ダンジョン内で行商をします
次の日、エリシアは宣言したとおりダンジョンの一階にいた。
「よっ」
「ぷぎゅっ!?」
この前同様、礫を飛ばして青いスライムを一撃で仕留める。
弾けて飛び散った体液をスプーンで掬い、瓶に詰めてバッグにしまった。
ダンジョンに潜って小一時間ほどが経過していたが、ずっとスライムを狩っていたためこの一連の作業にもすっかり慣れてきた。
「ふう、ずいぶん集まりました。キャルちゃんはどこでしょうか」
キャルを探して森を行く。
場所はすぐに分かった。天地を揺るがすほど凄まじい獣の咆哮が轟いてきたからだ。
声のする方に向かうとやや開けた場所に出て、そこに巨大な獣と化したキャルがいた。その周囲を取り囲むのは数多くのスライムたち。中にはエリシアの背丈ほどの大きさの個体もいて、彼らが同時に粘液を撃ち出す。
「ぴぎっ」
「ふんっ、効かんな」
キャルは平然としてそれを受け止めたが、飛沫がかかった周囲の草木が瞬く間に腐り落ちていく。どうやら強力な溶解液らしい。
キャルは敵たちを見回して天高く吼える。
「目障りだ! 《ウィンドブレイク》!」
「「「ぴぎゅぎゅ!?」」」
その瞬間、キャルを中心として猛烈な烈風が発生し、スライムたちを容赦なく切り刻んだ。あとには粘液だけが残される。勝負が付いたあと、エリシアはパチパチと拍手を送った。
「すごいです。すべて同時に仕留めるなんてやりますね」
「この程度の雑魚なら造作もない」
キャルは事もなげに鼻を鳴らす。
「上に行くほど魔物も強くなる。我が住み処としていた四十四階層の者たちはもっと歯ごたえがあったぞ。まあ、我ほどではないがな」
「……ひょっとしてキャルちゃん、私よりも強いんですか?」
「だろうな」
あっさりと認めたキャルに、エリシアは小首をかしげる。
「どうして私と主従契約を交わしてくれたんです?」
「簡単だ。主について行くのが面白そうだと思ったまで」
キャルはそう言ってエリシアに顔を寄せてくる。真正面からじっと見つめて、ニヤリと笑う。
「それに、主は間違いなく我より強くなる。それを見守るのも一興だからな」
「ご期待に添えるよう頑張ります」
「カカカ、頼むぞ。そうでなければ頭から喰ってしまうからな」
キャルは冗談めかして笑う。怖いことを言いつつも、ずっと喉はゴロゴロと鳴っていた。
そんなキャルを撫でていると、背後で足音が聞こえた。
「あっ、誰かと思えばきみか……」
「おや」
振り返ってみれば、先日助けた冒険者パーティが雁首を揃えていた。
なかにはあの鎧姿の赤毛の亜人もいる。エリシアがトウテツから助けた人物だ。「みなさんお揃いで。もうお怪我はいいのですか」
「ああ、ピンピンしているよ」
剣士が顔を綻ばせ、エリシアに頭を下げる。
「きみのおかげで冒険が続けられる。本当にありがとう」
「ありがとうございます! 助かりました!」
「い、いえ、当然のことをしたまでですから」
他のメンバーも口々に礼を言ってくるものだから、エリシアは戸惑ってしまう。
そんななか、あの赤毛の獣人が重々しく口を開く。
「きみが、俺を助けてくれた人か……」
「はい。こうして言葉を交わすのは初めてですね」
最初に会ったときは気絶していたので、こにきてようやく彼の上背がずいぶん高いことに気付いた。頭に生えた犬耳は立派なもので、顔つきも爽やかでなかなかのハンサムだ。
彼はエリシアを見つめたあと、そっとキャルへと目を向ける。そのまま信じられないものでも見たように瞠目した。
「本当にキャスパリーグを連れているんだな。こいつらの冗談かと思っていたんだが」
「大丈夫ですよ、もう人を襲わないように言い聞かせていますから」
「くはは、どうだかな」
フォローするエリシアだが、キャルは目を細めて獰猛に笑う。
「主らが望むのなら、また遊んでやってもよいのだぞ?」
「っ……!?」
赤毛の獣人がハッとして腰の剣に手を伸ばす。
しかしエリシアは慌てず騒がず、キャルの鼻先をぺしっと軽く叩いてみせた。
「キャルちゃん、めっですよ。怖がらせてはいけません」
「むう、ちょっとした冗談ではないか」
キャルは尻尾を股に挟んでしゅんっとする。大きな姿でも、エリシアから言わせてみればキャルはキャルである。
そのやり取りに、赤毛の彼が呆気にとられたようにため息をこぼす。
「嘘だろう……キャスパリーグが人間の言うことを聞くなんて」
「な、すごい子だろ?」
剣士たちがきゃっきゃとはしゃぐ。
どうやらここしばらくエリシアの話題で持ちきりだったらしい。
赤毛の獣人はごほんと咳払いをしてエリシアに向き直る。
「ともかく、きみのおかげで助かった。俺はヨシュアっていうんだ。ぜひとも礼をさせてくれ」
「エリシアと申します。礼など必要は……あ、待ってください」
丁重に断ろうとするのだが、ハッとして思い出す。
いそいそとアイテムバッグから取り出すのは透明な液体が詰まった小瓶である。
ダンテの店から預かってきたポーションだ。
「よかったらこちら、いかがですか?」
「ポーションか?」
