4.黒金
エレナは湧き上がるように目が覚めた。
車の天井、窓の外で煌めく街灯……そして頭の下の、柔らかいジュリアの膝にまばたきひとつ。エレナは街の明かりに安堵した。窓の外遠くに、大きな満月が浮かんでいる。
(ああ、終わったのね……)
エレナはぼんやりと、満月を見た。車内の匂いや温かさに胸をなでおろす。幽霊屋敷の出来事がまるで遠い夢のようだった。もしかしたら、夢だったのかもしれない。夢ならではに、幽霊屋敷での記憶がどんどん消えていく感覚があった。
ジュリアが助けに来てくれたまでは覚えている。でもそれ以上は、油を塗った鉄棒を掴むかのようだ。
その時、エレナの頭にふとジュリアの手がかかる。
「そのお面は一体何だったの」
ジュリアが、エレナの髪をなでながら言った。エレナが目覚めた事に気付いていないようだ。
エレナは京に視線をやった。助手席の京の手には、怪士の面がある。幽霊屋敷の時とは違って、かなり年期の入った木のお面に見えた。
京はどうということなくお面を振る。
「きかんほうがええ、こいつはまだ生きとる。耳にすれば縁ができてしまう。考えることも、花を手向けることもあってはならん」
京はぼそりと何かを呟き、2本指で小さくチョップした。怪士の面は枯れ木のごとく、綺麗に2つにぱっかりと割れる。京は視線は怪士の面にやったまま、続けた。
「人を呪わば穴二つ……この穴ってのは墓穴のことよ。呪術ってのはな、それを作る人間にも呪となる。肉体がないから、何年も何百年も平気で残る。坩堝になった念がさらなる念を呼び、ああなったんよ」
ジュリアがつまらなげに、京の言葉に重ねた。
「どうでもいいわ、そんなこと。結局、あの白いスーツ男が何かの実験に失敗した事以外わからなかったのよ。とんだ無駄足だったわ。約束、守ってもらうわよ」
つっけんどんに言って、エレナが目覚めていたことにはたと気付く。とたん撫でていた手を離し、咳払いひとつ。
「……起きたのね、エレナ」
エレナはそれに、いたずらっ子のように笑んでみせた。
「へへ、もっと撫でて」
「ばか」
そっぽ向くジュリアの仕草の、なんと可愛らしいことか。そのやりとりに、パンがちらりとエレナをみた。
「気分はどうだ」
エレナはインナー姿のパンに目を丸くした。そしてふと、自分がパンのカッターシャツを着ている事に気付く。それだけでなく、パンのコートまでかけられていた。驚くエレナに、ジュリアが静かに添える。
「貴女、さっきまで氷みたいに冷たかったのよ。パン先生の服を借りたわ」
その言葉にパンが小さなため息をつく。
「山賊のように引きはがした、の間違いじゃないか」
そんな言葉にかぶせるように、ジュリアがフンと吐き捨てる。
「大の男が尻の穴の小さい事言ってんじゃないわよ。エレナ、役立たずはとっとと追い出したら」
その言葉にエレナはやや驚いたが、意外にもパンは事ともせず「それもそうだ」と笑い返した。エレナが服のお礼を言おうと顔をあげたところ、ジュリアがそれを静止する。
「家に着くまで寝てなさい。一番頑張ったのは、エレナなんだから」
それにエレナは首を横に振った。ジュリアならきっと、あっという間に怪士の面をやっつけていただろう。自分がどれほど無力か痛感したエレナは、歯がゆい気持ちと悔しい気持ちが入り混じる。結果はどうあれ、足手まといに変わりは無いのだ。
ジュリアはそれを承知に、エレナを膝に寝かしつけた。
「貴女は経験が少ないだけ、でもガッツは人一倍……いえ、5倍はあるわ。休める時に休んでおかないと、ガッツまで無くなるわよ」
妙な説得力に、エレナは素直に頷いた。そのままジュリアの膝で目を閉じたのだった。皆の囁く会話がなんだか心地よく、手まですっぽり隠れるほどの大きなカッターシャツは、パンのいい匂いがした。
「さあさあ、皆お疲れさんやな」京は言って、雅に微笑む。
その笑みが、ふと前方にゆく。
「面白くなってきたのう」
★
白塗りの高級車は、ミリアムとその用心棒を乗せ、静かにセリオン学園方面へと向かっていた。
「お前にはしばらく、セリオンのこの街……トリプリシティに滞在してもらう」
ミリアムは悠々と、資料を広げて見せた。用心棒がちらりと視線を落とす。
この用心棒、黒金はエイリアン目前にものともせず、大きく足を組みくつろいでいた。黒く艶やかな髪が、青白い肌にぞっとするほど映えている。そして何より男とは思えないほど麗しく、妖絶だ。その風貌はあきらかに異質で異端。まるで悪魔の王子のようだ。
