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窓から槍

 告白をされ、さらに婚約を視野に入れて考えているほど思われているとは、シャーロットにとってはまさに青天の霹靂であった。

 

 しかし誠意を持って考えると言ってはみたものの、自分自身はアードルフとどうなりたいのかわからず、ため息を繰り返すばかり。

 

 数えることをやめた何回目かのため息をついて、シャーロットは読んでいた本を閉じた。

 朝の剣の稽古では何も考えずに身体を動かせた。

 が、朝食中にアリスとアードルフの話をした後あたりからなにやら何やら落ち着かなくなってしまった。

 それでも、アリスに悟られまいとなんでもないという顔をして部屋に戻り、日課である読書に勤しむ。

 今日は他領との外交交渉を有利に進めるために、心理学の本を手に取ったのだが……。


「ふむ……。いかんな、どうにも本に集中できん……」


 窓際のサイドテーブルで本を読んでいたが十分と集中できず、冷えてしまったカップの紅茶を一気に飲み干してから、新しい紅茶を注ぐ。

 紅茶の薄いオレンジ色の水色水色(すいしょく)を覗くと、自らのさざ波だっていた心の奥が見えるような気がしてじっとその水面を見つめてしまっていた。

 じっと見ていても何も見えないことは分かっているのに、とシャーロットはカップを揺らし、短く自称気味に笑う。


 服の胸ポケットに入れたクマのぬいぐるみのスピカの頭を撫でながら、そわそわするような、むずむずするような……、うまく言葉にできない気持ちを無理やり落ち着かせるように漂う高貴な香りを肺いっぱいに吸い込み、深呼吸してから少し渋みのある紅茶を口に含んだ。


 先日のアードルフとの一件から数日。

 早く返事をしたいと考えてはいるものの、以前と変わらない接し方をしてくれるアードルフに甘えた結果、まだ答えを保留にしている。


 アードルフを好きかと聞かれたら、好きだと即答で答えられる。

 しかしそれはあくまで友人として人間的に好ましいということであって、恋仲になりたいのかと言われると良く分からない。そしてアードルフと同じ熱量の……。


「気持ちを返せる気がせん……」


 まだ暖かい紅茶に再び口をつけ、小さくつぶやいた。


 そもそもシャーロット自身、この年になるまで恋心などには無縁の人生を歩んできたのだ。

 友情とも違う何か。

 友人としての友愛と、恋仲としての愛情の境界線が分からないまま、ここ数日をただ流れるように過ごしてしまっていた。


「いっそ恋愛小説でも読んでみたら、少しはわかるだろうか……」


 そう言って部屋の本棚から、アリスが流行の小説だからと随分前に買ってきた恋愛小説を取り出す。幼い頃にはお姫様と王子様の出てくるような童話も読んでいたが、それももう昔の事。跡継ぎとなるべく教育が始まった頃には、もうそう言った類の本を読むことはなくなってしまった。

 最近はアードルフが薦める冒険活劇なども読んだりもしたが、惚れた腫れたの恋物語といったものはとんと縁遠くなった。


 そっと本を開け、読み始めようとしたところで部屋をノックする音が聞こえた。

 入室を許可すると、満面の笑みのケビンが来客を告げる。


「シャーロット様、そろそろアードルフ様がいらっしゃるお時間でございます」


 先日、アードルフが今週末に伺いたいと手紙が来ていたので、問題ないと返事をしていたのだ。


 ケビンが嬉しそうに応接室の準備は出来ていますのでそろそろ、とエントランスへ促す。


「もうそんな時間か? 早くないか?」

「いえ、もうそろそろ昼になります。シャーロット様が週末であれば昼食頃に来て一緒に食事でもするかとおっしゃっていたので、そのようにお返事させていただいたのですが」

「あ、え……そうか、もう昼なのだな」


 ここ数日、上の空だったことは否めないが、大事な約束の時間までぼんやりしていた自分に酷く落胆してしまう。

 しかしいつまでも逃げ回っているわけにもいかないのだと、シャーロットは自分自身に言い聞かせる。


「すまない。クラーク殿はまもなく到着だな?」

「はい。お約束のお時間ですので、そろそろかと……、もし気が乗らないようであれば、体調不良でお断りしますか?」

「いや、それは足を運んでくれたアードルフに失礼だ」

「そうですね。承知しました。シャーロット様へ昨日と今朝にしっかり確認すればよかったのですが、つい私も浮かれすぎて確認を怠ってしまった事は反省せねばなりません。申し訳ありません」

