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直談判

「クラーク殿……」

「なに?」


 アードルフが出来上がったアラビアータのパスタを、満面の笑みで美味しそうに頬張ったかと思うと、急に表情が引き締まり眉間に皺を寄せながら咀嚼しだす。また口に入れて笑顔になる、眉間に皺が寄る……を先ほどから延々と繰り返している。


「食べるか怒るかどちらかにしたらどうだ。見ているこちらが疲れる」

「パスタに罪はないし、これは美味い。凄い俺好みだし、ナスの素揚げが無茶苦茶いい。でもさっきのこと思い出すとさ……」


 そう。客人が来ているというのに先ほど母であるアルカナから急に見合いを言い渡されたのだ。

 ただ、口ぶりからするとまだ曖昧な感じにも受け取れる物言いであったように思える。


「まだ見合いをするらしいというだけだ。実際するかもわからん」

「貴族の見合いって言ったら、それだけでほぼ決定みたいなところだってあるだろ」


 不満を口にしながらも、気に入ったナスの素揚げを口に入れゆっくり咀嚼しながらも浮かない顔のままだ。


「私も聞いておりませんので旦那様はこの件については存じ上げないと思います。アルカナ様が単独でお決めになられているなら見合い自体も覆る可能性が高いですね……」


 ケビンがお茶のお代わりを持ちながらアードルフに声をかけた。


「家長が知らないってことあるのかよ……。何でもありだな」

「母上は、まぁ確かに何でもありだな……」

「あ、シャーロット。これおかわり貰ってもいい?」

「そんなしかめっ面な顔で食べているくせに、おかわりするとは思わなかったな。作ってくるからしばし待て」


 席を立って厨房に向かうシャーロットを見送ると、アードルフはケビンを手招きして傍に呼ぶ。

 先ほどまでの気安い態度ではあるものの、声は低く、真剣な瞳でケビンに声をかける。


「今日御当主はいらっしゃるのか?」

「いえ。領地内にはいらっしゃいますが治水工事の進捗の視察で出かけております。遠くはありませんがお戻りは明日でございます」

「明日か……。急で申し訳ないけれど、明日の夕方お会いするように手をまわしておいてもらえる? 面会依頼の書状は後で書いて渡すよ」

「承知しました。しかしクラーク様、いったい何を……」

「この前さ婚約も視野に入れて、俺と付き合って欲しいって伝えたんだけど……、答えをまだもらえてなくて。でもこんな形で横槍が入るなんて思ってもみなかったからね。打てる手は早めに打たないと」

「それはクラーク様がシャーロット様へ正式に婚約を申し出ると?」

「その通り」

「それはようございますね」


 そう言ってケビンは、口元を少しだけ上げて笑ったように見せたつもりだったが……。


「目尻が下がって、喜びが隠しきれてないよ」

「それは失礼。嬉しすぎるとどうにも隠し切れませんね」


 当主への面会依頼の書面を渡せば、セイバー家よりも格上のクラーク家であれば間違いなく面会は出来るはずだ。

 問題は、アルカナがセッティングしようとしている相手がさらにクラーク家よりも格上だった場合である。

 その場合は、王家に近いような家柄しか残っていないので恐らくないだろうとは思うが、それだけが不安材料だ。


「最近のシャーロット様は、何というかいつもの大人びた考え方ではなく、自分の感情に振り回されているのですがとても良い傾向であると私は考えています。年相応に悩んでいる事に嬉しく思っておりました」

「え? シャーロット悩んでくれてたの? 学院ではあまりそう言った感じじゃなかったけど……」

「えぇ、それはもう、この数日は百面相のように表情がくるくる変わって、可愛らしい限りでしたよ」

 

 ふふふと愛おしい子供を自慢するようにケビンは笑い、それを見ていたアードルフもつい笑っているとおかわり分を作り終えたシャーロットが戻ってきた。


「なんだ、二人共随分楽しそうだな」


 丁度帰ってきたシャーロットは、先ほどと同じ量のパスタと先ほどよりは少し多い揚げナスをアードルフの前に置く。


「まぁね、ちょっとケビンと仲良くなっちゃった」

「仲良くさせていただけて光栄でございます」


 目を合わせて笑いあう二人に怪訝な顔を見せながら、もう一つ持っていた皿を置く。中には何も入っていない。


「それは?」

「あぁ、デザートに氷菓子を準備させているので食べ終わったら持ってこさせよう」

「本当!? すぐ食べよう!」

「さっきまでの不貞腐れた顔はなんだったのだ……」


 急に機嫌が良くなったアードルフに戸惑いながらも、その笑顔につられてシャーロット自身も笑ってしまった。


「食べるのが早いな。味わえばいいものを」

「美味いんだから仕方ないよ。さっそく……デザートの氷菓子お願いするよ」


 パスタを早々に食べ終え口の周りを拭きつつデザートをねだるアードルフの姿は、世の婦女子が一目見ただけで黄色い声を上げるシリウスの君とは思えないような天真爛漫な少年のような笑顔だ。


