1.戦慄!エイリアン村~原住民vsエイリアン~
あの夜から 私の心は止まったままだ
見送る君を ただ見ているだけしかできなかった
あの日置き去りにした君を 今度は私が迎えに行こう
その手をとって 今度こそ後世へと送りとどけるために
★
雲ひとつ無い、爽快な晴天だった。木々をすく風がさわやかに香る。
ヤシの木が映える真珠色のセンタープラザで、ジュリアが気まずそうに封筒を差し出した。
「これ、携帯代」
エレナは今しがた新くした携帯を片手、目を丸くした。
「お金なんていいよ。前から新機種にしたかったし、何より悪気がなかったんだから気にしないでね」
エレナはあっけらかんと笑い返すも、ジュリアは頑として譲らない。
「あなたがよくても、こっちは気がすまないの……。いいって言うなら、すっきりさせて」
エレナは眉を下げた。ジュリアに頑固なところがあるのは、昨日の出来事でよくわかっていた。きっと、下手に突っぱねても意固地になるだけだろう。エレナは少し考え、神妙に頷いた。
「……わかったわ。じゃあまず、連絡先を交換して」
ジュリアは素直に連絡先を交換をする。通信完了の電子音が鳴り、お互いの携帯に連絡先が表示された。それを確認したエレナが満足に笑む。
「よし、これでチャラ! いつでも連絡してね」
それにジュリアはお気に召さないようだった。呆れたように、げんなりと肩を落とす。
「あのね、そういうのいいから」
「じゃあ今日1日、目いっぱい一緒に遊ぼう! それでチャラ。ね?」
「だから……、……友達じゃ、ないから、そういうの困るのよ」
その言葉にエレナは内心、動揺に揺れた。友達だと思ってた分、地味にショックだったのだ。しかし、友達とはなるものではなく、なっていくもの。エレナは一案乗じた。
「……じゃあ許してやんない。今日一緒に遊ばないなら、いくら積まれてもぜーったい許さないから」
それに驚いたジュリアが、しぼむように視線を落とした。
「……困るのよ、本当に。友達とか、遊び方とか、わからないもの……」
消え入るような言葉尻、エレナはしまったと心のうちで自分の額を叩いた。白いスーツ男を追う間、友達と遊んだり、年相応の遊びをする事は無かっただろう。ジュリアがこれまでどんな思いでどんな人生を歩んできたか、エレナはほとんど知らないのだ。
きちんと応えなくてはならない。それが今のエレナにできる、対等の敬意だった。
「……わかった、ジュリア。受け取るわ」
エレナはあっさり封筒を受け取った。安堵したジュリアが顔をあげ、まばたきひとつ。なぜならエレナが高々と封筒を掲げていたからだ。ぽかんと見上げるジュリアに、エレナは稀に見るドヤ顔で続けた。
「だから、私もスッキリさせてね。……このお金で目いっぱい遊ぼう!」
エレナは言うなりジュリアの手をとった。ジュリアは驚きと戸惑いに、エレナを見る。
「ジュリア、クレープ食べよ! すっごくおいしいお店があるの」
そこからは風のようだった。クレープから始まり、ゲームセンターで遊び、アパレルショップや雑貨店を巡り、可愛いアクセや服を着せ合った。最初こそぎこちなかったジュリアだが、次第に笑顔が覗き出る。そのふとした笑顔は、春の小花のように可憐だった。
あっという間に時が過ぎ、足の疲れがでてきた頃。エレナはシアター前で両手を広げた。
「もういい時間だし、映画観ようか。気になる映画はある?」
ジュリアはひとつ頷き、小さく可愛い手で、一縷の迷いなくポスターを指す。エレナは指先のポスターをみて、輪が目を疑った。
【戦慄!エイリアン村~原住民vsエイリアン~】。何ともB級臭がプンプンするタイトルだ。イメージボードもなかなかにチープだ。
「……うん、素敵ね! これとか、これも面白そうよね」
エレナが指したのは感動物や青春物だったが、ジュリアは【戦慄!エイリアン村~原住民vsエイリアン~】に指をさしたままだ。
「……よ~し、それ観ようか!」
そう言って腕をまくるエレナを見て、ジュリアが小さく吹き出す。それにエレナも思わず笑ったのだった。
…
勇んで入場してしばらく。
B級映画だなんてとんでもない。【戦慄!エイリアン村~原住民vsエイリアン~】は涙無しでは見れない、超感動スペクタクル巨編だった。2人はグッズコーナーで買ったハンカチを目に当てながら、シアターを出たのだった。
近くのカフェで腰を落とした2人は、注文もそぞろにかじりつくように向かい合う。
「はぁ……よかったねぇえ……! 主人公の知り合いの友達の前世がエイリアンの従兄弟ってわかった時、泣いちゃいそうだった!」
それにジュリアも大きく頷いた。
「ええ、村長を守るためエイリアンがラップバトルを始めた時、最高に熱かったわ」
エレナは夢でもみる乙女のように、両頬に手をあて、熱のこもったため息をつく。
「人との絆……これに尽きるよね。エイリアンの〔エイリアンが人を喰って何がおかしい〕のセリフは……正直怒号がでそうだったわ」
「私もよ。ああいう悪党はエンディングのように、徹底的に成敗されないと」
2人の熱弁を断つように、エレナの携帯が鳴った。着信音をラップバトルにしないと、と笑ったエレナは画面をみてまばたきひとつ。
着信は見知らぬ番号からだった。
「誰かしら……」
言って、それとなくスピーカーにしてデスクに置く。「ハーイ、誰?」
《しもしも~?》
耳慣れぬ声が返る。
少年か少女か、なんとも中性的な声だ。もちろんエレナの知り合いに、こんな可愛い声の持ち主はいない。
「ええと、あなた誰?」
《ああ、僕は京。境京や。ゴハン君達から話はきいてるよ、エレナちゃん達に用があるねん》
(またゴハンの紹介!)
