東屋のひととき
入学式翌日の今日の授業はない。午前中のオリエンテーションだけで解散である。
シャーロットは昨日約束した通り弁当を持参し、今は学院中庭にある東屋でアリスと二人、アードルフとウェイバーを待っていた。全員同じクラスになったが、アードルフが大勢の女生徒に声を掛けられ抜けられそうもなかった様子だったので、二人で先に待ち合わせが場所に来たのだ。
ウェイバーはアードルフと一緒にいたためにその輪から出れなくなって、涙を浮かべながらアリスを見ていたのだがあの女生徒の中に入り助け出すのは、さすがのシャーロットでも躊躇われ、『すまない。先に行くぞ』という気持ちを込めて頷いた後、結局置いてきてしまったのだ。
「ウェイバーに伝わっていればいいのだが……」
「どうかしら。あんなにあたふたしているようじゃお姉様の優しさに気が付く余裕もなかったのではないかしら」
「こらアリス。何をそんなに怒っているのだ」
「ウェイバーがちゃんと来なかったからと言って怒っているわけではありません」
そう言いながらアリスが口を尖らせてそっぽを向く。そうか、ウェイバーがいないからなのだなとは怒られそうで口には出せなかったが、普段あれほど何でもないなどと言っておきながら実際他の人にとられては嫌な気持ちなのだろうという事がこの態度で見て取れる。
自分の気持ちにははっきり気が付いていないのだろうが、この調子ならばそろそろ恋仲になれるのではないかとシャーロットは一人大きく頷く。
「そうだ、金の林檎亭をアリスは知っているか?」
「もちろんです! 南大陸のアルタジアで人気のお店ですよね」
「あぁ、実にすばらしい店だった」
昨日食べたメニューの話と、偶然アルタジアの第三王子のラウル王子とアイオライト妃に偶然出会った事をアリスに話をすると、話を聞いてはいるのだが時折不思議そうな顔をされ、話を最後まで聞いた後に問われた。
「お姉様、昨日はアードルフ・クラークとご一緒でしたの?」
「そうだが? 何か変だったか?」
「変と言うわけではありません。昨日は倒れてしまったアードルフ・クラークの代理で新入生代表の挨拶をされた後、その後の諸々の対応したのでしたよね……」
「あぁ、気になったので終わった後に保健室でクラーク殿が起きるまで待っていたのだ。もし体調が悪いようなら送っていこうと思ってな」
それを聞いたアリスは、その続きをせがむように「それから?」と促す。
「あぁ。アードルフ殿が起きてから少し話をしたのだが随分と回復していてな。昼も過ぎていてお互い腹の虫が鳴りだしたので食事でもと誘われて……。良い店があると連れて行ってもらったのが金の林檎亭だったのだ。実に居心地の良い、それでいて食事の美味しい店だったぞ」
「腹の虫……、少し色気は足りませんがお二人で、ですよね?」
「そうだな」
二人で一緒に食事をしたのだと告げると、アリスが小さく「やるわね……」と呟いているのだけが聞こえたが、その後は一人で黙って考え込んでしまった。
仕方なくシャーロットは、まだ全員揃ってはいないが食事が出来るようにとテーブルの上にテーブルクロスをかけて、静かに読みかけの本を手に取り読み始める。
昨日食事をした金の林檎亭が気に入り、昨日の夜に家の本棚を探してようやく見つけたアルタジア王国の本だ。
内容は少し古いが簡単な国の紹介のような、少し詳しいガイドブックのような本である。
魔法の存在と大きな大陸。
温泉地や、大きな城。歴史ある国々。
行ったことのないシャーロットの知識欲を刺激するには充分だった。
アルタジアのある大陸には魔法が存在することは、他国でも周知の事実なのだが、シャーロットの住んでいる大陸には魔法を扱える人間はいない。本当に魔法が使えるならば、一体どんな風に使うのだろうか。簡単に見せてもらえるとは思えないが、次回アイオライトに会えた時に見せてもらえたら嬉しいな、などと思いを馳せながらページを捲る。
