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これからの話

 幌馬車の後ろから覗く抜けるような青空。ぽかぽか暖かな陽気。チチチチと小鳥が何かお喋りをしながら飛んでいく。

 こんなに平和だと、あの日々と今のどちらかが夢なのではないかと考えることが、最近たまにある。そして同時にみんなのことを考えて、ほんの少しの罪悪感。でも私は今の生活と夢が気に入っているから、きっとこれでいいんだ。



「止まれ!」


 張りのある女性の声が響いた。トコトコと歩調を緩めてお馬が立ち止まる。しっかり揺れがおさまるのを待ってから、私は馬車の後ろから降り声をかけると、大袈裟にエリナさんが抱き着いてきた。

 久し振りとか、こんな日に門兵なんて最悪とか、ころころ表情を変えながらまくし立てる。相変わらず仕事以外の時は楽しい人だなぁなんて思って笑っていたら相方さんに怒られていた。

 門を抜けるところで会釈して手を振る。またあとでねって。


 誰が弾いているのか、街には弦楽器の楽しげな曲が響いている。四月一日。いつの間にか、私の誕生日もこの日になってしまったなぁ。広場ではみんなが笑い合い、踊ったりしているけれど、どの表情にもやっぱりどこか悲しみの影がある。あの日の戦いでこの街の人口は半分以下になってしまった。誰もが、誰かを失った。


「リフェルちゃーん! 久し振り!」

「あ、クレナさん! と、レコウさんも」

「なんだよオレはついでみたいに」


 珍しい車輪の付いた椅子を押しながらレコウさんは笑う。その椅子に座ったクレナさんも見ている方まで頬が緩むような、可愛らしい晴れやかな笑顔。あれからクレナさんは全てが吹っ切れたようにこういう表情を見せるようになった。可愛いけれど、いいのかな。前任者と比べてあまりに威厳が無いような……。

 キルトのかけられた足はまだ、動かないみたい。


「レコウ、あれちょうだい」


 クレナさんの背後から差し出されたのは真っ白な松葉杖。それを腋に挟んでぐいっと立ち上がった。


「ほら、少しは歩けるようになったのよ」

「わあ。凄いですクレナさん!」

「それより聞いてよ。その車椅子も、この松葉杖もチマが作ってくれたんだけどさ。この杖なにで出来てると思う?」


 上手に杖を操って一緒に街の奥へと歩きながら尋ねられた。

 真っ白で軽そうで頑丈。なんだろう? お医者を目指しているくせにそういうのには詳しくなくてさっぱり思い当たらない。


「考えたってわかるわけないわよ。これね、ドラゴンの角。ほら、あの時シュゼが蹴り折ったやつ!」

「えぇっ! ドラゴンの角で、松葉杖ですか……」

「そうなのよ! 頭良いくせに馬鹿よねーあいつも」


 無知な私でもドラゴンの角なんて言ったら物凄く貴重な素材だってわかるんだけれど、それを松葉杖にしちゃうなんて……ふふ。でも武器を作ったりするよりはよっぽどチマちゃんっぽいかな。


 聞くと、チマちゃんとカズさんは忙しくて今日は来れないみたい。その二人、それから他にも何人かは今帝国――じゃなかった、アステリア王国で色々とお仕事をしているらしい。体、大丈夫かなぁ。

 あれからチマちゃんは激しい運動が出来ない体になってしまった。でも本人は全然気にしていないどころか、それを口実に人に沢山甘える術を覚えていたけれど。……いつか私がお医者さんになって治してあげる、って言うと露骨に嫌そうな顔をされて笑ってしまったっけ。


「……で、そのチマ達がいないってのにどうしてお前がいるんだ?」

「へ?」


 先頭を歩くレコウさんが振り返る。私? の後ろ? つられて振り返ると。


「やあ。久し振りだね。リフェルさん」

「わ、ユーマさん!」


 驚いた。ユーマさん、いつの間に。だ、大丈夫なのかな?

 今彼は勇者の血を継ぐものとしてアステリアの国王をやっている、はず。それが今はレコウさんと談笑しながら前を歩いている。こうして思うと、みんな凄くなっちゃったな。殆どが成り行きなんだろうけれど、立派にやっている。年齢的にはまだまだ子供な私達だけれど、命を賭けた戦いのせいで良くも悪くも成長してしまった。


 あの戦いで優秀な術士を殆ど失ってしまった今、この街の新たな傭兵長はクレナさんが指名された。

 傭兵長、とは言っても今は殆どその手のお仕事は無いらしい。もうしばらくしたら傭兵団としては解散して新しい街の在り方を模索していく予定だって。

 私はと言えば、この街に居たお医者さんが医術を広めるため大陸中に旅に出ると聞いて、殆ど思いつきも同然で弟子入りして今は先生の元で学んでいる。ウィズの医術は異常に進んでいるから、先生はあちこちで歓迎されているけれど私はまだまだ。勉強は苦手だけれど、みんなに負けないようにもっと頑張ろうっと……。