ハンスの例で慣れたエレナは、適当に返し用件を伺った。京はのんびりと続ける。
《写真部兼オカルト部に依頼があるねん。これから写真部に来てくれへん?》
案の定、依頼だ。その言葉にジュリアを見る。ジュリアが頷き、2人は立ち上がったのだった。
★
休日とはいえ部活動で賑やかな運動場を横目、エレナ達は旧校舎へと足を運ぶ。写真部のドアを開けたエレナ達は、木製椅子に腰掛ける客人、境京に挨拶をした。
彼は見たところ年下か、声もさながら女の子のような可愛らしい男の子だ。そのラフな格好は、ボーイッシュな女の子とも見て取れる。ボリュームのある茶髪が小顔を引き立ててはいるものの、頭に巻かれた朱色のバンダナがちょっぴり男の子らしさを演出している。そしてどこか、風変わりな印象をうけた。
「どうも~、京ですーまいどまいど」
京は軽く言って、2人に簡単な握手をした。すぐさま中央の黒机に手を向ける。黒机には写真が数点、置かれていた。
京が早速、説明を開始する。
「これが依頼内容。【とある幽霊屋敷に潜む、鬼を祓ってほしい】。その屋敷には特殊な結界があってな、男が進入すると穢れてまうんよ。報酬は、僕がジュリアの胎を治したろ。どや?」
その言葉に眉をひそめたジュリアの横で、エレナは仰天嬉々にジュリアに向き直る。
「ジュリアのお腹を治すですって? 何だかよくわからないけど、やろう、ジュリア! で、お腹を治そう!」
ジュリアはため息混じりに腕を組んだ。
「治せるわけないじゃない。聖イルミナ医院でも治療できないのよ。ていうかこの依頼、エイリアンに関係ないんじゃないの」
それにエレナはふとした。ジュリアのこの怪訝な表情……機嫌が悪いのではなく、例の腹痛のそれだと。
「ジュリア、大丈夫? 椅子に座る?」
ジュリアの曇った顔にかまわず、京はジュリアのお腹を見つめていた。そして2本指に息を吹きかけ、ジュリアのお腹にチョンと当てる。
「イライラすんのやめときー、育つだけやで。これは鬼とも魍魎ともつかんけど、祓うことはできるから」
京は言って、先ほどの2本指の腕をもう片手側でなぞり、細く息を吹く。
そのとたんにジュリアは仰天にお腹に触れた。どういうまじないか、腹痛がうそのように溶けて消えたのだ。こんなことは初めてだった。
ジュリアが信じられないものを見るように、京を見上げる。
「……あなた一体、何者」
京は優雅に腕を組んだ。
「境京。外法陰陽師よ。幽霊屋敷の鬼を祓うなら、その胎の中を完治させたるわ」
あんぐりとするエレナ達に、京は狐のように目を細めたのだった。
…
京はストレートフラッシュさながら、数枚の写真を黒机に広げた。ぼんやりとした黒いポラロイドだ。写真部のエレナが目を皿にする。
見たところ、木造平屋の大屋敷。歴史的価値がありそうな、趣のある日本家屋だ。
暗闇に浮かぶ大屋敷はくっきりと白いのに、ところどころが水を落としたかのようにぼやけている。白い霧のような写りもあれば、擦ったような白もあった。写真部のエレナはふむと腕を組んだ。普通、ポラロイドで撮影してもこうは写らないものだと。
「これ、僕の知り合いが念写した幽霊屋敷やねんけどな」
「あっ」 エレナが声を上げた。「これ、白いスーツ男!?」
その言葉にジュリアが食いつく。
大屋敷の窓に、やや白っぽいスーツの人物が写っている。体はこちらを見ているが、その顔は判然としない。なぜか顔だけが、真っ黒に消えていた。そして恐ろしい事に、その手には人間の生首らしきものがぶら下がっている。
「……うわっなにこの写真……」
エレナは汚いものでも触るようにエンガチョつまんで、黒机に置いた。すかさずジュリアが手に取り、穴が開くほど見つめる。
「こいつがこの幽霊屋敷を目覚めさせたんや。鎮まりつつあった魂を呼び起こしよったんよ。この鬼に、僕の作った霊符を貼ってほしいねん」
エレナはあからさま嫌な顔をして首を振った。
「いやいや、なんなのこれ? 幽霊屋敷って……ここに行ってゴーストを退治しろっての? その……あなたお手製の霊符とやらで?
