2.MIB
悪夢を打ち砕くような銃声に、声とも音ともつかぬバケモノの金切声が響く。
同時、足首にからみついていた触手の力がぬけた。触手の手から滑り落ちるエレナの耳に、風をきる音が響く。
全身が風にうねり、自分が落ちている事に気付いたエレナは、気が飛びそうになった。まるでゲームのバグみたいに、みるみる地面が近付いてくる。
(……このままじゃ、地面に叩きつけられる!)
恐怖からかたく目を閉じた瞬間だった。
待ちわびていたかのような大きな何かに抱きかかえられ、持ち上げられる感覚にうんと体が重くなる。ジェットコースターで高みまで昇り上がる感覚に、胃がひっくり返りそうになった。
高みの無重力に、エレナは薄目を開いた。青白く輝く月を背に、月色の髪がそよぎ、エレナの頬を撫でる。誰かに抱えられていたと気付いたのは、運動場の芝生に両手をついた瞬間のことだった。
爽やかな若草の香りに、我に返ったエレナが顔を上げる。
「えっあ……あれ、……?」
間髪いれず、人のうめき声とも犬の唸り声ともつかぬ咆哮が響く。余韻が電気のように肌を撫ぜた。
遠くの校舎の隙間から、さっきまでエレナを掴んでいたバケモノが大きく身を乗り出す。
遠目にバケモノの触手が踊り、ギョロついた無数の目が一斉にエレナをとらえた。その瞳に、エレナは内臓を一気に引き抜かれたような恐怖を覚える。
「や……やだやだ、もう意味わかんないっ……!」
エレナは棒のようになった膝を叩き、わずかな勇気を奮い立たせる。あれがなにかはわからないし知りたくもないが、距離はある。校門まで行けば逃げ切れるはずとふんだエレナは、振りちぎるように踵を返した。
勢いに一歩よろめいた時、ふと黒い誰かがエレナを抱きとめた。青白く輝く月色の髪が、見上げたエレナの顔にかかる。
エレナは驚いた猫のように顔を上げた。
「夜の学校には入るなと教わらなかったか」
耳心地のいい、低く澄んだ声。エレナは思わず、目の前の男性に目を奪われた。
その男は、研ぎ澄まされたナイフのような鋭い雰囲気を漂わせていた。見たところ20代後半か。青味がかったきれいな白髪が月光に光る。何よりその風貌にエレナは思わず呼吸を忘れた。
長いまつ毛に薄い唇、筋肉質でセクシーな褐色の肌。長めの髪からのぞく横顔は、人間とは思えないほど美しい。まるで精巧な生きた彫刻像……いやそれ以上に、ぞっとするほどの美男子だ。
そんな白髪男は黒い帽子に黒いトレンチコートの黒づくめで、紳士御用達のような上品な白手袋には、バット程の長さのナイフが光っている。
(なんてハンサムな人……!)
そのいでたちと状況に、エレナは合点した。歴史あるセリオン学園の校舎目当てに、撮影依頼がちらほらあるのは有名な話だ。緊張抜け切らぬまま、安堵な声をもらす。
「ぁあ……もしかしてこれ、映画の撮影? ごめんなさい、撮影の邪魔するつもりはなかったの。宿題を忘れちゃって」
エレナの問いに白髪男は答えず、バケモノをちらりと見やり、ため息をつく。まるで野良犬を捕まえる保健所員の目だ。
安堵するエレナをよそに、大きな銃声が響いた。その銃声にエレナが思わず身をかがめる。
バケモノは銃声に大きく身をよじり、驚くほどの勢いでエレナに向かって四つ足を進ませていた。
「話はあとだ」
白髪男は軽く言い捨て、長いトレンチコートをひるがえし遠くのバケモノを見やる。顔半分隠れるほどの大きなサングラスを片手で覆うようにはめた。
「来るぞ」
それが合図かのように、黒い影が中庭から飛び出した。その影は素速くエレナのわきに走りより、銃のマガジンを慣れた手付きで抜き変える。
「よー、お嬢チャン。大丈夫?」
今度はツンツンのハネッ毛の茶髪が目立つ、今時のチャラそうな若者がエレナにウィンクを飛ばした。人懐っこい笑顔に白い歯が光る。