「仕方ないな。少し早いが頼めるだろうか」


 そう侍女に声をかけると、食べ終えた皿が片付けられていき、食後の飲み物を運んでもらう。


「シャーロットのご飯、美味しいよね」

「そう言われると嬉しいな。食事を作るのも手芸も然り、食べた人やもらってくれた人が喜んでくれる事が私も嬉しいな」

「俺が食べてるの見ても嬉しそうにしてるもんね」

「そうだろうか。クラーク殿は旨そうに食べるからな。見ていて気持ちいいのだ」


 そんな会話をしていると、氷菓子が運ばれてきた。


「透明な色だね……」

「これは少しスッキリした後味のシャーベットという氷菓子だ。作り方も簡単で本で読んで作ってみようと思ったのだ」


 口の中に入れると、甘くだけれども酸っぱいレモンの味が広がり鼻からは爽やかな香りが抜ける。


「おぉ……」


 感嘆の声を上げつつ、口に再度入れると冷たかったのか急にしかめっ面になったかと思うと、そのしかめっ面がじわりと柔らかく広がり笑顔になる。


「ふふ、クラーク殿は本当に表情が豊かだな」

「そう? それはシャーロットの前だけかもしれないよ」

「そうなのか? それはそれで嬉しいものだ」

「そう言うところさー、気を付けて欲しいと思う」

「ん?」


 嬉しそうな顔でシャーベットもおかわりしたアードルフは、満面の笑みでお腹をさすっている。


「先ほども思ったが、その姿を世の婦女子の方々にはお見せすることは出来んな」

「独り占めしたくなっちゃった?」

「いや、皆びっくりするだろうと思っただけだ」


 それは残念と、いいつつもそれでもご満悦な笑顔である。


 シャーロットが紅茶のお代わりを準備している間に、アードルフが連れてきた侍従にあらかじめ頼んでいたのか目の前に書状を書くための紙とペンが置かれる。


「なんだ。今書くのか? 急ぎの用事があるのであれば今日はお開きにしても……」

「何言ってんの。お開きになんかしないし、すぐに終わるからちょっとだけ待って」


 そう言うと、一瞬だけ目を閉じたかと思うとすぐにペンを滑らす。

 ものの数分で文書を書き終え、封蠟をするとそのままケビンに手渡した。

 渡されたケビンがあまりにも普通に受け取った事が、逆にシャーロットには不思議でたまらなかった。


「何故ケビンに?」

「さっき仲良くなった時に約束してたんだよ。ちょっと頼まれごとに協力してくれるって」

「えぇ、シャーロット様。これは私とクラーク様の二人の約束でございます」

「なんだかケビンを取られたようで寂しいな」

「そう言っていただけるとは、私は幸せ者でございますな」


 ケビンはそのまま封筒を胸ポケットに大切そうに入れると、アードルフに向かって頷いた。

 それを受けて、アードルフも頷く。


「さ、では今日のメインディッシュの中庭の散歩にエスコート願えますか? ポラリスの騎士 シャーロット・セイバー殿」

「えぇ、ぜひエスコートさせていただこうか。シリウスの君 アードルフ・クラーク殿」


 楽し気に手を取り合って中庭に向かおうと歩き出す。

 このやり取りがどうにもお気に入りのようで、先ほどまでアードルフとの関係に迷っていたシャーロットも楽しそうにしているのがケビンには見て取れた。

 さらに手を差し出し、エスコートされているアードルフの幸せそうな笑顔は恋をしている顔に他ならない。


「楽しそうなところに、大変失礼でございますが……。私旦那様のところへ用事がございますので本日はこれにて一旦下がらせていただきます」

「父上に? 近いとはいえ視察で帰って来ないだろう? 急ぎの用事か?」


 幸せそうに穏やかに笑いあう二人を見ていると、ケビンはアードルフに託された面会の書状をとにかく急いで届けたくなってしまったのである。


「急ぎの用事……とも言えますね」

「そうか。あまり急ぎ過ぎて事故などないようにな。気を付けていってくるといい」

「ありがとうございます。シャーロット様。夕飯の頃には戻ります」


 ケビンは先ほど胸元に入れた書状をもう一度確認して、大事そうに胸ポケットに戻し大きく礼を取り出発していった。


「では、俺達も中庭の散歩に出かけようか」

