強襲
全ての船員と僅かな術士を船に残し、俺達は海岸沿いを北に駆けていた。
船酔いしていたチマを最後方に預け、班員はヴェイグさん以外最前に位置取っている。海を見れば丸い太陽が丁度水平線からその全体を露わにしていた。
ほぼ予定通り、なのだろうか。俺達新兵は作戦の細かな所までは関わっていないし、具体的な部隊運用は先輩方に任せきりであるが、よくこんなに計画通り部隊を動かせるものだ。これも少数精鋭である傭兵部隊の利点だろうか。
並走しているレコウもクレナも流石に軽口は止めている。あちらにどれほどの戦力があるのかは未知数だ。リラコンバから直接北上した部隊には既に帝国は気付いているはずなので、この港に余剰な戦力があれば昨日のうちにそちらに回っているはず。とは予想した作戦だが……考えたくないが、もし勇者が何十人も残っていれば全滅するかもな。
理想は奇襲だけれど、もし勇者が見張りにでもついていればそいつがいち早く俺たちに気付くだろう。そうなれば臨機応変に速攻をかける展開もあり得る。
後方で指示や作戦の相談を行なっていたであろうヴェイグさんが前列まで追い付き、この辺りで止まるように言われる。
「ここに撤退用の陣を作っておく。上手く行けば使わないものだが、念の為ってやつだな」
誰かが地魔法で地面に石の台座を用意すると、そこに後ろから顔を青くしたチマがおぼつかない足取りで現れた。
大丈夫かよあれ。
「おい大丈夫なのかあれ。転移陣が無いと不測の事態が起きれば全滅だぞ」
ヴェイグさんが俺の考えを代弁してくれた。ここは一応、友人として庇っておくべきか。
「やる時はちゃんとやる奴ですよ。多分」
最後少し自信なげになってしまったが、これが精一杯。チマは背負っていた鞄を下ろし、何やら見慣れない道具や書物を取り出している。
「まぁ試験でも結構粘ってたし、見た目よりゃ根性あるか……。陣を敷ける人材は貴重だからな。多めに見てやるか」
「あの転移陣を使って本隊から援軍が来たりは?」
「ねえな。向こうも昼過ぎにはにらみ合いの牽制が始まる。こっちに割ける戦力の余裕はねえだろうよ。あればハナから船に乗せてる。それだけこの二面作戦は俺達にとって不適で決死なんだよ」
本隊の見かけ上の戦力が少なく、こちらの強襲に気付かれたら砦の帝国軍は陸路で内陸方面へ撤退してしまうかもしれない。それだけは避けたいということを説明された。下手な考えは言うもんじゃないな。
チマと護衛の数人を転移陣に残し更に北へ進むと、上り坂が途切れ崖に、その下視線の右前方に海に面した町が見えた。町自体俺達が出発した港よりは小規模だが、レンガ造りの家や倉庫のような建物が建ち並び、港には俺たちが乗ってきた帆船より更に大きなものが北と東にいくつも泊っていた。
元々ここは人が住んでいた街ではない。船と倉庫のため、戦争が始まってから急造された拠点か。
俺達は身を伏せ姿を隠す。まだそう簡単に見つかる距離ではないが、ここで目撃されては計画が狂う。勇者の五感は未知数。警戒するに越したことはない。
「クレナ、疲れてないか?」
「うん。平気よ」
俺の問いかけに対し、特に息も切らさずそう答えた。
この班で俺を除けば唯一スタイルアップの適正を持っていないのがクレナだった。レコウはメインが雷魔法、第二適正にスタイルアップがある。当然ペースはクレナに合わせていたつもりだが、無理して付いてきていないか気になっていた。どうやら大丈夫そうだな。元々こいつは素の身体能力が飛び抜けて高い。
今の俺とクレナのやり取りを聞いていたカルドラさんがわざとらしくニヤニヤと笑う。それに気付いたクレナが耳を赤くしてかかって行っては、あっさり地面に組み伏せられジタバタともがいている。そりゃあスタイルアップ使いには勝てっこないよ。それにしても緊張感無いな。
「あとは船を待つんっすよね?」
「そうだ。ここじゃ風があって狼煙も使えねえからな。打ち合わせ通りなら少し待てば来るはずだ」
後続の遠距離魔法部隊も続々と到着している。数は……前衛含め七十人ってとこだろうか。大部隊は相手に出来ないが、あの町にどの程度戦力が置かれているか……。
「レコウ、ここからあの町まで魔法届くのか?」
「んー見通し良いし、オレでギリってとこだから大丈夫じゃねぇかな。オレ苦手なんだ長距離」
笑いながらそう言うと、背中に担いだ剣を触る。
「中衛で良かったぜ。予備の武器、欲しくなったらデカい声で呼べよ」
「あぁ。悪いな持って貰って」
「……しかしお前、少し変わったよな」
レコウに指摘されるまでもなく、なんとなく自分でも気付いていた。思考に余裕が無い。この作戦に始まったことではなく、前線に出て来てからは寝ても覚めても戦闘のことばかりを考えている。
