再会
「俺が、君を可愛いと思った」
「なにをどう見たらそんな言葉が出てくるのか。私が可愛いなど、クラーク殿は……その、視力が良くないのだろうか?」
俺、視力はいいほうだよ、と嬉しそうに目を細めて笑う。
あぁ、もしかしたらこれが社交辞令と言うものなのだろうか。
そうだとしたら、この御仁はシャーロットにも可愛いと言えるほどとても優しい人なのだろう。と思い至った。
—————————
人の多い舞踏会を抜け出し、シャーロットは季節は春だが夜はまだ少し寒いが外の庭園で一人散歩を楽しんでいた。
妹のアリスの付き添いでやってきたのだが、いかんせん妹は美しい上に社交性の高いので、彼女のそばにいると常に人が集まってくる。それに付き合って話をしたりエスコートをしたりと、まぁ、気を使ってしまうので気疲れてしまうのだ。
今回もかなりの人に囲まれて、さらに随分と喋ったので喉を潤そうと、香りに引き寄せられて近寄った綺麗な茶器の前でうっとりとそれを見ていたところ、先ほどまでアリスといた少女に声をかけられた。
「シャーロット様も、ご一緒にお茶を飲みませんか? こちらのクッキーであればあまり甘くはないと思います」
笑顔で声をかけてきた少女を見ながら、シャーロットは思う。
こういったものが似合う彼女たちが羨ましい。
ふわりと柔らかそうな生地の可愛らしい淡い色のドレス。
自分の肩程までしかない身長。
声をかけてくれたその女の子は、潤んだ大きな目でシャーロットを見上げて微笑んでいる。
「ありがとう、ございます。」
少し言い淀むと、横からアリスが助け舟を出してくれる。
「お姉様は可愛らしいものや甘いものがとてもお好きなのですよ」
「まあ、そうとは知らず……、ではこちらの可愛くデコレーションされたケーキなどいかがでしょうか」
アリスに促された女の子達が次々とシャーロットの前にケーキを積んでいく。
「ほら、お姉様、こちらへ」
「すまない、アリス。ありがとう。あぁ、これは可愛らしいですね。それに、どれも甘くて美味しいです。」
ふわりと微笑んだシャーロット。
その姿は、スラリとした高身長に、中性的な顔立ち。瞳は大きいが切れ長の目と少し薄い唇。
長ければとても夜に映えて綺麗であろう銀色の髪だが、諸事情によりシャーロットは耳にかかる程度の短さだ。
まさに少女達が、絵に描いたような王子様の出立である。
「あ、あわ、あ。はい……。こちらこそありがとうございます。シャーロット様」
目の前にいた娘たちはそのシャーロットの笑顔に打ちのめされて、顔を真っ赤にしている。
それをいつもの事だと、舞踏会に来ていた同年代の青年たちもあきれ顔で見守っていた。
品良くケーキを口に運び、紅茶を飲み微笑む姿は本当に王子様のようで、少女たちはその姿を見ながらため息をつきつつも、目を離すことなくじっと見てしまう。
「あの、私の顔に何か?」
「いえ、とても美味しそうにケーキを食べていらっしゃったのでつい」
「え……? あ、おかしいでしょうか」
「おかしいなどと、そんなことはありません。ただ、ちょっと意外で……」
その食べる姿すら絵になると、少女たちが次々に口に称賛し始める。
そんなことはないと謙遜しつつ無理に笑顔で接しているシャーロットを、アリスが見逃すはずがなかった。
王子様のイメージが先行してそれを求められると、がっかりさせないためにそうふるまってしまう。
姉はこんなにも可愛いものや甘いお菓子が大好きなのにだ。
「お姉様、私あと一時間ほどでお暇しようと思いますので馬車の準備をお願いいたします」
「え、アリス様もうお帰りになりますの?」
「今日は沢山お話ししましたし、少し疲れてしまいましたわ。さ、お姉様」
残念がる少女達だが、アリスにそう言われては引き下がるしかない。
「わかったよ。アリス。では私は外で待とう。時間になったら降りておいで」
「えぇ、お姉様」
そうアリスが言うと、シャーロットに近づき小さな声で伝えた。
「ここの庭園は、バラがとても綺麗なのですって。少し寒いですがゆっくり庭園を散歩してくださいね」
