侵入3
世界樹の麓に至る崖。そこへと急ぐ中、一度後ろを振り返り仲間達の顔を見る。
クレナ、レコウ、リフェル。結局最後もこのメンバーか。
俺が直接誘ったのはレコウだけなのだが、あとの二人は勝手についてきた。リサのことを知っているのは俺たちだけだから有り難いことではあるんだけど、心配だな。
本当はユーマの力も借りたいけれど仕方がない。あいつは今遊撃しているらしい。『グラードは倒せました、だけどみんな死にました』じゃあ話にならない。人造勇者に対抗する戦力も必要、か。
リフェルに至っては治療を繰り返し大魔法を放つほどの魔力はもう残っていない。誰かが怪我をした時止血してもらえるのは心強いが……。本人は危なかったら見捨ててくれと言うけれど、やっぱり危険だ。今からでも帰らせるか……?
「ねぇ! あのリサって子は無事なの」
走りながら思案していたところへクレナが前にいる俺に問いかける。
無事なのかって、そんなの。
「……わからない」
あいつは斬った殴ったで死ぬような存在じゃない。俺にしてみればどうやって倒せばいいのか検討もつかないが、グラードであれば何か知っているのかもしれない。……リサなら大丈夫だと根拠無く信じて後回しにしてきた。そのおかげでチマは助かるかもしれないけれど、もしお前に何かあったら俺は……。
「――――!!」
なんだ!?
当然街中、いや大陸中に響いているのではないかという轟音。耳がぶっ壊れそうだ!
レコウが顔をしかめながら耳を手で押さえ口をパクパクさせているが、隣にいるのに何を喋っているのか全く聞こえない。この音は……雷鳴? いや、何かが軋む音?
音がデカすぎてどこから聞こえているのかすら判然としないが、こんな規格外のあり得ない現象は……まさか、世界樹に何か!
…………止まっ、た。くっ、全身の皮がまだ震えているようだ。耳は、少しおかしいがなんとか聞こえる。早く、早く行かないと。リサ!
世界樹への崖を登る。何年もこうしてリサに会うために上ってきた崖。
しかし、今日登りきって目にしたものは…………。
遅かった。
悪い、みんな。全て遅かった。俺たちの負けだ……。
「なんだよコレ……」
「そんな……」
追いついた皆の口から絶望が漏れている。そりゃそうだ。目の前のこれは――。
「世界樹が、抉れている……」
世界樹の幹が大きく楔形に抉れていた。その周りには破片というにはあまりに巨大な木屑が散っている。さっきの音はこの木が倒れかけ、自重でメキメキとその身を引き裂いていた時のものに違いなかった。
今は止まっているが、見ているだけでわかる。もう、この木は終わっている。ここまで抉られては助からない。折れる。この大陸は、海に沈む。
ここに至るまでの分かれ道、俺は考えて選択してきた。“もし”などなかった。後悔はしていない。だが、どうしようもなく襲いかかる無力感が、両膝から大地に立つ力を奪う。
崩れ落ち、地面に手をついてみる。目の前を覆う苔むした、石。
……まだだ。まだ俺には!
『シュゼ逃げて!』
「リサ!?」
どこからか聞こえてきた。幻聴じゃない。リサの声だ! グラードがまだいる? とすれば、裏だっ!
「グラードォォォォ!!」
世界樹の裏へ駆けながら憎しみが、恨みが呪いの音となり喉より溢れる。
体力は限界だ。喉が乾いて口の中が張り付く。だがこの大陸が沈むとしても、俺自身が死ぬとしても、奴だけは。あいつだけは必ず殺す!
風――爆発。誰かが戦っている。……見えた。リサと、グラード!
濃灰色のマント、黒い長髪、黒い瞳。巨大な、斧。その全てが、貴様の存在そのものが憎らしい!
「おおおおぉぉぉっ!!」
イシルディンを全力で振るうが、浮くように軽やかな動きで後方へ躱される。
「なんで来たのっ! 早く逃げないと――」
「うるせぇ! お前が死ぬ時は俺も一緒だ! なによりも、こいつの死に顔見ずして死ねるかよ!」
「遅かったな、人造勇者」
リサは今まで見せたことのない苦しそうな顔をして胸を押さえている。疲れているんじゃない、世界樹が傷付いたからだ。
それもこれも、全て、全てっ!
「隠れてろリサ!」
再び飛びかかろうとしたところで背後から走り寄った気配が横に並ぶ。
「一人で突っ走んな! オレ達も戦う!」
「ああ。……クレナっ!」
後ろを見ずに名前だけを叫び俺は敵に突っ込む。
意味はわかっているはずだ。
速さと力で勝る相手にも、引けを取らない自信のあった連携。
しかしグラードは俺とレコウの攻撃をことごとく捌く。
「腰の剣に気をつけろ」
「わーってる!」
今は異様な形の斧を右手一本で振り回しているグラードだが、その左腰には剣がぶら下がっている。
相対する俺達はレコウが右、俺が左の位置取り。あれが振り抜かれれば危険なのはレコウ側だ。
「あの時のか。お前は、殺しておくべきだったな」
こいつ、レコウを狙っていやがる!
『シュゼ! 教えたこと!』
姿が見えないリサが命を絞るような声で叫ぶ。
俺がお前に教わったこと。そうだな、覚えている。冷静に、冷徹に、相手を見るのではなく自分を含めた空間を見て戦うこと――。
レコウが拳に電撃を纏い膝を曲げ踏み込んだ状態から掌を突く。
そのタイミングに合わせ奴は斧で真横から首元を狩る軌道。
屈んでいる俺を狙ったものではない。このタイミングはまずい!
