不和
リフェルと別れ、俺は剣術学部に向かう。夕方まではもう少しだからこのままフケてしまおうかとも考えたが、さっきチマに偉そうなことを言った手前、罪悪感が勝ってしまった。
やっぱり余計なことを言った気がしてきた。とは言えあんな顔をしたチマは初めて見たし、そんなことは知らんと両断するわけにもいかないか。
……ああ、どうも気持ちが良いと思ったら。道は真っ直ぐ歩くものだよな。迫ってくる女の子と壁と樽に怯えながら歩くものではないんだよな。
「よぉ苦労人、遅かったじゃねぇか」
せっかく気持ちよく歩いてきたらお前か。カズ。相変わらず体もデカければ態度もデカいな。
同じく最近剣術学部に通う同級生だが、こいつのことはあまり好きではない。
本気で嫌いという程でもないが、やたらと威圧的なところがどうも苦手であった。
「その苦労人ってのやめろよな。別に何も苦労してねーよ」
「あぁ? 苦労してなきゃなんでそんなに髪真っ白なんだよ。ガキの頃は黒かったじゃねぇか」
これにゃ理由があんだよ。とは言えず、無視して箱に刺してある木剣を手に取り片手で巻藁に打ち込む。上段の袈裟斬り、中段と打ち込んでは数歩離れ、また勢いを付け飛び込んで打つ。こればかりはリサに頼るわけにはいかない。剣術は教えて貰えないからな。
そんなに深く踏み込んだら剣を振り切れないと先輩から注意を貰うが、適当に返事だけしてまた同じように打つ。きっと馬鹿な奴だとか可愛くない後輩だとか思われているのだろうな。でも俺はこれでいいんだ。これで合っているはず。
「そんな人形と遊んでねぇで俺とやろうぜ苦労人」
「……いいよ。ルールはいつものな」
ルールはいつもの。スタイルアップ含めた魔法は無し。純粋に肉体と木剣だけを使った勝負。
十数回に渡る打ち合いの末、地面に転がっているのは――俺だった。
「相変わらずよえぇなぁ。そんなんじゃ戦場で死ぬこともできねぇぞ」
結果はわかっていた。俺はこいつに勝ったことがない。身長も腕力も体重も明らかに相手が上。でもそれでよかった。だからこそ収穫がある。
例え力で勝っている相手でも、身体ごと勢いをつけた一撃は、相手の剣を止める。
カズから差し伸べられた手に捕まり立ち上がると、見物していた学部の皆が踵を返し寮へ帰っていくところだった。
「俺らも帰ろうぜぇ。誰かが弱すぎたせいであんまり腹減ってねぇけどな」
がはははと笑う。こいつは笑い声から話し声から本当にデカくてうるさいな。これなら肩をぶつけられながら歩いた方がましだ。
「先輩がなんと言おうと、おめぇがアレでいいと思ったならそれでいいんじゃねぇか?」
「え?」
「なんか狙ってんのはわかるぜ。それが何かまではわかんねぇが……まぁ試験で見せろや」
そう言うと背中をバンと平手で叩き、またがははと笑った。
やっぱりこいつのことは嫌いだ。
「おいおい、肩に痣出来てるぞ」
風呂の時は頑張って隠していたのだけれど、部屋で気を抜いた瞬間レコウに見つかってしまった。カズにやられたなんて言うと面倒なことになるんだろうな。ちょっと訓練で、とだけ言っておこう。
「薬か何か貰ってきてやろうか」
「いいよ。俺だって一応術士だし。打撲くらいすぐ治る」
「そうか……」
ん?なんだこいつじっと見て。
「本当に訓練か?」
「本当だって。なんだよ気持ち悪いな」
嘘は言っていない。何れにせよ打撲くらいそんな真剣な顔で問い詰める話じゃないだろう。何かおかしいぞ今日のレコウ。
「毎晩、部屋を抜け出して夜明け近くまで帰ってこないこととは、関係ないな?」
「……気付いてたのか」
「何年相部屋してると思ってんだ。流石のオレでも気付くぜ」
見くびっていた。だがいくらこいつでも夜中ずっといないんだ。ちょっと目を覚ましただけでもバレるよな。そりゃあそうだ。でもそのことと関係ないのは本当だ。ずっと掘り下げればあると言えるのかもしれないけれど、とにかく直接は関係ない。
「関係ないよ。本当だ」
「なら、いいんだが……」
「どうしたよ?」
「抜け出していく理由は、教えて貰えないんだな。オレには」
それは――それは違うぞレコウ。お前に教えないんじゃない、俺は誰にも教えてないんだ。それは、そういう、約束だから。
「シュゼ、お前はさ、壁があるよな」
