クリスマスは美味しいものを食べる日
こっちの世界も年末に突入しているが、とりあえずクリスマスをやる。
理津子曰くクリスマスは美味しいものを食べる日だと思っているとか。
カップルとか恋人とかそんなものは知らンがなと言わんばかりである。
子供の時から美味しいものが食べられる日だと思っていたとか。
「料理たくさん作ったねぇ」
「たくさん食べるのも慣れたからいいけどな」
「ケーキとかも焼いてたよね」
そんなたくさん作った料理の数々。
美味しいものを食べるというのは幸福感を感じられるのだと。
「それで最後かね」
「うん、ローストビーフね、あとチキンと七面鳥両方やったし」
「ならさっさと食べるぞ」
「だね、冷めないうちに食べようか」
「うん、いただきまーす」
そんなわけで作った料理をみんなでいただく。
クリスマスは美味しいものを食べる日だという理津子の談。
そもそものクリスマスは宗教的なイベントだが、そんなのは気にしない。
「んでクリスマスって結局なんなん?」
「本来は宗教の教祖様の生誕祭?だか降臨祭?だったかだね」
「宗教的なイベントなんだな」
「でもあたしの国だと恋人同士で過ごす日とか美味しいものを食べる日とかだよ」
「その宗教とは関係ない人が持ち込んだイベントかな?」
実際クリスマスというぼんやりとしたイメージを持ち込んだような感じではある。
なのでクリスマスに限らず本来のものとは大きく異なるものだ。
受け入れてからの魔改造はそんな文化を垣間見れる。
「りっちんの思うクリスマスってなんなのさ」
「あたしは美味しいものを食べる日だと思ってるけどね」
「お前らしいな、こういうイベントでは美味しいものが食べられるって喜ぶタイプか」
「かもしれない、まああたしは恋愛とかそこまで興味もなかったしなぁ」
「リツコってこういう日は基本的に食べる事が最優先なんだね」
理津子はこうした日には美味しいものが食べられる日だと喜ぶタイプだ。
子供の頃から食べるのが好きで、自然と作る事も覚えていったのだとか。
なのでクリスマスに美味しいものが食べられると嬉しかったのだと。
「にしても美味いねぇ、食べるのが好きな人が作るのも上手くなったやつ」
「自分で作れると捗るしね、ただお店の味には勝てないなぁって思う事は多いよ」
「お前でもそんな事を言うんだな」
「お店の味ってそもそも家庭とは設備が違うからなのもあるんだよね」
「火力とかそういう話かな」
理津子も美味しいものは作れるが、店の味には勝てないと思っているらしい。
それは設備の違いもそうだが、味付けもあるのだろう。
店の味、特にチェーン店は多くの人が美味しいと感じる味に作られているからでもある。
「でもあたしはりっちんの料理好きだけどね、味付けとか考えてるし」
「そう言ってくれると嬉しいけどね」
「なんだかんだで好きな人が多そうな味付けだからな、お前の料理は」
「味付けをそう言われるとは思わなかったよ」
「リツコの味付けって大人も子供も好きそうな味付けだよね」
理津子の場合味付けもそうだが、美味しいと感じられる事も優先している。
なので化学調味料も普通に使うし、それについての知識も持っている。
寧ろ素材の味を強調するような料理は疑ってかかるタイプなのだと。
「りっちんはイベントがあるとまず料理から確認するタイプっしょ」
「それはあるかも、お祭りとか行っても食べてばかりだったし」
「完全に花より団子なんだな、お前」
「うん、花を見てもお腹は膨れないしね」
「そういうところなんじゃないのかな」
理津子は食べるのも作るのも好きな人だ。
なのでクリスマスに限らずその手のイベントは美味しいものを食べる日なのである。
花見でもハロウィンでも夏祭りでもクリスマスでも正月でも食べる日なのだ。
「ふぅ、意外と食えるもんやねぇ」
「ケーキも用意してあるから少し休んだら持ってくるね」
「お菓子作りもすっかり上手くなったな」
「料理の適量とかひとつまみとかは美味しいと感じる目分量だからねぇ」
「だからぴったり計量するお菓子作りは苦手だったんだね」
そんなお菓子作りも今ではすっかり得意になってしまった理津子。
アノットはなんだかんだで教えるのが上手いのかもしれない。
クリスマスの料理もしっかりときれいに食べきったようで。
「このあとはケーキかね」
「うん、今持ってくるね」
「飲み込みは早いし理解も早いよな」
「今じゃお菓子もガンガン作るもんね」
そんなクリスマスはただ美味しいものを食べるだけ。
それは理津子が美味しいものを食べるのが好きだから。
イベントとはすなわち美味しいものを食べる日なのだ。
理津子は美味しいものを食べるのも作るのも大好きだ。