「ええ。行商人の真似事をしてみようかと思いまして。このまえ皆さんが使ったのと同じ物です」
「どれどれ、見せてくれないか」
ヨシュアに小瓶を手渡せば、彼は頭上にかかげてみせる。
ダンジョンの空にも太陽らしきものが浮かんでいて、地上へ陽光を投げかけている。その光に液体をかざし、彼は唸った。
「これは……かなり上質なポーションだな」
「そうなんですか?」
「ああ。ここまで透明度の高いものは見たことがない。もっと濁りが出るものだ」
ヨシュアは笑顔でうなずく。
「せっかくだし買わせてもらうよ。いくらだ?」
「えっと、銀貨五枚です」
本当は銀貨三枚の品だが、少しだけ上乗せしてみた。
初めての商談にドキドキするエリシアだったが、ヨシュアはあっさりと払ってくれた。瓶を懐に入れて彼は爽やかに笑う。
「これだけ上等なものなら妥当な値段だ。きみが作ったのかい?」
「いいえ。別の人です」
エリシアはかぶりを振って、その名を口にする。
「ダンテというのですが、ご存じですか?」
「っ……!?」
その途端、彼らの間に動揺が走った。
まるで目の前に恐ろしい魔物でも現れ出でたかのように、彼らは顔を強張らせて口をつぐむ。
場に、緊張の糸が張り巡らされる。それは少しの拍子にぷつんと切れて取り返しが付かなくなるような、非常に危ういものだとエリシアは肌で感じた。
ヨシュアがごくりと喉を鳴らして、おずおずと口を開いた。
「きみ、まさか魔王と知り合いなのか」
「知り合いというか、居候している身です。同盟関係です」
「……そうか」
彼はそれ以上なにも言わなかった。他のメンバーも同様だ。
エリシアは目を瞬かせるしかない。
やがてヨシュアが重い息を吐いて、笑顔を浮かべてみせる。
「ありがとう。魔王のポーション、大事に使うよ」
「ええ、どうぞ。よろしければお店の方にも寄ってください」
「あ、あはは。機会があったら。最後にその……ひとつだけいいかな」
「何でしょうか」
エリシアが促すと、彼はすこしだけ言いよどむ。
それでも勇気を振り絞るようにして、こう告げた。
「悪いことは言わない。あの男とは早めに手を切った方がいい」
「はあ」
エリシアは生返事をするだけだった。それでも、一応ぺこりと頭を下げておく。
「ご忠告ありがとうございます。考えておきます」
「うん、それがいい。それじゃ、また」
ヨシュアならびにパーティたちは足早に去って行った。
彼らの姿はあっという間に茂みの向こうへ消えて、あとにはぽかんとしたエリシアが残される。
「なんだか本気で心配されてしまいましたね」
その先は逃げ場のない崖だと言うかのように。
彼らがエリシアに向けたのは心の底からの苦慮だった。
「あの男、よほどの曲者のようだな」
キャルはどうでもよさそうに相槌を打った。
その後もエリシアとキャルは一階でスライム狩りに勤しんだ。道中、いくつものパーティと出くわして、軽く商談を持ちかけてみたのだが――。
一時間後、エリシアは切り株に腰掛けて肩を落としていた。
「あれから一本も売れません……」
「仕方あるまい。この階層の魔物は弱いからな」
キャルはふわーと欠伸をする。
「人間どももそこまで危機に陥らんのだろう。現にみなピンピンしていたではないか」
「たしかに。ポーションをわざわざ買い求める必要はありませんね」
「どうだ、主。主が許可を出してくれれば、適当な冒険者を襲って、怪我人を量産してきてやるが」
「そういう犯罪めいた売り方はよくありません」
邪悪な笑みを浮かべるキャルに釘を刺し、エリシアはふむと考え込む。
(そもそも出くわした冒険者に声を掛け続けるなんて、効率が悪すぎるんですよね……もっと他のやり方を考えるべきでしょうか)
一階にお客さんはいないらしい。
となると、先に進むしかないだろう。
「ひとまず二階を目指してみますか」
「うむ、主の御心のままに」
こうして方針が決まり、エリシアはキャルを伴って奥へと進んだ。
一階はほとんど一本道だと聞いていた。
冒険者が数多く行き来するため、自然と道ができたらしい。
トウテツを倒した花畑を抜け、どんどん薄暗くなる森を突き進む。そうして歩くうち、断崖絶壁の真下に出た。崖ははるか雲の上まで伸びていて、左右にどこまでも続いている。なんだか現実感の薄い光景だった。
崖には洞窟がぽっかりと穴を開けていた。
そしてその前にはひとりの人物が立っている。
「メイドさん……?」
「いらっしゃいませ、冒険者様」
どこからどう見ても、若い女性のメイドだった。
頭にはレースの飾りをいただき、身にまとうのは簡素なエプロンドレス。
一度も太陽の下を歩いたことがないような、透けるように白い肌。
短く切りそろえた髪と冷淡な目は鮮やかな空色。
年の頃はエリシアに近いような、もっと年上のような、そんな不思議な見た目だ。
感情らしい感情が抜け落ちた平板な声で、彼女は礼儀正しくお辞儀をした。
「私は自律式魔道人形一号。一階の番人でございます」
応援していただけるのであれば、お気に入り登録や評価をよろしくお願いいたします!
皆さんの応援がさめの栄養になります!




