海2
――寒い。体が揺れている。
目を覚ますと船室は暗く、人工晶石の弱い明かりだけが僅かに木張りの壁を映していた。ランプは……っと危ない、そうか、わざと暗くしているんだっけ。にしても海ってのは結構寒いな。
レコウやクレナが見当たらない。どうせ暗がりのその辺で寝転んでいるんだろうけれど、ちょっと暇だし甲板の様子でも見に行こうかな。もっと寒いんだろうけど。
手探りで梯子を上り甲板に出ると、予想通り寒かった。ざばざばと豪快な波音を立てて進む船。船の速度によるものか元々のものか、強い風が吹いている。辺りは真っ暗だが星と月の明かりのおかげで船内よりはまだ目が役に立った。
何人かがこの寒い中船の左側に並ぶように腰掛け見張りをしている。大変そうだな……後で交代してあげようか。
船尾の方から覚えのある声が聞こえ、行ってみるとヴェイグさんを見つけた。
「ヴェイグさん」
「あ、なんだ? お前はちゃんと眠っとけよ明日朝には戦闘だぞ」
「ヴェイグさんこそ。俺は寝てたけど起きちゃって。夜目利くんでどっか見張りでも代わります」
「代わるならこっち代わってよぉ~」
悲鳴のような女性の涙声で訴えかけられる。その人は船のマストに向けて魔法で風を送っていた。これはちょっと俺には無理そうだ。この精度を長時間保ち続けるのは風魔法適正持ちじゃないと。
「もうちょっとで交代させるからまだ頑張れよ。こいつの魔力は貴重なんだ」
特別扱いされるのは期待を感じて良い気分ではないんだけれど、どちらにしても俺じゃ交代出来ないし仕方ない。見えているかわからないが、軽く声がした方に頭を下げ、適当に近場で木箱に座っていた人に声をかける。
「見張り、代わります」
「おっ、本当か? ありがてぇ~。そろそろ一番危ないとこだからな。しっかり見とけよ」
見張りをしていた先輩は被っていた大きな毛皮の防寒具をその場に置き、頬を両手で擦りながら立ち去った。
一番危ないとこって、今丁度この闇の向こうが敵の要塞のあたりなのかな。置かれた毛皮に包まり木箱に座る。何の動物のものか、何枚かを貼り合わせたような大きな防寒具。座った状態なら脚まで余裕で全身包んで余りある。他人の体温が残っていて少し気持ち悪いけど、寒いよりいいか。
見渡していても黒い海が続くばかり。帝国に悟られないよう海上を風魔法で高速移動して夜間に北へ回り込む。作戦通りだけど、こう周りが水だらけだと不安にもなってくるな。見えないが陸地は遥か遠く、本当に方角は合っているんだろうか。
俺達だけじゃなくちゃんとした船乗りも乗ってるはずだから大丈夫なんだろうけれど、よくこんな何も目印の無い海のど真ん中で方向がわかるもんだ。
星を見る、んだったっけ。ウィズでは夜も昼も頭上は葉っぱだ。授業で聞いた気がするが星の知識には乏しい。今度ちゃんと覚え直しておかないとなぁ。
「えっと、シュゼ?」
「うん?」
「やっぱあんたか。良かった知らない人に声掛けなくて」
この声は、クレナか。動くと寒いし振り向かなくていいや。
「俺見張りついたばっかだから、交代なら船首側の人としてやって」
「いや、交代じゃなくって……てかさっむ!」
「交代じゃないなら船室入っとけよ。風邪引くぞ」
「……ちょっと入れなさいよ」
クレナは前に回り込み、毛皮を押さえている俺の腕を強引に開き中へ入ってこようとする。その瞬間大きく船が揺れ、よろめくクレナの腕を咄嗟に掴んでなんとか引き寄せた。
「あっぶねー。こんなとこで船から落ちたら置き去りにされるぞ」
「あ、ありがとう」
風でばたばたとはためく毛皮の端を捕まえクレナに渡すと、体に巻き付けながら木箱に腰掛け、身を寄せてくる。せっかく温まってきた所だったのに、俺の側の熱は無条件にクレナへと分け与えられた。
……そして何も話さない。何しに来たんだこいつ。
「戦闘で中衛についたらチャンスだと思っても勝手に手出しするなよ。巻添えは嫌だからな」
「うん。わかってる」
「あんまり近いと狙われるかもしれない。勇者からは十分距離を取ってくれ」
「わかってるってば」
「それから、狙う時はなるべく弓――」
「わかってるってば! そんな話ばっかり!」
……お前が何も話さないからだろうが。緊張でもしてるのか? 初任務の頃を思い出すけれど、頼むから実戦で暴走はやめてくれよ。間違いなく誰か死ぬぞ。
「おーいシュゼ、俺も寝てくるからな」
「あぁ、はい。お疲れ様です」
「お前らいちゃつくのはいいけど、疲れ残すようなことはすんなよ」
「し、しないわよ! しませんわよ!」
「クレナ言葉おかしくなってんぞ」
あー、そういやこいつこの手のいじられ方に弱いんだっけ。
ヴェイグさんは笑いながら去っていく。やっぱ俺らと違って歴戦の兵は余裕あんなぁ。と言ってもまだ若いんだろうけど。俺たち傭兵の歴史からいって、最高齢でも二十五歳くらいか。
