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悪魔の樹

 ユーマが出て行く直前から俺の耳にも扉の向こうからコツコツと足音が反響するのが聞こえていた。

 その足音は扉の前で止まると、一拍置いて木を軋ませながら押し開く。

 現れたのは長身の女性。傭兵長であった。


「気がついているようだな」

「ええ。まぁ……」


 寝起きで清々しい気分とは正反対の待遇と精神状態だけれど。

 彼女が現れたということは、どうやらここは傭兵、連合側の牢らしい。


「正気には戻ったか」

「さあ……どうなんだか」

「報告では随分暴れたと聞いている。もっとも、誰かを傷付けるでもなく、自傷だがな」


 自傷だって? 思い返してみても心当たりが無かった。というかあれからどれくらい経ったのだろうか。外は明るいが体の感覚として翌日ということはない気がしていた。


「覚えていないという顔だな」


 傭兵長は入り口で直立していた状態から歩みを進め、鍵を取り出し腕の鎖を解いてくれた。

 ずっと上げっぱなしだった腕が降ろされ血液が巡り、ジンジンと痺れるような感覚が戻ってくる。

 立っている力がない。普段なら間違っても傭兵長の前でそんな失礼なことはしないが、もうどうでもいい。脱力に促されるがままに、壁に背中を擦りながら床に尻をつけた。


「……俺はどれくらいこうしてたんですか」

「三日だな。ここはお前らが多大なる犠牲の果てに奪還してくれた要塞の中だ」


 多大なる、犠牲――。


「ところでさっき誰かと話していたか」

「いえ。……ええ、ちょっと昔の友人が来ましてね」


 隠すべきか迷ったが、それも無理だろう。鉄柵が切り落とされた採光用の穴を見上げる。


「昔の……ユーマ、か」

「えっ?」

「いや。腹が減っただろう。飯でも食いに行くか」


 飯より何より、まず聞いておかなくてはいけないことがある。

 これを知らなくては、この場から一歩も動けないような気がした。


「あの、レコウのことは……」

「ああ、助けられたそうだな。お前からも礼を言っておくといい」


 礼を……? じゃあ、まさか!


「生きてるんですか!?」

「なんだそこから覚えていないのか。生きてはいるが怪我でな、今はウィズで療養中だ。……会いに行くか」

「ぜひお願いします!」



 俺と傭兵長は二人ですぐに転移し、ウィズにある診療所の一室前まで来た。その間一切会話を交わすことはなかったが、傭兵長は時折何か考えを巡らせるような表情をしていた。多分。この人いつも怖い顔してるから本当に多分だが。

 目の前のドア。これを開ければレコウがいる。……会い辛い。どの面下げて会えばいいっていうんだ。そもそも怪我ってどの程度の……。

 俺が開けるのを躊躇していると、傭兵長が苛ついたように前へ割り込みドアを開けてしまった。


「入るぞ」


 傭兵長の横から顔を出して中を覗くと、驚いた。みんないるじゃないか。ベッドに腰掛け血の気の無い顔をしている包帯塗れのレコウ、その周りにリフェル、クレナ、チマが椅子に座って囲んでいた。

 全員が――読んでいた本を閉じチマまでが――こちらを振り向く。


「シュゼさん! 良かった……」

「シュゼあんた今までどこに居たのよ!」


 リフェルとクレナがほぼ同時に声を上げる。どうにもバツが悪い。


「あ、あぁ。ちょっと、な」

「こいつは記憶が曖昧らしい。レコウ、体が平気そうなら何があったか詳しく話してやれ」

「記憶が……? わかったっす」


 立ち上がろうとするレコウを慌てて手で制する。こいつ、三日経ったというのに結構悪そうだ。顔も含め体のあちこち露出している部分に包帯が巻かれているのがわかる。

 レコウは、はいはいと言うようにベッドの端へ深く座り直し語りだした。


「オレが援護に入ったところは覚えてんのか?」

「ああ、覚えてる。その後、俺はお前を後ろから……」


 右手の平を見る。落ちた剣を拾った感触。意識は朦朧としていたが、あれは確かにまだこの手の中に残っていた。

 レコウはこちらを見たあと、包帯の巻かれている顔で少しだけニッと笑った。


「シュゼ、握れ」

「あ、ああ」


 わけも分からず差し出されたその左手を握り返す。


「お前が何を考えてるのかだいたいわかった。そして一番欲しい答えをやろう。“お前は、オレを、刺しちゃいない”」

「えっ」


 横目でリフェルとクレナの表情が目に入ったが、二人とも少し驚いた顔をした。


「嘘じゃないぜ。シュゼはオレを刺したと思ってた。正解だろ?」

「そうだ……! 後ろからお前を、右手に刺した時の感触が……そこで意識が切れたんだ」

「お前の右手は確かに剣の破片を持ってオレを刺そうとしていた。背中に切っ先を向けて突き立てていた。でもな、剣と背中の間にこれがあったんだ」


 これってなんだ?


「この左手だ。お前のな。シュゼは剣を持って、オレの背中に向けて、それをシュゼの左手が庇うように刺され、抑えていた」


 レコウが言うには、まるで取り憑かれた右腕と俺の意識が残る左腕が戦っていたようだと語った。

 俺の様子がおかしいことに気付いたこいつは、すぐに俺を抱えて退避しようとしたがその際にあちこち追撃をもらったらしい。


「あいつになんかされてたんだろ。もしそれで刺されたとしても、オレはシュゼを恨んだりなんかしない。それはあいつの攻撃だ。お前はその攻撃からこれで守ってくれたんだ」


 レコウは左手を少しだけ強く握りしめてから離した。


「でも一応クレナに声かけといて良かったぜー。応援が遅かったら二人でおっちんでたとこだ」

「感謝しなさいよね」

「そうだなー。でも流石にあの場にいたほぼ全軍引き連れて来るのはやり過ぎだったと思うぞ」


 意地悪く笑うレコウにクレナは顔を赤くして怒る。


「なっ! あんたがシュゼがヤバいとか脅すからでしょ! 結果正解だったじゃない! ……結局逃げられたけど」

「……二人とも、ありがとう」



 何れにせよ、良かった。ありがとう二人とも。

 ユーマ、もうちょいだけお前に付き合ってやれそうだ。殺すか生かすかは、これから考えてやる。


「レコウ、怪我は大丈夫なのか?」

「傷の治りが何故かやたら悪いんだよ。でもいつかは治んだろ。それより血が足りなくてな」


 出血か……。そればかりは術士の回復力でもどうにもならない。


「あれ、そういうお前は左手傷無いな? 結構ぶっすりいってたんだが三日で治る怪我か?」

「ああ、それは――」

「興味深い話だが、少し待て。シュゼが操られたという件、わたしには報告が来ていないな。レコウ」


 背後から傭兵長の怒気を孕んだ声が響いた。


「あー。すみません、ちょっと忘れてまして」

「ちっ。まぁいい。仲間を庇うのもほどほどにしろ。それよりシュゼ、どういうことか説明してもらおう」


 ここまで来たら隠す意味は何もない。洗いざらい話そう。

 そして、俺自身と世界樹のこと、世界の秘密ってやつをこの世界から聞き出さなければならない。

 意を決して傭兵長を振り返る。


「……俺とレコウが交戦した勇者。奴は、グラードと名乗りました」

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