「……さま、シャーロット様」
本はそこまで進んでいないので、そこまで時間が経っているわけではないと思うのだがウェイバーに声を掛けられてようやく顔を上げた。
「あ、クラーク殿にウェイバーも来ていたか。すまない。待たせてしまったか」
「全然、むしろ俺達が待たせちゃったんだけどね」
「アードルフ君の囲まれ具合が凄すぎたよ……。流れ弾に当たるように自分よりも小さな女性に体当たりされ続けるのは結構しんどかったよ……」
そう言いながらかなりぐったりした様子のウェイバーが、まだ何かを考えて一人の世界に入っているアリスの隣に腰をかける。
「昨日話が出来なかったし、今日は午前中だけだったから余計に人が集まったみたいで……」
疲れ果てた顔でアードルフはシャーロットの隣にしれっと座ると、目の前にあるピクニックバスケットに目をやる。
「本当にお弁当作ってくれたんだ……」
「約束を違えることはない。だが、昨日金の林檎亭であんなに美味な食事をいただいたというのに、私の家庭料理など口に合うか、それが心配だな」
「あれはあれ、これはこれ。いただいてもいい?」
にこやかにバスケットに目を向けて、アードルフが早く早くと目で訴えかけてくる。
「え? アードルフ君とシャーロット様、金の林檎亭に行ったの?」
「昨日な、先ほどアリスにも話をしたのだが大変美味でな。店主のアイオライト妃と、ラウル殿下とも光栄なことに話をすることが出来たのだ。貴重な体験だった」
「えぁ、それ凄い羨ましいですね。それに予約もなしに金の林檎亭ですぐに食事が出来たことにびっくりです」
最近出来たばかりで、ウェイバーによるとやはり人気があるのかなかなか店に入ることも出来ない日があるようだ。昨日がたまたまうまく入れたのは本当に幸運だったのだ。
「予約も出来るみたいなんですけれど、もう随分先まで予約がいっぱいらしいですよ?」
お店は週に一度お休みがあり、さらにその休みの前は午後から半休なのでさらに予約が取りにくいようなことをウェイバーが嘆きながら話をしてくれた。
「お前、随分と詳しいな」
「アリスを誘って行ってみたかったから、色々調べたんだよ」
「そうだったのか。ウェイバーは本当にアリスの事が好きだな……。こんな妹だが……」
ちらりとシャーロットが前を向くと、意識が戻って来たのかようやくアリスが顔を上げた。
「僕、全部コミコミでアリスの事大好きなんで」
「今後とも本当によろしく頼む」
「なんの挨拶なんだよ……」
顔を上げたアリスが立ち上がり、とりあえず全員揃っていることを確認するように、それぞれの顔をしっかり見てからアードルフにだけ「よくやったわ」と一声かけてから何事もなかったかのようにまた座った。
「アリス、何がしたかったんだ?」
「お姉様が気になさることではありません。ただ二人で食事に行ってお姉様を満足させることが出来たという点を褒めて差し上げたかったのです」
「なんで上から目線なんだよ」
アリスの謎の行動は今に始まった事ではないので、シャーロットも特に気にすることなくバスケットを開け始めた。
「そろそろ腹もすいてきただろう。話題の金の林檎亭には遠く及ばないだろうが、心を込めて作ったのだ。口に合えば嬉しい」
「さっきも言ったけれど、俺はこれが食べたかったんだから比べたって意味がないよ」
「クラーク殿は本当に世辞がうまいな」
「お世辞なんかじゃないのにね」
ふふふ、と嬉しそうにシャーロットが笑うものだから釣られてアリスとウェイバーも微笑んでしまう。一人アードルフだけは薄っすら頬を染めて、そっぽを向いてしまった。
「そうか。世辞ではないと言うならそれはそれで嬉しいものだ」
