露払いをいたします
薄暗い路地を進み、寝入った酔っぱらいたちをまたいで通り、好奇の視線を無視するうちに目的の場所にたどり着いた。
古びた洋館だ。見てくれは立派だが、庭は荒れ放題で窓ガラスは一枚残らず割れている。人の手が入らなくなって久しいらしい。
半開きとなった扉に手を掛け、エリシアは中に踏み込んだ。
「お邪魔します」
広い玄関ホールにエリシアの声が反響する。
中は埃っぽく、甲冑の置物には蜘蛛の巣が張っていた。
人が住んでいる形跡はない。それなのに、ホールの奥にたたずむ人影があった。
赤毛で鎧をまとった獣人の冒険者。顔なじみのヨシュアだ。
「ヨシュアさん……?」
呼びかけに返事はなかった。
ヨシュアは虚ろな瞳でエリシアを見据えたまま、腰の剣に手を掛ける。ゆっくりと抜き放った刀身は、明かり取りの窓から差し込む光によって、血のような輝きを湛えていた。
あきらかに様子がおかしい。エリシアはたじろぐしかない。
「ほう?」
訝しむような声がしたかと思えば、ヨシュアの後ろに続く廊下から男たちが現れる。
誰も彼もチンピラ然とした見た目であり、それらを率いるのは見覚えのある中年男。いつぞやギルドで話しかけてきたダニーという男だ。
男はエリシアを見るなり思いっきり顔をしかめた。それは怒りを通り越した歪な笑顔だ。
「まさかわざわざ来てくれるとは……手間が省けたぜ、お嬢ちゃん」
「はあ……」
男の怒気に反し、エリシアは生返事をしてしまう。
ピリピリした空気を肌で感じつつも、おずおずと問いかけた。
「あの、グランスタ王国の案件ではないのですか?」
「はあ? お嬢ちゃん、あの西の大国出身なのか?」
「まあ一応……」
エリシアはごにょごにょと言葉を濁す。
どうやら心配していた展開ではないらしい。
とはいえこれはこれで一大事に違いない。気を取り直し、再びキリッと正面の男を睨み付ける。
「何用ですか。ヨシュアさんに何をしたんですか」
「なあに、ちょっくら仕事を手伝ってもらおうかと思ってな。知り合いなんだろ?」
男が目を向けると、ヨシュアが剣を中段に構える。
肌が粟立つほどの殺気がエリシアに向けられる。
「おまえのせいで、俺はファミリーのいい笑いものだ。あのときの借りを返させてもらうぞ」
「逆恨みですか。そんなことのために無関係な人を巻き込むなんて恥ずかしくないんですか」
「勝てばいいんだよ、勝てばなあ!」
男が吼えると同時、ヨシュアが床を蹴った。
次の瞬間には大柄な体が目の前に迫っている。
(は、早い……!)
矢継ぎ早に繰り出される彼の剣には一切の無駄がなく、息つく間もなく襲いかかってくる。彼本来の実力なのか、操られているがゆえなのかは分からないが、凄まじいスピードだ。分厚い鎧をまとっていることを忘れさせるくらいには。
「《ファイヤーボール》!」
「《アイスランス》!」
「その調子だ! あの娘を討ち取ったものには褒美を取らせるぞ!」
おまけに取り巻きたちが追撃を加えてきた。前方からは斬撃が、四方からは魔法攻撃やナイフが飛んでくる。エリシアは身体強化魔法で逃げ回るのがやっとで、反撃の糸口が見つからない。これではじり貧である。
ひとりで来たのは間違いだった。
悔やんだところで、ヨシュアが横手から躍り出る。上段から繰り出される太刀筋を、エリシアは前転でかわした。そんな一瞬の攻防で、ヨシュアの首元でなにやら金に光るものが見えた。
(ふむ、首飾りですか。以前はしていませんでしたね)
見ればダニーとかいう中年男性の首にも金の鎖が下がっていた。その先にあるのは毒々しいまでの紅玉で、かすかな魔力が感じ取れる。
仕掛けはそこにあるのかもしれない。
ならばやるべきことは決まった。
方針を頭の中で組み立てながら、エリシアは周囲の様子を素早くうかがう。ちょうどいいものが三時の方角にあった。短く息を吐いてから、一息に走りきる。