パールホワイトのネクタイ以外は黒づくめで、なめし革の手袋が月に鈍く光る。いかにもな殺し屋だが、黒金は神父である。正しくは元神父の殺し屋だ。
黒金の光の失せた闇の瞳が、刺すようにミリアムをとらえた。ミリアムはとっさに視線を外す。まるで兎と狼だ。力の差は歴然だった。
だがミリアムには強みがある。金だ。黒金はミリアムに莫大な金額で雇われていた。用心棒もとい黒金は、つまらなそうに鼻をならし、ミリアムとは反対側の窓の外をみやった。
この街に来てから、何だか背筋がむずがゆかった。嫌な予感とはまた違う、高揚感に近いものだと。
「依頼内容は説明した通りだ。〔調査してほしい男〕は、この街にいる」
不敵に笑むミリアムはどこまでもふてぶてしい。一発殴ったらどんな面をするだろう、と黒金は思った。
「おい、耳ついてんのか?」
ミリアムの小馬鹿にした問いに、黒金は沈黙を返す。ミリアムが苛立ちに口を開こうとした時、黒金は静かに返した。
「キャッシュでプラス50万だ」
その言葉にギョッとしたミリアムは、眉と声をひそめた。指を突き当て、苛立ちに牙を剥く。
「ふざけんな、この守銭奴め。契約金は支払い済みだろが」
黒金は流れるように銃を抜き、銃口がひたとミリアムの額を冷やした。
「滞在費用だ」
そう吐き捨て、文句でもあるのかと目で物を言う。ミリアムの汗が頬を流れた。睨み合いは一瞬で終わり、ミリアムは一抜けにネクタイを緩めてみせる。
「いッ……いいだろう。そのかわり仕事はきッちりやッてもらうぜ」
落ち着き払ったふりをしているが、ミリアムの動揺は明らかだった。
黒金は満月に視線を戻し、不敵に鼻で笑う。そのとたん、ふとした。遠く反対車線を走る車に視線が釘付けとなる。なんてことない黒塗りのリムジンが、妙に気になった。
すれ違いざま、黒塗りのリムジンの助手席の子どもと一瞬目が合った。背筋の感覚が合点に競りあがる。遠く去りゆくリムジンに、黒金はとっさに後ろを振り返る。黒塗りのリムジンは小さくなり、見えなくなった。
「おい」ミリアムが怪訝に伺う。「なんだ、何かあッたのか?」
黒金は視線そのままに、目を細めひとりごちる。
「……白でもなく黒でもないあれは……人間をやめたのか?」
一方、京。ジュリアとパンのやりとりをそぞろに、サイドミラーに消えた白の車に目を細める。
「……白でもあり、黒でもある。どう転ぶか見ものよの」
「ねえ、ちょっと。聞いてるの? 京くん」
声を投げるジュリアに、京がハイハイと返す。ジュリアは続けた。
「うろ覚えだけど、幽霊屋敷で巨大な黒い手を見た気がするの。あれはなに?」
ジュリアの肩に乗った、子猫チビが「ヂィ」と返す。喉を鳴らし、愛しそうにジュリアに頬ずりした。
京は面白げに目を細める。
「へぇ、あんなごっついの式にしとって知らんの? たいした子やな、君」
ジュリアはチビをなでながら、怪訝に首をかしげた。
「……あんなの知らないわ」
「さよか」
京は言って、満月に笑んだのだった。
★
黄金色に輝くペントハウスが夜闇にそびえ立つ。
エレナの自宅に到着するやいなや、京とジュリアが声をあげた。遠近感がおかしくなるような、吸い込まれるような大きさだ。
「有名なタワーマンションじゃないの……。エレナ、どういうこと」
ジュリアが猫の背のように柔らかな絨毯を踏みつつ、豪華絢爛なシャンデリアを見上げ小さくつぶやいた。エレナはどうということもなく肩を軽くすくめる。
「両親の遺産なの」
エレナの言葉に、ジュリアは一瞬言葉を飲んだ。遺産ということは、両親はすでに鬼籍ということだからだ。
「にしても、ごっつい家やんか。親はどんな仕事してんの?」
京の問いかけに、エレナは腕を組み、あきらか気乗りしない様子で頷いた。
「普通の製薬会社よ。……ごめん、こういう話苦手なの。私は私だし、私が稼いだわけでもないもの」
その様子にジュリアは心の内で反省した。マリア叔母さんの存在は知っていたが、こんな広いマンションに1人暮らしだなんて、のんびりしたエレナからは想像もつかなかった。
MIBと一緒に暮らす……それが下心からと決め付けた自分が恥ずかしかった。エレナをもっと知りたい気持ちと、怖い気持が入り混ざる。自分はエレナを友達と言ったが、彼女のことを何も知らないのだと。
★
帰宅するやいなや、目に飛び込んだのは、またもやリビングにファストフードを広げているゴハンだった。
「おっ帰り~! お疲れさん、腹減ったろ? じゃーん、ナクドナルド買っといたぜ! 皆で食お」
そして、その様子にエレナとジュリアはギョッと目を見開いた。
ゴハンの隣に京がいるのだ! 2人は振り返る。後ろにも、もちろん京がいる。
