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坂の途中

「げほっ、げっほ、ごほっ……」


 体に何かが当たり、カツカツと小さく音を響かせ足元に転がった。

 目が霞む。右足の裏がひんやりして気持ちがいい。見るとどうやら裸足のようだった。熱を奪う石の床。左足にはしっかり靴を履いている。何故片方だけ裸足、というか、俺は立っているのか。


 頭を動かすと首の骨がパキパキと鳴る。ぐっと脚に力を込めると、耳元でしゃらりと金属がかち合う音がした。視線の真横、頭の高さに俺の手がある。――手錠。ああそうか。ここは牢屋か。何も不思議ではない。覚えている。意識は曖昧だったが、忌々しいことに覚えているんだ。牢屋にも入れられるさ。ここが“どちらの”かは分からないが。

 俺は今の今まで寝ていたのだろうか。あれからどれくらい時間が経ったのだろう。部屋には外から陽の光が入っている。折れたはずの左手に包帯が巻かれており、手首には手錠がはめられ、その鎖は壁の上へと繋がっていた。


 その時、カキンと高い金属音が鳴り壁から影が飛び込んでくる。



「起きたみたいだね。良かった」


 昔と変わらない黒く耳にかかる長さの髪。透き通った声。自信に満ちた力強い眼。どうしてか全身ずぶ濡れ。

 ああ。最悪の寝起きだよ。クソが。


「てめぇ……ユーマどういう――」

「しーっ! 叫んじゃまずいって! 僕ここに忍び込んだんだから」


 馬鹿力で首を掴み締め上げられる。今すぐ鎖を千切ってこいつをボコボコにしてやりたいが、体が鉛のように重く言うことを聞かない。勝ち目はなさそうだ。

 それよりも、ユーマを敵と認識出来た自分の心に少しほっとした。どうやら奴に狂わされてはいないらしい。


「離すけど、頼むから大声出さないでくれよ。話をしに来ただけなんだ」

「――ごほっ、お前と話すことなんかねーよ。裏切り野郎が」

「うっわ、いつからそんなに口が悪くなったんだい。昔は僕のあとを追っかけて来て可愛い子だったのに」

「……お前が急に死ぬからだろ」


 目の前で殺されるこいつを助けることが出来なかった。それをずっと負い目にしていたのに『実は生きていました。ついでに今は敵の勇者様です』なんてどんな冗談だよ。喜べばいいのか、謝ればいいのか、憎めばいいのか、もう頭がぐちゃぐちゃで悩み方すらわからない。

 それに俺は、あの夜、この手でレコウを。殺されたヴェイグさんたちの無念も晴らせずに。

 ……もう死んでしまいたい。こいつに反抗して首を締め上げ殺してもらおうか。相手がユーマなら殺されてもいいかもしれない。もう何もかも投げ出してしまいたい。守りたかった仲間を、俺は何のために今まで……。


「シュゼ、僕の話を聞いてくれるかい」

「……こんな格好じゃ耳も塞げない。勝手に話せよ」

「ありがとう。……どこから話したらいいかな?」

「俺が知るかよ」


 昔からこいつは頭が抜けている。どうしてそんなに、昔のままなんだ。

 俺が今まで出会い、殺してきた勇者共は皆一様に術師を憎み狂ったような殺意を向けてきた。こいつもそうであってくれたなら、俺だって……。


「そうだなー、あまり時間がないよね。見つかったら殺される。手短に大事なことだけ話そう。僕はあの街で殺され、捨てられ、生き返ったあと帝国へ向かったんだ。それまでもウィズのやり方はどこか違うって違和感があった。世界をもっと自由に見て回りたい夢があった。今思えば勇者の血が勝手に僕を操って帝国へ向かわせたのかもしれない。それはわからないけれど、僕は帝国でサウロペ王に拾われ勇者として訓練を受けながら過ごしたんだ」


 こちらの眼をじっと見つめながら話すのも昔のまま。それが耐えられなくて、よく目を逸していたっけ。

 今もどうやら耐えられないままのようだ。横に視線を移すと壁の上方になんとか人一人抜けられそうな明り取りの四角い穴が空いていた。その下には柵になっていたであろう短い鉄の棒が散らばっている。あそこを切り開いて入ってきたのか。


「帝国には古い書物が多く残っていたよ。勇者のこと、世界樹のこと、魔法のことが色々と書かれていた。勉強は苦手なんだけどね。頑張って調べたよ。もし帝国が間違っているのなら離れなければいけないと思ったからね。みんなにも会いたかった。でも、僕はわからなくなってしまった」


「わからないだって? 国々を侵略し暴虐の限りを尽くす帝国が正しいって言うのか」

「それは良くないことだよ。でも、帝国がこの“小さな”大陸を救おうとしているのもまた事実なんだ」

「どう救おうっていうんだよ。統治したいなら外交手段でもってじっくりやる手もあったはずだ。それを軍事侵攻なんて無理矢理な――」

「ある本にはこう書かれていたよ。『世界樹は大地の全てを吸い上げ育つ悪魔の樹である』って」


 世界樹が、リサが悪魔だって? 神話になり、宗教にもなっている信仰の対象じゃないか。世界樹のおかげで大陸にマナが撒かれ、俺たちは帝国と戦うことが出来るんじゃないか。


「僕には、その真意はまだわからない。でもねシュゼ、奴は、グラードは危険だ。彼は世界樹に異常なまでに固執しているよ。手段を選ばない男だ。止めないと何か良くないことが――」


 ユーマは突然、背後の扉を振り返る。


「誰か来るね。逃げなきゃ。シュゼ、僕らはもっとこの世界の秘密を知らなきゃいけない。そしてきみは、自分自身を。近いうちきっとまた話そう」

「……いや、俺はもう……」

「……今のきみになら言える。僕を助けて欲しい。じゃあ、またね」


 そう言ってユーマは壁の穴に体をねじ込み去って行った。

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