「ケビンが謝ることはない。私こそすまないな。さて、昼食は簡単にパスタにしよう。これを準備しておくように厨房に伝えてくれ」


 承知いたしました。と頭を下げ謝るケビンが再び顔を上げると何故か微笑んでいた。


「常に皆の手本になるようにと行動されるシャーロット様はとても素敵でございますが、自分を探しているように今を思い悩むシャーロット様もとても素敵でございますよ」

「悩んでいるのに……か?」

「えぇ、えぇ。このケビンにはとても輝いて見えます」


 幼い頃からシャーロットを見てきたケビンにとって、このようなシャーロットを見たのは後にも先にも一度だけである。

 弟のハリーのお披露目会で、中庭から帰ってきた時。

 その時に何があったのかは、当時見習いで入っていたローから報告を受けていた。


 シャーロットが中庭でクラーク家の次男坊、アードルフと話をしていたと。

 何の話をしていたのかは分からないが、とても楽しそうに話をしていたと聞いていた。

 さぞ仲良くなったのだろうとその時のケビンは大いに喜び、密かにクラーク家について調べていた数日後アードルフが隣国へ留学したことが判明した。


 シャーロット自身は中庭で話していたのがクラーク家の次男であることは知らず、学校で新学期にでも会えることを楽しみにしていただけに、結局会えなかったショックで少しだけ臥せった事があった。


 誰かに会えない寂しさを普段なら顔や態度に出したりしないシャーロットが、当時泣きながらアルと言う友人に会いたいとケビンに打ち明けてくれた時には、年相応にそう言った感情があった事に同時にほっとした事も覚えている。


 その時以来の心の振れ幅が見えたようで、なんとも微笑ましい限りなのである。

 いやしかし、あの時も今もアードルフが原因だと思うとなんだか少し癪にも思えてくる。


 そんなことを心の中で思っているとつい微笑んでしまっているケビンにシャーロットは怪訝な表情を見せるが、ケビンは出迎え準備をするように話を逸らす。


「さて、お召し替えはいかがいたしましょうか」

「服を着替える必要はないだろう。急ごう。出迎えなければならん」


 そう言って部屋を出て、玄関ホールに向かうと階段を降りる手前でタイミング悪くテリーとアルカナに出会ってしまった。これからテリーの乗馬の稽古に付き添うようで、日よけの為かつばがとても大きな帽子をかぶっていた。


「あら、シャーロット。今日はお友達がいらっしゃると聞きましたよ」

「おはようございます。母上。テリー。はい、今日お招きしているのは……」

「シャーロット姉様、お友達がお見えになるのですか? 僕もお会いしたいです」

「テリーはこれから乗馬のお稽古ですからね」

「どこのご令嬢か存じませんがセイバー家と釣り合いの取れるお家柄なのでしょうね」


 アルカナは来客があることを把握していたようだが、特に興味を持っているわけではないようだ。

 一方、ハリーは誰が来るのかとても聞きたそうにちらちらとシャーロットを見ている。

 それもそうだ。シャーロットが個別に友人を招いたことなど、今まで一度もなかったのだから。


 その時に来客を告げるベルが鳴る。

 扉が開くと、玄関から陽の光が入って明るくなる。

 その来客者は顔を上に少し動かして、階段の上にいるシャーロットを見つけた瞬間、陽の光にも負けないほどの輝く笑顔を見せて名を呼んだ。


「シャーロット!」


 普段学院で会う時とは少しだけ違い、走り寄ってくることはなくアードルフはゆっくりと歩を進め、シャーロットの前まで来ると少し足を引き頭を下げ、ふわりと手を取って、その甲へ唇を寄せた。

 貴族としての立ち居振る舞いであり、シャーロットも舞踏会などでは同じようにするのだが、自分がされる側になるとは思ってもみなかった。


「本日はお招きいただきありがとうございます。こちらは心を込めてシャーロット嬢へ。あぁ、スピカもお出迎えありがとう」

「は? いや、丁寧な挨拶をありがとう……、しかしちょっと色々追いつかな……」

「そこはありがとうだよ。シャーロット」


 そう言ってアードルフはもう片方の手に持っていたバラの花束をシャーロットへ渡し、いつもの笑顔で笑った後、従者に持たせていたいくつかの箱をセイバー家の侍女へ渡すように目くばせする。