俺はもしかしたら怖がっているのかもしれないとか、戦いが楽しいのかもしれないとか、そんな自分のことを見つめる余裕すらもなく、どうでもいいとさえ思ってしまえている。これはもう、どうしようもなかった。どちらにしても、余計なことを考えないのは勝つためには都合が良いからだろう。
別にそれでいい。人間味を失い勝てるのなら、いくら狂っても。
「おらお前ら集まれ。真面目な話するから真面目に聞けよ」
ヴェイグさんに呼ばれ近くに寄る。
「今ここにいる前衛は俺達含め二十三人だ。もし勇者の数が十を超えるようなら囮として使うことも視野に入る。例外はシュゼだけ。俺とカルドラも必要とあれば自爆に使う。基本は後衛の術士による判断だが、中衛のお前らも状況次第で“やる”ことになる。覚悟しとけ」
クレナの双眸が微かに震え、レコウはほんの少し俯くが反論はしない。作戦に参加するにあたり、当然術士の二人は前衛を巻き込んで勇者を倒す戦法のことも聞かされて来てはいるのだろう。
「ヴェイグさん、俺も例外じゃないですよ。もし戦闘不能になって救援が期待出来ないなら、ただ討ち取られるよりも敵を巻添えにした方がましです」
「……わかった。ただし後衛はお前を狙わないようになっている。その判断はシュゼ、お前が自分で中衛に伝えろ。だが簡単に諦めるのは許さねえからな」
「はい」
レコウの方を見るが、目を合わせようとしない。……レコウじゃ無理だ。こいつはどんなに状況が不利で不可能がわかっていようとも、何の躊躇も無く俺を助けようと動くんだろう。その結果二人共殺されたとしても後悔しない、そういう奴だ。
それじゃあ駄目なんだ。
「クレナ、頼んだぞ」
返事は無かった。クレナの方がレコウよりは現実を見る力がある。頼むぞ。頼むから俺に無駄死にだけはさせないでくれ。
東の海に船が見えた。いよいよ始まる。
俺達が乗ってきた船は帆をたわませ南から北へグングン速度を上げ飛沫を撒きながら走る。
「行くぞ! 西に抜ける勇者と馬に注意しろ! 一匹も逃がすな!」
崖を滑り下りるヴェイグさんに続き駆け出す。他の近接班も勢い良く飛び出した。心臓が高鳴る。まだ命のやり取りを前に緊張する心は残っているらしい。
港から激しい爆発音――立て続けに何度も。泊っていた船が木片を飛び散らせ、風に乗った悲鳴と怒号が聞こえた。仲間が船から魔法を撃ち込んだのだ。始まった!
背後から雄叫びが上がり、同時に町の各所から稲妻や竜巻が起こる。勇者は早いはずだ。一般兵よりも早く対峙する!
「町は燃やすなよ! 炎術士は地面を狙え!」
「クレナ!」
「パス・クーディ・グラン――フリムレフランマ!!」
走りながら唱えられたクレナの上級魔法により、広範囲の空気が熱で揺らめき、発火した。慌てて町を飛び出してきたであろう兵達が悲鳴も上げぬまま地面に崩れる。燃える物が無くとも未だ空気を焼きその場を剥がれぬ巨大な炎。その向こうよりいくつかの影が飛び出して来た。間違いない、勇者だ!
「フェイ・スト・ボルトスプレッド!」
レコウの手の平より撃ち出された大きな電気の玉は、分裂しつつ平行に拡散し、敵の足を止める。跳んで躱した勇者のうち数人が突出した。――多い。何人いる? まずいか……いや、もうやるしかない。俺が早く始末すればいい!
「レコウ、クレナ、そこで止まれ! ヴェイグさん! 先行します!」
「おう!」
勇者共は分散しつつ全速でこちらへ向かって迫る。
来る、相手は――また女?
長いな。あれは槍か。大人二人分はあるぞ。
鎧は着ていない。元々そうなのか、着ける余裕が無かったのか、どちらにしてもはっきりしているのは今まで戦ってきた勇者よりも間違いなく強い。闘気の質が違う!
「一騎打ちだと? 私の名はリザベルト! 王の正義を執行――」
どいつもこいつも、同じようなことをごちゃごちゃと!
俺は剣を抜き、構わず直進する。
牽制で魔法を――。
瞬間、身体がはね飛ばされる。
一寸惑い、確認を経てようやく自分に何が起きたのかを理解した。
「フン、言葉も理解出来ぬか。魔の者め、滅ぶがいい」
あの女が脇に構えていた槍を引き戻すところだった。あれで突かれたのだ。
こんな距離まで届く、いやそれよりも目で捉えきれなかった。今しがた放たれた刺突は“たまたま”抜いた剣に当たったに過ぎなく、意識して防いだ訳ではない。
恐らく射程ギリギリ、防げなければどうなっていたかを考える意味は無いが……。
横目で周囲を確認する。勇者はやはり五人以上は見える。このままじゃ囮作戦が使われるかもしれない。その判断が下されるまでに、俺がこいつらを減らさねぇと!