「壁? 別に抜け出すのは危ないことをしてるわけじゃない。でも言えない理由があるん――」
「そのことだけじゃねーよ。普段から、お前は自分の心を人に見せない」
心を見せない……。そんなことはない。俺は、確かに嘘や建前を使うこともあるけれど、そんなのは誰だってやってることだろ。何が違うっていうんだ。わかんねーぞレコウ。
「上辺は仲良くやってても、お前は自分の心の大事なところに踏み込ませないし、踏み込んでこない。違うか? たとえ悩みがあっても何も相談してこない。オレたちからも、肝心なところでは距離を置こうとしてるだろ」
「そんなことねーよ!」
「あるんだよ! お前がわかってなかったとしても、オレにはわかんだ!」
……口を開けば喧嘩になる。今は黙ってやり過ごす。お前ももう黙れ。
「それがシュゼの性格なら仕方ねえ。でも、違うだろ、今のお前は――」
やめろ。それ以上言うな。
「お前はまだ、あいつのことを――」
「レコウ! ……もう、黙って、寝ろ」
「……ああ。……そうする。今日は、な」
「浮かない顔だね。何かあったのかな」
銀髪の少女は、リサは、目を閉じたまま世界樹の幹に体をあずけ座っていた。体が淡く発光しているかのように、そこだけが闇の中浮かんで見える。
目を瞑って、こんな暗闇の中で俺の表情が見えるわけがない。でも多分、見えているのだろう。この少女には。
「知ってるんだろ、何があったか。わざわざ聞くなよ」
「つれないね~。知っていても、キミの口から聞くのが大事なんじゃないか」
黙って隣に腰を下ろした。
リサは、このウィズで起きたことを何でも知っている。人間関係とか、今日はどこで誰が怪我をしただとか、どこの花壇の花が咲いて綺麗だとか。
初めはふざけてデタラメでも言ってるのだろうと思った。本当のことだと知ったあとは、どうしてわかるのだろうと考えたりもした。でも俺は何も聞かなかった。
どうして街の見ていないはずの出来事を知っているのか。何故夜にしか会えないのか。どうして魔法をこんなに知っているのか。君は一体何者なのか。俺は何故こんなことになっているのか。聞かなかった。何も。
今では、察している。リサが何者なのか、何年か一緒に居て、だいたい察しがついた。それでも俺は聞かない。リサも、自分の正体が秘密というわけではないが、核心には触れないように言葉を使っている節があった。だから俺も聞かない。
例えそれが、ある恐ろしい可能性を秘めていたとしても、見て見ぬふりをしてきたし、していくつもりだ。そうすることでしか生きられない。
「友達と、喧嘩をしたんだね」
「喧嘩じゃない」
クスクス笑うリサに少しムっとする。喧嘩とか、そういう子供みたいな話じゃないんだよ。
「今日はもう、このまま休みなさいな。子供が傷付いていたら癒やしてあげるのが、母親の役目だからね~」
「誰が子供だ」
俺は殆ど毎晩ここで眠る。毎晩と言っても暗いうちに眠り、また暗いうちに目を覚ます。リサが隣にいると、不思議と少し寝ただけで一晩眠ったのと変わらないくらいに体も精神も休まった。
でも今日はまだ寝ない。そういう気分じゃない。目は冴え、気分はムカムカしている。
「上級魔法を教えてくれよ。派手なやつがいい」
「キミに上級魔法は合わないよ~。一週間かけて形にすらならないかも」
「じゃあなんでもいい、何か――」
「わかったわかった。教えるってば」
――この日、俺は久しぶりにあの夢を見た。あいつがこちらを睨んでいる。俺は謝る。何度も、何度も。死なせてしまってごめん。助けられなくてごめん。一緒に死ねなくてごめん。許して。ごめん。
「シュゼ、起きな。シュゼ~」
「……ん、ああ」
「大丈夫? うなされてたよ」
「あぁ。うん。ちょっと、夢を見てた。また明日も来るよ」
「そう、じゃあ待ってるからね」
こうして俺達の試験前の一週間は過ぎていった。レコウとはあれからまともに口を利いていない。
座学の日はクレナと一緒にリフェルの特訓に付き合い、学部の日は剣術の練習、夜は魔法。
クレナにはレコウと喧嘩しているなら目障りだからさっさと仲直りしろと言われた。喧嘩じゃねーって。
リフェルの魔法はかなりの早さで上達している。課題はあるけれど、これならいけるかもしれない。
――そして試験当日。