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エンゲージ

 触手の何本かがうねり、鎌首をもたげる。先端部がこちらを向く。先程まで無感情に近かったグラードの人間部分が口元を歪める。

 どうする。俺を狙うか、グラード。

 あまりに離れればリフェル達が狙われた時に手出しが出来ない。かと言って近すぎても俺を狙った攻撃の巻き添えになるかもしれない。

 結局中途半端な距離感を選びここに立っている。


「見ろ。どうだこの力。これがあれば皆を守れるなぁ!」


 宙空を触手が揺らめく。これを相手にしていても意味はない。狙うなら頭部か。

 グラード本体部分は無数の脚のように地に着いた触手に持ち上げられ、かなり高い位置にあった。


 見下ろしやがって……勝つにはあそこまで行かないと、か。

 だがもう、自分にはこの小さなナイフで真っ直ぐに突進し頭に突き立てる体力が無いのがわかっていた。

 応援は、来そうもないな。

 なんだっていい。最後まで抗えれば。


「私はこの力でもって“外の世界”へと侵攻する。お前をその礎としてやろう!」


 触手が動く!

 上空から突き落される先端を身を捩りくぐり抜ける。

 地面に激突した触手は岩を抉り破片を飛ばした。こんなもんまともに食らったら一発で終わりだな。

 チラリと視界に入ったリフェルはリサを覆うようにして伏せている。


 地を這うように正面から突進してくる触手を飛んで躱す。空中で身体を捻りナイフで斬りつける。

 闘気で強化したナイフ、効くようだ。

 だが、次の瞬間にはみるみるうちに傷口が再生していった。


「なんでもありかよっ……」


 この小さな獲物では切断することも出来ない。

 なんとか致命傷を避けていく中、やがて七本の触手が前方上空に集結する。こ、れは……。

 まずい――。

 集結した触手が一斉に振り下ろされる。


「おおおぉぉぉぉっ!!」

「シュゼさん!」


 殆どひとかたまりと化したそれが当たる瞬間、全身とナイフを使い無理矢理隙間をこじ開け身体を突っ込む。

 肌に擦れた部分が削れ血が吹き出す。掠った腿の肉をもぎ取られる。足の指が何本か消し飛んだ。

 だが、入った。最後のチャンスだ!


 突き終えた触手が勢い良く元いた空中へ引き戻る。

 俺はそのうち一本を掴み一緒に宙へ持ち上がった。

 勢いが停止する前に手を離し速度を保ち、今掴んでいたものを靴裏で蹴り方向を定める。狙うは当然――。


「グラードォォォ!!」


 逆手のナイフを頭上に振りかぶり両手を添え、身体を弓なりに。

 グラードの顔面目掛け、渾身の一撃――!


