海
「うわぁすっごーい! あたし海初めて見た。リフェルちゃんにも見せたかったなー」
「うほぉ遊びてー! オレちょっとだけ入ってもいいかな?」
「ボクは海嫌い。なんか臭い」
改めて溜め息が出る。
敵が駐留する砦とその北東にある退路、その両面を一日のうちに攻略する二正面作戦。
部隊を南北に分割するにあたって戦力を少しでも増強するため、ウィズに増援を要請したとは聞いていた。でもそれは飽くまで予備の戦闘要員が補充されるものと思い込んでいたから、一度説明を受けた後でもどうしてこいつらがここにいるのか理解が追いつかない。
「なぁお前らなんでいんの?」
「だからさっき説明したでしょーが!」
クレナが小さめの体躯で仰け反るほどに胸を張り、これでもかと戦闘服を見せつける。俺の気も知らないで嬉しそうだな。
要するにウィズに増援要請が来ていることを小耳に挟んだこいつとレコウは、自ら志願しそれが特別に認められ、晴れて戦闘要員に飛び級抜擢されたということらしい。まだ二年になったばかりなのに。今状況として帝国が優勢で余裕がない、というのもあるかもしれない。
しかし戦場に出すにしても、普通新人は危険の大きいこちらよりも陸上部隊の方じゃないのか。聞いても言わないけれど、どうせこっちに配属されたのも何かしら頼み込んでの結果なのだろう。
まさか海を見たかったなんて理由じゃないことを祈るが、この港町に来てから散々はしゃいでいるのを見るとどうにも信じ切れなくなってきた。レコウはまだしもクレナまで無い胸を踊らせているものなぁ。
「リフェルはどうした?」
「リフェルちゃんにはまだ危ないって。却下されてたわね」
「それもそうか。お前らもわかってんのかよ。この作戦はかなり危険なんだぞ」
「わーってるって。シュゼは心配性だなー」
「ボクはちゃんとわかってる。ヤダ。怖い。帰りたい」
チマは正式な任務だから無理。
海と比べやや高い立地にある町から東へ長い階段を下りて行くと港がある。赤茶色の屋根がいくつか見えるが煙突の付いているものは少ない。家じゃなく倉庫なのだろう。そして既に視界には船の上部が見えていた。あの木組みに巻かれた白い布を垂らして風を受けるんだったっけ。
近付くにつれ、木で出来た巨大な船体も露わになる。凄いなこれは。百人くらい乗れるのだろうか。
こんなに立派に見えるけれど、この船ですら外海には出られないらしいが。
「来たか。積み込みは終わってるから船乗っとけ。遊びじゃねえからな」
ヴェイグさんが船の前であちらこちらへ忙しく指示を飛ばしている。色々と聞きたいことはあったが、言われた通り大人しく船に乗って待つことにした。
「おいおいおい船だぜどうするよ興奮するなシュゼおい」
「わかったから、少し落ち着けって」
俺も船に乗るのは初めてだ。高い声の鳥が鳴き、足元が波でゆらゆら動き、甲板からは遠く空と海の境目が見える。確かにこれは、レコウ程じゃないが少なからず鼓動が早くなっている気はする。
ウィズからも海は近い。俺自身が実際に行った訳ではないが、南か西へ行けばさしてかからず今目の前に広がるこれと同じ海と呼ばれるものがある。らしい。