 街の奥、世界樹へ続く崖――があったはずの場所に、今は大きく立派な階段が出来ている。

 心配したけれどクレナさんは少し額に汗を滲ませながら弱音を吐かず杖をついて上っていく。なんだか楽しそうな顔をして。

 ――っと、上から駆け下りてくる子供が。そしてその後ろからは……。


「こらっ! 危ないから走るなよ!」

「あっ、お久しぶりです傭兵ち――」


 じゃなかった、今は。

 子供たちは素直に返事をしてゆっくり階段を降りていく。彼女は立ち止まり、挨拶を返すかわりに私の頭に手を乗せる。


「あの、先代、今度またちょっと相談したいことが~」

「なんだまたか。少しは自分の思うようにやってみろ」


 いやーと苦い笑顔。クレナさんでもこの人にはまだ頭が上がらないらしい。


「それから、わたしのことは“セリカ先生”と呼べ」


 以前は見せたこともない優しい笑顔。クレナさんの頭に小さな包みを乗せ、背中で手を振り階段を降りていく。

 戦後の混乱がある程度収まった頃クレナさんに傭兵長の座を強引に譲り、セリカ先生は今魔法を教えない普通の孤児院をこの街でやっている。何かの贖罪でもするように。

 でも、今の優しい彼女こそが本来の顔なのかも。とても穏やかで幸せそう。


「リ、リフェルちゃんこれ、はやくとって」

「あ、ごめんなさい」


 クレナさんの頭に乗せられた包みを手に取り開いてみると、小さな白い欠片が三つ。角砂糖?

 ちょっと意味がわからなかったけれど、包み直してクレナさんのポケットにしまう。クレナさんにはわかるのかな。



 長い階段が終わり目の前に世界樹が現れた。流石にクレナさんも少し息を切らしているけれど、表情は変わらず楽しげ。

 あの日、大きく抉られたはずの世界樹は今日も何事も無かったかのようにここに聳えている。でもよく見ると、その抉られていた部分の表皮の色がちょっとだけ違う。その部分は、シュゼさん。

 彼はあの時、自らの身体を使い世界樹を救った。それから、この大陸も。でも一番助けたかったのはただリサちゃんなんだろうと思う。そういうちょっと困った人だものね。


 世界樹の幹には立てかけられるようにして、お酒の瓶とコップが二組み置いてあった。セリカ先生が置いたのかな。


「それなんだ?」


 小さな布の包み。ユーマさんがそれを世界樹に置いたのを見てレコウさんが尋ねる。


「下で配ってるクッキーだよ。半分だけね」

「なんだそりゃ?」

「ちょっと昔、ね。こんなことがあったなって。……シュゼとはこれからも沢山話したかったけれど、思い出だけになってしまった」

「……そうでもねぇさ。見てんだろ。根暗だからなー、顔は見せねーけど」

「そうかもね。……じゃあ僕はもう行くよ。また今度、次は王として来るからね、クレナ」

「はいはい。政治の話ね。お手柔らかにどうぞー」


 ユーマさんは一度だけ振り返り世界樹を見上げると、階段を降りて行った。

 思い出、だけ。私には、この街に来てからほんの短い間の思い出だけ。でも、それはあまりに強烈で、きっと私は一生この人を忘れることはないのでしょう。

 本当ならこの大陸を救った英雄として歴史に名前を残しているはず。でもそれはきっと本人が嫌がるだろうから、ウィズの傭兵と国の一部の人間にしか彼の所業は伝えられていない。


 私としては、ちょっとだけ不満。本当なら本になって語り継がれて、何百年何千年とみんなの心に残る。シュゼは、私の愛した人はそんなに凄いんだよって自慢したい。だから実はこっそり訪れた村の子供たちに話したりしているけれど、それは秘密。



 私達は何も語らず、しばらくの間佇む。思い出だけになってしまった、その記憶を噛みしめるように。

 爽やかな風が吹いて髪を揺らす。


 ……こんな思いをするならば、始めから出会わなければよかった。

 昔の私ならそんなふうに考えていたかもしれない。でも、違うんだよね。自分で選んで、掴み取ってきた今だから後悔なんてしない。どんな結果になろうと、私が、私達が歩んできた道だから全てが愛おしい。今はそう思える。あなたもそうでしょ、シュゼ。

 だから、私はこれからも進んでいけるよ。

 でももし叶うのならば、もう二度と私の大切な人が、悲しい思いをすることのない世界になりますように――。



「……じゃあ、そろそろ行こっか。リフェルちゃん今日は泊まっていくんでしょ?」

「はい。お世話になります」

「なーに言ってんの水臭い。じゃあ飲むわよー! お酒たっぷり仕入れたんだから!」

「おいおい程々で頼むぜ~。あいつら居ないんだから誰が酔っぱらいの面倒見るんだよ」

「はぁ? あたし傭兵長なんですけど。誰にでも命令出来るんですけれど?」

「勘弁しろよ……」

「ふふ。でもあたしは、お酒はあんまり……胸大きくなっちゃうので」

「え? それホント!?」

「前にシュゼさんが教えてくれました」

「なんでもっと早く言わないのよ!」

「……多分嘘だと思うぞー」


 階段に足を乗せたところで、なんだか声が聞こえたような気がして振り返るけれど、当然誰の姿も無い。


「……また来ますね」

「リフェルちゃーんはやくー」

「はーい!」











「なんで顔見せてあげないのさ~」

「いいんだよそれで」

「根暗~」

「クッキー半分やろうと思ったんだけど、いらないらしいな」

「あぁ~! ごめんってば!」

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