ゴハンが2人の後ろにいる京を見て、自分の隣にいる京を見て、また2人の後ろにいる京を見て声を上げた。
「へええっ!? 京が2人!? えっ何、双子?」
とたんゴハンの隣にいた京が煙のように消え失せ、1枚の紙切れが落ちた。
今度はエレナとジュリアが素っ頓狂な声を上げて駆け寄った。京がいた場所には、人型に切られた半紙が落ちている。真ん中に朱色で「京」とだけ書かれてあった。
「それ、僕の式でっす」
エレナについてきていた京がピースし、仰天の3人をぬってソファに腰掛け、足を遊ばせた。ゴハンは半紙をたいそうに持ち、京を見る。
「今日丸1日、一緒に喋って楽しく買い物したりした京が、式神……!? うそだろ、何なんだよお前! こっわ~!」
京が面白おかしく笑い返す。
「嫌やなあ、それは〔京〕って名乗ってないやろ? じゃあ〔京〕やないがな。名前は一番身近な呪やでな」
まるでトンチだが、さも当然のように返す京に一同目を丸くしたのだった。
…
食後のデザートをデスクに置いたエレナは、それとなくジュリアの隣に腰を落とした。
ジュリアはMIBの手渡した書類に目を通している。エレナはそそと覗き見てみた。細かな字がびっしりと目に蓋をする。なんとも小難しい書類のようだ。
対面のゴハンがケーキにフォークを入れる。
「ちょいと調べさせてもらったよ。ジュリアちゃんの下腹部にいるのは、不定形流動型エイリアン・エキゾチックだ」
その言葉に、ジュリアは嫌味気に目を眇めた。「エイリアンなのに、京のまじないが効くのね」と冷たく添えて。
しかしゴハンは当然のごとく、軽く頷き返す。
「ああ。聖職者の瞑想状態の脳波って、エイリアンに効果的なんだよね~」
パンが書類をもう1枚デスクにつきだした。指先でぴちりと角度をそろえて。
「エキゾチックに寄生されているなら、人とエイリアンを見分ける能力があるのも、その身に不釣り合いなパワーも納得だな」
言って、ペン尻を向けた。
「北条ジュリア。私たちの任務はセリオンの調査だが、メインは君の調査と本部への任意同行だ。その調査書にサインを」
ジュリアはペンを受け取らない。
「……なぜ私なの」そう一言、眉間に皺を寄せる。
「そりゃ人間がエイリアンをぶっ殺しまくってりゃ、俺たちMIBの出番っしょ~」
後頭部を両手をやったゴハンが呑気に返すも、パンは膝に肘をついて手を組んだ。
「大人しく同行するんだ、北条ジュリア。事件内容の事情も聴取する事になっている。貴様が殺害したエイリアンを1件ずつ、しらみつぶしにな」
ジュリアは書類をデスクにやった。
「あっそう、取り調べってこと。じゃあ拘束力はないわね」
軽く言い捨て、刺すようにMIBを見据える。
「呑気にデザートつつく暇はあるのね。貴方達とその本部とやらが無能なせいでこうなってるんでしょ。寝言は真犯人を捕まえてから言えば」
ゴハンがなんとも気まずげに、ケーキをデスクに置く。一方のパンはジュリアを冷めた目で見返した。白髪からのぞく碧眼は、研ぎ澄まされたナイフのように鋭く、氷のように冷たい。ジュリアの地獄色の瞳が、パンと睨み合う。
「母さんはエイリアンに脳髄を啜られた。父さんは首をねじ切られた。妹たちはミンチ状態に食い荒らされたわ……皆、生きたままね。貴方達がまともな仕事をしていれば、こんな事にはならなかったのよ。誰も裁けないから私がやるだけ」
ゴハンはあぐむように両手で降参し、この通りといわんばかりにデスクに両手をついた。
「こればっかは耳が痛いね、ごもっとも。でも俺たちも頑張るからさ、ちょっとばかし協力してやってくんない?」
隣のパンは揺るがない。姿勢をぴくりとも変えず、冷淡な口調でかたく言い抑える。
「私たちは前任から引き継いだ業務を遂行しているだけに過ぎない。業務に支障をきたすようなら、身柄を拘束し強制連行もありうる」
間を取り持ったのは、のんびりと茶を傾ける京だった。
「落ち着きんか。一樹の陰一河の流れも轍。謀らずとも何かしらの縁や因果があるもんよ」
それに、ゴハンとエレナが見あって首を傾げる。
「なに? いちじゅのかげいち……?」
パンとジュリアは二の句を告げず押し黙った。やがて観念したかのように、ジュリアが溜息一つ。
「貴方達が、家族を皆殺しにした白いスーツ男……【真犯人】を見つけたら、エイリアン殺しをやめてあげるし、本部とやらに面を出してもいいわ」
それに頷いたパンが、ジュリアに握手を求める。
「協力、感謝する」と。
ジュリアは少しためらい、観念したかのように握手を返したのだった。