相席の相手
少しツンとする消毒薬の匂いが鼻をつく。
その匂いの中に、少しだけ柑橘系の爽やかな香りが混じっているように感じる。
ぼんやりと目を開けると、何の飾り気もない天井がアードルフの視界に広がった。
掛け布団が目に入ってきて、何となくベッドの上だと理解する。
「ん……、ふあぁ」
気の抜けたようなあくびが口をつき、足をぐっと延ばして背伸びする。
「良く寝たな……」
なんだか知らない場所だが物凄く良く眠れた気がして、気持ちよく背伸びをした後、ようやく周りを見渡した。
パッと見渡した感じ、保健室であることは間違いない。
と、パラっと紙をめくるような音がして首を横に向けると、さらさらと綺麗な銀髪が目に入る。
「シャーロット?」
「あぁ、クラーク殿。気分はどうだ?」
読んでいた本を閉じて、薄紫の瞳がアードルフを見つめる。
先ほど感じた柑橘系の香りは、何故か保健室でシャーロットが飲んでいた紅茶から漂っているようだ。
「悪くはないよ。寧ろ良く寝た感じ」
「それならよかった。もう昼を過ぎたからな。起き上がれるようなら送っていこう」
「ちょっと待って。昼を回ったって……」
アードルフは主席で入学だったので、今日の入学式で新入生代表の挨拶をする予定だった。
次席はシャーロットだったはずだ。
「入学式は無事に終わったぞ。女生徒たちはクラーク殿の挨拶を見ることが出来ずに残念がっていたな。体調が悪いなら仕方ないと諦めていた。私の代表挨拶でなんとか茶を濁しておいたが、次の学内行事の挨拶に選ばれたなら、しっかり努めてくれよ」
穏やかに微笑みながら、何でもないように話を進めるシャーロットだが、セントルーリット学院校はこのウェルヴィン王国でも最高峰の学院なのだ。そんなに簡単に新入生代表の挨拶など代理で出来るものではない。
「すまなかったな。新学期早々大変なこと押し付けたみたいになって」
「何を言う。体調が悪かったのにそれに気が付かず、無理させてしまっていた私達が悪い。しかし元気に話をしていたというのに、急に倒れた時には肝を冷やしたぞ」
「いや、色々浮かれてた自分が悪いんだけどね」
「まぁ、気にするな」
しかし、よく代理で何もない所から代表挨拶など出来たなと言う驚きを隠せない。
ただ、目の前で照れくさそうに笑うシャーロットを見ていると、謝るよりもありがとうを伝えた方がアードルフはいいような気がしてきた。
「今回はすまなかった。助かったよ。ありがとう。今度お礼をさせてくれるか」
「礼など、と、と、と……友達なのだから、これぐらい当然の事だ」
誰もいない保健室で、なんだかお互い照れくさいような会話を進めていたが、ぐぅ……とお互いの腹の虫が鳴ったのを皮切りに、笑いが止まらなくなってしまった。
「クラーク殿の腹の虫はずいぶんとお怒りの様だぞ?」
「そういうシャーロットの腹の虫だって、相当ご立腹のご様子じゃないか。これは念入りにご機嫌を取らないといけないんじゃないかな? シャーロットと俺の腹の虫のご機嫌をとりに行こうか」
そう言うと、アードルフはベッドから出て身支度を始めた。
身支度と言っても、シャツのボタンを留め上着を着るぐらいだが、身だしなみは大事である。
「いや、今日はもう帰った方がいいのではないか? 私が送っていくぞ?」
「結構寝たし、もう平気だよ。」
「実際熱も少しあったのだ。無理はいかん」
「心配性だな。ほら」
そう言ってアードルフが前髪を揚げると、すかさずシャーロットがその額に手を乗せる。
じんわりと暖かさが染みるように額に溶けていくような気がして、心の奥がむずむずするのをごまかす様にアードルフは軽口をたたく。
「もう熱はないだろ?」
「確かに今は熱はないようだが……」
少しだけ拗ねた顔で、無自覚にシャーロットが見上げるように近くに寄り抗議の視線を投げかけるが、教えてはやらない。
迎えに行って一緒に登校するんだと思うと、年甲斐もなくワクワクして昨日眠れなくて、頬に触れたことでテンションが爆上がりして、ついには振り切ってしまっただけなのだ。
「な、熱も引いたみたいだし腹も減ったし、やっぱりなんか食べて帰ろう」
「クラーク殿が良いなら……、ではご一緒しよう」
「やった! 何食おうっか。明日の弁当は何を作ってくれる予定だったの?」
熱に浮かされて倒れてしまったが、その前に会った事は全部覚えている。
明日の昼は、シャーロットお手製の弁当を食べることが出来る予定だ。まぁ、アードルフとしてはこれから食べるものが明日の弁当とかぶっても美味しく食べれる自信はある。
「特にまだ決めてはいなかったから、これから食べるものは何でも大丈夫だろう。かぶらないように努力はする」
「じゃぁ、最近見つけた食事処があるんだ。一度は行ってみたかったらそこで食事にしよう」
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「なんだか、随分人が多いな」
店は、学院から少し歩いた先にある大通りから一本入った道の途中にあった。
店の外観は可愛らしいログハウス風で、人のあまり多くない道だというのに店内は結構な人数でにぎわっていた。
「ここのお店は、南大陸のアルタジアで絶大な人気を誇る金の林檎亭の五号店なんだって」
「金の林檎亭の噂は聞いたことがあるぞ。見たことも聞いたこともない食事が沢山あり、しかしそれらはとても旨いという。甘味もかなり美味だというではないか」
「そうなんだよ。つい最近ここに店を構えたらしいよ。本店と同じようにログハウス調の店内らしい。俺も本店に入った事がないから本当のところは分からないけどね」
そんな話をしていると、忙しそうにしているものの立ち回りがとても良い、金色の瞳がとても印象的な美少年がオーダーを取りにテーブルにやってきた。
「いらっしゃいませ。金の林檎亭へようこそ。ご注文はいかがされますか? 今日はナポリタンと葡萄牛のミニサンドセット、オムライス定食がおすすめです。チャレンジメニューは豚の生姜焼き定食です!」
???
