カオス
「クラーク様、明日の昼に面会すると当家主人よりこちらを預かって参りました」
「展開が早くてありがたいな」
そろそろ中庭の散策を切り上げ室内で茶でもと屋敷に入ろうとしていたところに、外から戻って来たケビンが笑顔でアードルフに返答の書状を渡した。
夕食前には戻ると言って出かけたのだが、ケビンの笑顔を見ると急いで知らせたいほどいい内容のようである。
渡された書状の中身を確認したアードルフは、一度大きく息を吐いてから満足そうに大きく頷いた。
「あぁ、よかった。やっぱりちゃんと話しておけるのは今後に大きく影響するからさ」
「父上は承諾したのか?」
それはもう、と言うケビンの表情は何とも晴れやかだ。
「えぇ。当家は侯爵ですがクラーク様のお家柄は公爵家です。お断りする理由がございませんからね」
「いや、私はクラーク殿の婚約の話もまだ受けるとは……」
「旦那様も大層お喜びになっておられましたよ。シャーロット様」
「だから……」
「お喜びでございましたよ」
「……」
シャーロットがなんとか弁明しようとしていたとその時、丁度アリスとそれに付き添っていたウェイバーが帰ってきた。困り果てたシャーロットの表情に、楽しそうに頷いているアードルフ。さらに帰ってきたことで振り向いたケビンが満面の笑み過ぎて、二人共びっくりしてしまう。
「おかえりなさいませ。アリス様。ウェイバー様」
「っっただいま戻りました。今日はいらっしゃるとは聞いていたので邪魔しないように外出していたのだけれど……。ケビンあなた、どうしたの?」
「珍しく早口で興奮気味だし、アードルフのニヤニヤも気になるね」
何があったのかは分からないが、アードルフにとっていい事があった事はその表情から見て取れる。が、ケビンが何故こんなにも嬉しそうに興奮気味なのかはアリスにも皆目見当がつかない。
「大変失礼いたしました。本日アルカナ様が急にシャーロット様に見合いを持ちかけてきたのを見過ごすことが出来ないと、クラーク様が自分との婚約を直談判する書状を出されまして」
「いや、なにその展開の早さ!」
「私だって何が何だかわからんっ!」
ケビンが嬉しそうに、最終的に先ほど主人であるセイバー家当主本人から面会の了承の書状を先ほどアードルフに届けたことも話してくれた。
「そうね、まぁお姉様への求婚は済ませてありますし、良しとしましょう……。どこの馬の骨ともわからないお母様が選んだ微妙な感じの男にお姉様を取られるぐらいなら、まぁまぁ顔見知りのアードルフの方がましってものだわ」
ぎりりと奥歯をかみしめながらのアリスの独白に、ウェイバーが笑う。
「アリスはアードルフ君には結構手厳しいよね」
「当たり前よ! お姉様の伴侶となるつもりならもっとしっかりしてもらわないといけないもの」
「誠心誠意、精進します」
アリスは怒涛のように話し続け、シャーロットはどうしたものかと思案に暮れ……。
夕方の帰る直前まで応接間で話をしていたが、明日に備えて……、と特に力むことなくアードルフはウェイバーを伴って帰っていった。
夕飯にはハリーもいたので、アリスも特段見合いの話したりはしないで夕食自体は終わったのだが、その後はシャーロットの部屋でアリスからの質問攻めが始まった。
しかしシャーロット自身も、何があったのかわからないほどの急展開だったのだ。説明する本人もしどろもどろである。
「今日は普通に遊びに来るというので、出迎えたら母上と出くわした上に見合いの話があると言われて、その後昼食を食べて……お代わりを準備してだな、戻ってきたらケビンと随分仲が良くなっていて、しばらくした後アードルフが父上に婚約を願い出る書状を書いていて、何故かそれをケビンが持って行って……。帰ってきた所にアリス達も帰宅してきたのだ……」
アリスに説明するために出来るだけ端的に、と思いながら言葉にしたが思ったよりも怒涛の数時間だったのだとわかる。
「見合いの相手は決まっていないのですよね?」
「どうだろうか。見合いの話が来ていると言っていただけで詳細は不明だ。この後母上の部屋で詳しい話を聞かなくてはならんが……」
