もっちりが好き
最近はすっかり春うららという感じになり、暖かさから眠気が誘う。
眠くなった時は仕事を早めに片付け昼寝なんかもしている様子。
とはいえ夕方まで寝てしまう事もたまにあったりする。
俗に言うシエスタというものである。
「また来ちゃったよ、ここの中華美味しいんだもんなぁ」
「あのおじさんまた来てるのかな」
「とりあえず行こう」
以前知り合った初老のおじさんがよく来ている町中華。
理津子もすっかりその美味しさにハマってしまったようで。
「あ、やっぱり来てたんですね」
「おや、お嬢さん、お嬢さんもすっかりここの味の虜ですか」
「まあそんなところかな、今日は何を食べようか」
「ここは水餃子なんかもおすすめですよ」
「水餃子か、なら水餃子を食べてみる事にしようかな」
おじさんが言うには水餃子が美味しいという。
おじさんはラーメンが気に入っているが、特に美味しい料理も知っている様子。
とりあえず理津子も水餃子を頼んでみる事にした。
「それにしてもおじさんはここの料理にすっかり詳しくなったんですね」
「まあこういうお店の味が一番口に合うんですよ」
「最終的にこういう味に行き着くものなのかな」
「高級なものはたくさん食べてきましたけどね、最終的にはこういうのが美味しいんです」
「料理人やってると何かとあるんだなぁ、人生紆余曲折かも」
そんなおじさんの人生は何かとあるという事なのか。
そんな話をしていると水餃子が運ばれてくる。
皮が厚めでもっちりとした水餃子のようだ。
「美味しそうだね、いただきます」
「お嬢さんは水餃子に白米をつけるのですか?」
「あー、うん、あたしの故郷だと水餃子はおかず扱いなんだよ」
「水餃子は主食では?国による食文化の違いなんでしょうか」
「それにあたしの故郷だと餃子って言うと焼き餃子だしなぁ」
とりあえず水餃子をいただく事にした。
おじさん曰くゴマダレにラー油を混ぜて食べると美味しいという。
理津子もそれを試してみる事に。
「ん、確かにこれは美味しいね、ゴマダレとラー油を混ぜると水餃子によく合うね」
「水餃子は少し濃いぐらいの方が美味しいんですよ」
「なるほどなぁ、あとここのメニューに焼き餃子がないって事は本格的なのかな」
「焼き餃子はまかないでは出ていると聞いていますよ」
「そうなんだ、でも本場の餃子といえば水餃子って聞くしなぁ」
理津子の世界では本場中国において餃子といえば水餃子である。
そして餃子は主食であり、日本ではおかずになっているわけだが。
中国では水餃子は主食なので、日本が独自の進化を遂げたという事でもある。
「うん、本当に美味しい、皮はもちもちで具もたっぷり詰まってる」
「ここの水餃子はリーズナブルな割にボリュームがたっぷりなんですよ」
「そりゃ美味しいわけだよね、この値段でいいのかな」
「チェーン店ならもっと取られるでしょうね」
「それは分かるかも、チェーン店なら倍は取られそう」
この安さは町中華だからこそなのかもしれないと理津子は考える。
そんな水餃子を白米と一緒にもりもりと食べていく。
やはり理津子にとって水餃子はおかずなのだろう。
「それにしてもこんなに皮が分厚くて具もたっぷりなんて凄いね」
「具も店主が朝から仕込んでいるらしいですからね」
「なるほどねぇ、レシピを教わりたいぐらいだよ」
「ここの水餃子は店主が本場の味を知っているからなんですよね」
「本場仕込みか、それなら美味しいわけだよね」
おじさん曰くここの水餃子は本場仕込みなのだという。
店主が本場の人だからなのか、メニューに水餃子はあっても焼き餃子はない。
その辺は美味しいのだから気にしても仕方ないという事にした。
「ふぅ、美味しかった、ここの水餃子ってこんなに美味しかったんだね」
「このモチモチ感が水餃子の何よりの美味しさですからね」
「確かに皮が分厚くてもちもちなのは、水餃子って感じがするよね」
「でもあなたの故郷だと餃子はおかず扱いなんですね」
「おかずだね、でも水餃子は主食っていうのは本場の考え方なんだろうとは思うけど」
水餃子をおかずにするというのは日本だからこその考え方なのか。
餃子は中国では主食であり、水餃子の事を言う。
焼き餃子は日本独自の進化を遂げた餃子の亜種なのだろう。
「本場にも焼き餃子はあるけど、余ったものを焼くみたいな感じなんだっけ」
「少なくとも私は餃子は水餃子だと認識していますよ」
「そんなものなんだねぇ、まあその辺は国の違いではあるのか」
「あなたの故郷の料理についても興味はありますけどね」
「まあ少なくともアレンジされた料理は多いよね」
中華料理と中国料理は別物の料理である。
中華料理とは日本で独自にアレンジされたものの事を指す。
中国料理は中華料理とは似ているようで別物なのだ。
「それじゃあたしは帰りますね」
「ええ、また鉢合わせたらお話しましょう」
「うん、さて、会計済ませなきゃ」
おじさんもこういう町中華のようなものが今は一番美味しいのだろう。
高級なものもたくさん食べてきたからこその行き着いたもの。
理津子もそんな生き方に父親を重ねているのか。
最終的には家庭の味が一番美味しい、そんな感じなのかもしれない。




