裏切りの刃
目の前を覆っていたまばゆい光の粒子が晴れると、あたりは薄暗い闇に包まれ始めていた。ウィズは夜が早いので時間の感覚がいまいちわからないが、どうやらこちらももうすぐ夜らしい。
今頃になって朝方の怪我の痛みが激しく全身を襲っているが、別に痛みで死ぬことは多分無いだろ。リフェルのおかげで出血も止まっている。
「周り、誰もいない?」
不安そうな顔でチマがあたりをキョロキョロ警戒している。部隊から離れた場所だから誰もいないだろうに。
「悪いな。助かったよ。必ず何かで埋め合わせするから楽しみに待っててくれ」
「はぁ~釣られたボクも馬鹿だったけど……。バレたらげんこつゴチンだ……」
多分それだけじゃ済まないと思う。完全に作戦違反だし。
一度ウィズに戻り魔力を回復し、再び戦場に戻るにはどうしてもチマに転移陣を繋いでもらう必要があった。普通戦闘の危険がある場所とウィズは直通で転移陣を繋がない。
「もしバレたら全部俺のせいにしていいからさ」
「言われなくてもそうする」
薄情なやつめ。
「それより作戦とか色々聞いてるか? 教えてくれよ」
「えーそれボクに聞く?」
「ヴェイグさんとこ行ったら多分怒られてそれどころじゃなくなるからな。頼むよ」
チマに聞いた作戦内容はこうだ。
まず敵帝国軍はまだ要塞に籠もっている。南から攻めたマティルダ指揮官率いる本隊は遠距離魔法の射程外に布陣し待機、戦力のうち少数を北側に迂回させ伝令の動きを牽制している。兵糧攻めを装い圧をかける作戦。
その御蔭で俺たち北部隊の存在は“おそらく”まだ気付かれていない。
攻城戦になれば明らかに俺たちが有利。遠距離大火力魔法であればバリスタや投石機など比較にならない打撃で石の砦などものの数刻で瓦礫の山だろう。
だがそうはならない。遠距離魔法が使いにくい夜は勇者共の時間だ。日が落ちれば奴らは出てくる。そうでなくとも明朝には砦をつついておびき出す手はず。
問題は奴らがどちらを目指すか。南の本隊目掛けて突撃するか、俺たちが今朝潰した港に向けて撤退するか。
敵が本隊側へ向かえば俺たちはそのまま背後から挟撃、敵がこちらへ撤退しようとすればこの周辺各地に隠してある転移陣を使い本隊側に合流し追撃。奴らが港に着いても既に船は無い。泡食って混乱しているところを一網打尽。
正直、そう上手くいくのか不安になる強引な作戦ではあるが、正面から総力でぶつかり合うよりは遥かにましではあった。
俺たちには戦力に限りがある。戦うたびに目に見えて無視できない損害が出ている。対して勇者共にどれほど戦力の蓄えがあるのかは未知だ。全く、怖い戦争だな。
「それじゃあボクは逃げるので。後始末よろしく」
「はいよ。帰って寝てろ。全員、無事に連れ帰ってやるからな」
チマが転移していったのを確認してから、万が一にも敵に利用されないよう念入りに転移陣を破壊し、部隊の方へ向かった。
作戦の説明を受けるうちあたりは更に暗さを増し、どうやら霧も出てきたようだ。視界がどんどん悪くなるが、まだ幸い方向は分かる程度。部隊の皆が待機しているらしい場所に近づく。応援の追加戦力含め百に近い人数が潜んでいる割に物音は殆ど聞こえない。
……あ、これ敵の奇襲と間違われて攻撃されるかもしれないな。一応両手でも上げておこうか。意味あるかな?
