シリウスに恋して
「なんとも気持ちの良い風だな」
「そうだね」
春の風が優しくシャーロットとアードルフの間をふわりと通り過ぎていく。
シャーロットの顔には満面の笑みが浮かび、アードルフはその笑顔を見てご満悦である。
「ふふっ」
「どうしたの、急に。思い出し笑い?」
「そうだ。あのカオスと化した日のことを思い出してしまったのだ」
陽の光が窓から差し込み、シャーロットの髪に当たってキラキラと光り輝いている。
アードルフはつい愛おしさが込み上げてその髪を撫でると、シャーロットは照れくさそうにされるがまま撫でられている。
「あれは傑作だったよな」
「母上には悪かったとは思うが、本当に凄かった」
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「ジェード王子、先駆けにてご連絡は頂いておりましたが本当に当家へいらっしゃるなんて」
「お構いなく。今日はアードルフがセイバー家の当主へ挨拶するというのでな。私も友人の一人としてそれを見届けたくてお邪魔しただけなのだ」
学院からこっそり帰ろうとしたところ、朝に約束しただろうと出待ちさながら正門前で見張っていたジェードが、家までそのまま本当についてきてしまったのだ。
朝この話が決まった時に、一応家には連絡を入れてくれていたようだが、王族……、ましてや第二王子から夕刻頃にお邪魔するなどと理由も書いていない書面が届いたらびっくりするどころの騒ぎではなく、家じゅうがひっくり返るほどの衝撃であった。
ウェイバーはアリスもいるので一緒にについてくるかとは思っていたが、さすがにジェイドともう一組の来訪が予想外過ぎると、アルカナの表情はとにかく冴えない。
「アードルフ・クラーク様が当家へ夕方やってくることは存じておりますが、シャーロットに会うためでは? 当主に会うなど……」
「いや、私は確かに当主と会う了承も得ていると聞いたが?」
そうジェードが言ったところで、セイバー家の当主であるウィリアムが急ぎ足で二階から降りてきた。
「ジェード王子、お出迎え出来ずに大変失礼いたしました。わざわざ当家へ足をお運びいただけるなど……、恐悦至極に存じます。また、アルタジア王国のラウル殿下とアイオライト様まで足をお運びいただいた事、大変な誉でございます」
そうなのだ……。
学院そばの農園を視察に来ていたラウルとアイオライトに帰りにばったり出会い、ジェードの話を聞いた二人が、何やら面白そうだとそのまま一緒に家についてきてしまったのである。
「気遣い無用だ。シャーロット嬢もアードルフもアオの店に来てくれたことがあってね。顔見知りなんだ」
「二人共とても気持ちがいい挨拶をしてくださるので、いつも嬉しくなります」
「ラウル殿下とアイオライト様に褒めていただくほどの娘では……」
「そんな謙遜なさらずですよ。こんなに可愛いくてしかもカッコイイ娘さんなんですから」
ぐいぐいとアイオライトがウィリアムとアルカナに笑顔で話しかけているのを、それはそれは愛おしそうにラウルが見つめていると、侍従がさらなる来客を告げる。
「アルカナ様、コーウェン家のメイソン様がいらっしゃいました」
と同時に別の侍従がさらに来客を告げる。
「ウィリアム様、アードルフ・クラーク様も、お見えでございます」
同時に来るとはあまりいいタイミングではないが、ジェードとしては面倒なことにならなくて良かったとほっと胸を撫で下ろした。
コーウェン家は伯爵家であり、公爵家であるクラーク家よりは格下である。
さらにメイソンは多少見目のいい男ではあるがあまりいい噂も聞かない。最近は何人も同時に女性とお付き合いをして修羅場があったと聞いた。
この場所にジェードがいるなどとは露知らず、上機嫌で入ってきたメイソンは、この光景を見るなり顔面蒼白で後ずさりし始めた。が、その後ろからアードルフが入ってきたので前にも後ろにも動けない状態で冷や汗をかき始めてしまった。
「ジェード王子が何故……」
後ずさりも出来なくなってしまったメイソンが、なんとか震えながらも声を出す。
「いやぁ、私はシャーロット嬢ともアードルフとも友人なのでな。今日は何やらアードルフがご挨拶に伺うと小耳に挟んだので証人にでもなろうかとやってきたのだ。はて、貴殿は何をしにセイバー家へ?」
わかっていって言っているくせにと思いながらも、呼ばれた理由を口に出そうとしたその時、アルカナがすっと前に出て話し始めた。
「今日はシャーロットにメイソン様を紹介しようと思ってお呼びしましたの」
悪びれることなく、ただし見合いだとは言わないアルカナの言葉にウィリアムはあからさまにほっとした顔をしているのが見える。
「シャーロットはあまり学院での話をしないもので、友達があまりいないようならと思ったのですが余計な世話だったようですな」
ウィリアムのへたくそな言い訳を、メイソンの後ろに立っていたアードルフが何とも無表情な顔をして聞いていたが、メイソンも特に何も言わないのをいい事に自分の望みを証人が沢山いるうちに言ってしまおうと一歩前に出た。
「昨日は急なご連絡で大変失礼いたしました。本日はシャーロットとの仲を了承いただきたく馳せ参じました」
「お、お、おい! 何を急に」
「シャーロットは黙ってて」
自分との仲をどうこうしたいというのに、当の本人に黙っていろとは何事か!と思いはするものの、その表情に本気の必死さを見て、シャーロットは口をはさむことが出来なかった。
