シャーロットとアリス
カタカタと音を鳴らし、馬車は一路屋敷に向かって進んでいる。
アリスの向かいに座るシャーロットは領地経営学の本を熟読中で、たまにパラっと紙を捲る音が聞こえる。
アリスは姉のシャーロットが大好きだ。
シャーロットは話し方も女の子のそれとは違うが、所作が美しく、手芸が趣味で編み物と刺繍がとても得意だ。
馬車に乗ると腰が痛くなるからと、クッションを作ってくれて、そのクッションの刺繍の柄もアリスの好きなモチーフを必ず入れてくれる。
美しい出立ち、綺麗な銀色な髪はサラサラと滑らかで、紫の瞳を少しだけ細めて優しく微笑まれると、美しさで目がチカチカするほどだ。
また可愛いものが大好きで、ぬいぐるみを作ると名前をつけるし、カラフルな色のお菓子も好きだ。
その外見や言動からは想像もつかないほど、内面は少女のように可愛いものを好むのである。
うちの姉のこのキャップ萌え。
同士がいたならば一晩中語り明かしたいぐらいである。
いや、一晩では語り尽くせないかもしれないっ!
「どうした、アリス」
グッと拳を握りついじっと見つめてしまっていたようだが、アリスは恥ずかしがったりせずに思ったままをシャーロットに伝える。
「お姉様が、とても可愛らしいなと再確認しておりましたの」
「ん? 可愛いと思われるような出来事があっただろうか」
シャーロットは一旦読んでいた本を横に置き、首を傾げて口元に手を置き思案し始める。
「お姉様は世間的には格好いいと言われていますが、私は可愛らしいお姉様を存じておりますので」
「はは、私のことを可愛いなどと言うのは、アリスぐらい……、いや、先ほど庭園であった御仁に言われたな。視力が低いのかと聞いたが、視力はいい方だと言われたぞ」
俺、視力はいいほうだよ、と笑っていたアードルフを思い出して、アリスに伝えると心底びっくりした顔をしている。
「まぁ、社交辞令というものだろう。なかなか言われることもないからな。珍しい体験が出来た」
「……」
「アリス?」
「どなたが、お姉様の事を可愛いとおっしゃったのでしょう」
わずかに震えながら、アリスはなんとか声を出してシャーロットに問う。
「アードルフ・クラーク殿だ」
アードルフ・クラーク。
アリスは瞬時に自分のベータベースを頭の中で展開する。
貴族の中でもかなり高位の家柄の、次男坊。
シャーロットとアリスとは同い年だ。
出席する茶会や舞踏会での対応が素敵だと話題で、柔らかな亜麻色の髪に光り輝くような綺麗な青い瞳、その端正な顔立ちから、「シリウスの君」などと社交界で呼ばれている。
しかしその人気に反し、本人は茶会や舞踏会にはあまり顔を出ない事で有名だが、珍しく今夜の舞踏会に足を運んでいたようだ。
「こら、アリス。指をかんではいけない。爪が折れて怪我をしてしまうぞ」
「だいじょうぶ、です」
安心して欲しかったので片言だがなんとか返事をする。
考え事をしていてつい指を強く噛んでしまっていたようだ。
心配させたくはないので、アリスは指を噛むのを止め腕組みをして目をつむり、さらに思考を加速させていく。
今までにシャーロットとの接点は、なかったはずだ。
幼い頃から留学していて国にはいなかったが、去年戻って来てからは同じ学園に通っている。
クラスは違うが学園内のどこか、アリスの知りえない場所で何かしら接触があったのかもしれない。
しかしそれならアリスとのお茶の時間の時にでも話題に上るはずで……。
「いや、どうかしら……」
「どう、とは?」
「……えっと、何でもありません」
ついつい口に出てしまったようだ。
興味がなければ会話にも上がる可能性が低いというのに、接触があっただけで話題にするはずもない。
そもそもシャーロットはあまり家族との食事の時に自分の話をしない。自分自身の事を話すときは、アリスと二人でいる時だけだ。