「ちょっ、シュゼ! なんであんたがいるのよ!」
「おっまえ、帰ったんじゃなかったのかよ」
運が良いのか悪いのか、クレナとレコウに見つかりガーガー説教を食らいそうになるが、なんとかなだめヴェイグさんの元へと向かう。
視界の悪い中、ほぼ全戦闘要員が陣形を組みしゃがんで待機しているので顔がわかりにくい。だけどあの二人なら前衛だからだいたい居る場所はわかる。
「……はぁ~。引き際が良すぎるとは思ったが、やっぱり来やがったかこの野郎」
「すみません。でも俺は――」
「いい。わかった。今はいつ始まるかわかんねーからな。話は後だ」
ヴェイグさんは呆れたような、諦めたような口調で、だけど口元に少しだけ笑みを浮かべて言った。
「あれ、シュゼくん来ちゃったんだ。やっぱりねーだから言ったじゃない」
カルドラさんがひょっこり現れヴェイグさんに向かって何やら得意そうな顔をしている。この人が近くに居たのは気が付かなかった。とらえどころの無い性格からしても神出鬼没って感じだな。
彼女の軽口に対して短く「うっせ」と言い放ったあと、ヴェイグさんは俺に向き直る。
「前線には出さねーからな。お前は今回予備戦力。クレナとレコウを守ってやれ」
「そうそう。クレナちゃんを守ってあげなって」
ニヤニヤしているカルドラさんは気に入らないが、特に異存は無い。
俺は無言で頷き、レコウ達の元へ戻った瞬間、夜の闇に赤い閃光と爆音が走る。
要塞付近が爆発。作戦が始まったのだ。
『まだ動くな! 敵が南へ向かったら風術士は霧を晴らせ!』
闇の中誰かの声が響く。
今俺たちの部隊には全体指揮官がいない。だがそれでも一応は戦えるように訓練を受けている。
作戦を共有し誰もが状況を考え、誰もが指示を出す。
少数で受ける任務の際、持ち回りで隊長をやるのはこの思考を養うため。とは言っても指揮系統が混乱することを避けるため、基本指示を出すのは年長の戦闘要員が行う。
敵は――まだ来ない。まだ……。
「指揮官より伝令! 帝国軍は南下! 本隊と交戦します!」
その報告とほぼ同時に前方――南の方角から激しい戦闘音と雄叫びのような声が風に乗って聞こえてきた。
「進軍だぁーー!! いっくぜーー!」
一番に声を――馬鹿みたいにデカい声を――あげたのはレコウだった。
それに『おぉーー!』と勇ましい掛け声が続き、部隊は高速で南に向かい走り出す。
あいつに耳元で叫ばれまだ少しキンキンしているが、俺も後に続く。強弱の差こそあれど全員がスタイルアップを用いた軽装部隊ならではの進軍速度。百に届こうかという人数の割りに響く足音は小さい。
途中何度か帝国の一般兵や勇者がまばらに向かってきたが、少数で連携も取れていない奴らだったため蹴散らして進む。
全く平和なものだった。
というのも俺は本来の持ち場じゃなく中衛のラインまで下げられ仕事が無いからなのだが……。今行われているこれは帝国の勇者混成部隊との戦いとして、今までに無く大きいものだろう。互いに戦力を、命の数を削り合う戦い。きっと本隊側の前線は今頃……。悔しいな。
『敵軍補足! 見える? 同士討ちしないように! 法撃開始!』
また誰かが指示を飛ばすのが聞こえた。
こちらの陣から多種多様な魔法が放たれ闇の向こうでキラキラと綺羅びやかに光り、一瞬のうちに数十、数百に及ぶ命を肉塊へ変えていく。遠距離魔法は視線が通っていないと目標を狙えない。夜は不利――ではあるのだが、照明も同時にこなせるのが魔法の便利なところだ。
「視界悪いわね~レコウ! 照らして!」
「あいよ。クーディ・グラン・ライトニングネスト!」
レコウの術式により敵陣の足元に蜘蛛の巣のような電気の糸が放射状に広がり、その上にいる者の影を浮かび上がらせる。
「みえたっ! クレナちゃんとっておきオリジナル魔法! パス・クーディ・グラン! フレイムフラッド!!」
炎の洪水。その名の通り、真っ赤な炎の波が敵陣を真横になぎ払い、あとには炎に包まれもがく鎧の男たちが残った。燃え踊る兵士が周囲を照らし、更に魔法の狙い目を明確にしていく。
地獄があるとすればこんな光景だろう。うちの赤髪ちゃんは地獄を作るのが得意なようだ。こいつらには何かオリジナルの魔法を作るノルマでもあるのだろうか。俺には無い才能が今更ながら少し羨ましい。
暗く敵の位置が把握しにくい状況を、自分たちの魔法により照らし更に魔法を撃ち込む。敵からしてみれば絶望以外に表現しようがない状況だろう。それでも、まだまだ向こうには数の優位性が――。
――どこかから風切り音。誰かが叫ぶ。
『ロングボウだっ! 結界急げ!』
弓。俺の結界でいけるか!?
