第48話
・龍の剣用語集に載る新種魔物のアイデア募集中。
目覚めたら窓の外には月が見えていて、私は幾分か軽くなった体を引きずるようにして1階に向かう。すると、居間の方から何やら美味しそうな匂いがしたので、誘われるように向かった。
「ようやくお目覚めか。しっかり休めたかね」
居間にある食卓の一席に座っていたのは私が新しくした本を読む片腕の彼だった。匂いの発生元は食卓の奥にある暖炉兼焜炉からで、彼は鍋で粥を作りながら、私を待っていたらしい。
「すまんね。さすがに今日何も食べていないものだから。勝手に穀物類を漁らせてもらったよ」
「それはいいけど…私の分は?」
「こんな粗末なものでいいのなら」
彼は食卓に置いた本を閉じて、隣でグツグツと煮た粥を木皿に移そうとするが…左手でお玉を持つと、木皿を鍋に近づけることが出来なくなる。
「不便なものだな」
「みたいね」
私は彼の向かいの席に回り、身を乗り出して木皿を鍋に近づける。
「すまんね」
彼の分と私の分、それぞれ移し終えると、私達は食卓で向かい合った。思えば…この食卓で誰かと食事するのも何年ぶりだろうか。
しかし…
「これが粗末だというのなら、私は毎日粗末なものを食べているわね」
木皿に入っていたのは村で取れた穀物類を適当に混ぜて煮た…私達にはごく一般的な粥だった。ただ…嗅ぎ慣れた粥の匂いとは少し違うようで、美味しそうな匂いの原因まではわからない。
「あなた、普段は何を食べていたの?」
「何って…」
トットラ村では肉や乳製品は出回らない。魔物が出現する森に囲まれたトットラ村では、家畜などが飼えないのだ。村を守るヒノイの負担が大きすぎてしまう。だから私達は野菜か穀物しか口にしない。
「ラーメンとか」
………ん?初めて聞く名称だ。
彼は首を傾げた私を他所にスプーンで粥を口に運ぶ。しかし粥を口に含んでから、何故か彼も首を傾げる。
「ラーメンって…なんだ?」
記憶喪失の彼から出てきた単語だが…
「私が聞きたいところね…」
私は呆れたように笑い、彼が作った粥を口に運ぶ。すると、意外とすぐに匂いの正体がわかった。
「雫草を入れたのね。少し甘い」
「ダメだったかね?」
「いいの、気にしないで。むしろ体力回復には正しい判断かも。料理は得意だったの?」
「…さぁ?」
知識は残っているというのか。
「よくわからないわね」
「よくわからないな」
痴呆になった人は随分と見てきた。しかし記憶喪失はまったくもって知らない。大昔の魔法の祖とも言われる占い術には前世の記憶を蘇らせるとかいう荒唐無稽な秘術があるらしいけど。
あるいは私の魔法で記憶も復元できるのか?
などと考えを巡らせているうちに木皿も空っぽになってしまう。彼はそんな私を見て、満足そうに顔を緩めた。
「いい食べっぷりだ。おかわりは?」
「ええ、是非」
そう言って木皿を差し出すと、彼は鍋にあった粥の残りを全て移した。
「あなたの分は?」
「何、久々の食事で大飯食らってもよくないだろう」
彼は火の上に吊るされた鍋の取手をミトン越しに掴み、火の上から退避させた。
「それに俺は君の家に転がり込んだ身だしな。多少の遠慮はさせてもらうさ」
「別にいいのに」
「いや、少なからず何か手を貸そう。タダ飯食いは居心地が悪い」
確かに動けない怪我人を養えるだけの余裕は…村にはない。私は両親の遺産を切り崩せば多少の余裕はあるけど…
「何ができるの?家事?」
私は面倒くさがりだから、それはそれでありがたい。
しかし彼は首を横に振った。
「ああいや…これくらいの料理でいいのなら俺がやっても構わないが」
彼はそう前置きをした上で、持ち上げたのは…あの本だった。
「察するに君は中級回復薬はまだ作れないようだ」
「悪かったわね」
私がわざとらしく強めに粥を口に運ぶと、彼は思わずといった具合に苦笑する。
「薬学大全。暇だったから読ませてもらった」
「読むだけなら私も何度も読んでるわ。でもそれだけじゃ中級回復薬は作れないのよ」
ヘボ薬師ではあるが、長年1人で勉強してきたプライドがある。安易に私の領分に踏み込もうとするなら許さな…
「確かに作れないだろうさ」
「は?」
「記述に誤りがあるからな」
「え…?」
粥をがっつこうとしていた手が止まる。
「古い文献だったみたいだから、著者自身の間違いか…あるいは発行元の間違いか…今となってはわからんがね」
彼はそう言うなり本を置き、机の下でゴソゴソ何か探すと、今度は2つの小瓶を本の上に置いた。
「君から見て右が薬学大全通りの中級回復薬。左が俺が調合した中級回復薬。鑑定魔法は?」
「使える…けど…ちょっと待って!」
私は慌てて粥の残りを平らげ、走って薬の保管室に向かい、両親が残してくれた消費期限ギリギリの中級回復薬を持って戻る。
「本物の中級回復薬がないと正解がわからないでしょ…」
木皿を横に除け、3つの小瓶を並べる。
「鑑定魔法…」
結果はすぐにわかった。
そして私はすぐに頭を下げた。
「私に是非ご指導を!」
私の頭の上からおかしそうに喉を鳴らして笑う声が聞こえたかと思えば…しばらく止まらなかった。
「あ、あの…」
痺れを切らして顔を上げると、彼は涙目になりながら頷く。
「俺の腕を信用してくれたようで何より」
とはいえ、やはり聞くべきだろう。
「中級回復薬の調合方法などどこで…」
私の質問に彼は涙を拭い、胸を張ったが…
「調合のレシピは売店に売ってた、と…おも、う…ぞ?」
…何故か最終的に自信を失った。
また彼が首を傾げるので、私も首を傾げたが、ここにきて私はある可能性に思い至る。
私達が当然のように食べていた粥を粗末と言い、聞いたこともない料理名を挙げ、村で1番勉強している私よりも多くの知識を持つ者。
それ即ち…貴人だ。平民は本来勉強する機会を与えられていない。本も高額だ。売店に売ってたということは、買えるだけの財力…それに付随して知識も持っていたのだ。なるほど、肉や魚を当たり前のように食べる彼らからしてみれば、あんな粥も粗末に見えるというわけだ。
どうする。そんな人物に失礼があってはマズい。
「えっと…」
「ああ、俺に任せとけ」
しかし気品はあまりないな…
「よろしくお願いします。その…先生」
名前がわからない上に、失礼はできなさそうな人。それらを誤魔化した結果が先生だった。
「おお、先生か。悪くないな」
以降、トットラ村で彼は「先生」と呼ばれることになる……彼女達が来るまでは。
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