俺は斧を下から上へと弾くように掌で突くと同時にレコウの前足を自分の足で払った。
バランスを崩しレコウの体がガクンと落ち、その頭上スレスレを斧が斜め上方向へと通過していく。
次、左手! フェイ・ミディ――!
「ウォーターブラスト!」
指向性水蒸気爆発!
グラードは読んでいたかのように体を横へ回転させつつ魔法を躱すと、回転の勢いのままに斧を叩きつけてきた。
剣で受け――
「うっ」
斧が剣に当たるのとほぼ同時。
レコウが崩れた体勢から俺の胸を空中へ浮かすように蹴り押す。
体が浮く。つま先が地面に辛うじて触れるような体勢。
イシルディンで斧の威力をなんとか受け止めると、斧が弧を描く軌道に沿って体が奴の背後方向へ回転。
浮いた足を思い切り空中へ蹴り上げ、その反動で頭をひっくり返し地面に背中をつける。
駄目だ、まだ威力を殺しきれていない。吹っ飛ばされる――。
背中をつき一度目のバウンド、右肘で地面を叩き横回転しつつ援護の炎弾を投げつける。
二度目のバウンドと同時に地魔法を発動! 直角な石の壁を作り出しそこに両足で着地。
遠方まで吹っ飛ばされそうだったのをなんとか踏みとどまる。レコウの助けがなければ危なかった。あいつの斧は防御の上から骨を砕く!
レコウはグラードへ蹴りを放つがそれよりも更に速い蹴りで飛ばされ、急所を防いだ左腕がだらんと垂れ下がる。折られたか。もうレコウは前に出れない……!
「やはりその剣、神器か」
くそっ。息一つ乱れてねぇ。化物が!
奴に吹っ飛ばされたおかげで今は俺とレコウでグラードを挟んでいる状態だ。
魔力も残り少ない。ダメージを累積する必要はねぇ。一発だ、一発当てれば。
「私の持つ画竜天斧。これは世界樹を断つための斧だ。この樹はな、昔からあってはならないと考えられていたのだ」
「興味ねぇよクソ野郎。自分が何やったのかわかってんだろ。大陸を海に沈め、何万人も殺しやがって。一足先に送ってやるよ。講釈ならあの世で垂れてろ!」
「これが最善だ」
「首落とされなきゃ黙れねぇらしいな」
グラードを挟んで向こう側、クレナは胸の前で両手を構え魔力を集中している。リフェル、よく最後までついてきたな。
レコウ、魔力が切れかけか。そんな顔すんな。俺はそれで満足だ。……行くぞ。
牽制の雷魔法がレコウより放たれ、それをグラードはレコウの方へと前進しながら避ける。
奴の背後から俺も距離を詰め、同時に術式――無詠唱。
大気中の水分を集め、複製、拡大、変化!
フェイ・ミディ・ウォーターウィップ。
水の鞭。狙うは、脚だ。
レコウは下がりながらナイフを投げ、それをグラードが素手で叩き落とす。――今!
真後ろから鞭をしならせ膝へ! 当たった! ダメージは無い。だが一瞬動きを止めた!
やれ! レコウ!
「食らいやがれライトオブデス!!」
白い閃光がグラードを包む。電撃が空気中の埃を焦がす独特の匂い。
全身から煙が上がっている。普通の人間ならばこれで終わりだが――このまま突っ込む!
死ね。残り少ない魔力、ありったけだ!
「フェルム・リタ!!」
イシルディンの魔力伝導率は人体と同等! 重力魔法を剣に込める。
まだグラードは動いていない。こちらに背を向けている。
俺は跳び上がり、落下の速度も魔力も体力も全て託し、全霊で剣を振り下ろした。
「タイニーメテオ!!」
グラードの上半身が……動いたっ!
斧で剣を受け止められる。だが、いくらお前の怪力でもこっちは竜の角を折る一撃だ!!
「離れろレコウ!」
「ぐぅっ!」
グラードが両手を斧に添えくぐもった声を上げる。奴の靴底が岩盤をひび割れさせて僅かに沈む。
今だ。今なら発動の遅い遠距離最上級炎魔法でも確実に当たる!
「クレナっ! 今だ!」
ぶつかり合った神器が悲鳴に近い異様な音を叫ぶ。
こいつ、普通の勇者と比べて耐久力も異常だが、クレナの魔法ならばきっと殺せる! 躊躇うな!
「シュゼさん離れて下さい! クレナさんは――!」
「無理だ! いいから俺ごとやれっ!!」
くっ、もう、魔法がもたない!
イシルディンの柄が手の中で僅かに振動する。それはみるみるうちに大きくなっていき――。
「ごめんっ! シュゼ!」
――剣と斧、二つの神器は光と散るように消滅した。
「あたしやっぱり撃てないっ! シュゼだけは撃てないよっ!!」
支えにしていた剣が砕け、そのまま空中から体が落下する。
濃灰色のマントが視界を覆い翻ると、その隙間から突き上げるように拳が出現した。
瞬間、腹筋を固めるがその拳は容赦なく腹にめり込むと、内臓まで衝撃が突き抜けた。
空中で腰がくの字に折れ曲がる。
間を置かず視界が激しくぶれる。死角から頭部をぶん殴られたらしい。攻撃が速すぎて痛みがまだ訪れない。
振り下ろしの一撃で空中に居た身体は地面へと頭から叩きつけられ、衝撃が脳を揺らすと同時に――何かの炸裂音が聞こえた。