しかし大違いなのはこの大陸南西部付近の海は、近海でさえも海流が異常な向きで回っており、とても通常の帆船などでは航行出来ないことだった。魚もろくに捕れないらしい。
俺は隣で寒そうに自分の肩を抱くチマに話しかけた。
「こんな大きな船でも南部の海は無理なのか?」
「え? んー、多分無理。大きいほうが危ない。と思う」
そんなことより早く船室に入ろうと急かすチマに背中を押され、船内へと下りる。甲板の下に広がる奥へ長い空間は、まだ疎ら程度に二十人前後ほど戦闘要員が乗り込んでいた。俺の顔を見ると何人かが挨拶をしてくれるが、正直まだ全然顔と名前を覚えられていない。申し訳ない気持ちで挨拶を返す。
「さ、寒い……揺れてる……」
「後で何か上に着るもの貰ってこいよ」
「うん、そうする。寒くて死んじゃう」
チマが鼻をすすり上げながら唸る。本当に弱々しいなこいつは。そういえばあの変なぺらぺらした白い羽織は今日は着ていない。代わりに今日は何かの道具が入っていると思われる大きな鞄を重そうに背負っていた。
二人で適当な箇所に腰掛けしばらく待機していると、こちらにクレナとレコウ、その後ろからヴェイグさんが向かって来るのが見えたのでチマの腕を掴んで無理やり立たせる。
「よし。クレナとレコウだったよな」
ヴェイグさんが確認するように名を呼び、それにはっきりと返事をする二人。
「改めて俺の名がヴェイグ、それとシュゼ、あと今はいないがカルドラって女剣士の五人が俺達の班だ。よろしく」
「班での戦闘方法はあたし達が授業で習ってきた通りですか?」
クレナの問い掛けにヴェイグさんは軽く唸ったあと息を吐き出し、両手のひらを下に向け二、三度ひらひらとさせる身振りで俺たちに腰を下ろすよう伝えた。
「聞いて来たと思うが、相手は勇者と呼ばれる化け物共だ。特にこの班に限っては授業と少々事情が違え」
説明によれば、この班は俺のための班なのだと言う。
勇者と帝国の一般兵を同時に相手する場合、中衛に術士を付けるのは普通らしい。要は対勇者の前衛組に余計な雑兵がちょっかいを出さないようにするための露払いだ。この班ではその前衛担当が俺一人。勇者が二人以上同時に来た場合にはヴェイグさんとカルドラさんが対処をする。
「勇者が三人以上来たらどうするんすか?」
高々と手を挙げて放たれたレコウの尤もな質問に、ヴェイグさんは少し難しい顔をして答える。
「そん時は近くの班に受け持って貰うしかねえが……」
確証はないと前置きしつつ、ヴェイグさんはそうはならない可能性を語る。
俺や他の前衛組が一人の勇者に複数で挑む戦闘法に苦心しているのと同じように、勇者も一人に対し数人で群がる戦法は好まないのではとの推測だった。
今まで何人か相手にした感触でも、奴らはスタイルアップ使いより能力の個体差が大きい。武器や戦法も様々だ。その可能性は高いだろう。
「ただしシュゼ、お前の情報が漏れてなければの話だ。あいつは危険だと知られちまえば犠牲覚悟で優先的に潰しに来るだろうよ」
「一度に二人までならなんとか……」
「バカ言え。その為の保険として俺とカルドラが付くんだよ。安全と判断出来次第他の応援に回るけどな」
話がひと段落つき息を吐き出すと、隣のチマがヴェイグさんを見つめながら膝を抱え、ぎこちなく固まっているのに気付いた。
なんだ? 寒いからか?