「まぁ、また会う機会があればアリスにも紹介しよう。私にまで社交辞令で可愛いと言ってくれる人物はなかなかに稀有な存在だからな」
「えぇ、楽しみにしております」
もう少し話を聞きたいところではあったが、そう返事をしたところで馬車は自宅に到着してしまった。
「シャーロット様、アリスお嬢様。おかえりなさいませ」
馬車を降りると執事のケビンが二人を迎えた。
小さな頃からこの家に仕え、さらに二人の教育係でもあったケビンは、馬車から降りてきたアリスのただならぬ様子にすぐ気がついた。
「今回の舞踏会でなにかございましたか?」
「聞いて、ケビン! ついに、ついにお姉様を可愛いと言う御仁が現れたのよ!」
「それは、誠でございますか!! アリス様!」
アリスとケビンの謎の盛り上がりをシャーロットは静かに見守っていたが、屋敷の玄関先だと言う事を忘れてしまっているかのように話が続いており、さすがに声をかける。
「二人とも、さすがにそろそろ中に入らないか?」
「申し訳ありません。つい夢中になってしまって……。お荷物をお待ちいたしましょう」
和気あいあいと話をしながら屋敷の扉を開けると、そこにはこの家の女主人であり二人の母であるアルカナが、末の弟であるハリーを連れて食堂から出てくるのが見えた。
「ただいま帰りました。母上」
「あら、おかえりなさい。シャーロットにアリス」
「おかえりなさい、姉様」
おかえりという言葉とは裏腹に、アルカナはあまり興味がなさそうな顔でシャーロットとアリスを一瞥した。
「あの、今日は舞踏会だったのでしょう? 僕ももう少しで姉様達と一緒に行けますか?」
末の弟のハリーは、そんなアルカナの顔を見ていないのか二人の姉を笑顔で出迎えた。
ハリーも今週で十二歳。まもなく社交界にもデビューする予定で本人もそれを楽しみにしているようだった。
「ハリーもそろそろか。そうだな、行ってみるか?」
「シャーロット姉様とアリス姉様と一緒なら、是非行きたいです」
そう嬉しそうに言うハリーに、アルカナはぴしゃりと言い放つ。
「ハリー。あなたの舞踏会の出席については私が吟味します。それにシャーロット、そろそろドレスの準備をなさい」
そのアルカナの物言いに、たまらずアリスが怒りの声を上げた。
「お母様、お言葉ですがそれはお姉様に対して失礼なのでは? ハリーが十二になるまでこの格好でいろと言ったのはこのセイバーの家ではありませんか」
一歩も引かないわっ!と言った風に仁王立ちしてアルカナの言葉を待ち構えていたが、それを諭したのは、本人であるシャーロットだった。
「母上、アリスも。ハリーも困惑しているではないですか」
アルカナとアリスが何の話をしているのかまったく理解できず、しきりに瞬きを繰り返し困惑するハリーの頭を撫でながら、シャーロットが穏やかな声で二人に声をかけた。
「でも、お姉様……」
「構わん。この件はアリスが気にすることではないし、私も今更すぐには変えられんよ」
「シャーロット姉様は、格好良くて、僕の自慢の姉です」
「ありがとう、ハリー」
兄弟仲は悪くはない。
むしろかなり良いと言って良いだろう。
セイバー家は、代々王家に仕える騎士を輩出している旧家である。
シャーロットとアリスは双子で生まれた。しかし、次の子供、さらに男子を授かることができなかったセイバーの家は、二人が三つになったその年にどちらかを男として育てることを決めた。
アリスの少し嫌がる顔を見たシャーロットは、双子だが自分が長女だからとその役目に幼いながら自らが手を上げることにした。
すぐに伸ばしていた髪を短く切られ、ドレスも全部捨てられ、セイバーの家の跡取りとなるべく言葉遣いから立ち居振る舞いまで厳しく教育されることになった。
さらにそのうち男子が生まれた暁には……、と花嫁修行の一環で裁縫も教え込まれた。
「お父様もお母様も、おかしいです」
