牽制と威嚇
「え?」
アードルフの話がつい聞こえてしまったのだが、びっくりしてつい小さく驚きの声が口から出てしまった。
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入学して三か月程、学院での生活にも慣れてきたシャーロットは次の授業に向かうために一人廊下を歩いていた。領地経営における内政官と諜報官の重要性についての授業の出席者は元々はシャーロットとアードルフを含めて五人ほどしかいなかったのだが、最近急激に人が増えてしまって少し早めにいかなくては前の席に座ることが出来なくなってしまったのだ。
急ぎ足で廊下を歩いていくと、教室の少し先にある踊り場にアードルフの背中が見えた。
週の半分は朝アードルフとウェイバーが迎えに来て一緒に登校し、帰りも同じように一緒に帰る。
さらにアードルフとは選択授業も同じものが多いので一緒にいることが多かったのだが、今日は珍しく別行動が多かった。
会わないなら会わないなりに何となく寂しさは感じていたシャーロットは、アードルフを見つけてつい話しかけたくなり近づいたが、プラチナブロンドの髪を腰まで伸ばし、キラキラと輝く瞳の女性と話をしているのが見えて声をかけるのを躊躇した。
「私には、ずっと長い間想いを寄せている方がおりますので」
「そんな……」
「大変光栄ではありますが、貴方の想いにお答えすることはできません」
「でも、お付き合いされているわけではないのでしょう?」
「だから? それはあなたには関係ないことです」
アードルフは特にこれ以上の事を話すことはないと、あまり見たことのないような冷えた笑顔を見せ、その女性から離れ教室に向かって行く。
シャーロットは、つい聞こえてしまったアードルフの話に「え?」と、びっくりしてつい小さくもそんな言葉が口から出たことに自分でさらに驚き、手に持っていた教科書を落としてしまった。
その音に気が付いて、アードルフが辺りを見渡しシャーロットを見つけた。
シャーロットの何とも言えない表情から先ほどの場面を見られたと察したのか、存外バツの悪そうな顔をしながら近づいてくる。
アードルフに想い人がいたなどと、聞いたことがなかった。
この三か月程、大体一緒にいたというのにそんな浮いた話はなかった。
入学してすぐ、持ってきてくれた肌色が多めの絵葉書などを一緒に見ていた時もそんな話は出なかった。
「あ、シャーロット。もしかして今の聞いてた?」
「あぁ、すまない。聞くつもりはなかったのだが……。随分とモテるな。しかしクラーク殿に、その、想いを寄せている女性がいたとは知らなかったぞ」
「この年になれば一人や二人、想い人がいたっておかしくないでしょ」
「長らく想いを寄せている、と言っていたではないか」
あまり一緒にいることを見たことがない女性には、想いを寄せている人物がいることを伝えたというのに、ウェイバーの次ぐらいには仲が良いと思っていた自分には、そう言った話を少しもしてくれなかったことがシャーロットの心をチクリと刺す。
「お前に言っても、しょうがないよ」
「なんでだ。クラーク殿の方が知り合いは多いかもしれんが、私でも力になれることがあるかもしれんだろう」
友人の力になりたいという単純な理由からの申し出だが、アードルフにしてみれば貴方が想い人なのだ。と言ってしまいそうになるのを今はまだ堪える。
もう少し打ち解けてから、伝えたい。
「だから、お前がこの件で俺の力になれることはないよ」
「やってみなければわからないだろう」
「頑なだね」
「悔しかったのだ。先ほどクラーク殿に告白した女生徒には想い人がいると言っていたのに、友人である私にはそんな話をしたことなど今までなかった。知ったからには力になりたいと思うのは普通の事だろう」
「あ……。そう言うこと。少しは妬いてくれたんだ」
「当たり前だ、ウェイバーの次ぐらいには仲がいいと思っていたのだからな……」
今はそう言った対象ではないのだとしても、妬いてくれたという事実にアードルフはじわりと嬉しくなってしまって……。
「真面目な話をしているのに、なんでそんなに嬉しそうな顔をしているのだ」
「シャーロットが……可愛いこと言うからさ」
己があまりにも簡単で、単純で。
つい表情が緩んでしまっていたようだ。
心も少し緩んでついつい思っていたことが口をついた。
「……何度も聞くが、本当にクラーク殿は視力が本当に良いのか?」
「はは、俺も何度も言うけれど視力めちゃくちゃいいからね。さ、この話は終わり。授業始まっちゃうからもう行こう」
「仕方ないな。この話はまた今度必ず」
そう言い合いながら教室に入ると、すでに生徒が所狭しと座っていたのだが珍しく座らずに見学するように教室の後ろに沢山の生徒が陣取っていた。
この担当する教師 ホロウが珍しくすでに教室に入っており、シャーロットとアードルフを見つけると何故かほっとしたような顔をして近づいてきた。
「シャーロット君……。どうして今日は早く来てくれなかったんですか」
「すみません。ちょっと色々ありまして。ホロウ先生、何かあったのですか?」
領地経営における内政官と諜報官の重要性についての授業の教師であるホロウは、教室の一番前に座っている整った顔に仕立てのいい服を着ている青年をちらりと見てから、シャーロットとアードルフのさらに近くに寄って小さな声で話しだす。
「ほら、あの方……」
「この授業では見かけたことはありませんね」