「次はこちらから行くぞ」
女が一気に間合いを詰める。
接近するのは危険だが、距離を取って戦っている暇はない。
こいつは比較的鈍足の部類だが、一般人のそれよりも遥かに速い。
集中すれば反応しきれない。
一点に集中するのではなく、意識を拡散。
人を見るな。視界全体を見ろ。
左の隅で近接組が勇者と対峙している。右上でクレナの魔法が爆発し、雑兵が枯れ葉のように舞っている。
中央で右脇に槍を地面と水平に構えた女がこちらへ向かい迫る。
その手首が僅かに動き――。
顔の真横を突風が過ぎた。
躱した……反撃!
槍は今引き戻される途中。この隙に懐へ入る!
素早く踏み込み剣を振りかざす。
獲物を振り下ろす瞬間、勇者は体を横に回転させながら飛び退く。
速――まずい!
甲高い風切り音。円を描く灰色の残像。勇者は身を回転させながら、あの長大な槍で横から薙ぎ払ったのだ。
気付いた時それは既に俺の脇腹の位置にあった。流石に強いな……。
鈍い衝撃の後、体が浮き上がり槍の回転に巻き込まれるようにして無造作に地面へと叩きつけられる。魔法の爆発音に紛れ、誰かの叫び声が聞こえた気がした。
「がっ……はっ」
内臓を揺さぶられ胃液がこみ上げる。
焦りすぎた。
魔力を節約しようとしたのが仇となったか。
意識はあるが、立ち上がれない。地面に手を付くまま顔を上げると、女勇者を挟んで向こう側にいるレコウと目が合った。
駄目だ、来るなよ。俺はまだやれる。
「貴様ら術士は呪われた存在だ」
まだ立ち上がれない俺に勇者が近付く。あの槍、穂先も柄も全て鉄で出来てやがる。それも多分、今まで戦ってきた勇者の装備よりも頑丈だ。闘気によって鉄の強さも変わるのか。くそ、腹がいてぇ。
「人が安寧と共に生きるために、魔は滅さねばならない。我等こそが民であり我等こそが人なのだ」
カチャリと金属の音を立て槍が脇に構えられる。
再びレコウと視線が交わる。
俺はまだ地面に伏したまま――。
「貴様を殺した次はその仲間だ。王のため、民のため全て滅する。滅ぶべし悪魔よ。悪魔の子よ。正義の名のもとに!」
勇者が地面を蹴り小石が飛ぶ。
槍を携えた手首が――もう見切ってんだよ!
「ストーンウォール!」
地面から飛び出す石の壁に下から当てられ槍の穂先が天に向け跳ね上がる。
「レコォーーッ!」
「サンダーダウン!!」
タイミングドンピシャ。
レコウの雷魔法。まばゆい閃光が跳ね上げられた槍に落ち、勇者を包み込む。
まだだ、このダメージじゃ終わらない。
足に力を込め、前へ。
勇者は負の感情をむき出しにした表情でこちらを睨む。歯を食いしばり目を血走らせながらも、全身から煙が上がり足元の草からは火が立っていようとも、背後から撃たれた魔法だと気付いたとしても、その憎悪は俺を睨む。
そうだそれでいい。
「死ねえええ! 悪魔あああぁぁぁぁ!!」
スタイルアップを全て脚へ……。
「クロウ! リタ!」
再び突き出された槍を剣の腹で滑らせるようにいなす。
俺が悪魔? 上等っ、それでいい!
「お前が死ね! 人間っ!!」
全速で前、身体を半回転――。
「ああああああぁ!!!!」
「タイニーメテオ!!」
身体を回転させつつ放った俺の裏拳が勇者の顎に当たり、そのまま卵の殻でも殴るように骨ごと砕きめり込む。
拳が完全に振り抜かれた後、首の上には何も乗っていなかった。
血飛沫、遠くに硬い物が落ちる音。
人間だったものは赤い噴水を上げながら揺れ、地に墜ちた。
レコウが駆け寄ってくる。
「なんだ今の魔法……? いやそれよりお前平気か!?」
「ああ。当たる瞬間跳んだから、内臓は……多分無事。ありがとうレコウ助かった」
息苦しさが戻ってきたが、槍で打たれた箇所を触れてみても問題は無さそうだ。
「シュゼ!」
クレナが魔法で後方の敵兵を薙ぎ払いながらこちらに駆けつけた。俺が吹っ飛ばされる所を見ていたのか、その顔には焦りと安堵が同時に現れているようだった。
「平気だよ。それより次行くぞ。勇者の数が多い。このままじゃヴェイグさんたちも危ない!」
「お前本当に大丈夫なのかよ」
「こんな場面で強がる程素人じゃないよ。ほら、二人とも中衛頼んだぞ!」