浮かべて告げる。
「乗ってやろうじゃねえか、俺とおまえの根比べだ」
「では、ここからが本当の勝負ですね」
エリシアはまばたきひとつせず、右手を差し伸べる。
「よろしく、魔王」
「よろしくな、聖女様」
ダンテは迷うことなくその手を取った。
久方ぶりに握った彼の手は、たしかなぬくもりを有していた。
そこでふっと空気が変わった。どうもダンテが殺気を引っ込めてくれたらしい。それでエリシアはぷはっと大きく息を吐くことができた。しばしゆっくり深呼吸していると、ふと気付く。 星空がいつの間にか姿を消して、家々の向こうからまばゆい太陽が顔を出しはじめていた。
「うわっ……もう朝ですか」
「あー、けっこう長い間ドンパチやってたからな」
ダンテも大きく伸びをして、朝日に目を細める。
広場は惨憺たる状況だ。屋台がすべて残骸と化し、綺麗に敷かれていた石畳もほとんど割れてしまっている。それでもふたりの間に漂う空気は、どこか清々しいものだった。
ダンテは軽い調子で提案する。
「どうする、これから朝飯でも食いに行くか?」
「いい提案ですね、行きましょう」
そういえば昨夜は水を口にしただけだ。自覚すると急激に腹の虫が暴れ出した。
腹をさすっていると、エリシアは引っかかりを覚えてダンテを見やる。
「死にたいくせに食事は取るのですね。矛盾していませんか?」
「餓死できねえんだもん、俺。食わねえと無駄に不快なだけだし、なにかしら腹に入れるようにしてるんだ」
ダンテは軽い調子で言ってのけ、ふと気付いたとばかりにハッとする。
口元を押さえて、どこか遠い目をしてつぶやくことには――。
「ああでも……三食ちゃんと食うのは三百年ぶりだ。おまえが来てからだな」
「いい変化じゃないですか。その調子ですよ、うんうん」
「この程度でドヤってんじゃねえわ。まだまだ全然死にたいっつーの」
ダンテがエリシアの頭をぺしっと叩いてツッコミを入れてくる。
そんなふたりを見て、伏せのポーズのままでいたキャルが呆れたようにぼやいた。
「主も王も、なかなかの変わり者よなあ……」
続きは明日更新します。明日で書きためラスト。
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