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葬式の話

冬の寒さも少し落ち着き始めた季節。

春は少しずつ近づいている事は感じさせてくれる。

そんな中買い物帰りに葬式をしている家の前を通りかかる。

理津子は母親も父親も家を勘当状態なので、親族の葬式に出る事もないのだろう。


「ふぅ、寒空の下のアイスもいいものだね」


「あ、リツコじゃないですか」


「サインだ、相変わらず研究途中の休憩かな」


露店でアイスを買って食べているとサインに遭遇する。


サインは相変わらず研究途中に休憩しているらしい。


「それにしても寒い日のアイスもいいものだね」


「それはそうと何か考えてましたか?」


「あ、うん、さっき葬式をやってる家の前を通りかかってさ」


「お葬式ですか?」


「うん、あたしはお父さんもお母さんも勘当状態だから親族の葬儀に出る事もないのかなって」


理津子の両親共に実家は勘当状態に近いものがある。

なのでよほどの理由がなければ葬儀に呼ばれる事もないだろう。


なので葬式に思うところはあるのだと思う。


「お葬式ってそれこそ最後のお別れだし、やっぱり悲しくなるものなのかな」


「普通はそういうものなのではないですか」


「話を聞く限りだとあたしの住んでた国のお葬式って、いろいろご馳走とか出るらしいから」


「葬式なのにですか?そういう文化なんでしょうか」


「聞いた話だとお寿司とかそういうのをたくさん頼むらしいよ」


日本という国の葬式は寿司などの料理をたくさん頼むものらしいと聞いている理津子。

実際に葬式に出た事はないので、又聞きでの情報ではあるが。


そういうのは国によって異なる文化なのかもしれない。


「ただあたしもお葬式やってるのを見ると、経験ぐらいしておくべきなのかなとは思うから」


「葬儀というのはそれこそ故人とのお別れですし、どのように見送るかではないですか」


「どうやって見送るか、料理をたくさん用意するのも笑って見送ろうっていう事なのかな」


「故人がどう思うかはともかく、笑って見送って欲しいっていう事でもあるのでは?」


「笑って見送る、泣いて見送るよりも笑って見送る方がいいのかな」


葬儀において料理をたくさん用意するのは楽しく見送って欲しいという考えなのか。

笑ってお別れしたい、それは故人との最後の時間は笑って過ごしたいという事なのかもしれない。


だからこそ料理をたくさん用意し、楽しい葬式にしようという事なのだろうか。


「でも料理をたくさん用意するのはそういう楽しく見送ろうっていう事なのかな」


「話を聞く限りではそう受け取れますね、私はそういう考え方は嫌いじゃないですよ」


「最後のお別れは笑ってお別れしたい、だから料理をたくさん用意して楽しく過ごすのかな」


「葬儀はそれこそ別れの儀式です、そこで泣くも笑うも国の文化などがあるのかと」


「なるほどねぇ、あたしの住んでた国のお葬式は笑ってお別れしたい、そういうものなのかも」


最後のお別れは笑ってお別れしたい。

泣くのもまたいいが、やはり別れの時であっても笑っていたい。


それは笑ってお別れをするという考え方がそこにあるからなのだろうか。


「あたしが親族のお葬式に出るってなるとお父さんやお母さんのものになりそうかも」


「ただリツコの国のお葬式の文化は私はちょっと興味がありますよ」


「あたし自身が葬式に出た事がないから、経験がないんだよねぇ」


「両親が勘当状態だと親の親の葬儀に出る事も難しいでしょうしね」


「うん、だからお葬式を経験するとしたら身内以外の人のものになるのかも」


こっちの世界に来ている以上元の世界で葬儀に出るのは難しいのかもしれない。

とはいえ葬式に出るというのはそれだけの月日の流れなのだという事。


理津子にとって葬式というのは経験がない事でもある。


「でも笑って見送りたいっていう考えはあたしは結構好きかも」


「最後ぐらいは楽しく過ごしたい、そういう考えもあっていいと思いますよ」


「確かに別れは悲しいものだけど、笑ってお別れしたい、その気持ちも大切なのかもね」


「なので笑顔でお別れする、その考え方はきっと意味があるんだと思いますよ」


「意味がある、あたしもそうありたいかもね」


別れはやはり悲しいもの、それでも笑顔で別れたい。

その気持ちはきっと意味があり、大切なものなのだろう。


別れが悲しいのは多くの人に共通するものなのだろうから。


「そろそろ帰らなきゃ、またね」


「ええ、また何かあれば一緒に食べに行きますか」


「うん、それじゃ」


葬式をしている家の前を通りかかるという事は誰かが亡くなったという事。

命あるものはいつか必ず死ぬ、それは長命な種族でも植物でもそうだ。


この世の中に本当の意味での平等があるとしたらそれはきっと死なのだろう。


残された人達に笑って見送って欲しい、その気持ちもきっと大切なのだろうから。

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