「俺の後ろに隠れろ!」
「こっちの位置バレてんの!?」
「結界術はろくに練習してねーんだがっ……!」
結界、エネルギー、形成――!
「十二芒八辺障壁!」
ほぼ直上の角度から降り注ぐ矢を結界が音を立てて弾く。なんとか間に合った。強度も足りた。
たまたま一部が届いたが、こちらの陣を狙い撃ちしたにしてはかなり狙いが逸れている。どうやら適当にあたりをつけて面射撃したようだ。
移動したほうがいいな。
「あっぶな~。あいつら~!」
「お前の結界なんか変じゃね?」
「うるせぇよ。クレナ、移動移動」
「最後に一発見舞ってやるわ!」
――長い戦いではなかった。
夜の暗さのせいでいまひとつ状況把握が難しいが、殲滅したのか、いくらかは逃げたのか、とにかくもう付近に動く帝国兵はいないらしい。もちろん勇者も同様。
結局俺はレコウとクレナの護衛に付いたまま、たまに牽制の魔法を放つ程度で勇者と戦う機会はなく、大きな戦は終わりを迎えた。少なくとも、どうやら勝ったことは確からしい。皆は笑い合い、雄叫びを上げ、勝利を分かち合っている……。
こちらにどの程度の被害があったのかは不明だが……まだ残兵の奇襲や弓を警戒して灯りは焚かれていない。……近くに居ない、な。
俺は喜び、拳を突き上げながらはしゃいでいるレコウの肩を後ろから叩いた。
「ヴェイグさんたち探しに行ってくる」
「ん? じゃあオレも行く」
「いや……すぐ戻るからさ。待っててくれ。疲れただろ」
「んー……じゃそうすっか。迷子になんなよ」
「子供じゃねーよ」
予感があった。
わからない。何故かはわからない。
皆が喜び合っている中でも、俺には全くもって状況が終わった気がしないでいた。
この闇の中、後頭部の毛がチリチリする気配を感じそちらに足を向ける。
気配? 予感だ? 普段なら一笑に付す言葉。
リサの言葉を思い返す。嫌な予感。そう、これが嫌な予感ってやつだ。いや、それよりももっと、何か本能的な。不吉が待っていると感じながらも俺の足はそちらへ向く。虫が、死ぬとわかっていながら火に向かって飛ぶような……。
あたりは再び霧に覆われている。
方向感覚を狂わせる、深い霧。
しかし今の俺には慣れた廊下を通り便所にクソをしに行くように向かうべき道がわかる。
西。この先に何かがある。何かが“いる”。
こんな暗がりの中を、なんの確証もなくズカズカと進む。何故レコウを置いてきたのか。あの時の返答はほぼ無意識に近いものだったが、危険だから待たせたということなのだろうか。
自分でもどうかしているのかと思うが、予感は確信に変わりつつあった。
――匂いが強くなる。
「くそっ……」
今ではもう嗅ぎ慣れた匂い。
糞尿に塗れた臓物と、血の臭いだ。