手を翳し、力ある呪文を叫ぶ。
「汝に仮初めの命を与えん! 行ってください、ゴーレム!」
「ガアアアアアアア!」
蜘蛛の巣まみれの観賞用鎧が、雄叫びを上げて男たちへと突撃した。
「うわああああ!?」
いくつもの悲鳴が上がる。こうした反撃は予想していなかったらしく、取り巻きたちの連携が崩れる。これでヨシュアと一対一だ。
あとは簡単な仕上げだった。
剣を振りかぶったヨシュアの懐に《電光石火》で潜り込み、短剣の切っ先を素早く振るう。
「たあっ!」
一瞬の静寂。次の瞬間、ヨシュアのまとう鎧がバラバラになった。毒々しい深紅の首飾りも鎖が千切れて宙を舞う。それらが一斉に床へと落下して物々しい音を立てた。
ヨシュアは剣を掲げたままよろけ、そのままゆっくりと倒れ込んでくる。
「おっと」
間一髪で受け止めることができた。
ヨシュアの手から転がり落ちた剣が、どこかへと転がっていくのを視界の隅で捉える。
彼の体はかなり重かったが、なんとか踏ん張ってそっと床に寝かせた。そうしてふうと息を吐いて小声でつぶやく。
「ほら、使い道があるじゃないですか。《包丁捌き》」
鎧の継ぎ目を狙い、金具をすべて弾き飛ばして壊したのだ。日頃の修練の賜物である。
ひとまずヨシュアを救うことができたのだが、一段落とはいかなかった。
ガッシャアアアアン!
再び物々しい大音声。見れば差し向けたばかりの甲冑ゴーレムが四散していた。男たちの袋だたきに遭ったらしい。手下の背中に隠れながら、中年男が唾と一緒に怒声を飛ばす。
「舐めやがって……おまえら! やっちま――」
「《パラライズ》」
「「「ぎゃああああああ!?」」」
いつぞやと同じように雷魔法を用いて敵を一掃する。
ヨシュアを救い出したため、広範囲魔法を使っても巻き込む心配はなくなった。
男も手下たちも容赦なく紫電に撃ち抜かれてバタバタと倒れていく。最後に立っているのはエリシアだけだ。古びた洋館に、本来の静けさがようやく戻ってくる。
「ふう。これで終わりですね」
手のひらについた埃を払い、ようやく胸を撫で下ろす。
すこしビックリしたが、これくらいなら朝飯前だ。
「よし、ヨシュアさんを連れて行きましょう。ぐ、ぐう……重い……なにを食べたらこんなに育つんですか」
寝かせたヨシュアを担ごうとするが、なかなか持ち上がらなかった。細いががっしりした体つきなので、よほど鍛えて筋肉があるのだろう。
ケビンたちを呼んでこようか、なんて考えたそのときだった。
背後から猛烈な足音が迫り来る。
「死ねええええええ!」
「っ……!?」
ハッとして振り返った目の前で、あの中年男が剣を振り上げた。
それは先ほどヨシュアが取り落とした剣だ。たしかに倒したはずなのに……もはや魔法を使う余裕はない。《電光石火》で逃げればヨシュアが危ない。万事休すとはこのことだった。
切っ先が迫り体感時間が引き延ばされる。息ができない。走馬灯が駆け巡る。薄っぺらい人生だ。思い出されるのはほとんどが――。
(ダンテ……!)
あの変わり者の魔法使いの顔だった。
そしてついにその剣が人影を貫いた。
「がはっ……!」
「え」
エリシアは目をみはる。
突然眼前に飛び出してきた漆黒の外套から、剣の切っ先が飛び出していた。
そこからじわじわと血が滴って、布地をさらなる黒へと染め上げていく。
彼は――ダンテはゆっくりと振り返った。
「だから……気を付けろって言っただろうが……」
「ダンテ!?」
エリシアがその名を叫ぶと同時、ダンテは床にくずおれた。
慌てて彼を抱き起こす。きつく抱きしめたエリシアの手に、彼の鮮血がべったりと付着する。床にゆっくりと血だまりが広がって、彼の体から急速にぬくもりが消えていく。
それは紛れもなく、彼の命が失われつつあることを示していて――。
(そ、そんな、いや……どうして……!)