「明日アードルフ・クラークがやってきて正式に婚約を願い出ることはお母さまは知らない、と……」
「まぁ、そうだな」
なんだか自分でも何が起こっているのかついていけない。
シャーロットも精神的に疲れているが、アルカナには会いに行かねばならないので、アリスとの話を一旦終わりにする。
「そろそろ母上のところに行かねばならん。アリス、この話はまた後に」
そう言って席を立ち、アルカナの待つ部屋へ向かった。
コンコンとドアを叩くと、どうぞ、と声がして中にいた侍女がドアを開ける。
小さい頃からあまり立ち入ることのなかった母の部屋に、久しぶりに招かれた事に少し沢山緊張して中に入ると、なんとも仏頂面のアルカナが座ってシャーロットを見据えていた。
「何故クラーク家のご子息と知り合いであると報告しなかったのですか」
シャーロット自身、アルカナからもそこまで興味を持たれていたとは正直驚いた。
しかし特に今日の訪問に関しては友人として招いた為、特段細かく説明する必要もないと思っていたのだ。
「申し訳ありませんでした。クラーク殿とは懇意にさせていただいております」
「そう言う仲という事かしら?」
「そう言う仲……? とは」
眉間にしわを寄せて、アルカナが一度大きくため息をついた。
「……。あなたに聞いた私が馬鹿でしたね。まぁいいでしょう。先方から連絡があって急ですが明日の夕方に見合いの席を設けることになりました。授業が終わったら寄り道せずに真っすぐ戻りなさい」
「あ、明日ですか? 父上はこのことはご存じで?」
聞き間違いでなければ先ほど明日の夕方、アードルフも挨拶に来ると言っていたはずである。
「旦那様にはまだお話しておりませんよ。明日の昼には戻ってきますからその時に承諾いただきます」
「しかし明日はクラーク殿が……」
「そうですね、まぁいていただいても構いませんが、お見合い自体はしていただきます。話は以上です」
それ以上話すことはないとにべもなく言われるとそれ以上追及して話す気にもなれず、失礼しますとそのまま部屋を出てしまった。
アルカナはまだアードルフがどうして明日も家に来るのか理由を知らない。
シャーロット自身も頭を抱える案件がさらに増えてしまった。
「見合い相手が誰かは知らんが、もうどうにでもなれという気持ちだな。なぁ、スピカ」
胸ポケットから少しだけ頭を出していたぬいぐるみのスピカの頭を撫でると、お疲れ様だね、と言われたような気がして少しだけ顔の表情が緩む。
アリスには明日話すことにして、腹をくくってシャーロットはもう寝ることにした。
翌日。
「夕方には先方がこちらへ到着します。寄り道せずに真っすぐに帰宅するのですよ」
朝食を食べている最中に、何故かアルカナが食堂にやってきてから必ず夕方には戻るようにと念を押された。
今日はウェイバーとアードルフが学院の慈善活動の為一緒に登校していない。
家を出るまではなんとか我慢していたようでアリスは家を出るなり、怒りを隠そうとする事なく堰を切ったように始めた。
「アードルフ・クラークの行動は褒めましょう。でも父上に面会の約束も取り付けたというのに、母上にはそれが伝わっていないなんて……」
「アリス、ほら、そんなに怒っては眉間にしわが寄ってしまうよ?」
「しわの一本や二本、何だというのです! お姉様の一大事にしわなど気にしている余裕は私にはありません!」
もはや何に対しても怒りをぶつけてしまいそうなアリスの背中を優しく撫でて、少し落ち着けと優しく声を掛ければ、さすがのアリスも息を大きく吐き出した。
「ふぅ……。怒りは収まりませんが……。お母さまは今日アードルフ・クラークが何をしにやってくるのか知らないのですよね」
「そうだな。話をしようとしたが取り付く島もなく部屋を出されてしまった」
「まぁクラーク家よりも高い家柄など、そうそうありませんから大丈夫だと思いますが……。あちらはただの見合い。アードルフ・クラークは婚約の申し込みですし」
腕を組み、うんうんと唸り始めるアリスをなだめながら学院までの道のりを歩いていると、横に大きな馬車が一台停まった。