「ちょっと、あんな人が班長で大丈夫なの?」
「あんな人とか言うなよ。俺は尊敬してんだ」
「あんたが人に心開くとか珍しいわね」
珍しくも……珍しいのか。心開いてるってのとも少し違う気がするけれど。
「……あたしね、勇者って憧れてたのよ」
「そうか」
なんとなく知っていた。クレナの性格からすればそれもそうだろうと納得する。
「この世の嫌なことや理不尽なことを、何もかも吹き飛ばしてくれるような、そんな強さに憧れてた」
「勇者と戦うのが嫌か?」
頭を振る。少し待っても、それ以上言葉は無かった。
ただ無言でひたすら海を見つめる。人がいれば必ず明かりもあるはずだ。陸地がどこかさえもわからないが、光にだけ注意していればいいはず。というかそれ以外は見ようがない。
時折クレナの頭がカクンと落ちる。注意しても船室に戻る気は一向にないようだ。眠いなら寝てくればいいのに。結局何しに来たんだこいつ。体温高くて寒い中だと便利だけど。
「あんたは、あたしと同じだから……」
殆ど寝言でも呟いたかのような微睡んだ声。
「同じ……? クレナ?」
ついに俺の肩に頭を預け、寝息を立てだした。船の速度が落ち、揺れが多少軽くなったのがとどめになったのだろう。それでもよくこの過酷な状態で眠れるもんだ。
クレナが掴んでいた毛皮の端を離してしまわないよう、背中から腕を回し俺が掴む。
戦い。仲間を盾に使ってでも死ぬな、か。
死ぬな死ぬなと簡単に言うけれど、はっきり言って知ったこっちゃないんだよそんなことは。俺の仕事が死なないことなら家で大人しくしていればいいんだ。
やるべきは、一人でも多く勇者を狩ること。そのために生き残る。
気がつくと背後の空が青く色付き始めていた。一晩中闇を眺めていたせいか、少し目がおかしい。薄っすらと遠くに陸地の影が認識出来るようになっている。結局何も異常は見かけなかったな。
「クレナ、起きろ。もうすぐ着くぞ」
「……ん。あれ、あたし……」
予定では夜明け頃には上陸し、そこから船と別れ徒歩で北上だ。そろそろ気を引き締めなければ、いつ戦闘が始まってもおかしくない段階に入る。
「ちょ、ちょっと。シュゼ」
「なに?」
「えっ、と……なんでもない」
ああ、船の揺れで落ちないように腕で抱えるようにしてたから、このままじゃ身動き出来ないのか。どうせもうすぐ準備しなくてはいけない。思い切って毛皮から手を離し立ち上がった。
「あっ――さっむい! あ、あたし中戻るわね」
体を小さくして走り去る背中に、何か食い物を持って来てくれと頼む。
最近毎朝やっていること。立ったまま眼を閉じ、想像する。敵の動き、速さ、強さ。色々な武器。俺は他の近接組より遅く、弱い。攻撃への対処を間違えるとあっという間に終わりだ。魔法にしても実戦にしても、こうやって想像で特訓することは大事だ、とリサに教わっている。
しばらくそうしていると、戻って来たクレナが目も合わせずパンを無造作に差し出す。結局これか。せっかくここまで来たんだから海の魚を食いたかったな。
硬いパンをかじっていると、にわかに甲板が慌ただしくなってきた。空ももうだいぶ明るい。雇われたのであろう船員達が、声を上げながら走り回っている。上陸が近いようだ。
ヴェイグさんとカルドラさんが向こうから歩いてくる。昨晩軽口を言いながら去っていった時とは雰囲気が違い、引き締まった表情をしていた。いよいよ真剣ってところか。
「よぉ少年少女。いやらしいことはしなかったのか?」
真剣でもなかった。
「えっそういう関係なの? お姉さんに詳しく聞かせなさい」
「してませんよ!」
クレナは耳まで真っ赤にして怒りながら、カルドラさんに関係の否定。もとい俺の悪口を言い連ねている。放っておくと俺とクレナのどちらかが泣き出してしまいそうなので話を変えよう。
「レコウとチマ見ませんでした?」
「さあ?」
「どうせまだ寝てるんでしょ。あたしが呼んで来る」
まだ耳を赤くしたまま、クレナは小走りで逃げるように去っていく。
「クレナちゃん、可愛いー」
「おいおい。気をつけろよシュゼ、こいつ女もいけるから」
「はあ。気をつけます……?」
「こっちは可愛くなーい」
からかわれているのか馬鹿にされているのかよくわからないが、ヴェイグさんはまだしもカルドラさんはどうにもつかみどころが無いな。
いや、こんな話してる場合じゃないんだよ。
「ヴェイグさん、レコウに剣の予備を一本担がせたいんですがいいですか」
「それは構わんが、戦闘の話ばっかりで本当に可愛くないな」
「それは……すみません」
「謝るな。お前は正解だよ。色々と追い詰めちまってるものな。言えた義理じゃねえがあんまり気負うなよ」