「おかしい事はないだろう。アリス。シャーロットは跡取りなのだからしっかりしてもらわなくては」
「でも……、だからと言って男の格好までしなくても良いはずです」
「他の家の跡取りと比較されたときに、女の格好だと下に見られることもあるのよ。わかって頂戴」
少し大きくなるとアリスは事あるごとに両親におかしいのではと訴えたが、軽くあしらわれ続けた。
学校に通うようになると成績も良く、教師からも保護者からも評判のいいシャーロットに鼻高々に喜ぶ両親にアリスは腹を立てていた。それは本人が『跡取り息子として』一生懸命努力しているからなのにと。
「お姉様、嫌ではない?」
「あぁ、どうと言う事はない」
「こんなこと、おかしいことだとは思わないのですか?」
「どうだろうか……。跡取りである事は事実なのだから、これぐらいはせねばとは思う。勉強もできて好きな刺繍も出来る。お前との時間もちゃんとある。これ以上望むことなどないよ」
少しズレた考え方のシャーロットは、好きなことができればいいと笑った。
シャーロットがシャーロットであるならば、それでいいととアリスもこの時はいったん引いた。
シャーロットとアリスが六歳の年に、弟のハリーが生まれた。
長男が生まれたなら、シャーロットはこのおかしな状態から解放されるはずだった。
「ハリーが学園に入学する十二になるまでは、お前はまだ跡取りとして振る舞うのだぞ」
父親が無常に言った言葉を、アリスは生涯忘れることは出来ないと思った。
弟のハリーが十二になる時、シャーロットは十八。
貴族社会で結婚適齢期と言われる年代まで、セイバー家の跡取りとして男装して振舞わなければならないのだ。まだ幼いながらもアリスにはそれが酷なことであることは分かった。
しかし、シャーロットは何でもないような顔をして、はいと返事をした。
「お姉様……」
「アリス?」
「……」
「お前は愛らしいし、髪も長くとても綺麗だ。あの時に自分が申し出て本当に良かったと今でも思っている。お前には絶対にこんなことはさせられん」
愛しむように微笑みながら言われたこの時から、アリスはシャーロットをもっともっと大好きになった。
「どうした? アリス」
「いえ、少し昔の事を思い出しておりましたの……」
アリスが答えると、アルカナがハリーを連れて部屋に戻ろうと振り返りもせず階段を上がっていく。
「お母様っ!」
「アリス、構わないよ」
「行きますよ、ハリー」
「はぃ……」
小さく返事をしたハリーとアルカナの背中が見えなくなると、アリスはいらだちを隠そうともせず盛大に文句を口に出す。
「なんなんですか、お母様はっ! お姉様をなんだと思っているのでしょう! 私腹が立って仕方ありませんっ! 来週ハリーが十二になるのに、お姉様の為にドレスの一つも準備していないのですよ」
「アリス、そんなに怒るな。愛らしい顔が台無しだぞ。ほら私達も部屋に戻ろう」
「ですが……」
「私もドレスは可愛くて好きだ。似合うかどうかはわからんが、また着ることが叶って嬉しいのだ。しかしこの髪の短さではまだドレスは着ることは出来んか……。まぁ髪が伸びるまでお預けだ。ドレスもそれまでに作ればいい。それもまた楽しみというものだろう?」
一旦アリスを振り返って微笑んだシャーロットは、自室に戻るべく自らも階段を上り始めた。
その微笑みを見ると、両親への悔しさで涙が出そうになったアリスだったが、ふと思い出した。
アードルフ・クラーク
家柄も容姿も姉のシャーロットに引けを取らない。
しかもシャーロットを可愛いと言ったと言うではないか。
ならば……。
「ケビン! 茶会を開きます。すぐに用意なさい」
「畏まりました」
一部始終を見ていたケビンは、何かを察し小さく頷いた後、何かを取りに足早にその場を後にし、残ったアリスはぎゅっと拳を握って呟いた。
「本当にお姉様の隣に立つことが出来る男なのかどうか、しっかり見極めるわ」