人助けに向かいます
世界樹の洞は真っ暗な空間だった。だがしかし臆することなくまっすぐ前だけを目指して足を進めると、すぐに視界が開ける。
「ここが……ダンジョン?」
エリシアは思わず足を止めてあたりを見回す。
鬱蒼とした緑が広がる密林だった。背の高い木々が息が詰まるほどに密集しており、大きく枝葉を伸ばして地面に暗い影を落としている。しかしその葉の隙間から見えるのは、突き抜けるような青空だった。
「ふむ、ダンテの言っていた通りですね」
世界樹の内部は莫大な魔力が渦巻き、異空間を形成しているらしい。
とはいえ鼻腔を突き刺す青臭さだとか、肌にまとわりつくような湿気だとか、茂みを揺らす大小さまざまな気配だとか……五感で感じる、これらすべてが現実のものだ。
先ほどまでいた街とは別世界。
危険が待ち構える魔窟がそこに広がっていた。
(油断は命取りになる。気を付けねばなりませんね)
籠もった熱気に顔がほてり、エリシアは額の汗をぬぐいながらごくりと喉を鳴らした。
そんな折、すぐ近くの茂みからボール大のなにかが飛び出してくる。
「きしゃー!」
「ほう、さっそくお出ましですね」
エリシアは慌てず騒がず敵を観察する。
目の前に現れたのは粘菌のような生き物だった。薄黄色のボディは向こうの景色が透けて見え、体内の中心部にはビー玉のようなものが浮かんでいる。
いわゆるスライムと呼ばれる魔物だ。スライムは弾むように地面を転がり、エリシアめがけて突っ込んでくる。しかしエリシアが小石を拾う方が早かった。
「とりゃ!」
「ぴぎゃっ!?」
エリシアが《投擲》スキルを用いて撃ち出した礫が、スライムの核を撃ち抜いた。ぱしゃっと水が弾けるような音を残し、スライムは四散してあたりの木々にべとりと張り付く。
エリシアはしげしげとそれを観察する。
粘液が動く気配はない。どうやら無事に倒せたらしい。
「ふう。ダンテの家にあった初級編のモンスター図鑑を読み込んでおいてよかったです。核が弱点というのは本当だったんですね」
図鑑によると、スライムの体液もギルドに買い取ってもらえるらしい。価格は安いが塵も積もれば山となろう。とはいえ、今回は急ぐことだし見送るしかない。
エリシアは握った拳を見下ろして、小さくうなずく。
「先を急ぎましょうか」
剣士らの話では一階の奥で仲間とはぐれたという。
おおまかな場所も聞いていた。木々の密度が増す方角を目指して進む。
道中何度か色違いのスライムたちが現れたが、礫で難なく撃退できた。エリシアが通ってきた道を示すように、粘液の落書きがいくつも刻まれた。道行きは順調かと思われた。
しかし――。
「グルルルルルアアアアア!!」
「っ……!」
木々が左右から迫り、藪漕ぎするように進んでいたそんな折、すぐ前方で獣の咆哮が轟いた。
激情に駆られたようなその鳴き声は、これまで出会ってきたスライムたちのものとは一線を画するものだった。
エリシアは息を呑み、音を立てないよう慎重に進んだ。
やがてたどり着いたのは開けた花畑だった。色とりどりの花々が咲き乱れ、鮮やかな蝶が舞う。密林のなかに秘められた楽園のような場所だ。
「ガウッ……ガワァアアアアオ!」
そのただ中に巨大な獣がいた。
四つ足の獣で、形状は昔絵本で見た虎という生き物に近い。
白銀の毛並みを持ち、尾には青白い炎が揺れている。深紅の瞳は血に飢えており、獣は花畑に転がる何かに鋭い爪を振るい続けていた。
(なんでしょう、あの魔物。ビリビリきます)
モンスター図鑑には載っていなかった。仮に妖虎としておこう。
エリシアは息を潜めたまま、妖虎の足下に目をこらす。
「あそこにいったい何が……っ!」
そこには鎧をまとった赤毛の人影が倒れていた。
エリシアは血の気が引くが、すぐにハッとする。
鎧の人物は光の壁のようなものに覆われていて、その光の壁が妖虎の爪を弾いていたのだ。よく見ると赤毛の人物はかすかに息をしているようで、鎧の胸当てがわずかに上下する。
足下に大きな石があるし、妖虎との交戦中に転んでしまい、頭を打って気絶してしまったのかもしれない。
「そういえばヨシュアさんは結界魔法を使えるとか……ですが、あれもいつまで持つか分かりませんね」
魔力が尽きてしまえば結界魔法の効力も切れるだろう。
そしてそれはすなわち彼の死を意味する。
エリシアはごくりと喉を鳴らす。
スライムは楽勝だった。だがしかし、あの妖虎を軽々と倒せるビジョンがまるで見えなかった。あのしなやかな肉体は瞬く間に距離を詰め、エリシアの首を掻き切ることだろう。何の対策も立てずに向かえば赤毛の彼と共倒れだ。
「よし、何かスキルを会得しましょう。獣に効果的なスキルがきっとあるはずです」
慎重には慎重を重ねるべきだ。そう思い、エリシアは虚空に呼びかける。
「スキルを取得します。候補を出してください」
いつものように、目の前に文字が浮かび上がる。神託だ。
だがしかし、その内容はいつもと違うものだった。
『現在スキルを取得できません』
「……おや?」
エリシアは小首をかしげる。
見たことのないメッセージだった。続いてまた新たな文字が浮かび上がる。
『スキル取得のためのスキルポイントが不足しています』
「なんですかそれ……初耳なんですけど」
『聞かれておりませんので』
会話が成立してしまった。
戸惑うエリシアに、神託は淡々と続ける。
『スキルを会得するのにはスキルポイントが必要です。スキルポイントは経験を積むことで蓄積されます。エリシア様は先日多くのスキルを取得しましたので、ポイントが不足しています』
「つまり……今持っているスキルで対処するしかないと?」
今度は返答がなかった。スキルに関すること以外はノータッチらしい。
エリシアは必死に考えを巡らせながら続ける。
「私が所持するスキルを表示することはできますか?」
『こちらになります』
《仙才鬼才》。
火魔法レベル一。
雷魔法レベル一。
身体強化レベル一。
電光石火
聞き耳。
投擲。
発酵。
「こ、これでどうにかなるのでしょうか……?」
冷たい汗が背中を流れ落ちた、そのとき。
パキッ。
「ッ……ガウ!」
「まず……!?」
小枝を踏んでしまい、妖虎の血塗られた双眸がしかとエリシアを睨め付けた。
本日あと二回更新予定です。
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