「この授業で見かけたことはないけど……。シャーロットはあの方の事知らないの?」
「いや、何かの式典で遠目からお見かけした事はあるな」
「知ってるんじゃん……」
座っている人物名は、ジェード。
この国の第二王子その人であった。
「本当は他国に留学する予定だったんだけれど、留学先の都合で延期になっちゃったんだって。それまではうちの学院に通うことになったんだけれど……」
少し前に学長からそう言った理由でジェードがこの学院に通うことを知らされていたので知っていたのだが、どこからかその情報と共に選択する授業も漏れてしまったようだ。
ホロウとしては、シリウスの君と呼ばれるアードルフがこの授業を選択していることもあって、思っていたよりも生徒が増えたがそれは想定内。しかしさらにジェードがこの授業を選択したことでさらに人が増え、今日にいたっては……ご本人登場により満員御礼状態である。
「ジェード王子がいたからと言って特に何か変わることなどありませんよ。先生」
「いや、ちょっと私緊張してしまって……」
「最近は知らない生徒も結構いたけど、堂々と授業してたじゃない」
「それとこれとは違います! 事前に知らされていたので心づもりはしていたはずなんですがやはり緊張ししてしまいます」
菫色の瞳に涙を浮かべて震えているホロウの手を優しく取って、シャーロットは微笑む。
「先生。いつも通りされていれば大丈夫です。私は先生の授業がとても好きです。わかりやすく、情熱を持って教えてくださいます。自信を持ってください」
「シャーロット君……。やっぱり最高級の男前ね」
「シャーロットは男前だし、可愛くて美人で最高なんです。先生今さら何言ってんの」
「いや、クラーク君が何を言ってんの、よ」
ふふふ、とホロウが肩の力が抜けたように笑うと、本鈴が鳴り響いた。
「二人ともありがとうね。緊張が解けたわ。今日の授業も熱く語りますよ! ご清聴ください。はい、みなさん授業を始めます。席についてくださいね」
小さな体で大きな声を出しながらホロウが教壇に立ち、授業が始まる。
今日の授業は家臣の重要性についてと忠誠度について。
自分が今後家を去ることになった場合、弟のハリーに忠誠を誓う家臣が誰かを考えながら授業を受けていると瞬く間に終了してしまった。
授業が終わると、ホロウは数人の生徒に質問を受けながら教室を出ていき、シャーロットは今日の授業のまとめとしてノートに考えたことなどメモしていた。
アードルフはそれが終わるまで、いつも集中して周りの声が聞こえなくなっているシャーロットの隣で静かに待っているのだが、今日は様相が違う。
「君がシリウスの君 アードルフ・クラーク君かな。そちらの銀色の髪……ポラリスのシャーロット嬢か」
「ジェード王子。彼女は今復習中なのです。声をかけるならまた別の機会にされてはいかがでしょうか?」
気さくに声を掛けられてびっくりしたが、シャーロットに近づく男がいることは容認できず相手が王子だと思っても牽制してしまう。
「そう言うな。この授業を受ければシリウスとポラリスに会えると聞いて楽しみにしていたのだ。それにしてもポラリスの髪は見事な銀髪だな」
そう言ってシャーロットに手を伸ばそうとしたジェードの手を、アードルフは押し返すように退けた。
「当たり前のように二つ名で呼ばないでいただきたい。あと、勝手にシャーロットに触るな」
威嚇。
先ほど牽制したが足りなかったようだ。相手が誰であろうと怯みはしない。
「はは。巷で有名なシリウスの君は、ポラリスの騎士にご執心かな?」
「だったら、何? シャーロットに手を出すつもりなら容赦しないけど」
「……、合格」
「は??」
何の話をしているのかアードルフが困惑していると、ジェードが笑いながら肩を叩いてきた。
「別に冷やかしてるつもりはないんだ。この学院で言い寄ってくるやつらはみんな愛想笑いで辟易してたんだよ。君みたいに俺が何者であっても言いたいことを言ってくれる人と友達になれれば嬉しい」
「は??」
「そうそう、友達なのだから敬語は不要だぞ」
楽しそうに笑いながらバンバンと無遠慮に肩を叩いて、それでシャーロット嬢とはどんな関係なの?とさらに無遠慮にジェードが聞いてきた。
「友達だよ。今はまだ」
「ほぅ。友達なのにあの牽制?」
「いいだろ、別に」
その時、ぱたりとノートを閉じる音が聞こえた。
はっとしてアードルフが前を向くと、シャーロットが驚愕に満ちた顔をしている。
「私が復習しているわずかな時間に、クラーク殿はジェード王子とも仲良くなってしまったのか?」
「シャーロット嬢、王子である私がここにいることよりも先にアードルフを気にかけるのだな」
「気に障ったなら申し訳ありません。しかし私はそちらの方が気になったので……。しかも名前を呼び合うほどにか?」
物怖じしないシャーロットの物言いに、ジェードは満足げな笑みを浮かべた。
「よかったな。アードルフ」
「……」
「……皆、クラーク殿の事を名前で呼ぶのか。私も名前で呼んでもいいか?」
「……」
「私は、やはり駄目か……」
「駄目じゃない」
「君達、面白いな」
アードルフとシャーロット。二人共ジェードにとってかなり好感触な人物であった。
都合で留学できなかった時は、がっかりを通り越してやる気も起らなかったが、今日二人に会えたことで思っていたよりもずっと楽しく学院生活が送れそうだと思うとともに、この二人の観察が癖になりそうだなと一人心の中でにやけてしまうジェードであった。