 そのやり方を見ていた、先ほどまでは来客がセイバー家と釣り合うかだけを考えるだけで誰が来るかなどは興味もなさそうだったアルカナが、一歩前に出た。


「シャーロット。こちらは?」

「はい。こちらはアードルフ・クラーク殿です。母上、ハリー」

「クラーク殿。母上と弟のハリーだ」

「お初にお目にかかります。クラーク家次男アードルフと申します。シャーロット嬢とは学院で仲良くさせていただいております。本日はセイバー家の中庭を拝見できると楽しみにして参りました」


 クラークの家の名を聞き、家柄には問題ないと思ったアルカナがアードルフを値踏みするように見ると、当の本人は慣れているのか動じることなく微笑み返した。

 一方のハリーはアードルフのその優麗な挨拶の動きに尊敬のまなざしを向けている。


 今日のアードルフの出立ちは、黒のVネックに黒のパンツ、灰色チェスターコートと着ているものはとてもシンプルなのに生地も仕立ても良く、品よくまとまっている。

 学院では制服を着ている事が多く、たまの私服ももっとラフなのでシャーロットにもいつもより大人びて見えた。


 ハリーの視線に気が付いたアードルフがニコリを微笑み返すと、ハリーは近くに寄って『初めまして』と自己紹介と挨拶を交わした。シャーロットは長兄として育てられたとはいえ、やはりハリーにとっては姉である。もちろんウェイバーとも話をしたりすることもあるが、アードルフとウェイバーではタイプが違う。

 初めてシャーロットが個人的に招いた友人で、さらに優雅な挨拶とスマートな物腰に興味津々なようだ。


 さんざん観察した後アルカナはクラーク家であればよろしいでしょうと言い残し、その場を去ろうとしたところをアードルフが呼び止めた。


「本日はお招きいただいたお礼に、こちらを持参いたしました。好みに合えばよいのですが」


 従者が綺麗なリボンのかかった高価そうな箱をいくつか持ってくると、アルカナの表情がみるみる驚いた顔に変わっていく。


「こちらは王都で流行っているアルタジアの茶器と紅茶のセットに、焼き菓子です」

「まぁ、どちらも手に入りにくいものですのに、さすがクラーク家ですわ」

「いえ、たまたまですよ」


 なんとも現金なもので、ウェルヴィン王国で手に入いれることがなかなか難しい希少なものを手土産として持ってきたアードルフに、手のひらを返したような笑顔を見せるアルカナを何とも言えない表情でシャーロットは見ていた。


「シャーロット。粗相のないようにするのですよ。クラーク様、どうぞごゆっくり」


 はいと返事をしたものの、なかなかその場を離れないアルカナの思惑が分からずどうしたものかと思ってると、アードルフがこの後の昼食について質問をしてきた。


「今日は昼食をいただいた後、中庭を案内してもらえるのだろう?」

「あぁ、昼は簡単にパスタにするつもりだが、クラーク殿は辛いのは好きだっだろう?」

「シャーロット嬢の作るものは美味しいからね。なんだって喜んでいただくよ」


 アルカナの手前、シャーロットとアードルフもいつもとは少しだけ距離があるような喋り方をしているのだが、あえてそう言って話していることがお互いわかってくるとだんだん面白くなってきた、その時……。

 二人のやり取りを見て何を思ったのかは分からないが、ようやくその場を去ろうとしたアルカナが去り際に一言爆弾を落とした。


「シャーロット。あなたにお見合いの話が来ています。詳細はクラーク殿がお帰りになってから話しますから、夜にでも部屋に来なさい」


 急に何を言われているのか理解できず、シャーロットは返事も出来ずにいた。

 一緒にいた弟のハリーも、同じように理解できないようで動きが止まってしまっている。きょろきょろと周りを見渡すハリーの手を取り、アルカナは笑顔でその場を去っていった。

 そばにいたケビンは、何が起こっているのか一瞬で理解し怒りに震えていた。


「シャーロット……」


 小さく名前を呼ばれ、返事をする。


「あぁ、すまんな。今日はこの後昼食を食べて、中庭を案内しよう。あの頃から特に変わっていないが今はずいぶん花盛りで……」

「シャーロット!」


 大きな声でアードルフに名前を呼ばれて、ようやくアルカナから予期しない出来事を言われたことに気がついた。

 

「びっくりはしたが、今すぐと言うわけではないだろう。折角お前に好いてもらえたというのに……」

「させないよ。見合いなんて、絶対させない」


 低く、怒気をはらみ唸るような声。


 普段聞いたことのないような、しかしそれはアードルフの声であった。

 

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