「アルカナ様はどこぞの馬の骨と見合いをさせるつもり満々だったようですが、私は見合いなどではなく婚約のお願いに参りました」
「ひっぅ」
シャーロットの口からまたもや普段聞くことのできないおかしな音が聞こえて、近くにいたアリスが思わず三度三してしまうほどであった。
アルカナの頬が引きつり、メイソンの顔色はより一層悪くなっている。
「お姉様、アードルフ・クラークは悪い人ではないとは思います。ちゃんと可愛いお姉様の事分かっている数少ない御仁ですし」
「可愛いと言っている時点でちょっとおかしいとは思うのだがな……」
こそこそと話すシャーロットとアリスの後ろから、ウェイバーがアードルフに向けて小さくガッツポーズをして頑張れとエールを送っているのが見えた。アードルフは笑って軽く拳を上げてウェイバーに返す。
ウィリアムは息を吸い込んでからゆっくりと全員に聞こえるように話し始めた。
「クラーク家との繋がりが持てるのであれば、当家としても大変ありがたいことです。シャーロットは変わり者故、見合いでもさせねばと常々思ってはいたのですが……、すでにアードルフ様と言う良き殿方とお近づきになっていたのであればこれ以上何もいう事はございません。良いな、シャーロット」
一呼吸置いて、さらに告げる。
「シャーロット。アードルフ様との婚約を受けなさい。婚姻についてはその間にいつにするか決めておくこと。それからアルカナ」
「……はい」
「余計なことはするなよ」
頷きもせずにシャーロットをじっとみるアルカナに、あきれたようにウィリアムが言う。
「クラーク家と王家を敵に回すようなことは出来ん。そんなことをしたら我が家どころか一族路頭に迷うぞ」
その後のアルカナは、メイソンに帰ってもらうように告げた後何も言わずに自室にこもってしまった。
婚約についてはその場にいたジェード、ラウル、アイオライトが証人となり、自国の王子と大国アルタジアの第二王子夫妻が証人となるとても豪華な顔ぶれとなった。
「婚約の解消、難しくなったね」
「そうだな。しかし、今後解消するつもりあったのか?」
「そんなつもりはかけらもないよ」
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「あれからもう五年も経つのに、お前は出会った頃から何も変わらんな」
「ちょっとは変わったよ。大人の男の色気も出てきたと思うし。あ、でもシャーロットへの愛はずっと変わらないな」
「ば、ばっ、皆に聞こえるだろう。お前はもう少し慎みを持てっ」
この期に及んで顔を真っ赤にして怒るシャーロットは何年経ってもとにかく可愛いと、アードルフは変わらず思う。
あのカオスのような一日がシャーロットの気持ちを前向きにさせた。
きっかけはどうであれ、元々アードルフに向けていた感情は悪いものではなかったのだ。
意識し始めてしまえばアードルフの愛情が手に取るように感じられるようになって、同じ熱量ではないかもしれないが、シャーロットはシャーロットなりにアードルフに恋をしていった。
ぎこちなくも、二人なりの速度で、ゆっくりと。
そして騎士服のような白い正装を身にまとったシャーロットが、今日の子の良き日にとうとうアードルフと永遠を約束する伴侶となるのだ。
「その騎士服、凄い似合ってるよ」
「しかし、ドレスでなくて良かったのか?」
「こっちの方が俺達らしいだろ」
「それもそうだな」
二人とも真っ白の正装で並び立ち、自然体で軽口を言い合う。
「でも途中で婚約が破棄されなくて本当に良かったよ。俺結構冷や冷やしたよね……」
「そうなのか? 何故?」
「婚約してから学院を卒業するまでは、エスコート以外で手もつながなかったし」
「まだ婚姻を結んでいないと学生だというのに、人様の前でそんな……破廉恥だろう?」
「キスどころか手を繋ぐことも許してもらえない婚約者なんて、そうそういないよ……」
だいぶ根に持っているのかアードルフに何回もこの話をされるシャーロットだが、特段悪いことだとは思っていない。
「まぁ、卒業してからはちゃんと甘やかして過ごせたからいいけど」
アードルフに耳元で囁かれると、何かを思い出したのかシャーロットの頬がほんのりと赤に染まる。
それを見るアードルフの心にほのかに灯りがついたように幸せで満たされる。
「これから長い人生、まだまだ共に過ごすのだ。急いで何かをしなくてもいいだろう」
「まぁ、そうなんだけどさ。あの頃のシャーロットともキスしたかったなって思うだけ」
そう言って頬にキスを落とすと、アードルフは正面に立ちそっと手を差し伸べた。
その手を躊躇するとかなくシャーロットは握り返した。
夜明け前の空の色のような、紫色のその瞳がアードルフを捉えて優しく微笑みかけると、今でも小さい頃に初めて出会った時と同じ温かい気持ちが込み上げてくる。
「俺だけの光輝くシリウス。あの頃からずっと好きだよ、シャーロット。これからもずっとそばにいてくれる?」
「生涯そばにいると、誰でもないお前に誓おう。アードルフ」
「俺も、これからも君を愛すと、シャーロットに誓うよ」
影が重なり、寄り添うように歩く後ろ姿は、陽の光の逆光と二人の白い服でさらに白く強く輝き、その輝きそのまま幸せに溶けるように扉を開けた。
「やっぱりシャーロットは可愛いな」
「また私が可愛いなど、アードルフは……その、視力がまた落ちたのか?」
俺、相変わらず視力はいいほうだよ、と嬉しそうに目を細めてアードルフは笑った。
お読みいただきありがとうございました。




