十秒のハグ
思いつき短編です。
「ねえ光生、ハグしよ。毎週火曜と金曜に」
高校からの帰り道、幼馴染の美咲が突拍子もない事を言い出した。
「……は?」
「は、じゃなくて、ハグ」
いや別に動揺して噛んだとかじゃないし。そもそもたった二文字を噛むとか、いくら俺が口下手な陰キャでもありえない。
……たしかに動揺はしてるけども。
「理由を聞こうか」
バレないように深呼吸して、つとめて平静を装いつつ美咲に問う。
まあ美咲のことだ。
どうせ何かのドラマか漫画の影響だろうけど。
「人と触れ合うと、運気が良くなるんだって」
おっと、占いでした。
だがしかし、その理由は穴だらけ。ザルだ。
「なら、クラスの女子とでもハグすりゃいいじゃないか」
一応男子を除外するあたりが、小心者の俺らしい。
などと言った後で脳内反省していると。
「まあ、いいじゃん。幼馴染なんだし、兄妹みたいなもんでしょ?」
兄妹、か。
胸の奥の隅っこが、ちくりと痛む。
そりゃまあ、そうだよな。
モテモテ陽キャの美咲が、俺なんかを異性として意識するわけがない。
「つか、もちろん俺が兄だよな?」
「はぁ? 私の方が三ヶ月と七日も早く生まれてるんだけど?」
そうだった。
美咲の誕生日が先月。
俺の誕生日は、再来月だ。
つまり今は、美咲の方が年上となる。
「……けっ、姉さん女房なんてゴメンだね」
鼻で笑うと、美咲は顔を真っ赤にしながら何かを言おうとして。
きっと何も出てこなかったのだろう、もう、とだけ叫んで肩を叩かれた。
日は沈み、薄暗いオレンジの街並みを抜ける。
先月に閉店したコンビニの角を曲がって、数分。
美咲の家が見えてきた。
「んじゃあな。数学の課題、忘れんなよー」
ひらひらと手を振り、もう1区画先の俺の家に向かって歩き始めた瞬間。
「ちょっと待ってよ」
制服の裾を軽く引っ張られた。
美咲に振り返るが、その表情は見えない。
なのに、何故。
何故、俺の鼓動は落ち着かないのだろう。
「今日……金曜日なんだけど」
たそがれ時。
誰ぞ彼、と思うほど、顔が確認しにくい時間帯。
だが、今はそのおかげで助かっている。
微かに見える上目遣いの表情は、よく知る幼馴染の美咲ではない。
目を凝らせば、きっと虜になってしまう。
そういう、ただの美少女だった。
「ね……金曜は、ハグ、だよ」
「り、了承した覚えは無い」
少しだけ、美咲の顔が近づく。
緩やかに流れる、風と呼べない空気の流れが、美咲の香りを運んでくる。
「ねえ、して」
「ちょ……離れて」
一歩後ずさると、美咲は一歩前に来る。
背中が硬い円柱に当たる。
視界の端に映ったのは、電柱だ。
この電柱のおかげで、俺たちはゲームやパソコンで遊べるのだ。
本当にありがたい。感謝しかない。
「光生……いや?」
やべ。現実逃避、失敗。
すでに美咲の息は、俺の胸元に当たる距離で。
熱くて。
こわい。
ん? こわい?
何がこわいのだ。
相手は美咲、保育園から知っている女の子だ。
その美咲の、何がこわい。
もし、もしもだ。
ここで美咲とハグなんてしてしまったら。
まず、まともに美咲の顔を見られなくなる。
そして多分、会話もぎこちなくなるだろう。
こわいのは、変化なのだ。
この関係性が変わってしまうのが、こわいのだ。
「光生。初めて会った時のこと、覚えてる?」
初めて会ったのは、保育園の年長さん。
キリン組だった。
その時……あ。
「子どもの頃の約束なんて、引っ張り出しても意味が無いのは分かってる。でも、私は、嬉しかった」
幼かった俺は、初めて会った美咲に。
「プロポーズしてくれて、ありがと」
ふわりと、細い腕に包まれる。
さっきまで風に泳いでいた香りは、今俺の胸元から漂っている。
美咲は、何かを呟いていた。
「ろく、しち、はち、きゅー、じゅう!」
パッと顔を上げた美咲は、よく知る幼馴染の表情に戻っていた。
「ねえ光生、ハグって知ってる?」
意地悪そうに訊いてくる美咲は、まるで子どもみたいに笑う。
「い、今のがハグ、だろ?」
「ちがいますー」
ブッブーと口で不正解の効果音を発した美咲は、背伸びして俺の耳元に口を寄せる。
「抱きしめ合うんだよ」
血が沸騰しそうになった。
きっとサーモグラフで見たら俺だけオレンジ、いやマグマの赤に映るだろう。
身体を離した美咲は、バックステップで玄関の前に立つ。
「じゃあ、次は火曜ね」
火曜、か。
遠いな。
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