繊細な味覚
夏も本格化してきた中、暑い日の間に涼しい日が来たりもする。
そんな中以前会った謎の青年に街で再び出会う。
以前青年が言っていたが、夏は避暑としてこの港町に来ている様子。
やはり貴族はそうした別荘のようなものを持っているものなのか。
「あっ、前に会ったお兄さん」
「おや、また君に会うなんて、なんというか偶然とは思えないね」
「夏だからまた避暑でここに来てるんですよね?」
その謎の貴族の青年は夏は避暑としてここの港町の別荘にでも来ているのだろう。
理津子に出会うのは偶然なのか、待ち伏せしているのか。
「それであたしに何かご用ですか」
「うん、少し相談、ではないね、ちょっと愚痴を聞いてもらいたくて」
「はぁ、あたしに愚痴を聞いてもらいたいなんて、貴族の人らしくないというか」
「お金は僕が出すから、少し話さないかい」
「まあそれなら愚痴ぐらいは聞くのはいいですけど」
青年の奢りでという事なので、それならという事で話を聞く事に。
近くにあるファストフード店に入っていく。
貴族の人がファストフード店に入るというのは意外な気はしたが。
「それで愚痴ってなんなんですか」
「実は先日客人を招いて食事会をしてね、ただその客は味にはうるさいみたいだったんだ」
「つまり料理がそのお客の口に合わなかったっていう事でいいんですか?」
「うん、料理は専属のコックが作ったんだけどね」
「お兄さんはこういうお店にも普通に入るって事は、割と庶民的な食事もイケるクチなんですか?」
アヌークが見る限り、青年は割と庶民的な食事も好むようではある。
ただ食事会の話を聞く限り、別に粗末な食事を出したという事ではない様子。
寧ろ出来る限りの料理は出したという事のようでもある。
「その料理を振る舞ったお客は美食家とかそういう人だったって事ですか?」
「うん、この街の名物を食べたいって言ってたからね」
「なるほど、でもあたしからしたら味覚なんていうのは多少馬鹿の方が幸せだと思いますよ」
「味覚が馬鹿というのは?」
「割と何を食べても美味しいと感じられる、みたいな感じです」
理津子曰く味覚なんてものは多少は馬鹿な方が幸せだという。
何を食べても美味しいみたいに感じられる方が人生は楽しいという。
とはいえその美食家の人は想像よりも美味しくなかったと感じたのかもしれない。
「あたしのお父さんも元ホテルのシェフですけど、庶民的な料理を作る方が好きですし」
「へぇ、そういう職歴を持ってる人でも庶民的な料理を好むものなんだね」
「その美食家の人は自分の舌に合わなかっただけ、そういう事なんだと思いますよ」
「そうだね、僕は出来る限りのもてなしはした、それでもその人には合わなかっただけか」
「ただ味覚に関しては少しぐらい馬鹿な方が人生楽しいとは思いますよ」
理津子曰く味覚が繊細すぎると料理というものを楽しめなくなりそうという。
だからこそ味覚なんてものは少しぐらい馬鹿な方が人生は楽しくなりそうという事だ。
理津子の父親がそんな感じだったので、理津子もそんな感じに育ったのだろう。
「でもお兄さんは貴族なのにこういうお店に入る辺り、割と味覚は雑ですよね」
「それはあるかもね、貴族らしくないって言われる事はあるよ」
「でもそういう食に関しては高級食材至上主義みたいな人よりは好感が持てますよ」
「ははっ、そう言ってくれると嬉しいね」
「でも美食家かぁ、世の中にはそういう味覚の人もいるんですね」
青年曰くその美食家の人は味はお口に合わなかったようではある。
とはいえ不味いとは言わなかったとも言っている。
だからこそ繊細な味覚というのはそれはそれで困るのかもしれないとも。
「とはいえ繊細な味覚っていうのもそれはそれで面倒な気はしますね」
「その人は口には合わなかったようだが、不味いとは言わなかったんだよね」
「なら料理は不味くはなかったんですよ、きっと」
「かもしれないね、でも味覚は少しぐらい馬鹿な方が幸せ、そういう考え方もあるのか」
「はい、これは不味いとかこんなものは駄目だとか言いまくる人よりはずっといいと思います」
青年も味覚は割と雑なところはある。
貴族なのにファストフード店に入る辺り、庶民的な食事にも理解はあるのだろう。
育ちはいいはずなのに、どこか庶民的な一面を覗かせている事も含めて。
「それじゃあたしはこの辺で失礼しますね」
「うん、話を聞いてくれてありがとう」
「いえ、それでは」
貴族の青年は美食家の客人の事はよく見ていたようではある。
口には合わなかったが不味いとは言わなかった。
それは出された料理に文句は言わないという美食家なりの信念なのかもしれない。
味覚なんてものは多少馬鹿なぐらいの方が人生幸せなのかもしれないとも。