頭の中が真っ白になる。
そんななか、中年男は血に濡れた剣を手にしたまま、口角を引き攣らせるようにして笑う。
「ふ……ふはははは! いいざまだ! こんなこともあろうかと、雷よけの護符を用意しておいてよかった!」
調律の狂った笑い声が醜く響く。
男は壮絶な笑顔を浮かべてエリシアへと言い放った。
「次はおまえだ! 女! すぐに男と同じ場所へ送ってやる!」
「ダンテ! しっかりしてください! 今、ポーションを出して……!」
エリシアは男にかまうことなく、魔法薬を使おうとする。
しかしダンテがその手を掴んで押しとどめた。彼はわずかな血を吐いて、ぶっきら棒に言ってのける。
「……いらねえよ、そんなもん」
「で、でも、そうしないと、あなたがし、死んで……!」
「はっ、言っただろ」
ダンテは空虚に笑う。
「俺は死んでも死なねえ、ってよ」
「へ……」
エリシアは目を瞬かせる。こんなときに悪い冗談を言うなと叱ることはできなかった。
次の瞬間、目の前で信じられないことが起こったからだ。
「さあて……いったい誰が誰を殺すって?」
「なっ……!?」
ダンテがゆらりと立ち上がった。
中年男もエリシアも、あんぐりと口を開けたまま凍り付くしかない。
むせ返りそうになるほどの血の臭いを放ちながら、ダンテは平然とその場に立っている。中年男はよろよろと後ずさり、震えた声を絞り出す。
「どうして動けるんだ……!? たしかに今、心臓を突き刺したはずなのに!」
「そんなもの効くわけねえだろ。おまえ、俺のことを知らねえのか?」
「た、ただの変な魔法使いだろう! 周囲から厄介者扱いされているだけの!」
「おっと、下調べが足りねえなあ。そんなことじゃないかと思ったんだよ」
ダンテはヘラヘラと笑いながら、男をゆっくりと追い詰めていく。
その足取りは、獲物をいたぶって遊ぶ獣のそれだった。
「この俺に刃向かうやつなんて久々だ。だが……面白くはなかったな」
軽薄な笑みを取り払い、ダンテは低い声で続ける。
「こいつは、エリシアは俺の希望だ。それを傷付けるやつはすべて排除する」
「ひっ……! く、来るな、バケモノめ!」
「残念だが違う。バケモノじゃなくて……」
ついにダンテの手が男に届く。男の顔が絶望に染まる。
ダンテは静かに、力強く言い放った。
「俺は魔王だ」
「ぐぎゃあああああああ!?」
まばゆい稲妻が目の前に落ちた。
視界がすべて白く塗り潰され、チカチカとまぶたの裏で星が瞬く。やがて視力が戻ったあと、洋館の屋根はすっかり吹き飛んでしまっていた。ずいぶん風通しがよくなったものだ。空に浮かぶ満月が、エリシアたちを優しく照らす。
「あー……久々に死んだわ」
ダンテがつまらなさそうに男から手を離す。支えを失って、男はぐしゃりと転がった。その体には木の根のような火傷の跡がびっしりと刻まれている。
気怠げに首を鳴らしながら、彼はエリシアを振り返る。
「怪我はないか、エリシア」
「は、はい……」
「そりゃあいい。念入りに脅したことだし、こいつらは二度と俺たちに手出ししねえだろうよ」
ダンテはニカッと笑い、こちらへ右手を差し伸べる。
それは先ほどエリシアの走馬灯に浮かんだ彼の笑顔と、寸分違わないものだった。
いつもの調子で彼は言う。
「帰るぞ、エリシア」
「……」
エリシアはその、彼自身の血にまみれた手を取れなかった。
床に腰を落としたまま、かすれた声で問いかける。
「あなたはいったい……何者なんですか」
「はっ。だから魔王だって言ってるだろ?」
ダンテはゆっくりとエリシアに歩み寄ってくる。
静まり返ったホールに響く足音は、時を刻む秒針のようだった。
もうすぐ取り返しのつかない時間がやってくる。そんな予感に苛まれながらも、エリシアは瞬きすら忘れて怪物を凝視していた。
「最初から見てたぜ、さっきの戦い。あんなゴミスキルで窮地を切り抜けるなんて、やっぱりおまえは面白い」
ダンテが目の前に跪く。
そうして恭しくエリシアの手を取った。
「おまえなら、きっと世界樹の頂に手が届く。おまえなら、きっと俺の悲願を叶えてくれる」
まるで愛を囁くように。
まるで生涯を誓うように。
彼は熱い吐息をこぼし、どす黒い笑顔でこう願った。
「頼む、エリシア。早く俺を殺してくれ」
続きは明日更新します。
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