「そうだな」


 と、アードルフに笑いかけて……、シャーロットはそこではたと思い出す。

 母から言い渡された見合いの事を急に思い出して、楽しい時間であったのに急に寂しくなってしまった。


 アードルフに同じだけの想いを返せる気はしないが、憎からず思う相手である。

 表面的なものではなく、シャーロットの普段を見て尚好いてくれていることに対しても、ありがたいことだとは思っている。


 急に曇ったシャーロットの顔色を見逃したりはしない。

 アードルフはエスコートされていた手を少しだけ強く握って、声をかけた。


「シャーロット? また何か不安ごと?」

「なんだ、すぐにわかってしまうな。お前は私の事をよく見ている」

「好きだからね。そりゃちゃんと見てるに決まってる」

「……。なんだか、真っ直ぐに伝えられるとやはり恥ずかしいな」


 どきまぎしている、とは違う表情ではあるがアードルフとしては少しだけでも脈がありそうな反応は素直に嬉しいものだ。


 中庭まで歩いてくると、目にも鮮やかな花たちが風に揺れていて歓迎しているように見える。

 色々な花の香りが幾重にも折り重なっているのに、とても優しい香りに包まれていた。


「あのさ。俺明日もお邪魔することになるから」

「は? 何だ急に。そんなにパスタが気に入ったのか?」


 エスコートしていた手を離して、それでも二人中庭を並んで歩く。

 東屋のすぐそばにあるバラのアーチの傍まで来ると、優しかった香りに若干の甘さが混じり始める。


「パスタは大層気にいってます! けど明日の用事は違うよ」


 甘さが混じったのは、花の香りだけではない。

 シャーロットの視線の少しだけ上から、アードルフのその甘やかな声が耳元に届く。


「俺との事、考えてくれた?」

「ひぅっ!」


 急に耳元で囁くように発せられた声にびっくりして、普段は出さないような声が出てしまった。

 しかも腹から、大きな声で。


 今までも近い距離間で話すこともあったが、今のは完全に距離感が友人のそれではなかったことに加え、低いのに甘く艶のある響く声がシャーロットの思考回路を半分以上止めてしまった。


「びっくりしすぎ。しかも……あぁ、やっぱり可愛いな」


 シャーロットの反応を楽しむようにアードルフが笑った。


「ちょっとさ、さっきの聞いて俺も黙っていられなかったからさ。明日シャーロットの御父上に面会を依頼したんだ。ケビンに頼んだのは書状だよ」

「父上に会ってどうするんだ。直接直訴でもするのか?」

「そう、直訴する」

「気持ちはありがたいが、ただ取りやめにしてくれとクラーク殿が直訴するのは……」


 おかしいだろう?と言いかけたその言葉をシャーロットは飲み込んだ。

 たまに見える本気の表情で見つめられていたからだ。


 そして、じっとシャーロットを見つめたあとアードルフはニコリとほほ笑んだ。

 緊張感が少し緩んで、シャーロットもふわりと笑顔になる。


「御当主に直談判するのはね、先ほど聞いた見合いの取りやめじゃなくて、俺との婚約を許して欲しいって言う直談判」

「そうか、それはいい考えだな!」


 だからと言ってはおかしいが、返答もつい反射的になってしまっても……?

 ん?それはいい考えだな?はおかしい!おかしい!!!


「まて、待ってくれ。今のはちょっと反射的にというか……」

「そうか、それはいい考えだな! って言ったな。言ったよな」

「いや、だから私は、クラーク殿と同じ気持ちを返せるのかどうか、まだわからんのだ」

「俺の事嫌いじゃないだろ?」

「嫌いではない! 嫌いではないが……」


 時すでに遅し。一度言葉にしたならば撤回など出来ないのだ。

 それでもアワアワと、いつもの調子を取り戻そうと必死に言葉を繰り出そうとするシャーロットの手を取ってその手の甲にアードルフは唇を寄せながら、満面の笑みで答える。


「俺と同じ気持ちを持ったら……結構重いよ。だからこれからシャーロットなりに俺を好きになってくれたら、それだけで嬉しい」 


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