そういうのはゴーストバスターズにでも頼んでちょうだい。私達、オカルト研究とかいってるけどあくまでエイリアン専門なのよ」
京はかまわず続けた。
「山奥で、蜃気楼のように現れる屋敷……迷い家。世界的に有名な都市伝説やけど、その最悪バージョンがこれや」
ジュリアは写真を見つめたまま呟いた。
「この白いスーツの男に霊符を貼ればいいのね」
京はスナック菓子のように軽く、うんうん頷く。それにジュリアが視線を上げた。
「私が行くわ」
まったく躊躇の無い鶴の一声に、エレナは今度は心の底から首を振る。
「冗談でしょ、ジュリア! きっとその、なんだか白っぽいスーツ的なものを着た、ゴーストなのよ? 死んでるじゃない!」
エレナの言葉に、ジュリアの判断は当然揺るがなかった。
「でも私の探している白スーツ男かも知れないわ。奴が死んでるなら、この手でもう1度殺すだけ」
その言葉にエレナが大きく動揺する。ジュリアがまた危険に身を投じようとしてるのを、黙って見過ごせるエレナではなかった。
「じっ……じゃあ私も行く」
「足手まといはいらないわ。私、強いもの」とジュリア。
エレナはかまわず、ジュリアの手を握った。その真剣な面持ちに、ジュリアはミリアムと対峙した時のエレナの言葉を思い出す。
〔ジュリア、一緒に犯人を探そ。もう1人じゃないの、私がいるわ〕
あの言葉が、どれほどの衝撃だったか。
ジュリアはためらい、目を伏せて、恐々その手を小さく握り返した。
京がそれを合図に、ぱんと手を叩く。
「よっしゃ、ほんじゃあ今から幽霊屋敷に行こかあ」
「えっ今から!?」
散々な声を上げるエレナをよそに、京が部室あとにして、ジュリアがそれに続いていった。うろたえたエレナだが、ジュリアを1人で幽霊屋敷に行かせるわけにはと膝を叩き、2人の小さな背を追ったのだった。
★
夕闇せまる旧校舎裏で、京が札に筆を走らせる。
妙な模様だが、妙な威厳のある筆筋だ。エレナが訊ねる前に、京は2人の喉元のくぼみにそれを押しつけた。
「おん あらきしゃ さぢはたや そわか」
京が手を離し、紙がはらりと地に落ちる。
「幽霊屋敷の中に入ったら、声を出したらあかん。自分の名前も、絶対に口にしたらあかんよ。もし呼ばれても絶対に返事したらあかん。術が破れるからな」
京は言って、懐から2枚の細長い紙を出す。先と同様、妙な模様が描かれていた。
「これを鬼に貼ったらOKや。頼んだで」
いって、2人に霊符を握らせた。
その時、木陰から飛び出した黒い影が、ジュリアの足にまとわりつく。
「チビ」
ジュリアは甘える子猫の首を掻いてやる。アイドリングのように鳴る喉が可愛らしい。チビに以前はなかった、赤いリボンと大きな鈴が揺れる。
(あっ、あの赤いリボン、ジュリアの胸元の細いリボンのお下がりだわ)
エレナはジュリアの優しさに思わずほころぶ。
「チビ、大事な話をしてるから隅っこにいてね」
ジュリアのその言葉に、チビはニィと可愛い返事をし、少し離れた場所で大人しくお座りをする。それに京が、目を細め微笑んだ。
「またごっついもん飼っとんなぁ」と。
疑問に首をかしげるジュリア達をよそに、京はチビに向き直る。チビも、京をじっと見つめていた。
「ええよ」
京はそうひとりごち、そこらへんに落ちていた木の棒を拾う。また2本指を口に当て、ごにょごにょと何かを囁いた。
「……さ、そこに座って」
京に促され大人しく座るジュリアに続き、なんともいえない顔でエレナも座る。その周りを、京が先ほどの棒で大きく囲うように円を描いた。なんてことない、ただの棒で描いた、ただの円だ。
「急ぎ足ですまんの、異層異界は逢魔が時が一番通しやすいんや。風がやむまで目を閉じて、動かぬように」
「幽霊屋敷に行くって、車でじゃないの?」
エレナの質問に京は応えない。スリ足で変な歩き方をしながら、小さく呪文を独り言ちているのだ。