そう言いながらいそいそと広げられた中身は、手軽に食べることが出来るサンドイッチのように見えるが、サンドされている中身は野菜と鶏ハムが挟まったボリューム満点のものだった。量が多いのでアリスには半分に切ったものを手渡している。
「君達二人はこちらを」
プチトマトと鶏の揚げたものを一緒に皿に乗せてサンドイッチと一緒に渡される。
「この揚げた肉旨いな」
「本当だ」
「これはですね、お姉様のアイディアで生まれた唐揚げと言う料理なのです。色々な下味をつけることが出来て、沢山の味が楽しめるのですよ」
何故かアリスが誇らしげにその唐揚げを紹介している。
アードルフもウェイバーも、唐揚げという新しい食べ物と一見軽そうに見えるサンドイッチに無言でかぶりつき、お代わりもしたというのにあっという間に食べ終えてしまった。
「これは旨いな……。サンドイッチもうまいけど、鳥を揚げただけなのにこんなに旨くなるなんて知らなかった。サンドイッチに挟まってるハムもボリュームあるのに全然しつこくない」
「光栄だな。裁縫も料理もあまり披露する機会がなかった。褒められるとまた作りたくなってしまうな」
「いや、本当に美味しい」
まんざらでもない顔でシャーロットが照れていると、アードルフはここは逃さないとばかりに次のおねだりをする。
「また作って欲しいな。美味しいものを皆で食べたらより美味しいってもんだよ」
「そうだな。私も今日の唐揚げは一段と旨く思える」
「私もです!」
東屋で、友人と妹と和気あいあいと話しながら食べる食事は何と楽しいものなのだろうか。
ごくたまにだが両親と食事をするときに感じる寒々しさと比べてしまい、さらに今まで仲の良い友人もいなかったシャーロットにはこの時間がとても温かく大切なもののように感じた。
「毎日とはいかんが、また共に食事をしよう。皆と食べる食事は実に温かい……」
「温かいって、サンドイッチも温かかったら美味しいですけれど、これは常温が一番美味しいと思いますよ」
ウェイバーの返事が的を射ていないことは仕方がないのだがそれでいい、とシャーロットは笑う。
「そうだな。常温で旨い事が弁当の醍醐味だな」
「次回も楽しみだ。次はいつがいいかな? あー、でも明日からは普通に授業が始まるんだった」
「「「あー」」」
自分をもっと磨いていずれ自由になれる日が来たとしたら何がしたいのかを考えながら学業に専念して、もしもそれが叶うなら……、叶うならば……。
シャーロットは楽しい会話の中に、少しだけ自分の行く先に不安を覚えてしまうが、その不安を振り払うように空を見上げた。
抜けるように青い空に、ふわりと浮かぶ雲。
先の事なんか心配しないで楽しめばいいよと言う様に、自由に飛ぶ鮮やかな色の蝶がシャーロットの視界を横切る。
今まではあまり友人と呼べる付き合いもなかったのに、昨日から立て続けにこんなに楽しいひとときを過ごしたことで少しだけ感情的になってしまったのかもしれない。
いや、昨日からではない。
アードルフと出会った時から、何故だがずっとソワソワとワクワクするような日々が続いている。
これからも続くのだろうか。友達でいる限りは……。
ちらりと横に座るアードルフを見ると、アードルフもシャーロットを見て微笑みかけていた。
それがなんだかくすぐったい。
「楽しいな」
「俺も嬉しいし、楽しいよ」
「そうだな」
その傍でアリスがウェイバーに金の林檎亭に行きたいと駄々をこねているのが聞こえた。
ウェイバーは酷く困ったようなしぐさをしているのに、その表情は全く困っていないように見える。寧ろ嬉しそうだ。
「あいつも嬉しそうにしちゃって」
「ウェイバーはアリスの事が大好きだからな」
「俺も、シャーロットの事大好きだからね」
「それは嬉しいな」
流してしまったその言葉が、どんな意味を持つのか。
シャーロットはまだ知らない。