波紋
これは山田浅右衛門の資料には記載はありませんが、浅右衛門の弟子の末裔の方から譲り受けた文書の中に書かれていたお話です。
何代目の浅右衛門かは定かではありませんが、代々受け継がれてきたそうなので、かなり古い浅右衛門からの言い伝えである可能性が高いかと考えます。
私の拙い文章で恐縮ですが、現代風に掻い摘んで記させていただきたいと思います。
まず初めに、山田浅右衛門という人物についてご説明いたします。
歴史好きな方は既にご存知かと思いますが、浅右衛門は江戸時代から明治時代にかけて、幕府からの依頼で御様御用という刀剣の試し斬りを兼ね、罪人の斬首刑を代々務めていた一族です。
時代劇や小説などでも、度々登場する人物でもありますが、これから紹介する浅右衛門のお話は、私が記憶する限り、初めてのものかと思われます。
夏も終わりに近づき、少しヒンヤリとした日の事です。
その日も山田浅右衛門は、罪人の斬首を担当する事になっていました。罪人は強盗殺人の罪で死罪を宣告された、お七という女だったそうです。
いつもと同じように処刑場で待機していた浅右衛門の前にその女が連れてこられました。
このお七という女、顔は死人のように既に青白く、頬も痩せこけていましたが、しかし不気味な事に、目をぎょろぎょろと爬虫類のように動かし、口元に微かな笑みを浮かべていたのです。
気味の悪い女だと、その場に居合わせた誰もが思ったそうですが、浅右衛門だけは表情一つ変えず、じっと罪人を見据えていました。
目隠しをされる間もお七は暴れる事もなく、喚く事もなく、にやにやと笑っているばかりでした。
「最期に申し残す事はないか?」
役人がお七に訪ねましたが、返事はありません。ただ頻りと何かを呟いていたようです。
ーオマエモ、コロスー
ーオマエモ、コロスー
ーオマエモ、コロスー
これは浅右衛門の耳にのみ届いていたそうで、他の者達には聞こえなかったという事です。
浅右衛門は何も動じず静かに抜刀し、ふうっと息を吐き出しました。
太陽が刀の鋒に反射し煌めいています。
お七は身動き一つしません。
浅右衛門はゆっくりと刀を振り上げました。全神経を集中させ、お七の首の関節に狙いを定めていきます。そして次の瞬間、刀を一気に振り下ろしました。
鮮やかな名人芸とでも言いましょうか、浅右衛門は一太刀でお七の首を斬り落としたのです。厳密に言えば首の皮一枚を残し、骨を絶ち斬ったとの表現のが近いのかもしれません。
今回も無事にお役目を果たした浅右衛門はほっとしましたが、その直後に怪奇現象が起こりました。
地面に落ちたお七の首を役人が拾い上げた時、その役人は悲鳴を上げ、腰を抜かし尻餅を付きました。
目隠しが外れたお七の生首が瞬きをし、ぎょろりとした目を動かして、その場に居た者達を見渡したのです。
そして不気味な笑みを浮かべたままだった口元がゆっくりと開き、掠れた声で喋り出したのです。
「オマエラ、コロス」
斬首を見守っていた役人達は、恐怖に凍りつき、その場に立ち尽くしていました。見物人達は一目散に逃げ出しましたが、浅右衛門だけは冷静でした。
「もう死罪は終わった。安らかに眠りなさい」
お七の生首に話しかけました。
「オマエモ、コロス」
浅右衛門の目をじっと睨み付けたまま、お七の生首は喋り続けます。
その時です。
なんと今度は首を斬られたお七の胴体が、ゆっくりと起き上がったのです。
「こいつは妖怪だ!」
役人達は恐怖のあまり顔面は蒼白になり、刀を抜く事も出来ず、ただ震えているばかりです。
血に染まった死装束を翻し、首の無いお七の胴体が浅右衛門に襲いかかりました。
「赦せ」
浅右衛門は一言発すると、目にも止まらぬ早業を見せました。
刀を振り下ろし、お七の胴体を、縦に真っ二つにしたのです。御様御用をしていた浅右衛門だからこそ出来た業でしょう。
真っ二つになったお七の胴体は、そのまま動かなくなり、生首もようやく目を閉じました。
要点だけを纏めて手短にお話しましたが、これが私が譲り受けた文書に書かれていたものになります。
奉行所の役人達が恐れおののく様を世間に知られない為に、幕府より箝口令が敷かれたようで、この怪奇現象の記録はほぼ残っていないのが現状です。
山田浅右衛門一族はこの話を戒めとして心に刻み、お七への弔いとして受け継いできたのでしょう。
余談になりますが、この時使われた刀が妖刀として語り継がれている村正だったのではといった噂があるようです。もしくは勝海舟が譲り受けたとされる海舟虎徹だったとも山田家では言われているそうです。
しかしながらこれに関しては、私もその真偽の程は定かではありません。