二人共聞いたことのないメニューにたじろいでしまうが、貴族らしく優雅にメニューについて聞く。
「ありがとう。少しわかりにくいのだが、説明をお願いできるだろうか。初めて聞くメニュー故、想像が難しいのだ」
「そっか……、ありがとうございます。絵があるメニューを早急に作りますね。今日は、自分が口頭で説明させていただきます」
妙に頭が回るのか、すぐに絵のついたメニューを作ることを明言した後、先ほどのメニューについて丁寧な説明を受ける。
「丁寧にありがとう。しかし、味の想像があまりできんな……」
「おすすめをシェアして食べようよ」
「そうだな。そうするか」
シャーロットとアードルフが説明を受けた後に決めたのは、やはりおすすめの二つ。
万が一シャーロットが食べきれない可能性を考えてでもあるが、二人で同じ味を共有したかったアードルフがシェアをすることを提案すると、すんなりと了承が得られた。
「お二人は、とても仲良しなんですね! へへへ、なんだかラウルに会いたくなってきちゃったな……。では少々お待ちくださいね」
パタパタと小走りに駆け回るその少年は、食べている客の顔を見ては嬉しそうに微笑んでいる。
「そう言えば金の林檎亭の店主は、アルタジアの第三王子と結婚したのだったな。五年ほど前になる。あの時は凄かったな。遠いこのウェルヴィンからも結婚の式典見たさにアルタジアへ行ったものも多かったはずだ」
「俺はサージャにいたけど、二人の記念の姿絵が飛ぶように売れてたらしいよ。アルタジアに行ってた友達に姿絵を見せてもらったけど二人共とても美しかった。友達は実際パレードを見れたみたいなんだけど、実物のアイオライト様は姿絵など比にならないぐらい絶世の美女だったらしいよ」
「それはそれは、ぜひ私もお会いしたいところだな」
大陸も違うし、庶民から嫁いだというが、今は王族だ。
そうそう会えるものではないと思う。と普通は考える。勿論アードルフとシャーロットの二人もそうである。
「私達より年上なのだろうか。きっとより一層美しくなられているかもしれんな」
そう、シャーロットが口に出すと、丁度金色の瞳の少年が器用に大きな皿を二つ持ってテーブルにやってきた。
「申し訳ない気持ちでいっぱいです……」
何故かお詫びの言葉をかけられ、しかも顔が真っ赤だ。
「失礼しました。お待たせしました。ナポリタンと葡萄牛のミニサンドと、オムライス定食です」
顔は真っ赤だが、接客は丁寧で静かに皿をテーブルの真ん中に二つ置き、そのまま一度厨房に戻って取り皿を持って戻ってきた。
「よろしければ取り皿はこちらをお使いくださいね」
それでも去り際にニコリと笑った笑顔に、とても癒された瞬間、店の扉のドアベルがカランカランと遠慮がちな音を立てた。
音が鳴ったので何となく気になって視線を向けたアードルフは、その扉から入ってきた人物を見て目を見張った。
綺麗な金髪に瑠璃色の瞳。アードルフもあまり見たことのない美丈夫が、キリリとした表情で店内を見渡している。以前友人から見せてもらった姿見の絵にそっくりだった。
「……ラウル・ドゥ・アルタジア……?」
「なんだとっ!」
小さな呟きだったが、シャーロットには聞こえたようで、小さく驚きを口にした後入ってきた金髪の青年の顔をまじまじと観察している。
「ちょっと、見過ぎだって」
「いや、なかなかお目にかかる機会などないではないか。本物であれば、だが……」
確かにアルタジアほどの大国の第三王子が、田舎というほどではないがウェルヴィンのような特筆した産業も特にないが伝統だけはあるような国にやってくる理由がない。
そんなことを考えていたアードルフが再びその美丈夫に目を向けると、先ほどのキリリとした表情が一変して何と柔らかな表情でこちらに向かってくるではないか。
「あぁ、今日はナポリタンとオムライスか。俺もそうしようっかな。満席か……。申し訳ないけれど相席お願いしてもいいかな?」
口調は馴れ馴れしいというほどでもなく丁度良い距離間のような気がする。やはり王族ではないのだろうか。
「すいませーん! 店員さん、オーダーお願いします」
金髪の美丈夫が声をかけると、厨房からひょこりと先ほどの黄金の瞳の青年が顔を出し……、パッと花が咲くように微笑むとテーブルに向かってくる。
「ラウルっ。今日は公務があるから夜まで帰らないって言ってたじゃないですか」
「なんとか早くまとまったんだよ。アオとの時間をたくさん撮りたかったからさ。で、リコ嬢が欲しがっていたあの石。なんとか交渉できた。っていうか俺騎士団所属なのになんで交渉しに来てるのか……」
「でもそのおかげで一緒にウェルヴィンに来れたじゃないですか」
「そうだね」
気軽な感じで二人で話をしているが、話の流れから言うとやはり金髪の美丈夫はラウル王子に間違いなさそうだ。
ではこの金色の瞳を持つ少年は……?