「素晴らしい」


 ――衝撃。腹。

 触手が鞭のように腹を打ちそのまま空中から地面に叩きつけられる。

 ……やっべぇ。身体全然動かねぇ。


「やはり、惜しいなお前は。さらばだ」


 もう、死んでるんじゃないだろうな。

 ナイフを握った腕が辛うじて動いた。

 一本の触手が直上へ迫る。寝転がったまま一応、ナイフを構えてみた。

 こんなものでどうにもならないか。


 触手が頭を潰す軌道、その直前――。

 影が通り過ぎ、斬り落とされた……。


「おっせぇよ英雄(ヒーロー)……」

「こんなに近付くまで気付かないなんて、鈍っているんじゃないのかグラード!」


 俺は、いつまでたってもこいつの背中に憧れを感じるんだな。ユーマ。

 グラードは余裕があるのかすぐに攻撃の意志は見せない。ユーマは俺の身体を抱えリフェルたちの近くに降ろすと、耳に口を寄せ小声で呟いた。


「シュゼ、僕じゃアレに勝てない。時間は稼ぐから後は頼むよ」

「こんなボロ雑巾に、頼み事か」

「忘れたかい? 僕が何かやらかしたら、後始末はシュゼの仕事。やれるよ、僕らなら」


 そう言われると、そうだったな。

 どうしてだろうな。何一つ突破口は見えないのに、ほんの少し体に力が戻る。

 ふと見るとさっきユーマが切り落とした触手が既に元の形に再生していた。

 切断しても駄目なのか。長さも短くなっていない。というより自在に長短可変しているように見える。どうすれば……。


「まずは僕が相手だ! 王を名乗るなら逆臣を討ってみろ!」

「ふふふ、いいだろう。徐々に身体が馴染んできたところだ。お前にも慣らしに付き合ってもらう」


 背中から更に触手が増える。その中へユーマは一直線に突っ込んでいった。


「あれはもっと強くなるよ」


 そう語りかけてきたリサは、もう右腕が肘まで消えていた。両脚は既に無い。

 無数に襲いかかる触手をユーマが切り払うが、確かに奴の攻撃は俺の時よりも一段と速く、多くなっていた。


「何か、手はないのかよ」

「あるよ。奇跡を起こせればね……」


 そう言ってリサは首だけをリフェルの方へと向ける。


「昔のことを、少し思い出したんだ。……まるで運命だよ。ね、魔女のお嬢さん」

「私……?」


 背後から襲いくる触手を目視もせずに切り落とし、下げた重心を前傾に俊敏な獣のような動きでユーマはグラードへ迫る。

 剣を突き立てようとするが、半ばほどで触手に阻まれまた後退する。

 さっきよりも更に触手が増えているような気がした。あれでは、時間の問題だ……。


「魔女に魔力の限界なんか無いんだよ。“本物の魔法”には魔力もマナも必要ない」

「そんな……でも、どうやったら……」

「『魔女の魔法はその高潔なる精神と魂により紡がれる』って、言ってたよ」

「それだけ……ですか」

「うん。やってみるしかないね。死ぬ気なら、きっと出来るよ」


 ユーマが、ついに掴まった。

 触手の突撃を剣で受け、そのまま空中まで押し上げられる。

 無数の襲撃を宙に投げ出されたまま剣と打撃で応戦するが、そのうちの一本が、ユーマの腹を貫いた。


「ユーマ!!」

「ぐっ、うああぁぁ!!」


 空中で腹を貫通されたまま剣を一本の触手先端に突き刺し、それを全力でこちら下方へ投げつけた。

 深々と突き刺さった剣により地面に触手が縫い止められる。

 口から大量の血を吐き出すユーマと目が合う。剣を、指差した。


「はぁ、まさか魔女に助言する日が来るなんてね」

「……リフェル、やれるか」

「……ほんと、この街の人はみんな無茶ばっかり。やれるわけないですよ。……でも、やります。死ぬ気になれば、奇跡の、一つや二つ……!」


 青白い顔で震える膝に手をかけリフェルが立ち上がる。

 ユーマは触手に投げ捨てられ、遠くへ、崖の下へと落下していく。

 腹に穴空いたくらいで死ぬ玉じゃねぇよな。信じてるぜユーマ。

 どっちにしろ、こいつを倒さねぇことには心配することも出来ねぇ!


「リフェルはそこにいろ。俺が、なんとかする。信じろ」

「ふふ、疑ったことないですよ。……私の名前は、リフェル・マリナー」


 少し回復した全身に力を込め、今出来る全力でユーマが投擲した触手に刺さった剣を目指す。


「父はディルク・マリナー! 母はミーア・マリナー!」


 遅い来る触手を躱す――そうだ、こっちだ! 俺を狙え!


「ハウクアルセン村出身! 趣味は! お菓子作りっ!!」

「うおおおおぉぉぉ!!」


 突き刺さった剣を、俺は抜かず、のたうつ触手を両腕で持ち上げた。

 クレナの血を吸い赤黒く染まった両手をリフェルは突き出す。


「魔女の血だかなんだか知らないけれどっ!」

「勇者の血だかなんだか知らねーがっ!」


「「流れているなら今この時力を貸せっ!!」」


 剣の腹に踵を付け足掛かりに、触手を思い切りリフェルの方へ勇者の力でもってぶん回す。

 長さが余りたわんだ部分が伸び、リフェルの両手がそれに触れる。

 彼女の体が、淡く、青白く、光る。瞳を赤が染めていく。


「いけ! リフェルっ!!」

「必殺術! 名前のない魔法(ブルー・マジック)!!」


 リフェルの両手がある部分から、空気が、空間が振動し、鐘のような音を響かせながら波紋状に広がる。

 みるみるうちに触手は灰色に枯れ、広がっていく。

 リフェルが触れている触手を魔法が伝い、化物の外殻全体から水分が失われ萎れていく。


「ぐっ、があああぁぁ! 死にぞこないが、貴様何をしたっ!」

「帝国の本には無かったでしょうね! これは私の、オリジナルだからっ!」


 鐘の音が響く。

 触れた物から水分を全て奪う魔法。この化物にも、効いている。

 ――まずい! まだ無事な触手がリフェルを狙い襲いかかろうとしていた。

 素早く剣を抜き走り寄りながら二本の触手を叩き落とす――が、あと一本間に合わない!


「コンプレスバーナー!」


 炎と圧縮空気の爆発が触手を押し戻しながら焼き尽くす。合成魔法……リサ。お前その体でそんなことをしたら……。


「これが私達ウィズの力だ! 恐れ! 震えろっ! くたばれえええぇぇぇ!!」

「やめろおおおおおおっ!!」


 三度(みたび)の、鐘の音――。

 全ての触手が、樹皮が、灰に変わり崩れていく。

 決着は、静かに着いた。



 意識を失い崩れるリフェルを受け止め、仰向けに寝かせる。

 よくやったな。かっこよかったぞリフェル。頭を撫でると静かな寝息を立てていた。

 リサを抱き起こす。その体は今の合成魔法の影響か崩壊を早めている。もう、顔すら鼻から上が消えている。体は胸までしかない。


「世界樹を守る本能はどうしたんだよ」

「へへ、柄にもなく魔女守っちゃったよ」


 ――灰の山から、それはむくりと立ち上がる。

 見えていた。本体まで崩壊が及ぶその瞬間、最後の力を振り絞りリフェルが掴んでいた触手を切り落とすのを。

 お前も俺も、最期まで往生際が悪いらしい。


「シュゼは、まだ戦うの」

「戦う」


 なんとなく気付いていた。俺のこの体はもう、長くない。

 無理をし過ぎた反動だろう。あいつと戦って生き延びるどころか、戦いが終わるまでもつのかもわからない。

 でもそこに、俺にとって一縷の望みがあった。


「じゃあ、ちゅーしよっか」


 最早口元しか見えていないその顔では表情を推し量ることは出来ない。

 それでも、その言葉の意味するところは、なんとなくわかった。


「いいよ」


 初めて出会ったあの日のように、俺はリサに唇を重ねる。違うのは、その意味か。……いや、それも同じか。

 まるで満足したかのように、リサの体はそのまま何も言わず一気に光の粒へ変わっていった。


「リサ、俺約束したよな。これからもずっと、会いに行くって」


 体に魔力が満ちていく――。

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