蜘蛛の戦場
日がのぼったばかりの早朝。視線の彼方に黒い波が見える。あれが全て敵兵なんだな。
思えば任務では少数の小悪党と、勇者達とは戦場で何度か戦ってきたが、このように一般の兵が大量にいる戦いは初めてだ。
俺やカズ、リフェルがいる高台は戦場がよく見通せ、風が当たる。東から湿った海風が吹く。微かな潮の香り。これからこの匂いが血に染まる。
結局、敵が何を企んでいるかはわからなかった。戦場を抜けて勇者を南下させるつもりかもしれないと一応警戒網は張っているが、多分この線は無い。
「おめぇはしばらくここにいろよ。もしグラードが確認出来たら予備隊とお前をそこへぶつける」
カズにとっても殆ど初めての戦場、しかも指揮官なんて大役だ。その割にあまり緊張した様子は無い。確かにウィズが選んだ通り、指揮官としての適正は高いようだった。それがわかっているから先輩達もあまり馬鹿にしたり口を挟んだりしてこないのだろう。
戦闘員歴が長いほど、ウィズの判断を信頼しているというわけか。
こちらの陣形は右翼と左翼に大きく戦力を割り、中央は薄め。相手の陣を見たカズの読みでは、敵は殆ど戦略も無くただバカ正直に守りの薄いところへ突っ込んでくるだけだろうとの予想。まぁ、変に策を弄したり戦いながらモタモタ陣形を組み替えていたら魔法のいいマトでしかないからなぁ。
「グラードはここにいるだろうか」
「わからねぇ。だがお前の話を聞く限り、下手すりゃそいつ一人に壊滅させられかねねぇよな」
「そこまでは流石に言い過ぎだと……思いたいけど」
「はぁ、とんでもねぇ王様がいたもんだ。糞迷惑な話だな」
グラードは強かった。魔力不足の状態でほんの少し戦っただけだが、向こうは俺を殺す気が無かったにもかかわらず軽くあしらわれたような感じだった。
もしかしたら奴は、俺たち術士さえ居なければ誇張抜きにたった一人でこの大陸全ての兵を相手に勝てるかもしれない。勇者物語では狂暴な魔物を散々斬り捨てていたんだ。そこまでやれてもおかしくはない。
「さぁ来たぜ! 開戦だ!!」
砂煙と地響きを上げながら敵集団が一斉に動き出した。
弓も馬も殆どおらず盾を構えた歩兵ばかりが見積もり約八千。長く戦ってきた帝国にそんな戦力が残っているわけがない。もう殆どが徴兵したての素人なのだろう。
こちらも味方の兵が一斉に雄叫びを上げる。激しい地鳴りと声に耳がぶっ壊れそうだ。
「よし、予想通り中央に突っ込んできやがった! もう少し……もう少しだ……リフェルちゃん準備はいいかい!」
「はい! いつでもいけます!」
カズの立てた策。それは陣中央に集まってきた敵を殲滅する魔法。
中央前方は大きく砂の窪地になっている。元々の地形を利用したのと、地魔法を使って形をいじったらしい。広く、傾斜が緩いのでこうして上から見ないと然程意識すらしないような釜の底。鎧を着ていても走って駆け上る程度はわけがない坂だが、もしそこに大量の水が湧いてきたら、鎧を着た兵士たちは……。
「今だっ!!」
「クーディ・グラン! エフジェーレアクア!!」
術式が紡がれ、空中から溢れ出すようにして窪地にみるみる水が注ぎ、溜まる……。
――凄まじいな。殆ど一瞬のうちに突然湖が出来たようだ。中央に迫ってきていた敵集団は一瞬の怒号のあと、音もなく湖に飲まれていった。味方の陣からもどよめきが漏れ聞こえる。
熟練の兵であれば水中で咄嗟に装備を脱ぎ捨て泳いで逃げ帰ることも出来たかもしれないが、昨日今日初めて鎧を着たような新兵では混乱の中黙って溺れるしかないだろう。攻撃性を持たせていない魔法とはいえ、遠距離座標指定型でこれだけの量を……魔力が尋常ではない。リサが言っていた魔女がどうこうと何か関係があるのだろうか。
「うおお! すげぇ大成功だぜ!! ありゃ五百はいったな!」
「……五百。私の、魔法で、五百人。私が、殺し――うっ」
「リフェル?」
リフェルが口元を押さえ、うずくまった。慌てて駆け寄り、背中をさすってやる。
「大丈夫か?」
「ごめ、なさ……私、まだみんなのように、覚悟が足りて……ごめんなさい……お母さん……」
額に脂汗を浮かべ大粒の涙をぽろぽろ零しながら嗚咽を漏らす。
……極度の精神的負担。
何もかけてやれる言葉が無い。自分の手で五百人を殺した。普通、こうなって当然なんだ。
一人だろうが百人だろうが人の命は重い。王にも兵卒にも俺たちにも、同じだけの人生と未来がある。それでも、俺は絶対に――。
「シュゼ! 右翼側を見ろ!」
右翼方向――来たか!
振り返ると一部の集団が他とは違い後ろを向いており、高速で動く数人が跳ね回っている。……ユーマだ。
「おいおいありゃまずいぜ。勇者数人に追われてる。合流どころかそのうち後ろに押し戻されるぞ」
お前俺に言ったよな。信じなくていい、ただ見てくれと。
見たぜ。そして、俺も決めた。
「カズ、グラードは」
「まだ確認してねぇが、ってお前まさか――」
俺はまだうずくまるリフェルの両肩を掴み、あらん限りの意志を込めて言った。
「リフェル、俺がどうして戦うのか。どうして人を殺すのか。それを今から見せてやる。認めなくていい。許さなくていい。ただ――」
「ユーマのところに行くつもりか! やめろ無茶だ! こっからだと敵陣を突っ切らなきゃたどり着けねぇぞ!」
「わかってる。一人じゃなけりゃ、無茶も通る」
「シュゼさんっ!」
行ってくる。今度は逃げない。必ずユーマを助ける!
「リフェル。ただ、見ていてくれ」