エレナはなんだかバカらしくなって、肩で大きな溜息をついた。儀式はまるで小学生の魔法使いごっこのようだったからだ。だが隣のジュリアは大人しく体育すわりで目を閉じている。
ジュリアは運気アップの壺とかカルト宗教にすぐにのめり込みそう……とエレナは少し心配になった。もしそうなったら全力で止めてあげないと、とも。
ともかく、京のまじないごっこに付き合えばジュリアも満足するだろう。エレナもやおら目を閉じた。
「高天原に神留座す神魯伎神魯美の詔以て……」
その本格的な様子に、エレナはふとどこか不安になる。呪文を唱える京の声は、耳心地のいい荘厳な声色だ。
「瓊矛鏡、笑賜、祓賜、清賜……吐普加身依身多女、寒言神尊利根陀見……」
それにしても呪文は長かった。
(いつまで目を閉じていればいいのかな? ちょっと暇だわ)
そう思ったとたん、京の言葉尻が井戸に落としたかのように遠くなり、あたりにびゅうと風が吹く。
体がすとんと落ちた感覚と同時、髪をすく風がふと消えた。同時、まるで真夜中のような暗さと静けさを感じる。風はとっくにやみ、京の声も聞こえない。
まるで水中にでも潜ったかのような、篭った生ぬるい空気がエレナの肌にまとわりついた。大きなバケモノの口の中にでもいるようだ。
急に不安に駆られエレナが目を開けると、あたりは夜の暗闇だった。そして、誰一人いなかった。
「……えっみんなどこ?」
そこは、運動場のような広場だった。あたりは真っ黒な森に包まれ、ざわつく木々は風も無いのに水中のように波打っている。
空は切り取ったかのような薄暗い紫色をしていて、明け方か夕暮れか判然としない。そして遠くに、木造平屋の大屋敷がひっそりとその口を開けていた。
(……うそ……)
エレナは愕然とした。もう1度、あたりを見渡す。ジュリアの影はどこにもなかった。
…
一方、ジュリア。
ジュリアは気を失ったエレナを抱いていた。エレナはぐったりとした様子で動かない。いつものほのかな桜色の頬は、石膏のように真っ白だ。声を上げようとしたジュリアを制したのは、急いで円の中に入った京だった。
「起こしたらあかん、魂が異界に落ちたんや。今起こしたら死ぬより辛いことになる。……おかしいな、なんでエレナちゃんだけ? まさか、失礼千万でいうけど、ジュリアちゃんは生娘?」
「何」
「処女やないの?」
「……死にたいわけ?」
エレナを起こさぬよう声を抑えていたが、ド直球の失礼な質問に、噛み潰した怒りの色がでる。京はそんなことより事態に慌てて立ち上がった。
「ああ、せやから行けんかったんや、今から別の方法で送るから……」
その時だった。
「何をしている……!」
怒りを抑えた声にジュリアが振り返る。パン先生だ。穏やかではない様子だった、なぜならその手には銃が握られていて、銃口は京をとらえていたからだ。
「何者だ、貴様。うちの生徒じゃないな、エレナに何をした!」
ジュリアが驚いて京を見る。京は事ともせず静かに立ち上がり、2本指を口に囁いた。
「邪去開眼、伝厳神真陰、天秦明命」
どこからかふわりと風がなびき、パン先生の髪が揺れる。とたんパン先生は憑き物が落ちたかのように銃口を下げ、胸元のホルダーに差した。そして、どこを見るわけでもなく、ぼんやりと突っ立っている。まるで妙な術にかけられたかのようだった。
「MIBの紹介だなんて嘘だったのね。パン先生に変な術までかけて、どういうつもり」
身構えるジュリアに京は意味深に笑み、軽く踵を返す。静かにかがんで、ジュリアの腹に2本指を当て円を描いた。
ジュリアは困惑に京を見た。いつの間にかチビが擦り寄っていたが、それどころではなかった。
夕日で血色に照らされ、京の影いた闇色の瞳が光る。ジュリアの心のうちを、すべて見透かしたような瞳だった。
「……運命とはかくも非業なものよ。なぁ北条」
京がそう呟き、静かに呪文を唱えた。
ジュリアの意識は、遠く投げた石のように消えたのだった。