見たところエレナと同い年ほどか、白髪男と同様の黒づくめだが、短ランのような上着は白髪男と相反させるものがあった。
チャラ男はエレナの頭を犬のようになでくりまわし、太陽のように明るい笑みをむけた。
「もう大丈夫! カッコイイ俺たちが、キミを全力で守っちゃうよん」
唖然とするエレナの頬を、軽くたたき向き直る。それをよそに、白髪男の氷のまなざしはバケモノへと向けられていた。
「……ね、ねぇ、これって何かの撮影なんでしょ?」
うわずる声を抑えながら、できればそうあってほしいとエレナは願った。しかし、白髪男は静かに首を横にふる。
「我々は【MIB】。地球人に害をなす異星人の監視および業務執行する者だ」
それにチャラ男が苦笑に鼻頭をかく。
「まぁぶっちゃけ、人類のため悪いエイリアンをやっつけてるんだよ。巻き込んじゃってごめんネ!」
白髪男が小さくため息ひとつ。チャラ男と見交わし、威嚇するようにナイフで空を切った。
チャラ男はバッターがピッチャーに挑発するがごとく、銃をバケモノに向ける。
「ピッチャーGO!」
「やかましい」
流れるようにツッコミを入れた白髪男が先攻する。黒いトレンチコートが、羽ばたくカラスのように大きく広がった。加勢するかのように、陸上火薬のような銃声が響く。
その光景は、まるで映画のようだった。エレナはその場に膝をつきぼんやりとその光景を見るしかできなかった。
身体を這われた感覚が、生ぬるい吐息のように残っている。
風を切る音と共に、白髪男が刃を流す。百発百中のチャラ男の両手銃は、飛ぶ鳥おとす勢いに次々触手を撃ち落としていった。
花火のように散る肉片、煙のような血しぶきは、噴水のように空を赤く染めていく。
飛ぶ鳥を落とす勢いの2人に、エレナはまばたきすら忘れていた。あまりにも手鮮やかだった。あんな巨大なバケモノを、たった2人で畳み込んでいるのだから。
銃にひるんだバケモノの一瞬のスキに、白髪男が弧を描くように一刀両断する。間髪入れず身のあらわになった断面は、まるで地獄絵図の罪人の手のようにうごめいた。
「じゃあ仕上げといこっかね」
軽く言ったチャラ男が銃を手のひらでまわし、まるでウエスタンポリスのように持ち変えた。矢継ぎ早に火を噴く銃口の先で、バケモノの大絶叫が響く。
地の底から這い上がるような、天から突き落とされたような咆哮を背に、チャラ男がピースサインをエレナに向けた。
その余裕しゃくしゃくの陽気な笑顔に、エレナは思わず安堵の息を吐く。
「すっごい、夢みたい……!」
バケモノの断末魔は力なく消え、ゆっくりとその身を地面に叩きつけていた。
一瞬遅れた軽い地響きに、エレナは力なく膝をついたのだった。
まるで映画の戦場は、静かに幕を閉じた。余韻のように、銃声が頭の中で反響する。風に乗った硝煙のにおいに、エレナは全身が粟立つ感覚を覚えた。
エレナは思わず目をかたく閉じた。まるで突き落とされたような恐怖に、溺れるようにその身を掻き抱く。
(……なにこれ、嫌だ、この音、このニオイ……こわい!)
緊張からか、白昼夢と現実の境目が曖昧になるのを感じた。うまく呼吸ができず、喘ぐように胸元をおさえる。
怖かった。今頃になって恐怖がせり上がり、まるで深海に落ちていく棺桶に押し込まれたかのようだ。
「おい、大丈夫!?」
チャラ男の声が、水中のように遠く籠っていく。考えが加速し、やがて意識を手放したエレナは、力無く地に倒れこんだのだった。
あとはただ、暗闇……。
★
耳が割れそうなほど、響きわたる銃声。
硝煙のにおい。たくさんの靴音。血のにおい……
〔ごめんね……ごめんね……〕
大好きな手が、力無く血だまりに落ちる。
どれだけ泣いて叫んでも、その先は、暗闇だった。
……もうその顔すら、思い出せない……