こそりと伝えられた言葉にびっくりするが、妹の粋な計らいにシャーロットはありがとうと一言伝えて外に出ることにした。
庭園はアリスが教えてくれた通りとても素晴らしいものだった。
様々なバラが咲き誇り、豊かな香りが心を楽しませてくれる。
「良い匂いだ……」
求められる人物像に近寄ろうと、騎士のような喋り方をしていたらそれが癖になってしまったので口調はいつも通り硬いが、今は誰も見ていない、そう思うと、自然と穏やかな表情になっていくのが自分でもわかった。
「ふふ、このバラはピンクで綺麗だな。ほら、見てみろ、スピカ」
そう言うとシャーロットはポケットから小さなクマのぬいぐるみを取り出して優しく話しかける。
「な? ふふふ。あっちにも行ってみよう。バラの種類も沢山あるから様々な香りがするな。どれもいい香りだよ。星も出てきて……、あ、北極星も見えるな」
そういって、自分で作った小さなクマのぬいぐるみ、スピカに北極星はあそこだぞ、と笑顔で語り掛けている。
誰か知らない人物がこの場にいたなら、まさかあのシャーロットがこのような笑顔を見せるとは、と目を丸くする事だろう。
シャーロットは別に剣の腕がすこぶるいいというわけではないが、その勤勉で礼儀正しく穏やかな人柄、さらに口調や立ち居振る舞いから、皆の指針となるように言う意味で「ポラリスの騎士」などと呼ばれているほど、可愛いからかけ離れているのだから。
「しかし、先ほど食べたケーキはとても美味しかったな。上に乗っていた飴飾りがとても愛らしくて食べるのがもったいないほどだった」
ゆっくりとクマのスピカに話しながら、バラの庭園を歩く。
「皆は私が可愛いものが好きだと知っても半信半疑であまり信用してくれない。今日いらしたご令嬢たちは気を使ってくれていたのかもしれないが、甘いものを進めてくれたので嬉しかったよ」
スピカに話しかける、が、返事はない。
当たり前ではあるが。
「お前が喋ってくれれば……。いや、すまない。お前は喋らなくても私の友だ」
そういって頭を撫で、胸ポケットにスピカを入れ直しさらに庭園を歩く。
バラの花と、香りを楽しみながらゆっくりと歩いていると、少し先のバラのアーチの前で男性三人が立ち話をしているのが見えた。
今日の舞踏会には同じぐらい年齢の参加者が多かった。
シャーロットはアリスの付き添いとして傍にいたが向かいから歩いてくる三人の内一人は、会場では見かけなかった気がする。
「今日はアリス嬢と話が出来て良かったよ」
「綺麗だもんなアリス嬢。何というか守ってあげたいって言うか、あの儚げに微笑まれる姿がたまらないよな」
うむ、うむ。我が妹は可愛らしくもあり、綺麗なのだ。とシャーロットはその話を聞きながらも、でもそこいらの娘よりも強かだし、儚げに微笑んでいたのは君達の話がつまらなかったからだよ、と思いながら横を通り過ぎようとする。
「あ……、シャーロット殿」
「こんばんわ、いい夜だな」
シャーロットはしっかりと名前は知らないが顔は見たことのある二人と、会場では見かけなかったが今日の舞踏会に参加していたであろうもう一人にしっかりと挨拶をする。
「シャーロット殿、アリス嬢はご一緒ではないので?」
「あぁ、妹はまだ友人方と話をされているようだ。しかしそろそろ帰る時間だからな。直に降りてくるだろう」
「しかしシャーロット殿の妹君は本当に可愛らしいですな」
「あぁ、私もそう思う」
彼らが何を言いたいのかはわかる。アリスとの橋渡しをして欲しいのだ。
しかしアリス自身はそういったことを望んでいないので、そう言う素振りをする男性がいてもシャーロットはいつも気が付かないふりをしている。
「今宵はよい舞踏会だったな。今宵はそろそろ失礼しようと思う……」
会釈をしてこの話はそこまでだ、と言わんばかりに会話を終了しようと顔を上げた瞬間、二人は残念そうに離れていったが、見知らぬもう一人がじっとシャーロットを見ていた。
「すまぬ。どこかで会った事があっただろうか。生憎貴殿の事を覚えていないのだが」