「おはよう。アリス嬢にシャーロット嬢」
「また面倒くさいのが来たわね」
「はは、君のそう言うストレートな物言いは本当にいいな」
中からこの国ヴェルヴィン王国第二王子のジェードが、面白いものを見つけたような顔で降りてきた。
「降りてくるのは構いませんが、ここから学院まではまだ十五分ほど歩きますよ……」
「いいよ。俺も別に歩いたっていいんだ。護衛もいるけれど少し離れて歩かせるし、シャーロット嬢もいれば鬼に金棒だろ?」
「まぁ、そうね。お姉様がいれば安心は安心ね」
「そう言えばジェード王子も、今日慈善活動の日ではなかったのか?」
するとジェードはやれやれと言った風に軽く肩を持ち上げながら、聞いてくれよと横に並んで歩き始める。
「警備がどうとか、一緒に活動するとそのメンバー選定に時間がかかるとかいちゃもんをつけてきてだな、俺の青春の慈善活動はまだおあずけなんだってさ」
「そのうち順番が回ってきますよ」
「ジェード王子の慈善活動云々はまったくどうでもいいっ! それよりお姉様の一大事なのよっ!」
ガンガンとジェードの鞄に、アリスが自らの鞄をぶつけながら仏頂面で叫ぶ。
「俺の事などどうでもいいほど?」
「元々興味ないけど?」
「やっぱり合格だな!」
ふふふ、とまたジェードが微笑んで謎の合格を告げると、今度は真面目な顔で話し始めた。
「しかしシャーロット嬢の一大事とは、穏やかじゃないね」
「そうなのよっ! お母様ったら勝手にお見合いの話なんて持ってきて……。折角今日の夕方にアードルフ・クラークがお姉様との婚約をお父様に直談判するって決まったばかりなのに」
「いつそんな面白い話になってたの」
「つい昨日の話よ」
それを聞くと、ジェードが何故だか面白いものを見つけたかのように瞳を輝かせた。
「本当か! ついにアードルフが! シャーロット嬢に! 婚約を!」
「その通りよ!」
「俺もその面白さの一つのピースにならねばいかんなっ! 責任重大だ」
「何を言っている、そんな責任感いらんっ」
アリスとジェードのテンションがおかしいまま学院の正門前に到着すると、アードルフとウェイバーが見える。
慈善活動であるゴミ拾いも丁度袋を閉めて終了のようだ。
シャーロットとアリスに気が付いたのか、二人共笑顔を見せて手を振って迎えてくれたのだがすぐ後ろにジェードが見えると、降っていた手が止まり微妙な表情で迎えることになってしまった。
「おはよう。シャーロット」
「うむ。おはよう、クラーク殿」
いつもとあまり変わらないそのやり取りに、ジェードが不思議そうに質問する。
「アードルフ、君は今日セイバー家の当主にシャーロットとの婚約を願い出るのだろう?」
「そうだよ。なんか文句ある?」
「文句はない」
「だったらなに?」
ふふん、と楽しそうにジェードが鼻を鳴す。
「俺も同席しようではないか」
「「「はぁーーーー?」」」
その突拍子もない発言に、シャーロットとアリス、アードルフがそろって気の抜けた声を上げてしまった。
少しだけ離れたところにいて、それを聞いていなかったウェイバーにもう一度ジェードが声をかける。
「よし、今日の夕方セイバー家に全員集合だ」
「は?? 何言ってんの」
「ウェイバー、君も同席しろ。わかったな」
「馬鹿なのかな?」
「はい、合格ー」
「そう言うこと言ってんじゃないって」
今日の夕方、我が家はカオスと化すのでは……。
自分の見合いや、婚約うんぬんも……、まぁそれも気が重いのだが、正直今の状態で見知らぬ誰かと見合いするというのに、全員が家にいたら収拾がつかなくなりそうで、それが一番怖いとシャーロットの背筋に冷たい汗が伝う。
「この俺が、アードルフを後押ししようではないか」
「いえ、結構です。ジェード王子」
「そう遠慮するな、シャーロット嬢。クラーク家よりも上の家柄であった場合断りにくいことも考えられるからな」
「そうだな、確かにジェード王子がいた方が万が一の場合に備えられるか……」
「そうだろう、そうだろう」
……。
もう、どうにでもなれ……。




