報道と件数
すっかり秋の陽気になり気温もだいぶ涼しくなった。
そんな中港町は平和だが、事件なんかもちょくちょく起きている様子。
この手の話は件数と報道により錯覚しやすいところがある。
やはり現実での事件の件数は多いように感じるものらしい。
「それにしても帝もたまには外に出てくるんだね」
「外の空気を吸わないと体調を崩しやすいので」
「まあ確かに窓を開けて換気しないと部屋の中が大変な事になるみたいな話か」
そんな中店に設置してあるテレビでは報道番組が流されている。
この世界のテレビは割と起きた事をそのまま流しているようだ。
「それにしても事件って意外と起きてるものなのかな」
「報道を見て気になりましたか?」
「でもこの手のやつって報道でよく流れるから、件数が多いように感じるんだよね」
「そうですね、実際事件や事故はそんなに多くないのに報道のせいでそう錯覚するんですよ」
「とはいえこの街も平和に見えて、そういう事が起きてたりするんだなぁ」
事件と事故ではまた原因も変わってくる。
事件が起きる事は少ないが、事故は割と起きている様子。
ヒューマンエラーを回避するのは完全には出来ないものである。
「でも事件や事故が起きてるのに、そんな実感はないものだよね」
「現場に遭遇する事がまず少ないからですよね」
「どこかでは銀行強盗も起きてるし、交通事故も起きてるって事だもんね」
「ええ、現場に遭遇しないだけの話なんですよね」
「そう考えると、世の中は平和に見えて思ってるより荒んでるのかなぁ」
事件や事故というのは現場に遭遇する事がまず少ないのがある。
そこに報道番組で事件や事故は繰り返し報道されるので、そこで錯覚する。
件数が多いか少ないかは国の治安などにもよってくるが。
「それにしても事件とか事故って多いように錯覚しちゃうものなんだね」
「リツコさんは事件とかに遭遇した事ってあるんですか?」
「事件とか事故はないかなぁ、鉄道の遅延は何度もあるけど」
「そこはあるんですね、まあ遭遇する方がレアケースではありますが」
「事件とか事故って国の治安がそもそも関係してるものではあるでしょ」
帝も外に出る事は少ないものの、事件や事故はネットで見る事は多い。
それは世界には想像以上にそれが多いのか、少ないのか。
なんにせよ錯覚するという事は割と多くの人にあるのかもしれない。
「でも帝ってチェーン店にばかり行く人なんだね」
「個人経営のお店とか入る勇気がないんですよ」
「あたしは個人経営のお店とかも普通に入れるけど、その辺は違いなのかな」
「個人経営のお店に入れる人って少し羨ましいんですよね」
「帝は個人経営のお店に入るのは謎ルールとかありそうだからとかなのかな」
帝はチェーン店にしか入れないタイプの厄介者である。
理津子は個人経営の店でも平気で入れる厄介者である。
こういうところは陰の者と陽の者という感じがする。
「それにしても帝って思ってるよりは頭がいいタイプの人だったりする?」
「そうですね、それなりに勉強は出来ると思いますよ」
「ふーん、あたしも勉強はしてきたけど、料理関係の勉強ばかりしてたな」
「事件や事故というのは、計画性のある人と行き当たりばったりの人がいますしね」
「誰でもよかったって言いながら、マッチョ相手に通り魔はしないよねっていう話かな」
帝も事件や事故の話ではその犯人の育ってきた環境を調べたりする事はあるという。
犯罪を犯罪だと知らないまま犯罪に走る人が世の中にはいる。
そこは育ってきた環境が犯罪を犯罪だと教えなかったという事もあるのか。
「犯罪って基本的に弱い人が狙われるものっていうイメージなんだけど」
「それは寧ろ普通ですよね、マッチョ相手に通り魔をする人はいませんよ」
「その一方で事故なんかは強い人でも普通に巻き込まれて死ぬイメージはあるんだよね」
「事故というのはどこで起きるか分からないので、強い人も弱い人も巻き込まれるんですよ」
「どんなに強い体でも事故に巻き込まれて無事で済むという事もなくかな」
事件は強い人はまず狙われないが、事故は強い人でも容赦なく巻き込まれる。
そこが事件と事故の違いだと帝は考えているらしい。
やはりそうした違いはあるものなのだろうか。
「それにしても帝は定期的に外には出るんだね」
「その間にエミールが部屋の掃除と換気をするので」
「帝の事を信用してるのも分かる気がしたね」
帝曰く定期的に部屋の掃除と換気をするので、お金を渡して外に行かせているという。
なお時間を潰すのはチェーン店に行き好きなものをガッツリ食べる様子。
事件と事故の話は報道と実際の件数に寄る錯覚は大きい。
やはり現実においてそうした人は一定数いるという事なのかもしれない。