「あ、あの無礼を承知でお尋ねいたしますが、アルタジアのラウル王子でいらっしゃいますか?」
「あぁ、そうだよ。でも今は王子の仕事中じゃないから気さくに話しかけて欲しいな」
「で、では……、その……」
ちら、ちら、と金色の瞳の青年をシャーロットが見ると、その青年は花が咲くように笑って自己紹介した。
「自分、アイオライト・ドゥ・アルタジアです。金の林檎亭の初代店長です。先ほどはお褒めいただいてありがとうございます。今日はこちらの店のお手伝いに来ています。美味しいお料理とお菓子をご準備していますので、今後ともどうぞご贔屓に」
……。確かに美しい。が絶世の美女というか美少年である。
しかも、自分達よりもいくつかは絶対年上だというのに二人共あまり年が変わらないように見える。
「あ、あれだな。君はアオの姿絵をみた口か?」
「え……。はい」
急にラウルに話しかけられて、さすがのアードルフも恐縮気味だ。
「アオはね、化粧で化けるんだ。普段からあんなに可愛らしいのに、化粧をして着飾ると超絶美人に変身するなんてびっくりするよね」
「はぁ……」
信じられないものを見ているようで、返事に力が入らない。
「それに普段は物凄くしっかり者なのに、二人きりになった時に急に甘えたになる時とか、本当に最高に可愛いんだ」
「ラウル様はアイオライト様をとても好いていらっしゃるのですね」
「そう、俺アオの事大好きなんだ。何年経っても一緒にいるのが嬉しくて、楽しくて仕方ない」
「ちょっと、ラウル! そう言うのはこんな公衆の面前で堂々という事じゃ……」
「公衆の面前で堂々と言ってこそ、です」
そう言って人目もはばからずおでこにキスを落とし、何でもないような顔でオムライス定食とナポリタンを頼んだ。
恥ずかしそうに、それでいて嬉しそうに顔を真っ赤にしてアイオライトもいつもの事のように厨房に入っていく。
「えっと、いつもこんな感じなんですか?」
アードルフがラウルに質問を投げた。
「冷めないうちに食べて。二つとも俺のお気に入りだから。んー、そうだな。アオはあまり恋愛経験がなかったから、好きだって言葉にしたり態度に出しても初めはあんまり気づいてもらえなかったんだよね。だから結婚してからも愛情表現はいつもするようにしてるんだ。好きだよって、愛してるよって。一番大事な人に伝わらなかったら意味ないからさ」
気持ちが伝わらなければ意味がない。
その通りだ。
一緒にいたからと言って気持ちが伝わるわけではない。
まぁそう言った事もあるかもしれないが、伝わらない事の方が多いだろう。
隣で丁寧に皿へ取り分けているこのシャーロットもそう言った事には鈍そうである。
綺麗に盛り付けて満足そうにアードルフへ皿を渡すと、綺麗にナポリタンとフォークに巻いて口に入れキラキラした顔を向けてきた。
「な? これ美味しいだろ? 俺のお気に入り。アオが作ってくれるご飯の中でずっと上位に君臨する圧倒的な旨さなんだよ」
「えぇ、この甘みの中の旨味が何とも言えません。こちらのオムライスもナポリタンのソースと似たもので中のライスに味が付いているようですね。実に美味です」
「こちらのお嬢さん、分かってる! ほら、君も早く食べて食べて」
自分の好きなものを褒められたからなのか、ラウルはこの後も金の林檎亭の食事が、アイオライトの作る食べ物がいかに美味しいか、そしてアイオライトの何が好きなのかを力説しまくる。
おすすめのデザートを勧められるまま一緒に食べ、力説は店を出るまで続いたのであった。
このお話に出てくるラウルとアイオライトは、前作のメインキャラです。
今回は脇役でご登場願いました。