年が明けたよ
こっちの世界でも年が明け新たな一年が始まった。
理津子も新年という事もあり、とりあえず簡単にいろいろ作っている様子。
正月飾りなどはないし、初詣は神社こそあるものの文化としては浸透していない。
一応帝の神社にお参りにだけ行ってお守りを買って帰ってきた様子。
「年が明けたけど、なんか美味いもんでも作ってくれるんかね」
「年越しの時はそばを作ってきたよな、麺も手打ちのやつ」
「お正月はお餅とかそういうのかな?」
正月は店も閉まっているので年末に食材は買い溜めしてある。
なので比較的簡素で質素な感じの正月になりそうだ。
「お、いい匂い」
「お雑煮が出来たよ、お汁粉も作ったから好きな方をどうぞ」
「僕はお雑煮でいい」
「うん、両方でも全然いいからね」
「私はお汁粉にしようっと」
作ったのはお雑煮とお汁粉。
餅も手作りではあるが、機械を使ってこねているので完全な手作りかは微妙。
とはいえ便利なものはなんでも使うものである。
「うん、やっぱお汁粉よね、この甘いのにしょっぱい感じがいいわ」
「お正月といえばお餅だしね、ただ喉につまらせないようにね」
「餅は喉につまるっていうのは毎年のように言ってるよな」
「実際あたしの世界だとお正月にお餅を喉につまらせて亡くなる老人がたくさんいるんだよ」
「それってなんでなの?力が衰えてるからとか?」
理津子の世界における餅を喉につまらせて亡くなる老人の数は実に多い。
それは噛む力が衰えた事により固形のまま餅を飲み込むからとも言われる。
それにより餅が喉につまり亡くなるという流れらしい。
「餅が喉につまるってのはつまり餅を小さく噛み切れないって事でいいんかね」
「そうらしいね、年寄りになると噛む力が弱くなるかららしいよ」
「それで餅を喉につまらせるのか」
「老人に多いのは確かだけど、若い人でも油断してると怖いからね」
「要するにお餅を噛み切る事が大切って事だね」
餅が喉につまる最大の原因は餅を小さく噛み切れない事にある。
餅は柔らかく煮込んだりしても噛み切らなければほぼ固形物だ。
そんなものを噛み切らずに飲み込むという事の恐ろしさが喉につまらせる事に繋がる。
「餅って恐ろしい食べ物ねぇ」
「そういう事実があるのに老人にお餅を配る人達がいるんだよね」
「それ場合によっては間接的な殺人になりそうだな」
「それでもお餅を食べるのはお正月っていう文化的な理由もあるのかもね」
「殺し屋みたいな食べ物だね」
実際ネットの世界ではサイレントアサシンなどとネタにされるのが餅である。
また素材を使っていろいろ作られたりもする。
笑い事ではないが、餅を喉につまらせて亡くなるのはもはや風物詩になりつつある。
「餅がおっかない食べ物ってのは分かったけど、それでも食うのは勇気ありすぎよね」
「お正月にお餅を食べるのはお約束みたいな所があるのもあるからね」
「だから死を恐れずに餅を食べる老人がいるのか」
「実際お餅はどんなに柔らかくしてもほぼ固形物なんだよね」
「確かにこのお雑煮やお汁粉に入ってるお餅を見ると分かるかも」
餅はどれだけ柔らかくしようともほぼ固形物なのである。
喉につまるのも納得という話だ。
それでも正月には餅を食べるものというのが考えとして刻み込まれているのだろう。
「でもお汁粉って美味しいわよね、豆を甘く煮るっていうのは新鮮な味だわ」
「こっちだと珍しいのかな」
「帝なんかは好きな味って言ってたみたいだぞ」
「だとしたら神界ではそういうのが食べられてたとかかな」
「神界の神様っていろんな世界の神様がいるから、そういう食べ物もあるのかもね」
帝はお汁粉やあんこが割と好きなのだという。
セルベーラ曰く神界の神様は多様な神様がいるという。
なので帝がそれを好きだとしても割と納得ではある。
「うん、美味しかったぜぇ」
「ありがとね、お餅が残ったらあられとかおかきとか作ってあげるからね」
「いいなそれ、残ったら頼むぞ」
「食べ物の再利用かな」
新年はとりあえず休んで過ごす事に。
仕事始めはすぐにやってくるので、それまでは休むだけである。
正月は仕事もお休みというのが本来あるべき姿なのだから。
それでも正月はあっという間に過ぎていくのだ。