「あの、こいつに上着きせたいんですけど何処にあるか――」
「い、いい! 自分で探せるから!」
腕にすがりつくようにしてチマは珍しく大きな声で俺の言葉を遮る。
どうしたんだろう? 様子が……あぁ、わかった。
「ヴェイグさんこいつ覚えてますか? 去年の試験で」
「ん~?」
顔を近付けチマを覗き込む。ぷるぷると小動物の震えが腕に伝わる。
「あー、あの結界の子か。変なことして来たからな。覚えてる。てかなんでここにいんだ?」
「転移陣担当らしいです」
「え、マジ? この子がねぇ。そう震えるなよ、転移陣は俺らの生命線だ。しっかり守ってやるから」
多分今は戦いそのものよりもヴェイグさんにビビってるんだと思うが黙っておこう。
今まで何でもなさそうにしていたが、あの試験での戦いはしっかりトラウマになっていたらしい。つくづく傭兵には向いていない性格だな。
胡座をかき座りながら物珍しい生き物を見るようにチマに手を伸ばそうとし、避けられるヴェイグさん、の背後からすらりと伸びた素足がこちらに向かってくるのが見えた。
「ふぁー疲れたよ。あ、その子達が班員? うちカルドラーよろしくー」
露出過多に改造してあるカルドラさんの戦闘服を見てか、小さくレコウが「おっ」と言ったのを俺は聞き逃さなかった。後で釘を刺しておかないとな。
慌てて立ち上がったクレナの生真面目な自己紹介に続き、レコウも適当な自己紹介をする。
連合軍の兵を見ていた限りこれが軍隊なら上官から叱られまくるのだろうが、傭兵ならこんなものか。
「念のため適正と序列も教えてー。序列貰って来たよね?」
「はい! 炎魔法序列三位特です」
「雷魔法序列五位特っす!」
「……マジ?」
カルドラさんは驚き口を半開き固まった。こいつらの序列は俺も初めて聞いたが、こんなに高かったのか。
序列は学年内ではなく全戦闘要員中で同じ属性適正を持つ者内での順位であり、ウィズから与えられた評価のようなものだ。順位の下の“特”というのは特例。いちいち序列の上下を弄っていられない時に与えられる、クレナであれば『三位相当』という意味で、多分どこかに正式な炎魔法序列三位もいる。
勿論これがそのまま強さの順位になるのかと言えばそうでもないが、高いに越したことはない。別に権限が強くなるってこともないけれど。
そういえば俺は貰っていない。あったとしても全適正最下位という不名誉な称号を頂いて終わりだろう。
ヴェイグさんとカルドラさんは二人の序列を聞いた瞬間から暫く固まり、ようやく口を開いた。
「ちょっとちょっと、この子らすっごい優秀じゃないの。ヴェイグあんた何位だっけ?」
「っせーな毎年学年に何人かはこういうぶっ飛んだ奴らが入ってんだよ。じゃなきゃ高等二年で前線に出されるかっての」
序列は単純な能力の強さだ。実戦経験などは加味されていない。
俺は正直、怖い。こいつらが戦場に出ることが、殺し合いに参加することが怖い。
序列三位だか五位だか知らないけれど、人間首を刎ねられれば簡単に死んでしまう。心配性でもないだろう、俺だってそうやって殺してきたのだから。
スタイルアップは人数が多いからとかなんとかぶつぶつ言い合いながら、年上の二人は「もうすぐ出港だからそのまま船内で待機」とだけ言い残しどこかへ行ってしまった。
急に放置され一瞬沈黙が流れたあと、クレナがチマに声をかける。
「一緒に上着貰いに行こっか」
「あ、うん。クレナありがと」
「あたしもちょっと寒いから」
男二人残されてしまった。夜になればもっと冷えるだろうし、俺も上着貰いに付いていこうかなぁ。
立ち上がろうとした所に手首を捕まれ、強引に床へと引き戻される。
「なな、さっきのカルドラさんて――」
「駄目だぞ。ヴェイグさんと付き合ってるらしいから」
「……まーじかー! なんっだよもうー」
思わず今日何度目かの溜め息が出てしまう。本当に大丈夫かよこいつ。明日の夜明けからは激戦が待っているって言うのに。緊張でガチガチになられるよりは良いかもしれないけれど、ここまで緊張感が無いのも困りものだぞ。
「どうした溜め息なんてついて。あ、もしかしてお前もカルドラさん狙って――」
「違うっつーの」
「冗談だよ」
レコウはニヤニヤしながら俺の肩を叩く。なんだよ気持ち悪い。
「わかってるって。お前はオレ達が心配なんだろ?」
「いや心配っつーか……まぁ、そうだけど……」
「オレもクレナも、リフェルちゃんも同じだったんだよ。だからわかんだ」
「同じって?」
「シュゼのことが心配だったって意味だよ。前に約束したのに、一人にさせちまって悪かったな」
約束。覚えている。でもあんなの、いいのに。
「オレとクレナでお前のことを守ってやるから、お前はオレ達を守ってくれ。な」