その残った一人が一瞬ハッとした顔をして、すぐさまニコリと人好きのする笑顔を見せた。
「そうだね。どこかですれ違った事があるかもしれないけれど……。俺の名はアードルフ。アードルフ・クラーク。よろしくね」
「あぁ、私はシャーロット、シャーロット・セイバーだ。こちらこそよろしく頼む」
その名前に何となく聞き覚えがあったが、はて、と考える隙を与えずアードルフはシャーロットに右手を差し出し握手を求め、胸元をじっと見つめて穏やかに微笑んだ。
「なんというか、そのぬいぐるみ。可愛いね」
「あぁ、これはだな」
庭園の散歩ですっかり気が緩んでいたので、三人と通り過ぎる前に隠し忘れてしまったのだ。
シャーロットは上手い言い訳が思い浮かばず、言い淀んでしまう。
「名前はあるの?」
「名前……」
「そんなに大切にポケットに入れて連れてるなら、名前ぐらいあるのかと思って」
アードルフは穏やかに微笑んでいる。
身長は比較的高いシャーロットだが、完全に上から覗き込まれる経験はなかなかない。
「この子の名はスピカと言うのだ」
「へぇ、いい名前だね。可愛いな」
「あぁ、可愛いだろう? スピカ自体も良い名だからな」
自分の可愛いと思っているものを褒められて悪い気はしない。
珍しく饒舌になってしまう。
「片割れのアークトゥルスはいないの?」
「星言葉など良く知っているな。家にはいるぞ。妹のアリスにプレゼントしたのだ。あぁ、アードルフとアークトゥルス、なんだか少しだけ音が似ているな」
ふふふ、と目を細め楽しそうにシャーロットが笑うと、アードルフが大きく息を吸ったかと思った直後に、盛大にため息をついた。
そのため息を聞いて、シャーロットは急に我に返った。
ポラリスの騎士などと呼ばれ、その外見から王子などとも呼ばれている人間が、こんな話をしているなどと幻滅されたのだろう、と。
「すまないな。私は楽しかったがクラーク殿を退屈させてしまったようだ。私はそろそろアリスを迎えに行かねばならぬ。また機会があれば……」
「可愛すぎんだろ……」
離れようとするシャーロットの手を掴み、小さくアードルフはつぶやいた。
手を掴まれる、という経験があまりないのでどう反応していいのか一瞬迷ったが、スピカを気にしていたのでもう少し近くで見たかったのだろうとシャーロットは推察した。
「正気か? あぁ、スピカの事だな。もしよければ……」
そう、掴まれていない方の手でスピカを胸ポケットから出そうとすると、その手も掴まれ、優しくシャーロットの両手を包み込みこう言った。
「違うよ。君が、可愛すぎだ」
アードルフは『君が』をより強調する。
「は? 誰が誰を可愛いと?」
「俺が、君を」
さらに同じことを繰り返した。
何を言っているのか全く理解できない。
「俺が、君を可愛いと思った」
「なにをどう見たらそんな言葉が出てくるのか。私が可愛いなど、クラーク殿は……その、視力が良くないのだろうか?」
握っていた手を名残惜しそうに離したが、俺、視力はいいほうだよ、と嬉しそうに目を細めて笑う。
あぁ、もしかしたらこれが社交辞令と言うものなのだろうか。
そうだとしたら、この御仁はシャーロットにも可愛いと言えるほどとても優しい人物なのだろう。と思い至った。
「そうか。気を使ってくれて申し訳ない。だが、ありがとうと言っておこう。ではまた機会があれば会おう」
そろそろ本当にアリスとの約束の時間が迫ってきているので、アードルフに別れの挨拶をして馬車寄せに向かって歩く。
特に後ろ髪を引かれたりなどはせず、シャーロットの堂々たる去り際をしっかり見届けた後、アードルフは側にあったベンチにどかりと座って空を見上げる。
「はぁ、変わってないな。相変わらず可愛いものが好きなんだ……。それに本人もあんなに可愛くなってるし。ほんと今日顔を出して良かった」
空を見上げたまま、自分自身に問うように声を出して大きく息を吐きだす。
そしてシャーロットが去っていったその方向を向いて、アードルフは愛おしそうに微笑む。
「さて、さて、あとはゆっくり俺を思い出してもらわないと。手加減はしないよ。シャーロット」